はじける羽音と泡

コイデマワル

第1話

「そろそろシーズンっすよ」

島田啓しまだはじめが喫煙所に来て、上段の構えから腕を振り下ろしながら話しかけてきた。

「そうですね、また鹿留行きたいなぁ」

 手早くたばこに火をつけた島田は、僕より5歳年下だけれど、僕より入社歴が長くて、後輩の面倒見がよく、年上の人間に対しても気遣いができるので、僕からしたら先輩のように感じてしまう。

 話はニジマスの管理釣り場の話だ。ニジマスは夏でも釣れなくはないけれど、水温が下がってくるとニジマスの活性が上がってきて、釣りごろ、つまり釣りのシーズンインとなる。

「でも去年鹿留は、渋かったじゃないっすか?」

「まあそうなんだけど、でも大きいの釣りたいじゃないですか」

それを聞いて、島田がニカッと笑う。

「本田さんも、ずいぶんハマってきましたね」


 2年前の秋に、釣り経験の長い島田と社内の友人で、早戸川の管理釣り場に行くのに誘われて行ったのが、僕にとって最初の管理釣り場だった。あの時は、釣り具をかりて10分くらい竿を持っていたけれど、まだ少し暑い時期でニジマスの活性は低くてアタリも全くなく、ほとんどの時間はみんながルアーを投げたり、ニジマスを釣り上げている姿の写真を撮る係だった。

 その冬に40cmを越える大物しかいない鹿留の管理釣り場にも、島田と太田係長と僕で行った。釣り具をまた借りて2時間くらい釣りに専念した。その時は1回だけアタリはあったのだけれど、途中でバラしてしまった。島田と太田は経験が長いので、40cm以上ある大きなニジマスを、それぞれ5匹以上釣っていて、一匹を逃した自分はとても悔しかった。

 鹿留で大物を釣ることを夢見て、釣り具一式を揃えてしまったのが去年の秋だ。去年の冬は3回ほど島田に誘われて、管理釣り場に行っていた。

「本田さん、また写真も撮ってくださいよ。あの時作ってくれたスライドショー、気に入ってるんすよ」

「あー、早戸川の時の。また作りますかねぇ」

 早戸川で撮った写真は、パソコンで音楽を付けたスライドショーにして、参加者にメールで送ったところ、島田がずいぶん気に入ってくれた。撮った写真を渡して喜んでもらえることは、僕としても嬉しい。でも僕の中で釣りに行くと、釣りに集中したい気持ちが大きくなってきているようで、今ではあんまり釣りの写真を撮らなくなってしまっていた。《ルビを入力…》


 喫煙所を2人ででると、僕らは部署内の定例会議に向かった。

僕、本田賢一ほんだけんいちは30歳で転職して、東邦百貨店の営業催事部で働くようになって3年、中堅百貨店らしい日本各地の物産展の運営を支えてきた。

そろそろ催事の企画を任されるような年齢だけれど、出世したいわけでもないので、催事の企画運営のリーダーをしたいという意気込みもない。

平社員であっても、日本各地の美味しいもの、面白いものを用意して、お客様が喜んでくれるなら、それで良いと思っている。

 会議は10畳ほどの会議室で、先週の「京都老舗展」の収支報告の後、次回の「お歳暮フェア」の進捗を全員で確認して、来年の大まかな予定を部長が話だした。

「来年は横浜店創業40周年だからさ、催事部もこれまでやったこと無いようなさ、企画をやってさ、新しいお客さんを呼びたいよね」

 係長の太田泉おおたいずみが、すかさずこちらを見て釘を刺す。

「わかってるだろうけど、君らにかかってんのよ、全員野球で行こう、全員で」

「とりあえず、だめ出しなんかしないで、とにかく新しい企画を考えてみよう、気楽に頼むよ」

 部長がハッパをかけてくる。周年イベントだから大きなイベントにして、売り上げも大きくしたいのだろう。

 イベントで、自分がやってみたいイベントは何なのか、ぼんやり考え始めて、会議の声が少し遠くなりそうなところで周囲の顔を見てみると、島田を含めて、皆一つや二つはアイデアを持っていそうな顔をしている。周りを見て焦ったって、いいアイデアが湧いてくる訳でもないのだけれど、マイペースを貫くのも大変だ。

「じゃあ来月のミーティングで、みんな、アイデア用意してきてね。頼むよ」

部長から会議の締めの言葉が発せられて、会議は終わった。

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