L<ove>R*α"T-T.A.C."κ!

柊 恭

第1話 Edition-Ignite Dicisions

 oveR-01


 ソレに違和感を覚えた。

「――以上で講義を終わります。あと、若狭さんと佐浦さん、神戸さんの三人は、この後私の研究室に来てくださいね」

 学生たちと同い年の男子教授が、彼のことを指差した。何も悪いことをした覚えが無いのに。いや待てよ、もしかして講義中にいかめしを食べていたことがバレて――。

「……タコライスだったら良かったのかな?」

 訳の分からない戯言を口にして、彼は単身研究室へと向かうことにした。


 ここ浅川県は関市が誇る本関大学は総合大学に分類されるが、中でも工学分野が発達していた。関市の西に位置する神居山の鉄製錬産業を背景としているが、電気・電子分野も他の大学の追随を許さず、桜美国でもトップクラスの設備と規模、教授を有している。

 彼はそんな本関大学の工学部に憧れて入学した二回生だったが、如何せん友達が出来なかった。理由は単純、彼自身を自分で把握しきれていないからである。自分がよく分からないのだ。周りからは良く『自己主張の弱い人』と言われ、また彼もこのことに反論できない。

 だから、その教授の研究室へ行くのには独りだった。

「誰か隣に居てほしいな~……」

 そう弱々しく呟いてみるも、反応してくれる人は誰も居ない。このことに一抹の寂しさを感じつつも、彼は一歩また一歩と目的地との距離を詰めてゆく。とても気が乗らなかった。きっと他に指名されていた見ず知らずの人たちと一緒にお叱りを受けるのだろう。他人にあーだこーだ言われるのが嫌なのもあるが、その痛みを共有しづらい、というのが一番苦しい。『教授もあんなに怒らなくても良いのにね~』とか、もう二人と話し合えるようになるには、大学生活スタートの時と同じように自身でも把握していないモノを曝け出さなければならないのだ。

もしかして、彼は友達の作り方を忘れてしまったのだろうか。小学校の頃は、今よりももっと友人が居た気がする。ただ薄い内容の会話をするような実験仲間より、もっと親密な友人が。もうモヤがかっていて思い出せないが。

 そんなことを思索しているうちに、研究室に到着してしまった。ここまで来たら、もう後には引き返せない。ドアを開ける以外に選択肢は残されていなかった。いや、でも、しかし。ひょっとしたら指されたのは彼では無くて彼の横とか後ろとかに座っていた人かもしれない。それでも、黒板に彼の学籍番号が書かれていたことを思い出す。あの単純な数字の羅列はまさしく彼だ。もう逃げ場は残されていない。

「あれ、どうかしましたか? 新井先生なら、今席を外していますけど」

 遂に声をかけられてしまった。入口の手前、廊下から来た長身の優しそうな男性に。流石にこんなに良さそうな人から掛けられた声を無視するなんてことは人間として不可能だ。多分、この人は教授のゼミ生なのだろう。息のかかった手下まで動員するとは、汚いぞ教授。そんなにいかめしが嫌いだったか。

 ……という恨みは置いておいて。最低限の礼儀だけでも、とその男性に返答した。

「新井教授に呼び出されたんです。ついさっきの講義で」

「そうでしたか。ということは、そのタイミングだったら先生がアポを忘れようも無いですね。少し帰りが遅いだけでしょうから、どうぞ中でお待ちください。すぐに来ますよ」

 このイケメンさんによって、とうとう扉が開かれてしまった。開けてはいけない扉が。いや、コレは試練の門だ。くぐれば彼は、コミュニケーションを強制されてしまう。別に出来ない訳では無いが、ただ深く話をすることが出来ないのだ。そして『意思表示の弱い草食系男子(笑)』のレッテルを貼られてしまう。ソレは嫌だ。コレが嫌なのだ。だって、彼は菜食主義者が嫌いなのだから。

「どうしましたか? 何か汗かいてますけど」

「い、いや……大丈夫です、えぇ」

 イケメンさんに心配されてしまった。しかも急かされた。この人の中に入ってほしいという要望とあらば、聞かなければ道徳に反する気がする。こんなにも優しい(っぽい)男性の意に背くなんて――。

「えぇい、ままよ!」

「どうされましたか~?」

 イケメンさんの気遣いも傍目に、彼は試練の門を勢いでくぐった。別にそうしたところで異世界に渡るでもレベルアップするでも無いが。

 ただ、この選択は彼の人生を変えることになる。

「あ、誰か来た」

「……どなた?」

 研究室では、すでに二人の女性が座っていた。どちらも彼と同じ一九歳だろう。恐らく成人はまだだ。彼の後ろに控えているイケメンさんに対して知り合いにするような反応をしない点を見ると、二人とも同じく教授に呼び出されたゼミ外部の人たちらしい。

 先の方に声を出した学生は、セミロングでパーマを入れたボブカットに茶色を部分的に乗せていた。輪郭は細く整っていて、唇の紅はやや薄い。背丈が少しだけ高く見えるのは、全体的に痩せ型だからだろうか。白いプリントTシャツに、藍色のスカートは膝上三センチ程の高さにあった。声は高圧的に聞こえる。左の方に付けている黄色のヘアゴムが印象的だった。

 後の方に呟いた学生は、ナチュラルショートをライトブラウンに染めていた。目が大きめで身長は小さめなので、どこか幼く見えてしまう。肌はほんのりと焼けていた。純白のブラウスとデニムのショートパンツを履いていて、ニーソックスは汚れ一つも無く白い。とても落ち着いた声色と、空色の縁を持つ眼鏡とがとても調和していた。

「え、え~っと、こんにちは。二人とも、さっき教授に呼ばれた人だよね?僕もそうなんだけどさ。同じ二年生かな」

 そんな彼女たちに対して、まずは現状確認を取る。コレであのイケメンさんと同じようなゼミ生だったら対策を練り直さなければならない。その場合は、まだ別の人が呼び出されて来ることになるのだから。

「さっきの時限のヤツでしょう? 私も同じく二年生よ」

「……左に同じ。アナタ達は?」

 ショートカットの学生に自己紹介を求められた。まさしく彼の苦手分野だ。可能ならばしたくないのだが、この状況でしないのはいくら何でも不自然すぎる。ソレも避けたい。

結論として、無言の圧力を投入してまでイケメンさんに自己紹介を先にさせた。

「僕はここのゼミ生で、富士見(ふじみ)って言います。一応三年生なんだけど、早くも留年の危機が迫ってまして……ハハハ」

 以降、沈黙が研究室を制圧した。

「……いやいやいや、折角同学年なんですから三人でもっと話したりしないんですか?」

 イケメンさん、僕たちにソレはハードルが高すぎるんだよ。

彼は心の中でそう答えた。口に出さないから無言の空間になるというのに……。

「そうだ、何か飲み物でも淹れましょうか。ちょうど良いコーヒー豆があるんです」

 そう言って、富士見が研究室の奥へと姿をくらました。

『……』

 もう、沈黙が世界征服を達成しそうだった。

 しかしほんの十秒ほどが経過すると、奥の方から豆を挽く音が聞こえてきた。金属と金属にすり潰される、コーヒー豆の長い悲鳴。コレを犠牲にすることで、人間は至上の香りを楽しむことが出来る。いわゆる『必要悪』だ。

ソレが途絶えたと思ったら、今度はドリップ音が聞こえてくる。その音も短くして鳴りやみ、彼がマグカップを三つ手にして戻ってきた。立ち込める湯気は薄い白で、ほろ苦い匂いが遠くからでも伝わってきた。

「ささ、出来上がり。まずはブラックで飲んでみて下さい。そこのアナタも、三人でテーブルを囲むように座って。ホラ、そこの椅子ですから」

 二人が座っているテーブルの上に、富士見が三人分のコーヒーを置いた。その内一つはイケメンさんのモノであって欲しかったが、実情は彼の分である。全く、良い人の面を下げた非情な人間だ。

「それじゃあ、遠慮無く……いただきます」

 彼も折れて椅子に座り、一口だけコーヒーを啜った。他の二人も同様に飲む。感想は三人一緒だった。

『……おいしい』

「でしょう? エチオピア産だから、おいしくないハズが無いんですよ。折角ハモったんですから、もっと打ち解けてみたらどうでしょう?」

 ニコニコとしながら富士見が諭す。前言撤回、やはりこの人はイケメンだ。そんな男性の言うことなのだから、彼としても背くことなんて出来なかった。

「えっと。僕たち、初対面だよね?」

「……多分、そう」

「でもいくつかの講義は被ってるんでしょうね。二人とも、何か遠くから見かけた覚えがある」

「だよね。僕も二人のことどっかで見たな~、って感じてたから。でも、どうしてかソレ以前から知ってる気がするんだよね。中高の頃、何かのイベントで会ったりしたのかな?」

「……私も、遠い昔に会った記憶があるような、無いような」

「そんな気はこっちもするけど……」

 次の言葉も、またもや三人一緒だった。

『小学生以前の記憶なんて、無いけども』

 やっとの思いで和んだ空気が、たった一言で硬直してしまった。

「……もしかして、三人皆が皆記憶喪失だったりする?」

「まさか、そんな訳……え、ホント?」

「……偶然の一致?」

 どうやらショートカットの彼女の言うとおりらしい。

「そっか、そう来たか……だとしたらさ、私たちって気が合うのかもね」

 セミロングの彼女が言葉を切り出した。『気が合う』と初対面の相手に言ってくるなんて、彼とは違ってきっと友好的な人間なのだろ――。

「……いや、違う。お互いに自分のことについてよく分かってないんだ」

「そーゆーこと。分からないのは三人とも一緒だから、気が合うってね」

 あまり深くは追及されない。自らのバックグラウンドを意識する必要が無い。お互いがそうであるのだから。まさしく、三人は同類同士なのだった。

「だったら、話は早いんだね。これから仲良くやっていけそう。僕のことはコーベって呼んで」

 今度は彼から、自己紹介を始めることが出来た。

「そうね、これからよろしく。私はサキ。学科は……同じ機械工か」

 セミロングの学生が少し気恥ずかしそうに言う。ここまで打ち解けたのだから、今更感は拭えなかった。

「……名前はウイ。よろしく」

 ショートカットの学生が顔を一度上げて伝えた。が、すぐさま視線はコーヒーカップに移る。心なしか、表情が僅かに緩んでいる気がした。

 こうして、三人は知り合った。

 そんな感じで自己紹介を終えたところで、富士見が割って入って来る。一瞬だけ壁の掛け時計を見やった。

「……多分、そろそろ先生が来ると思います。そこでなんですけど、皆にお願いしたいことがあるんです」

 誰もが彼に注目する。言葉の先が気になった。

「何ですか? 僕たちが富士見さんにやってあげられることなんて、そんなにあるとは思えないんですけど……」

「そんなに力まなくても大丈夫です。すごく簡単なことですから」

 一拍置いた。次に言われた内容は意外だった。

「新井先生と、友達になってくれませんか?」

 彼の瞳は、至極真剣だった。が、にわかには理解できない。今一度時間を遡って、その言葉を聞き直してみたい程だ。

「え~と。富士見さん、ソレってどういうことですか?」

「どういうこともこういうことも、言葉の通りですよ。確かに、教授と友人関係になる、なんて発想は普通じゃないですけどね」

 部屋の隅にあったソファの方に腰かける。自分の分のコーヒーが無いことに気付いて、彼は苦笑いを浮かべた。

「先生って、飛び級で大学を卒業なさったから。友達が居ないみたいなんですよね。特に最近は忙しいみたいで、ストレスなんかも結構溜まってる。なのに一人で抱え込んじゃって。力になりたいんですけど、かと言って年上の僕たちがフレンドリーに接するのも違和感ありまくりですから。アナタたちの方が、よっぽど先生を助けられると思います。きっと先生も、心のどこかで話し相手を求めてたからアナタたちを指名したんじゃないでしょうか? 本当のことはどうであれ」

 富士見は優しい眼差しをしていた。本気で教授のことを心配しているのだろう。やはり、良い人だ。コレまた背く訳にはいかない。

「そんなことだったら。僕たちで良ければ」

「上手く行くかは分かりませんけど、出来るだけ仲良くやってみます!」

「……安心してください」

 三者三様に、同内容の言葉をかけた。

 ちょうどその時、ドアの開く音がした。入って来たのは話題の教授だ。ジャストタイミングだと言わんばかりに、富士見がこちらを見て微笑んだ。

「それじゃあ、僕は次の講義があるので。三人とも、頑張ってくださいね」

「あっ、コーヒーご馳走様でした!」

「また来てくれたら、淹れてみますよ」

 そう言って彼が去って行った。コーヒーの助力が抜けてしまうのは少々痛手だが、しかし十九歳の集団の中に一人だけ年長者が居るのに『仲良くしろ』と言われても困る。イケメンさん的にはコレが最善の判断だったのだろう。

 入れ違いの教授も、やんわりと彼に挨拶をした。先ほどの講義と同じくスーツに白衣。正直言って、あまり似合ってはいなかった。

 何事も基本は挨拶だ。叱られるにしろ馴れ合うにしろ、『こんにちは』を挟んだ方がスムーズに事を運べる。このことに則って、コーベは席を立って一礼した。

「新井教授、こんにちは。今日はどうしたんですか? 僕たちを呼ぶなんて」

 最初はこの程度だろう。コミュニケーションは得意では無い彼だったが、今はサキとウイも居てくれている。フォローは完璧だ。コレでどんな言葉を返されても対応できる。そう思っていた。

「……さぁ、ショータイムだ」

『――は?』

 呆気にとられるのも、三人一緒だった。


oveR-02


 普段の新井教授は、富士見さんくらい温厚な人柄だ。怒鳴ることも無ければ手を挙げることも無く、学生に対して真摯な態度を取っている。若さも相俟ってか異性からの人気も高く、まさしく理想の聖人君子だった。

 ソレが今ではこんな有様である。

「あぁ? どうした、そんなマヌケ面かっ下げて。俺の顔に沢庵でもくっ付いてんのか」

 どこぞの『ヤ』の付く自由業のお兄さんよろしくかなり乱暴な口調で話し、眉間にしわが寄っているからか目つきが悪い。手も白衣のポケットの中に突っ込んでいて、あの新井教授の面影なんかどこにも見受けられない。だと言うのに本人だと第六感的には分かるのが不思議だ。

「え……っと。きょ、教授、要件は何でしょうか~? ア、アハハ」

 サキが苦笑いを浮かべながら訊いてみた。ウイに至っては、君子は危うきに近寄らず、触らぬ神に崇りなしとでも言わんばかりにガン無視で携帯端末を取り出してはいじっている。

「どいつもこいつも湿気た面……いいか、講義中の俺が俺の本質だと考えるなよ! あんなのはただのまやかしだっ! 処世術、とでも呼称しようかね? とりま、こんな口調で常時過ごしてたら付いて来る奴も付いて来ない! ソレをお前たちにはさらけてるんだ……意味、分かるよなぁ?」

 三人して養豚場に居る出荷準備中の豚みたいな目をしていた。やはり試練の門をくぐらずに戦略的撤退をしておいた方が賢明だったらしい。あぁ神よ、いかめしはそこまで罪だと仰るか。

「まぁ、そんなことはどうでもいい! 用件は何だ、だったよなぁ? 答えは簡単だ。お前らには、これからある『仕事』をしてもらう」

「仕事って……教授、何ですか一体?」

「教授、って呼び名は気に食わないな。俺のことはアルカと呼べ。あと敬語は使うな、虫唾が走る」

 そう言って新井教授、もといアルカはビーカーを手に取り、水を注いで口に含む。意図は全くもって不明だった。

「ソレで、う~んと……アルカ、何をやればいいの?」

「仕事と言っても、そう大それたことでも無い! やることは簡単だ、だがしかし信じがたいだろうな。よく聞け」

 彼に睨まれて、三人は思わず背筋を伸ばす。もしかしたら、ただコーベ、サキ、ウイを一目見やっただけのつもりなのかもしれないが。

「車に乗って、猫を殺せ」

『……はぁ?』

 言っている意味が分からない。ただの動物愛護法違反ではないか。マグロ拾いさんの仕事が臨時で増える以外に、ソレをやって何のメリットがあると言うのだ?

「だからよく聞けって言ったんだよ。野良猫の駆除だ。ロボットに変形する車でな。最も、対象はエリア指定じゃなくて個別に狙う訳だがな」

「あ、アルカ? いきなりそんなこと……細かいこともお願いできる?」

 コーベが富士見の遺志を果たそうと積極的に会話を挟むが、どうも相手との距離感と向こうの思惑を把握しきれない。

「実際にやってみた方が早いだろうが……となると、まずは敵を知る所からか。時間はそろそろだな」

「そろそろ、ってまたよく分からんことを――っ?!」

 遠慮無くサキが生意気な口をきいていると、突如高音が耳に響いた。今まで聞いたことの無い、あえて例えるなら頭痛のようにシャープなノイズ。コレが長く鳴っている。

「……何、コレ?」

「ここから近いな、と言うことは大学構内……見えたな!」

 窓を開けて身を乗り出して、アルカが威勢良く叫んだ。視線の先にはグラウンド脇の茂みがあって、また別の何かが鎮座している。

 大きい、鋼鉄の猫だった。

 体長は四メートルくらいだろうか。曲線を持った鉄板の継ぎはぎで出来ていて、なのにまるで自意識があるかのように動いていた。筋肉などは生体と同じく存在するようで、動きにロボットのようなぎこちなさは感じられない。そのまま大きくなっただけなのだろうか。

「何なの……アレ?」

「お前たちにやって欲しい仕事の殺傷対象だ。生きた野良猫を分子レベルで鋼鉄巨大化させた無邪気な殺戮兵器。あの状態になった猫はもう助けられない、恐らく地上最高のサイボーグ」

 活動をしていた野球部員が慌てふためいているのが見える。応戦しようとするモノは居なかった。誰もが恐れ慄いている。猫が動き、一人が前足で蹴られる。腹部骨折だろう、ユニフォームが赤く染まっていった。猫はただちょっと当たってしまっただけかのような表情をしており、止まらずそのまま前進している。その無邪気な恐怖に対し誰も仇を取ろうとはせず、我先と退避を開始した。勿論、負傷した部員は放置して。

「酷い……はやく救急車を呼ばないと!」

「いや、もうコレは警察でしょう!」

「……軍の方が適切かと」

 三人も軽いパニックに陥っていた。携帯端末をすぐに取り出すが、アルカが止めるよう忠告した。

「どうしてっ?!」

「公安が間に合う訳無いだろうがよっ! 軍も出撃許可だとかの柔軟性不足でどうせ遅れる! 現に避難警報すら未だに出ていない。もっと小回りの利く、少数精鋭じゃないと無理だ」

「でも、そんなの一体どこに――」

 反論するコーベ、あたふたと回っているサキ、手を震わせながら落ち着いて通報するという矛盾技を見事にこなしているウイ。この三人を、彼は順に指差していった。

「仕事の内容は、アレを無力化すること。そのためには俺の開発したシロモノを使わなければならなくて、適性はお前たちが高い。要は、あの猫と武力を持って戦え」

「ソレって、どういう――」

「可変自動車騎兵隊。略称<T.A.C.>」

 今度は聞き取りやすいよう、一言一句を強調していた。

「軍含めた政府の委任状は出ている。俺が開発した試作機三体による機械小隊。そのメンバーが、お前たちだっ!」

 意図的に理解しようとしてようやく理解できるような内容だった。車に乗って、猫を殺す。たったソレだけなのに、イレギュラーが多すぎる。

可変自動車に乗って、あの巨大な鉄の塊を殺せ?

 そんなこと、自分から三途の川を渡るような愚行だ。

「そっ……そんなの、絶対無理よ! あんなバケモノ相手に、私たちっ?! そんな……そんなのっ!」

「……頼む相手を見違えている。どう考えても、アレに対抗できずやられて死んでしまう。アルカ、私たちは何でも無い」

 サキ、ウイ両名が真っ先に反対する。三人は一般人だ。軍人では無い。戦えなんて。

 しかし、彼は違っていた。

「……僕たちしか、居ないんだよね?」

 コーベが口を割った。可変自動車に乗って鉄の塊を殺すつもりらしい。アルカが薄く笑いながら答える。変わらないな、と小さく聞こえた。

「そうだ、俺はお前たちが適任だと思って選んだ。他の人間たちには備わっていない、特別な『理由』を持っている」

 アルカの使ったビーカーを手に取り水を汲んで、コーベはソレを口に含んだ。塩素がちっとも抜けていないが、どうしてか爽やかな気持ちになる。

「僕は乗るよ。意味があるんだから」

「ちょっ……コーベ、ソレ本気?! よく分からない思惑で死に急ぐことなんて無いってば! 大切な人だとかに、最後に会わずになんて……」

 サキが止めに入るが、彼は耳を傾けない。逆に、他の二人を誘ってきた。

「確かに死ぬのは怖いけど。他の人には出来ないって言ってるんだから、早くアレを止めないと、さ」

 対して返答したのはウイ。

「……止めるのは、別にやってもいいかもしれない」

「だったら、三人で生き残って――」

 彼が説得してみるも、ウイの言葉には詰まってしまった。

「でも、死んで私たちは幸せになれるの?」

 何の罪も無い人たちを助けるのは、ソレだけでとても意味がある。しかし重要なことは、『助けた人たちは自分たちのことを知らない』ということだ。車に搭乗するのなら、パイロットの正体が大衆の目に映ることは無い。こっちは必死になって戦うのに、守られる側はヒーローの正体が誰なのか分からない。だから感謝を伝えようにも伝えられなくて、いずれはその気持ちも忘れ去ってしまう。

ヒーローは孤独だ。その事が、サキとウイは嫌なのだ。

「幸せ、か……そうだよね。誰も憶えてくれないのに死ぬのなんて、怖くて不幸だよね」

 サキがコレに反応して口を開く。

「そう。ロクに誰からも好きだとか愛してるだとか言われないままの人生で、私は終わりたくない。だから死ぬのが怖いの。コーベも一緒でしょ? 一時の迷いで死んじゃうなんて、そんなのは嫌。だから、コーベも一緒にここから逃げて――」

「いや、二人のことは好きだよ?」

 猫を傍目に、戦慄が走る。ニャー、と鳴き声が聞こえた。

「……あ、あの、コーベさん? 今なんて仰いましたー?」

「だから。サキのこともウイのことも、僕は好きだよ、って。二人のことは、あの世に行っても僕が憶えてるから。コレで、三人一緒に幸せになれると思うよ。だから、一緒に戦って一緒に生死を共にしようよ」

 至極平然とした表情で、彼はさらっと言ってのけた。

「い、いや、その、えっと、ね? その気持ちは、嬉しいんだけど、あの……」

「……いきなり告白?」

 二人は訳が分からないとでも言いたそうだった。ソレもそのはず、知り合ってまだ十数分の人から好きだとかずっと憶えているだとか。どう考えても、彼女たちを車に乗せたいかまたはただの告白魔である。あり得ない。

「どうしたの? 二人とも、もしかして僕じゃ駄目だった?」

「……いや、そういう訳じゃ無いけども」

「変態っ! 痴漢っ! ナンパ野郎っ!」

 サキに怒鳴られた。

「ちょっと? いや本当にどうして――」

「うっさい! 出会い頭にいきなり告白する馬鹿がどの星に居るっての?! アンタねぇっ、その言葉絶対に今考えたでしょう?! えぇ、違うって言うのはこの口かぁっ?!」

 コレには乱暴口調なアルカも苦笑い。実際には、とばっちり対策としてテーブルの下に潜っていた。ウイもコーベを非難する。

「……コーベ。アナタは今、女の子のピュアピュアなハートを蹂躙した」

「え、えぇっ?! ちょっと、僕は嘘なんてつけない性格だって! だから信じて、殺さないでっ!」

 地響きが酷くなる。あのバケモノはまだ動いていた。今度は方向転換をして、住宅街の方へ歩を進める。

「マズイことになってるな……もう時間は無い。サキ、ウイ、乗るか乗らないかをさっさと決めろ」

 アルカが二人に対して問いかける。勿論まだテーブルの下に居た。

 とりあえずあの鋼鉄の猫をどうにかしなければ、この惑星は滅びてしまうかもしれない。仮に誘いを断ってその可変自動車やらに乗らなかったら、三人だけでなく他の人々も死んでしまう。だが反対に、乗るとしたら少ない確率で三人も人々も生き残れる。やってみなければ、わからなかった。

 わずかに逡巡した後、二人揃ってコーベに寄って投げかけた。

『……嘘、言ってない?』

 かろうじて彼の目を見ながら言うことが出来た。コーベの言葉を受け入れる覚悟が出来たというだけで、恥ずかしくて身体が火照ってしまう。

 一方の彼は落ち着いていた。時を止めているかのように。

「うん、二人とも好きだよ」

 ようやくコーベを解放して、サキとウイは想いを固めた。

「乗るわ。他人に好きって言われて、悪い気持ちはしないんだしね。アレ、どーにかしないといけないんでしょう?」

「……多分、私も心残りが無くなる。乗ってみるから」

 若干顔を赤らめつつ、しかし口元は緩んでいる。目にはしっかりと、意志の輝きが入っていた。

 アルカがまた、少しだけ笑った。

「よし、分かった! 俺は奥で指示を出すから、お前らは階段を下って地下へ行け。鍵は開けておくからなっ!」

『……了解!』

 三者一様に頷く。もう決めたのだから。

「そんじゃ、<T.A.C.>の初陣と行こうかっ!」


 oveR/03


 地下空間は、本当に存在していた。

 蛍光灯の電源が入っているものの、全体的に薄暗い。壁はコンクリート打ちっぱなしで、雰囲気は正に地下駐車場だ。あらゆる工具や機械があちらこちらに広がっていた。その癖に通路は最低限確保されている。黄線の先には、白色の分厚い自動扉が幾つか設置されていた。

 自動車が三台あるところは、どうやらこの空間の中心らしい。天井からパイプやら何やらが吊るされていて、そこを照らすライトが三つだけ他よりも輝度が強かった。

「コレだよね。え~っと、車種は日産<ティーダ>にマツダ<アクセラ>、そしてトヨタ<カローラフィールダー>……」

「って、何よそのラインナップは! まるで地方のさびれた教習所みたいじゃない……」

「……しかも、<ティーダ>は現在生産終了だったはず」

 この会話がアルカに聞こえていたら、彼はどんな顔をするのだろう?

「とりあえず、誰がどの車に乗る? それじゃ、サキから決めてみて」

 レディファーストの精神の下、コーベが彼女に問いかける。サキは少しだけ悩んだ後、真ん中に駐車されてあった<アクセラ>を指差した。

「この子でお願い。何だかんだ言っても、免許取った時に乗ったのがこの車なのよね。慣れって重要だから。あと、<カローラ>だけは嫌だからさ」

「そっか。じゃあサキが<アクセラ>で。ウイはどうするの?」

 彼女は携帯端末から目を放し、残りの二台を見やって一考した。決断は意外と早く、五秒と経たずにパートナーを確定する。

「……<ティーダ>で。なんか目が合ったし、<カローラ>だけは嫌だから」

 <カローラフィールダー>大不評だった。

「う~……何で皆そんなに<フィールダー>のこと嫌いなの? 格好いいのにさ」

「……格好、いい?」

「ちょっとセンスを鍛え直す必要がありそうね……」

 二人して嘆息していた。<カローラ>シリーズは特徴が無くカッコ良くも悪くも無いのがセールスポイントだと言うのに。一方のコーベは新たな相棒を撫でてやる。

「鍵は差しっぱなしだね。そのまま乗れってことかな?」

「じゃあ、早速シートに座ってみますか。よろしくね、<アクセラ>」

「……<ティーダ>、やっぱり何かしっくりくる」

 各々車の右ドアを開き、運転席に座ってエンジンをかける。見たところ車内は普通のソレと同じで、特殊なレバーがある訳でもなかった。振動が心地良い。

『あ~、テステス。よぉお前ら、ようやく乗ったな! たった今、避難警報が発令されたところだ。いくら三〇年前の戦争以来全く使ってない設備だと言っても、シェルターの稼働は問題無いみたいだなっ!』

 普段はカーナビとして使われる画面に、アルカの顔が映し出された。放られた投げ槍のような声がスピーカーから溢れ出てくる。背景は黒塗りで、テンションは一切変わっていなかった。

「アルカ、アレが今どこに居るのか分かる?」

 コーベが画面に向かって話しかける。マイクは予め車内に設置されているらしい。

『そーゆーのをやる奴が決まってるから、ソイツに訊いてみろ! エンジン掛けたんなら、多分もう出てくるだろ――』

『やっほ~、はじめましてだニャ~!』

 彼の言葉が途中で遮られ、代わりに画面の別枠に二次元キャラが登場した。

 その姿は八頭身ながらも、絵柄はとても可愛らしい。髪の色は青で、目の色は赤。紺のメイド服を身に纏っている他、ツインテールから白い猫耳、そして後ろからは猫尻尾が生えている。推定年齢一五歳前後、胸は未発達、赤縁眼鏡、アニメ声。俗に言う『萌えキャラ』だった。

「え~っと……そこのいかにも時代錯誤な可愛い子は誰?」

 凄く面倒臭がりながら、『誰かやらなければいけない仕事なんだ!』とか今にも叫びそうな顔でサキが問う。出来れば関わりたくなかった。

『私の名前はイクス! 遠いゴルゴンゾーラ星からやってきた訳でもニャんでも無い、ただの美少女情報統合/支援機器制御プログラムで~すっ☆』

「……コーベ、私やっぱり降りたくなった」

「ちょっ! 冗談はやめてってば、ウイ!」

 世の一般女性からしてみれば、このようなモノは生理的に受け付けないのである。彼女の反応も当然と言えば当然か。

『失礼だな、お前……いいか! イスクは戦況の整理やサポートメカの提供・操縦をする疑似人格プログラムだ。俺がそこら辺から猫の脳みそを引っ張り出して作り出したんだから、ないがしろにするなよ?』

「……アルカ、私はアナタのことをこれから変態イカレ科学者って呼ぶからよろしく」

『だから失礼だなお前らっ?!』

 こうしてサキとウイを敵に回したのだが、そんな彼にも弁護してくれる友人はちゃんと居た。

「何か言い辛いんだけどさ。イスクの格好って、『男のロマン』なんだよね」

 コーベである。

「コーベっ?! アンタ一体何言って――」

『おぉ、お前は分かってくれるのかコーベ! 流石俺が見込んだだけのことはあるってモンだよなぁっ! コイツは女どもには理解できないロマンだよロマンっ!』

 と男同士で盛り上がっているところ、女子二人は盛大にスルーした。

「それでイスク、あの猫はどこに居るのよ?」

『はい! う~んと……大学東部、『コーポ三枝』近辺です! 

それと、敵ネコは<メックス>って呼んでね☆』

「……ド○えもんじゃ無いの?」

『いくら猫型ロボットだからって、ソレは著作権的に問題アリです~!』

 イスクが画面の中でぷんすかと怒る。怖いどころか可愛いので、もうなんかコレでいい気がしてきた。どこぞの変態イカレ科学者の怒号よりは数倍マシだ。

 ……と噂をすれば何とやら。同時に対談が終わったらしく、アルカが出撃命令を出してくる。

『よし、五番ゲートの一・二・三を使え! イスクが誘導、同時に支援機も出しておけっ!』

『了解しました、ご主人様☆』

『んで、三人は誘導通りに外に出た後、<メックス>に接近した後に変形! 操作方法はフロントガラスに表示されるから安心しろ! 後、変形と特殊技はそれぞれに音声認識のロックが掛かってるから気をつけろよなぁっ!』

「うん。了解っ!」

「了解、アルカ!」

「……了解」

 三者三様に返事をする。

『全員免許は取得済みだろうから、法的にも何ら問題は無いはずだ! それじゃあ、<T.A.C.>各機――』

 短いブレスが挟まれる。画面に必要な情報が表示された。

『――発進しろっ!』

『了解!』

 今度は三人揃って、五番ゲートへとアクセルを踏んだ。


 地下内の扉の開錠と施錠はイスクがやってくれたので、三人は迷わずに五番ゲートへと進むことが出来た。地下からあらゆるところまで数本の細い道で繋がっているらしく、分岐点が幾つか見受けられる。そうして移動している間に、彼女から操縦方法などのレクチャーを受けた。

 その五番ゲートに着いてみると、がらんどうの空間の中心に鉄製のポールが二列各六本、計一二本立っていた。ちょうど四本ずつに分かれているようで、恐らくステップなのだろう、ソレを四隅とする黒と黄に縁取られた長方形の床が少しだけ盛り上がっていた。

『アレが専用エレベータニャのです。サキちゃん、コーベくん、ウイちゃんの順でニャらんでステップに乗り上げてね☆』

 イスクの指示に従って、三台がそれぞれのエレベータの上で停車した。合成音のアナウンスがアラートメッセージを伝える。全方向警報灯が赤い。次にブザーが短く鳴って、秒速十メートルの速さで急上昇を始めた。

 側壁に埋め込まれた白色蛍光灯の数が五を超えてくるとすぐに、三人が地上に昇り切った。ポールが道路のアスファルト板を、まるでマンホールか何かのように押し上げて天井にする。傍から見たら立体カーポートが三つ縦に並んでいるみたいだった。

「っ……明るくなったってことは。イスク、ようやく地上?」

『そうだよっ!ここは本関大学のちょうど裏にある『護国通り』で~す☆』

 緊張感の無いボイスで彼女が答える。行きつけの本屋、護国神社、よく使うバス停……確かに、本関大学生には親しみのある護国通りに間違いない。

「こんなところに繋がってたんだ……じゃ無くて、敵はどこに居るのっ?!」

「……見えた。あそこ」

 四メートルもある<メックス>は、遠くからでも見つけやすい。既に住宅街を蹂躙し始めていた。幸いにもアルカの情報通り、住民は皆避難済みらしい。

「早く近づかないと……サキ、出ないと後ろ詰まってる!」

 この通りは歩道こそ広く作られているが片側が一車線しか無いため、三台が縦列駐車している構図だ。先頭は<アクセラ>だったので、彼女が先行しなければ何も始まらなかった。

「分かったわ、それじゃあ行くからっ! 挟み撃ちとかはした方がいいの?!」

『こちらアルカ、そこまでするような相手でも無いから安心しろっ! イスクの操る支援機が間もなく<メックス>との接触ポイントに到達するから、<アクセラ>と<ティーダ>はそこで専用武装を空中から受け取れ!』

 フロントガラスに敵の位置と最短ルートが表示される。しかし、ソレによると<フィールダー>だけは別ルートだった。

「アルカ、コレって何があるの?」

『<カローラフィールダー>には専用の外部武装が無いから、毎度各地のコンテナから武器を調達する必要がある! 今回はそこに示されたのが一番近いんで、急いで受け取りに行って戦線復帰しろよなっ!』

「面倒臭いシステムだね……了解っ! という訳で僕はここで一旦離れるけど、二人も頑張っててね!」

「分かったわ、任せなさいっ!」

「……健闘を」

 彼女たちからの返答を受け取ってから、コーベはハンドルを右に切る。

「ねぇウイ、コーベと合流する前に片付けちゃわない?」

「……賛成、サキ」

 どちらも高揚する声で、変速ギアをシフトさせた。何だかんだ言って、闘争本能には逆らえなかったらしい。


 oveR-04


「……はい、ここなら大丈夫ですからね」

 なー、とのお礼の鳴き声を受け取って、富士見はそこから立ち去ろうとする。空っぽの犬小屋の中ならば、逃げ遅れたこの猫も安全にやり過ごせるだろう。

「それにしても……」

 一体何が起こっているのやら。講義がキャンセルされていたことに気付いたのが研究室を出たすぐ後で、他に寄る当ても無かったから護国通り沿いの喫茶店で時間を潰そうと思ったらあの巨大猫が現れた。とりあえず大学から遠ざかろうとして住宅街に入ったはいいものの、逃げ遅れた仔猫に構っていたら彼も逃げ遅れてしまったのである。今日は運があるんだか無いんだか、よく分からなかった。

 仔猫を外に置いて逃げるのは気が引けたが、しかしシェルターはもうどこも空いていない。大学に行けばどうにかして入れてもらえそうな気もするが、そこまでの道のりをあの鉄の猫が塞いでいる。そこでちょうどいい犬小屋を発見したので、せめて彼女だけでもと仔猫を中にかくまったのだった。

 さて、コレからどこへ行こうか。東へ行ってさらに遠ざかるのがセオリーなのだろうが、道が入り組んでいるため最悪追い付かれそうだった。もう少し北に走れば大きな通りに繋がるものの、ソレはソレで見つかりやすそうである。適当な物陰にでも隠れてやり過ごした方が得策だろうか……?

 しかし、あの仔猫の飼い主は何を考えていたのだろうか。野良猫のように何週間も風呂に入っていない毛並みをしていたし、首輪はどうしてか鉄製だった。鈴の代わりか、GPS発信機めいた物体まで付いている。さぞ悪趣味なのだろう。

 ふと天を仰いでみる。白い雲が浮かんでいた。雨は降らなさそうである。そう言えば、そろそろ梅雨の時期だ。研究室にてるてる坊主を吊るしておかないといけない。あの作業をやりそうなゼミ生なんて、富士見の他には誰も居なかった。材料はキッチンペーパーと赤いリボンで――。

 鋼鉄と目が合った。

 猫がこちらを向いている。どうやら彼を餌に決めたらしい。いや、猫は人を食べない。しかし魚は食べるのだから、きっと肉食なのだろう。虎だって人を食べる。可能性は十分にあった。

 ぬっと出てきたミミズのように、右前足が彼へと伸ばされる。そう離れてはいなかった。伸ばしきれば絶対に届く。怖いはずなのに、不思議と脚は震えなかった。最早その段階を越えているのか、或いはまだ走れと脳が命令しているのか。もう間に合わないというのに。走ったところでどうにもならない、彼の人生はここで終わる。でも可愛い仔猫を助けられただけで、未練も無く死ぬことが出来る。二二歳とは流石に若すぎるのだろうが、それでも死ぬときは死ぬモノだ。諦めるしかない。

 前足が富士見の頭上一メートルまで近づいた。

 ちょうどその時、猫の前足が何かに弾かれた。


「……命中。次をリロード」

 人型に変形したウイの<ティーダ>が、投下された専用のスナイパーライフルを受け取ってすぐさま発砲した。初弾は既に装填されていたので、何とか富士見の危機を回避できたのである。

「お見事。富士見さん、どうしてこんなところに居たんだろ?何か仔猫をそこの小屋に入れてたけど……逃げ遅れたのを助けたのかな」

 律儀にも彼女たちに一礼してから、彼は北へと走り出す。搭乗しているのがサキとウイであることは知らないはずだ。

「さて……あの<メックス>とやらを、どうやって懲らしめようかしら?」

 同じく人型となった<アクセラ>の中で、サキが意見を求めてきた。敵は後足だけで直立し、出来るだけ遠くを見渡している。反応したのはイスクだった。

『はいは~い! 二人とも特殊技が攻撃タイプニャんだけど、ウイちゃんの方は火力最強ニャのですっ! だ・か・ら、サキちゃんが牽制してウイちゃんがトドメ、でどうかニャ?』

「……悪くない。けど、また命中できるか不安」

「だったら、私がアレを動けなくさせればいいんでしょ? 任せてみて、手柄はちゃんと残しておくからね!」

 <アクセラ>が肉薄し切る間、<ティーダ>が行く手阻まんと威嚇弾を射ってやる。一方のサキは、専用武装である手持ちのV字型ブレードで<メックス>の周りの電線をカットしていた。高さが丁度良い。

『ねぇねぇサキちゃん、一体ニャにをやってるのかニャ?』

「出来てからの、お楽しみっ!」

 敵は小さな丁字路にまで追い込んだ。切った電線は計三本。どれも一端が電柱に繋がれたままだった。

「んで、コレをこうやって……それっ!」

 マニュピレータを上手く操って電線で輪っかを三つ作れば、コンクリートに接続された投げ縄が完成した。後はソレを両前足と頭に投げるだけで、<メックス>の束縛が成立する。

「何て言うんだっけ、こんな感じに縄で繋がれた動物のこと」

「……ワ○ワン?」

『ワンワ○って動物じゃニャいと思うんだけどニャ……』

第一、○ンワンはあんなのよりも黒くて可愛い。……じゃ無くて。

「今のうちに、足を潰しておくからねっ!」

 V字ブレード中心のグリップを、両手持ちで正面に構える。<アクセラ>が腰を落とし立て膝をついて低姿勢を取った。ちょうどスタート直前のチーターのように。猫は縛られて動けない。被捕食者の顔だった。

「コレで行けるはず……<アクセルガスト>っ!」

 音声認識でロックを解除、飛び込むように突撃する。スラスターも光も無く、ただ脚だけをバネにして。加速時間はコンマ一秒以下。ジャンプした後は虚空を斬るように両手を広げ、そして右手に回したブレードを地面に突き刺して衝撃を殺す。着地は優雅に、舞い降りるように、まるでダンスを踊るように。

 瞬時、後足が蒸発する。少し遅れて電線も切れた。

『うわ~、すごいすごい!』

「……お見事」

 <アクセルガスト>。やっていることはとても単純、<アクセラ>持ち前の運動能力と瞬発力をフルに用いて、超音速で対象を切断する。回避が出来るような距離とスピードでは無いため、命中率はほぼ百パーセント。とは言ってもソレだけが売りなのでは無くて、副産物のソニックブームも侮れないし、対象との摩擦熱のため『溶切』と表現した方がふさわしかったが。

 まさしく、『加速した突風』だった。

「ふぅ~……一仕事した!」

 それでいて中のパイロットは無事なのだから末恐ろしい。加えて衝撃吸収材の目立った蒸発も見受けられない。この機体を作ったアルカは、一体どのような理論を考え出したのだろうか?

「……そのまま仕留めて欲しかった」

「欲張り言わないの。手柄はちゃんと残しとくー、って宣言したでしょうが」

 <メックス>は痛みに耐えきれないのか、寝転がりながら残った前足をじたばたさせている。やがて周囲の民家を次々と破壊し、瓦礫を支えとして背を伸ばした。痛覚があるが故の偶然なのか、それとも単なる機械の知恵なのか。いずれにしろ、もたもたしている暇は無かった。

「……イスク、次に名前を言いながらトリガーを引くだけでいいの?」

『はい、その通り! モード切り替えは上手に出来てるから、後はターゲットをロックオンして撃ってね☆』

 彼女の指示通り、ウイは鋼鉄の猫を照準に定めた。次に特殊弾の入った直方体のマガジンを取り出し、四角い本体と四角い銃口との接続部に丸みを持っているスナイパーライフルに対して横から突き刺して装填する。目的の弾丸はソレの丁度真ん中にあった。そして片膝立てに構えて、引き金を慎重に引く。

「……<グラビテーテドタイド>」

 大きな音が耳を震わせる。放たれた弾丸は直線に近い放物線を描きながら、敵に恐怖をデリバリーする。命中するのに音は要らなかった。一瞬で到達してからは、左胸の着弾点から徐々に鉄を食っていき、何も無い空間が形成されていく。やがて侵食の舌が腹や首輪にまで届き、その先の頭をも無へと帰していった。色なんかも必要無い。

空間に残ったのは、以前右前足であった塊一つだけだった。

<グラビテーテドタイド>。やっていることはとても単純、着弾の衝撃で弾頭に搭載されている機械を作動させ、空気中の窒素や酸素と半径一メートル上のあらゆる物体とを強制的に化学結合させる。月の重力が作用して発生する潮汐のように、物質は別の化学式へと姿を変えて現実世界から『引いてゆく』。生成された化合物は粉末状であるため、風に飛ばされて跡形も無く消滅。イスクの言った通り、正に火力最強だった。

 デメリットは、<メックス>だけをピンポイントに破壊できないこと。今回はウイの狙いが良かったので目立たなかったが、基本的には街への被害も酷いことになるリスクを有している。命中し損ねた暁には、市街に巨大なクレーターが出現することも避けられないだろう。

 『重力化された調和』とはこのことである。

「……コレで、いいの?」

「だとは思うけど……イスク、どうなのよ」

 二人して彼女に問いかける。一方のイスクは敵の状態を観測していて、数秒後には返事が来た。

『……<メックス>、完全に沈黙!おーけーおーけー、敵機撃墜です☆』

 ため息が漏れる。二人同時だった。

「となると、コーベが完全にお払い箱なのね。そうだ、迎えに行ってみない?」

「……賛成、サキ」

 彼はここからそう離れてはいない。もう仕事が残されていないと知ったら、コーベも落胆するだろう。変形し直すのも面倒だったので、脚を使って細い路地裏を進むことにした。


oveR-05


『コーベくん、次の道を左だニャ☆』

「左、左……っと」

『違う違う、もう一本向こうの道だニャ!』

「え~……またバックするの?」

 一方のコーベは、道に迷っていた。

『……なぁコーベ、俺は今初めてカーナビありでも道に迷う人間を見つけたんだが』

「だって、ここってかなり入り組んでるんだよ? 目的地まであと百メートル……トホホ」

『いや、落胆する距離じゃないだろ』

 アルカが冷静に突っ込む。それもそのはず、まだ武装を手に入れていないどころか、彼の<カローラフィールダー>は変形すらしていないのだから。前途多難とはよく言ったものだ。

「え~っと。イスク、曲がったら次はどうすればいいの?」

『後は真っ直ぐ、ごーすとれーとっ! もう少しの辛抱だよ☆』

「良かった~……」

 彼女のそんな言葉を聞いてか安心してしまったので、ついついアクセルを過剰に踏んでしまう。そうしたら当然のごとく、曲がるべき丁字路を今度は通り過ぎてしまった。

『……分かった、俺が悪い! 帰ったら<フィールダー>はMT車に改造だっ!』

「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」

 結局目的地に着いたのは二、三分後で、そこには既に先客が二人居た。

「あ、あれ? ロボットが二体……」

「え、コーベは本当に今着いたの? イスクのカーナビありで?」

「……かなりの方向音痴」

 知っている声が聞こえてくる。サキとウイだ。どうやら戦闘をもう終わらせて、彼と合流しに来たらしい。

『ちょっと目を離してたと思えば……何だお前たち、もう撃破しちまったのか?』

「うん、報告遅れちゃってゴメンね」

「……ゴメン」

 アルカの問いかけに対して、二人してさらっと軽く謝る。仕事で忘れてはいけないことは報告・連絡・相談だというのに、コレらのことを怠ったという反省がどうやら足りないようだ。

『全く、ヤったんならヤったと早く言えよな、クソが』

「まぁまぁアルカ、そんなに不貞腐れないでさ。それにしても」

 彼をなだめている途中、コーベは視線の先を二人の機体に移す。

「コレが、可変自動車……」

 思わず声を漏らしてしまった。

 白い機体は、ドレスを着た貴婦人のようだった。パフスリーブとスカート、すらりと引き締まったウエストライン。そして腰に左手を当てた立ち姿が女性的であるにもかかわらず、どこか今にも走り出しそうな攻撃的加速性の香水を匂わせている。右手には中心にグリップのついた、ブーメランのようなV字ブレードを保持している。

 ベージュの機体は、地に居座る大鷹のようだった。肩には小羽のような突起物を持ち、足は地面から決して離れない意志を彷彿とさせる鳥趾の形をしていた。胸も胴も脚もボリュームがあり、意識せず重力に従おうとしている。スナイパーライフルとアイバイザーは、まさしく鷹の目と嘴だ。

 四メートルの貴族と鳥は、彼のことをじっと見つめていた。

「え~と、どっちがどっち?」

「私の乗ってるこっちの白いのが<アクセラ>。そっちのベージュがウイの<ティーダ>ね」

 説明をしてくれたのはサキだった。コーベにはどうしてか、二人のイメージが機体にそのまま反映されているように思える。

「ねぇ二人とも、もしかして変形後のデザイン知ってて選んだりした?」

「……私たちが、そんなことを知ってたように見えたの?」

「確かに……」

 直観的なところはあったものの、二人とも『このクルマが自分に合っている』なんてはっきりと分かっていたとは到底思えない。そんなことを考えていた彼に便乗するかのように、イスクが元気いっぱいに口を開いた。

『でもでも、や~っぱりニャんか分かっちゃうよね~! 特に胸の辺りでさっ! ウイちゃんのは前に突っ張ったグレートなヒマラヤ山脈って感じだけど、サキちゃんの方はこう……ヒンドスタン平原?』

 瞬間、空気が凍った。

 実際このことは事実である。ウイのはヒマラヤ山脈顔負けの大きさだし、サキのはヒンドスタン平原どころか谷底平野と形容したほうが良さそうな胸囲だ。しかしソレは流石のコーベでも触れたらいけないと自制していたタブーなのであって、このネコミミ美少女情報統合/支援機器制御プログラムは聖域を犯し禁忌を破ってしまったのだ。

「あ、あの~……イスクさん?」

『コーベくんもそう思わニャいかニャ? おっきい方を突いて風船割りをしてみたり、ちっさい方になすりつけて大根おろしをしてみたりっ! 私の目測メジャーによると、サキちゃんがAでウイちゃんがD――』

「お願いだからさっき変態言われた僕でも言わないことを何の躊躇いも無く至極平然と言ってのけるのは止めてよ、ねぇっ!」

 コーベがハンドルをガンガン叩く。サキは顔を紅潮させて、ウイは最早呆れかえっていた。

「……アルカ、このイスクも男のロマン?」

「ソレは僕の方から否定させて、せめてもの男の矜持としてっ!」

『こんな下ネタ猫被りが男の求める最終局面な訳が無ぇだろうがよぉっ! 元々の猫の状態からこんな性格だったんだっ!』

 二人して何かに必死だった。たかだか猫一匹だけのせいで、芽生え始めた友情に亀裂が入りかけている。

「……とりあえず、謝って。コーベとアルカが」

『何でっ?!』

 二人仲良く、驚愕のポーズ。

「あーもー! 男はとりあえず滅びときゃいいのよっ! 毎日毎日そんなこと考えてるなんてっ!」

「いやいやサキさん、さっきの言葉は雌猫のモノですよ?!」

「関係無いわよっ、『か弱き』女の子をこんな気持ちにさせるのは罪以外の何物でも無いのっ!」

 アンタ達、さっき巨大猫討伐してましたやん。

『あ~、謝りゃいいんだろ謝りゃっ! 悪かった、何が悪いのかは分からんが悪かったっ!』

 アルカは素直に謝った。当然気持ちはこもっていない。面倒事はさっさと片付けてしまうタイプなのだろう。しかし一方のコーベは、何に謝ればいいかも分からないので謝りあぐねていた。

「……コーベも、早く」

「そ、そんなこと言われてもさぁ……何が悪いのさ?」

「……私たちのサイズを小耳に挟んだ」

 かなり理不尽だった。

「ソレ、絶対に不可抗力だからっ!」

「うるさいうるさいうるさいうるさい、恥ずかしいモノは恥ずかしいのよっ!」

 そろそろサキの血行が半端無いことになってきていた。彼女のことを指している訳では無いのに、割れる前の風船のようである。

 コーベはやっぱり納得いかなかった。

「絶対に何かがおかしいって。だってどっちも魅力あるんだからさ、恥ずかしがることも無いのに」

「ほ、誇れって言うの? この大きさを?」

「……というか、さらっとセクハラ言った」

 彼の言いたいことは、どうもまだ十分には伝わっていないらしい。めげずにもう一押ししてみる。

「そう大きなことじゃ無いと思う。どっちにしろ、二人のこと僕は好きだよ?」

 モニター越しに、アルカが無言で額を抑えているのが見えた。イスクはワクワクしているような動きを見せる。

「……セクハラ、追加」

「え、コレもカウントされるの?」

「あ……当たり前でしょうがっ! 友達の胸を指して好きだなんて――その、あり得ないって言うか、何て言うか」

 ここでコーベは異変に気付いた。サキもウイも、語尾の方がシャーベットのように溶けてしまいそうな声量しか出していない。それと目線も下を向いていた。話の流れと併せて考えてみれば、いくらデリカシーの無い彼と言えども何となく見えてくる。

「もしかして……どっちも、照れてる?」

『?!』

 図星だった。魚類の愉快な仲間たちも顔負けなくらいに目をギョロリと見開き、<フィールダー>の方を凝視している。

『お~、コーベにしては珍しく当てたな! 今日は雨降るぞ!』

「……ねぇアルカ、ソレが一体どういう意味なのかちょ~っと小一時間ほど問い詰めても良いかな」

 そんなことを言ってイカレ科学者をないがしろにしつつ、改めて二人に疑問を投げかけた。

「やっぱり、僕が謝らないと駄目かな?」

 今度は斜め下を向いてしまう。サキが左でウイが右。そして少しだけ間を置いた後に、声を重ねてコーベに質問で返した。

『……嘘、言ってない?』

 物理的に離れていても、カメラが赤らんだ表情を捉えていた。声もやや砂糖の匂いがして。そんな二人に、コーベは心臓を突き動かされた。

「さっきも言ったよ。二人のこと好きだ、って」

 優しく微笑み返してみる。今度はちゃんと伝わってくれて、ホッとした顔を見せてくれた。続けて追加のご褒美を受け取る。

『コーベ、ありが――』

『ピロリロリン、<メックス>が出現したのだニャ!』

 イスク本当に黙ってくれないかなぁ、と心の底から吐き出したくなる四人であった。

『あ~……っと、誠に申し訳ないんだが向かってくれ。それでイスク、場所はどこだ?』

 脳のモードをラブコメからミリタリーに切り替えつつ、アルカがすぐに訊き出す。答えた猫は、恐ろしい事実を言ってのけた。

『ここから西に五〇〇メートル。丁度さっき戦闘をしたところです、ご主人様☆』

「え、ソレってまさか……!」

「……覚えがある」

 反応したのはサキとウイだった。

「えっと……どうかしたの?」

「……アルカ、あの猫を『生きた野良猫を鋼鉄巨大化した』って言ってたから。そうなると」

「富士見さんが、さっき野良の仔猫を助けてたのよ……!」

 アルカの話が本当ならば、<メックス>は謎空間から突如出現する訳では無くて、実在する猫をベースにした兵器となる。そして、富士見は実在する仔猫を助けた。他に猫は見なかったので、この可能性が高そうである。

「折角助けたのに、ソレが無意味だった……?」

『同情するのは後にしておけコーベ、目先の敵をヤってからじゃないとお前らが死んで終わりになっちまう! <フィールダー>は変形後、そこから武装を受け取れ! 他は合わせろっ!指揮……というよりはまとめ役だが、コレはコーベにやってもらう。異存は無いなっ?!』

 気にしないよう助言をしてから、アルカが指示を出してくれた。ただ、最後の部分にいささか違和感を覚えたのもまたサキとウイである。

「構わないけども……どうしてリーダーがコーベなのよ?」

「……さっき戦った私たちは置いておいて、コーベは正直お互いの個性とかも詳しくは分かってない。荷が重すぎるんじゃ?」

 アルカが彼を贔屓したというか、突然の提案で脈絡が無かった。情報は前衛である<アクセラ>の方が早く入ってくるし、戦況は後衛の<ティーダ>の方が全体を見渡している分は見えやすい。サキとウイには、意図がよく分からなかった。

 だがしかしその意図とやらも、深い考えでは無さそうだった。

『だって、なぁ……お前ら、好きな人の言うことだったら無条件で聞けるだろ?』

「って……ばっ、いや、そんな馬鹿なこと! もちろん否定を、する、したい、けども……」

「……もし仮に例え実際そうだとしても、第六感的にムカつく」

 二者二様の拒絶ぶりだったが、どうやらアルカ案は無事通過でも構わないらしかった。

「え~っと。それじゃあ僕が仕切ればいいの?」

「分かったわよ、そう嫌でも無いから聞くわ。コーベの言うこと」

「……コーベだし、まぁいっか」

「ねえ、嫌なら嫌って言っても良いんだよ?」

 またしても前途多難だった。

『そんなことはどうでもいい、コーベはさっさと変形しろ! ネコ型ロボットはこの暇にも成長を続けているんだぜっ?!』

 アルカが段々と調子を取り戻してきた。サキもウイも問題は無い。残るは彼だけだった。

「うん、了解っ! それじゃあ――<カローラフィールダー>、<オーバーロード>っ!」

 変形モードに移行したことを、イスクが陽気に伝えてくれた。

 コーベが叫ぶとほぼ同時に、シート脇から操縦桿が生えてきた。フロントガラスには様々な情報が表示される。機体の形状、コンディション、エンジンのトルク数、障害物の有無、問題の有無……ソレら全てが、『変形中』であることを指し示していた。やがて運転席のみコクピットブロックとして移動したが、新たに出現したワイドモニターにも同じ情報が書かれている。

 映像を車体前面のモノから頭部カメラが捉えたモノに切り替えるため、一時的に背景が黒になり、その上に白点のノイズがほとばしる。ソレがまるで銀河の中を真っ直ぐ進んでいるように流れていて、とても幻想的だった。

 バンパー部分が肩になる。後部が丸々脚になる。肩からは腕が伸びていて、腰からは腿が伸びてくる。タイヤは丁度肘と足首。胴から腹がせり出され、分離されたバックドアを盾として持つと、頭部に褐色の火が灯された。

 花が開くように人型となった。

 コレにて変形を完了する。

「コンプリート。全体像が……お、流石<フィールダー>」

 その機体は、ブロンズのガーベラのようだった。頭状花序の胴体から、花弁の手足が伸びている。大きめの肩も枯れ葉と取れるが、見方によっては二枚の花びらだ。鈍重なフォルムのはずなのに、パーツそれぞれはいくつか細い。盾は大葉で、兜には花びらが複数枚付いている。

 全長四メートルの花が、道のアスファルトに咲き誇った。

『どうだコーベ、その機体は気に入ったか?』

「うん、とても。まるで僕のことをちゃんと分かってくれてるみたいだね」

 そう言えば、<ティーダ>も<アクセラ>もそんなデザインだった。

『目標、周辺の民家を破壊し始めたニャ!』

『そういうこった、今から武装を出現させる! いいか、そこのアパートだぞっ?!』

 アルカの叫んだことが若干理解できない。最も、そんな時間も束の間だったが。

「何のことだか……って、うわっ?!」

 アパートから、サブマシンガンが生えてきた。

 コーベが目的地としていたモダンな鉄筋コンクリート製三階建てアパート『ハイツ紫』は典型的な直方体をしていて、面積の狭い面がエントランスとして道に接していた。ソレが今では二階部分と三階部分の道路側の壁が観音開きになって、上からレールに吊るされて<カローラフィールダー>にピッタリなサイズのサブマシンガンが提供されている。グリップがこちらを向いているだけでは無く、高さも丁度良く設計されていた。

「へ~、こんな風に武器が出てくるんだ」

「……もしかして、街中はだいたいこんな感じ?」

 女性陣二人がそれぞれの感想を述べる。ウイの問いにはイスクが頷いていた。

「とりあえず、コレを受け取って向かえばいいんだよね。武装があったら変形は出来ないの?」

『あぁ、その通りだ! 多種多様な兵装のバリエーションを考慮した結果、武装は変形に組み込めなかった! それにな、道往く車がサブマシンガンくっ付けてたら職質受けんだろっ?!』

「いやさ、理由はもっともだけど……ううん、言っても無駄だよね」

 同じ男として何となく、アルカはこの武装提供システムに男のロマンを感じたのだろうと察しがついた。

『とりま、敵の侵攻は一向に止まりゃしねぇ! さっさと接敵して、殲滅しようぜっ!』

『了解!』

 イカレ科学者の指示に合わせて、鷹と貴婦人とガーベラは西へと走り出した。


 訳が分からないということは分かった。

 彼女はまるで奴隷である。重い首輪を付けられて、研究室の外からは一歩も出させてくれない。行動範囲は八畳間、しかも壁が無機質な色だった。鉄のテーブルは冷たくて冷たい。食糧は味の無い工業製品。空調こそ効いていたものの、だから彼女は季節というモノを知らなかった。

 望んだことは、このまま死にたくないということ。彼女の生き様は快適だったが、DNAがソレを拒絶する。このままではいけないという焦燥感に駆られつつも、結局何も出来なかった。毎日八畳間をぐるぐる回るだけで、たまに科学者が部屋に来ては首輪を付け替える。とてもじゃないが、気が狂いそうだった。

 奴隷は彼女の他にも居た。正確な数は覚えていないが、四か五くらいだったと思う。或いはもっと多かった。皆彼女と同じ目をしていて、皆彼女を同じ目で見ていた。ソレは彼女も同じだった。同類同士で特別コミュニケーションを取るわけでも無い。取る必要も無かったから取らなかった。

 そんな空間にも、最近変化が訪れた。同類の数が減ったのだ。どうやら科学者は重い首輪で何らかの実験を試みようとしていたらしいが、その内の一つが成功したのだ。次に特別彼女と仲が良くなかった奴が連れて行かれて、それっきり帰って来なかった。

 数日後には、最後に残った奴と一緒に彼女も外へと連れて行かれた。その際に最新の重い首輪を付けられたことを覚えている。被験体の選別は無作為のようで、彼女が最後に残ったのは彼女の年齢が理由ではないみたいだった。

 初めて見た外の世界は、どこか煤けていた。空には雲がかかっていたのだが、その色が白では無くて灰だったのである。まだ実験室の壁の方が綺麗だった。この世には知らない方がいいこともある、と彼女は気付いた。

 科学者は彼女を置き去りにして帰って行った。実験から解放してくれたのだろうか、それとも単に実験の一環なのだろうか。どちらであっても、彼女には関係無かった。コレから自分だけで生きていくということに、期待と不安を持つだけで精一杯だった。

 実際に街中を歩いてみると、とても居心地が悪かった。皆、彼女のことを睨むのである。別に法律で決められた訳でも無いのに、ここは自分の土地だと主張したそうな丸く黒い眼で。

 結局、彼女は何も信じられなくなってしまった。誰も助けてはくれないし、それどころか迫害する。彼女が異教徒だからと言うより、よそ者だからと表現した方が適切だ。コレはどうしようもないことで、理不尽と一言で片付けて諦めるしか無かった。とても悲しいことだった。

 そんな時、彼女は彼に助けられた。

 何やら巨大な鉄の生物が暴れていて、彼女は自らの死を覚悟した。守ってくれる仲間が居ない。ましてや自助努力なんて彼女には出来ない。生涯今までやってきたことは八畳間の周回。この数日間、食糧調達さえもままならなかったのだ。

 彼が颯爽と登場してくれたのは、丁度彼女が踏まれそうになった瞬間だ。綺麗なスライディングをもって彼女のことを抱え上げ、なるべく遠くへと走ってくれた。そして距離を取った後は、彼女を建物の中にかくまってくれた。

 恋という感情を、彼女は知ることが出来た。もう逢うことは無いだろうけれど、ずっと一緒に居たいと思った。彼とだったら、このまま死んでもいい。こんな奴隷のような彼女でも守ってくれる人とだったら、たとえ心臓が止まっても、彼女はとても幸せだった。

 だから結果として、彼が彼女から遠ざかってくれて良かった。

 現在、彼女はどうやら巨大な鉄の生物になってしまっているらしい。かくまわれた建物は跡形も無く壊れているし、今まで大きいと感じていた民家や電柱と同じくらいのサイズになっている。とりあえず足を動かしてみると、民家が音を立てて崩れ始めた。

 恐怖という感情も、彼女は知ることが出来た。頭が真っ白になる。自分が自分でない。こんなはずじゃあ無かったのに。野垂れ死んだほうが良かっただろう。もう何もかもが嫌だった。

 自分が壊れたのに、世界は壊れていない。

 このことに気付いた時、嫉妬という感情も彼女は知ることが出来た。良いことなんて、今までたったの一度しか無い。体がおかしくなってしまったのに、周りはいつもと同じだった。

 彼女を排斥していた者たちが近くに居た。

 踏みつぶしてみると、少しだけ気が楽になった。

 こんな風に世界を壊してしまえば、もっと気が楽に、もっと幸せになれるのでは無かろうか? 彼女はこんなにも苦しいのだから、世界くらい壊してしまっても仕方が無いではないか。こんなにも訳が分からないのだから、この気持ちを皆にも配ってやろう。

 こうして、富士見に助けられた仔猫、もとい新たに発生した<メックス>は、破壊行動を取っていた。


 oveR-06


 その<メックス>は、既に民家を一軒壊していた。

「着いたはいいんだけどさ……コレって相当ヤバいんじゃないの?」

「……放置してたら、国も無くなりそう」

 サキとウイが感想を漏らす。モーションは遅いくせに、流石に敵の行動スピードが速すぎるのだ。

三機は今、敵と対峙している配置だった。フォワードが<アクセラ>で、ミドルが<フィールダー>、バックスが<ティーダ>。最も、コーベも前衛に出る気満々だったが。

「って、アレ……?」

 そんな彼が怪訝に思ったのは、猫の尻尾である。<メックス>のソレはアースとしてか地面に突き刺さっていて、しかし暴れている最中に抜けてしまった。そして尻尾を振って更に建物を破壊している。

「……ん~、まぁいっか」

 コーベは深く考えないことにした。

「それじゃ、さっさと<アクセルガスト>を使って仕留め――」

『残念ながら、ソレは無理ニャんだニャ!』

 <アクセラ>が先行しようとすると、イスクが口で止めてきた。

『<アクセルガスト>を使うにはコンデンサに溜まった電荷が必要ニャんだけど、さっきの戦闘で使い切っちゃったからしばらくは使えませんっ! ゴメンね☆』

「あ、ちょっとソレ早く言っときなさいよ!」

『またまた、<ティーダ>の<グラビテーテドタイド>も今回は一発しか用意してニャかったから、コレで特殊技は二人とも使えニャいんですっ!』

「……確かに、残弾ゼロって表示されてる」

 となると、通常戦闘で討伐しなければならなくなる。しかし敵の装甲は厚く、さっきの交戦でも弾丸だって容易に貫通はしなかった。だから。

「二人とも。連携攻撃が必要になってくるよね」

「……コーベ、全然他人事じゃない」

「仕切るのはアンタでしょーに……」

 そんな会話を交わしている内にも、電柱が一本倒れてしまった。停められていた乗用車が下敷きになってひしゃげる。アスファルトにも細くヒビが入っていた。

「とりあえず。<ティーダ>は後方から射撃に徹して。<アクセラ>は接近して攻撃だけど、なるべくこまめに後退するように。<フィールダー>が盾になるから」

「不用意に近付きすぎて返り討ちに遭うのは避けろ、ってことね。分かった!」

「……分かった。援護するから」

 サキとウイから了承を貰う。そこで彼は、一つ言い忘れていたことに気付いた。

「ソレと。僕がどっちも守るから」

 本人はナチュラルな気持ちで伝えたつもりだったが、反応はいまいちだった。

「あー……何だか、ようやくコーベのことが分かってきた気がする。アンタ多分天然よ」

「……意図せずとも、セクハラ一つ」

「え、えぇっ?」

 まとめ役として二人を鼓舞するつもりだったが、最早呆れられていた。そんな状況に戸惑っている彼だったが、続く言葉はそうでもないようだ。

「でも、気持ちは伝わったから。ありがと」

「……気遣ってくれるのは嬉しい」

 逆に鼓舞させられてしまった。

「……うん。僕も分かった」

 操縦桿を握り直す。モニターの情報を再度確認。<ティーダ>はマガジンを新たに装填し、<アクセラ>はエクセレントなV字ブレードを真ん中で分割して双剣とし、<カローラフィールダー>は左腕に付いていたバックドアを前面に構えた。

「それじゃ、始めよっか!」

 前衛二機が、<メックス>に肉薄した。コーベがサキを庇うような体勢。一方のウイはすぐさま発砲し、二人よりも先に弾丸が到着した。貫通こそしなかったものの、五センチメートルほど鋼鉄をへこませている。その傷を狙って彼女がブレードを突こうとしたが、前足で弾かれてしまった。そうして生まれた脇

の隙を狙ってサブマシンガンをフルオート射撃するが、威力は豆鉄砲程度でまるでかゆがっているみたいだった。むしろ一層暴れられて、サキを守りながら彼も一時後退する。

「結構硬いもんなんだね……!」

「しかも一手を弾くくらいの脳ミソまであると来たっ! 接近はかなり厳しいわよコレ!」

「……こっち、コレ以上の威力は出ない」

 敵の損傷率はせいぜい二パーセント程度だろう。背筋は曲がっていても体と尻尾はピンピンしていた。このままでは分が悪いまま押されてしまう。強力な決定打が必要だった。

「となるとね。サキもウイも、連携を取ろうっ!」

「オーライっ!」

「……オーライ」

 短い応答の後すぐに、フォワード二人が先ほどと同じ位置関係で接近する。ただし<ティーダ>はまだ動かない。<メックス>はよく前足で殴る攻撃(いわゆるネコパンチ)を繰り出してくるが、大体を<フィールダー>が受け止めてから流した。

そして手の届く範囲にまで近づくと、<アクセラ>が敵の右脇を、両踵と両腕のホイールを用いたスライディングで通過した。攻撃はしない。してもすぐ弾かれるだけだ。そんなことに時間を割くよりかは、寸隙を回り込むことに活用した方が余程スマートである。

「行くわよ、コーベっ!」

「分かってる!」

 二対となったV字ブレードを鋏のようにして、<アクセラ>は敵の右前足を後ろから封じ込めた。猫という生物は、足が背中側に回るよう設計されていない。このことを逆手に取った。もう片足は<フィールダー>が、盾で半ば無理矢理正面から抑え込んでいる。両後足は接地に必要で、短い尻尾は後ろ側から生えている。フロントががら空きだった。

「……容赦、しない」

 <メックス>の眉間に照準を合わせ、<ティーダ>が通常弾を発砲。目標に対して真っ直ぐに流れた。勿論額に対して弾は直角なので、貫通力は一番高い状況となる。向かい風も特に無し。雨も降っていない。絶好の条件であった。

 しかし結果、余計に<メックス>を怒らせてしまった。

 めり込んだのはせいぜい八センチメートル。装甲は恐らく、もっと厚いだろう。あんな絶好の条件でも、額を貫通しなかったのだ。二発目も同じ場所に当てられればギリギリ風穴を開けられるかもしれないが、コレはほぼ不可能。ワンホールショットなんて、ブリーフを穿いた凄腕スナイパーの担当である。決してウイなんかが為せるような技では無い。

 慌てふためいて、サキが行きと同じモーションを繰り返す。コーベが最大限バックアップに回ったが、そのため<フィールダー>が地面に倒れてしまった。こちらは肘の方にタイヤがあったから何とか危機を逃れられたものの、危うく猫に潰されて殺されるところだった。

「ちょっ……どうすんのよコレ?! やっつけるどころか、コレじゃネコちゃんムカ着火ファイヤーでしょうに!」

「ウイが一撃で仕留めるのはどうも無理っぽい……でも<アクセラ>だとまず門前払いされる……<フィールダー>の火力は論外だし……」

「……私、マガジンあと一本しか無いけど」

「もう少し早く言う努力してちょうだいよ、ソレっ!」

 とにもかくにも、このままでは状況を打開できない。弾丸を受け付けないどころか、近接攻撃まではねのけてしまうのだ。

このことの原因は恐らく一本道のため正面突入しかしていないからであって、横や後ろから斬りかかれば問題をクリアできる。だが横からの攻撃は道が狭いので不可能だし、サキに先ほどの危険をまた負わせるのも嫌だし回り込ませてもソレまでにこちらがやられる。彼女のブレードだけで仕留められるのかも疑問で、ウイとの連携攻撃をするのが確実だろう。だがしかし、装甲の厚さがネックとなる。<メックス>の注意を引いて横を向かせるとしても、その方法が思いつかない。せめて相手の視界を塞げられたら、カウンターも繰り出せないのだろうが――。

「あ……いいこと思いついた」

 コーベが閃いた。アルカが反応する。

『何だ、この絶望から打開策でも見出せるってのかぁ? そりゃアイデア出して勝ってくれなきゃこちとら困ったモンだがよぉ、事実何も出来ねーだろうが』

「アルカ、アンタ私たちのこと嫌いだったりする……?」

 サキの突っ込みは置いておいて、彼は手短にインスタントな作戦を伝えてみる。コレの反応は意外と良かった。

『ソレだったら、きっとあの<メックス>にも勝てるねっ!』

「……私、ちょっと自信無いんだけど」

「大丈夫よ、そこは私が広げてフォローするからさ。行けそうね、コレ。それに何か楽しそうだし」

「楽しそうとか言いながら猫虐殺するのは、かなり気が引けるんだけどなぁ……」

 とか言いつつ、三機が体勢を立て直す。<ティーダ>はマガジンの交換を行い、<アクセラ>は再度ブレードを連結させて左手を空け、<カローラフィールダー>は左腕を全面に出して突撃の準備を整えた。敵はこちらを向いている。とても好都合だった。

「それじゃあ。やってみよう!」

「オーライっ!」

「……オーライ」

 前衛二機が、三度目の走行をスタート。後衛一機は出し惜しみの援護射撃で相手をかく乱する。何も当てる必要は無く、要は前衛が接近する間はそっち側に気を向かせなければソレだけでいいのだった。

「……簡単なお仕事。そっち、お願い」

「分かったわ。コーベっ!」

「準備、は……コレで良し! いいよっ!」

 砲撃を止める。そうして自然と、敵の注意は一番近い二人に向けられた。特に白は眩しいからか、<メックス>はサキの方を凝視している。こちらも好都合。

 突然にコーベがブレーキを踏んだ。連動して、機体も急停止する。慣性の法則に従って上半身は前のめりになり、倒れないよう膝に腕を置き、腰を入れた体勢を取った。一方後ろに並ぶサキはアクセル全開で、減速する気なんてさらさら無い。そのまま前へと突っ込んでゆく。

 瞬間、<アクセラ>が<フィールダー>を踏み台にして跳んだ。

「はぁぁぁあああっ!」

 高さにしておよそ十メートル。機体全長の二倍ほどを跳躍し、敵へ向かって放物運動。減速する気なんてさらさら無い。スキージャンパーのように腕を後ろに回し、頂点に達すると左足を突き出した。まるで日曜朝のヒーローのように。あり得ない高さから。

<メックス>はまだ白を見つめている。つまり上を向いていた。顔は前足が届くかどうか怪しい部分。現在は背筋を伸ばして座っているので、あるかどうか分からない筋肉はあったとしても目をこするだけ伸びはしない。太陽は雲に隠れているので、光が直接目に入ることなく見上げることが出来た。

 好都合はここまで揃った。

 左足のホイールを使って、猫の顔を蹴って擦る。

 やりたかったことは目潰しだ。視界さえ奪うことが出来れば、<アクセラ>も安心して装甲を削ることが出来る。しかし正面からソレをやるにはあまりにも分が悪すぎたので、横でも後ろでも無い、真上の方向から攻撃を仕掛けた。

 蹴った部分は左目だった。永遠のスリップを続けているような嫌な音を立てながら、眼球を一ミリまた一ミリメートルと擦ってゆく。初撃の位置エネルギーも相俟ってか、顔面装甲は酷くひしゃげていた。下まぶたが大きく強制的に開かれる。眼球を一ミリまた一ミリメートルと擦ってゆく。もう十分だと白い機体が着地した頃には、顔の左半分に小さな穴がぽっかりと開いていた。コレはとても小さいから。

 攻撃はまだ終わっていない。

「エグいの私から、あと二つっ!」

 左腕のタイヤを使って、<メックス>の首を削ってゆく。目を潰した左側をやっているので、こちら側は見えていない。回転のスピード、時速約一八〇キロメートル。猫の悲鳴なのかシャーシの悲鳴なのか、区別は全くつかなかった。

「サキ、そろそろ!」

「オーライ、ラストはコイツよっ!」

 左腕を払って地獄からようやく解放したかと思ったら、今度はV字ブレードを脆くなった首に突き刺した。<メックス>がこの世の絶望を具現化した顔をする。そんな悲しい顔は君には似合わないとでも言いたいのか、横に薙いで傷口を更に拡大した。期待通り、表情は悲しみから苦しみへと変遷する。尻尾がお空を向いていた。声帯をきっとやられたのだろう、鳴き声は下手な口笛のようだった。可哀想に。

「そして次がウイ、よろしくねっ!」

「……オーライ。サキ、ありがと」

「どうってこと無いから、トリはアンタよっ!」

 グラフの点として書くようなバッテンを首の合間に合わせる。<アクセラ>並びに<フィールダー>は車線軸上から退避。相手には悪いが、視界クリアー。残弾は一発あるだけで十分だった。

傷の奥に潜む闇は深い。ありきたりな言葉は猫にだって通じる。このことがはっきりと判る程に、首の傷口はぱっくりと大きく開いていた。具体的にはアメフトのゴールくらい。四メートル級の機体にとっても、クッキーの型の穴に糸を通すことより遥かに容易い。

 足をかたどっている鷹の爪で、ブレないように地面を掴む。軌道計算は終了済み。肩の羽はセンサーとして、あらゆる情報を提供してくれた。安全装置も解除してある。敵は蛇ににらまれたカエルのように、一歩たりとも動けなかった。

「……そこ」

 そして発砲。バレルの真っ直ぐさに沿って、鷹の嘴は闇に沈む。しかしソレは厄介で、闇の中で嘴を開いた。花火のように弾頭が爆発する。鷹の鳴き声は金切り声だ。金属のねじ曲がる音だった。

銃口の煙はすぐに消える。相手の魂と同一で、長くとどまっている必要が無かった。

 成果、猫の首が三〇度ほどぱっくりと開いていた。

「コレで……」

「……処分」

「完了、なのかな? アルカ」

 三人の緊張の糸は切れていた。ここまでの損害を与えてやれば、流石に再起は不能だろう。というよりもむしろ、こちら側が戦闘継続し辛かった。<ティーダ>は弾切れ、<アクセラ>はコンデンサに電荷がまだ溜まっておらず、<フィールダー>のサブマシンガンも弾薬をかなり消耗している。コレ以上戦えと言われても、真っ先に逃げるしか選択肢は残されていなかった。だと言うのに――。

『いんや。ソイツ、まだ生きてるぞっ!』

 彼の言葉が届いたと同時、やられた<メックス>が再び尻尾を地面に突き刺した。そしてエフェクトも何も無く巨大化、いや肥大化を始める。その過程で顔も首も、損傷個所は全て金属の増殖に飲み込まれては跡形も無く消えていった。鉄が泡のように広がり、自ずと成形されてゆく。猫型の身体はさらに大きくなり、そして変わらず猫型だった。

 新しくなったその<メックス>は、全長が元の二倍である八メートルを超えていた。横幅は道がそこまで狭くは無いからか塀に対してまだ余裕があるものの、縦幅は電柱を見下ろすほど。しかもただスケールアップしただけでは留まらず、背中の辺りには小型のミサイルポッドが取り付けられていた。そんな巨大猫がこちらを怨んだ瞳で見つめてくるのだから、こちらもノックダウンしてしまいそうだった。

「ちょっと、アレどーゆーことよっ?! 何か鬼の形相でこっち睨んでるんですけどっ! しかも武装してるって……!」

「……勝てない。絶対に勝てない」

 もう怯えるしかなかった。この状況のことを、人類は絶望と呼ぶのだろう。敵の装甲も厚みを増しているだろうし、ミサイルもかなりの脅威だし、そして何よりもこちらの有効打がサイズ差の問題で届かない。

『皆、コレは大ピンチだニャ!』

「そこ、呑気に言ってないで……。アルカ、コレって一体どうなっちゃったの?」

 コーベが素直に解説を求める。一方のアルカは、恐怖のデータに戦慄を覚えていた。

『いや、現象自体は<メックス>のストレス増大に元々付いていた巨大化装置が反応した、ってだけなんだがよ……まさか、お前らがここまでの奇跡を起こすとはな』

 三人で疑問符を浮かべる。

『巨大化の条件は主に二つあって、一つは憑代となる猫のストレス、もう一つが猫の損傷率だ』

「えっ、でも私たちは致命傷を与えて――」

『心臓が止まろうと、体の原型が留まっていれば条件は満たされるんだ。猫を巨大化させる装置――<MBC>と便宜的に呼ぶけども――が反応すれば巨大化は成立する。ソレすらも回復してしまうからな。だから第一形態の時に跡形も無く消滅させるのがベストだ。そこで今回のお前らの仕事ぶりだが……』

 アルカは言葉を区切ってデータをもう一度確かめてみたが、数値はやはり変わっていなかった。

『損傷率は四〇%。お前らの凄いところは、見事に急所のみを狙ってソレ以外の部分の損害を最小限に抑えている所だ……』

「……五体が形だけでも残っていたら、ダメってこと?」

『あぁ、その通りだウイ。逆に言えば、頭部と心臓だけ残しても巨大化はし辛い。いっそのこと<MBC>を壊すのも一つの手だが、ストレス値を観測するために脳を経由する手段として血液中に溶け込むからな……難しいぞ、探し当てるのは』

 彼は巨大化装置について詳しいな、と三人は一瞬だけ感じた。

『ソレよりもご主人様、あのおっきなニャンニャンを痛めつけるのが先決だニャ☆』

「イスクの言うとおりだね……アルカ、指示をお願いできる?」

『おうよ、任せとけっ! 安心しろよな、打つ手はまだ残されてんだからよぉっ!』

 イカレ科学者のエンジンが熱を取り戻した。次に敵が四つん這いの姿勢を取る。ミサイルの銃口がこちらを向いていた。ネズミを狙うかのように。

「……絶体絶命?」

「いやいやいや、ちょっと待ってって、コレかなりヤバいって! アルカ、さっさと指示を出してよも~っ!」

 ロックオンは済んだらしい。三機をじっと見据えていた。

『ぱっぱらぱーん! コーベくん、今こそ汝の隠されし偉大なる力を使い世界を救うべき時なのじゃーっ☆』

「ゴメンイスク、RPGの仙人風にかっこよく言ってても内容が良く分からない!」

『だーかーらー、特殊武装を使うんだって! サキちゃんとウイちゃんを守るんじゃニャかったの?』

「う~、そりゃそうだけどさ……まだ出来るかどうかも分かんないんだから」

 扱い方はレクチャーを手短にも受けたから分かってはいるが、どうも自信が湧いてこない。実は彼、本番に弱かったりするのだろうか。やることは難しくないのに、気持ちが中々付いてこない。

そんな状況でも敵が待ってくれる訳も無く、<メックス>のミサイルはまさしく放たれようとしていた。

「もう、ダメなのかな……?」

 指に力が入らない。入りさえすれば助かるのに、指に力が入らない。こうして諦めることは出来るのに。何とも不甲斐ない。

 遂に火薬の筒が壁を蹴るように進み――。

『……コーベ、やり方があるんだったら私たちを守って!』

 サキとウイのその言葉は、彼のトリガーとして十分に働く。

「っ……そう言ってくれるのなら! ここで仕切るよっ、<フィールドウォール>!」

 バックドアを前面に押し出す。叫ぶと、フィールドが意志に付いて来てくれた。街から剥がれたフィルムは宙に浮いては縮こまり、密度を増やして布となる。そしてミサイルを優しく包み込み、蕾を作って、中で爆発させた後、開いて火花を咲き誇らせた。

 <フィールドウォール>。<カローラフィールダー>に搭載された特殊装置を使って、電磁波で建物やアスファルトなど『街』全体の構造物の表面数ミクロメートル分の分子を剥ぎ取って、またソレ同士を圧縮・結合させることにより耐久力を増して柔軟性を持った盾とする。対象は半径五キロメートルほどとし、機能としては刺突には弱いが爆発のような撃発性のあるモノに対して強力な耐久性を持っている。

 コレが、『花を咲かせる土地の壁』。

「とりま、成功……だね。で、こっからどうしよっか?」

『ひとまずすぐ後ろのもう少し広い道に出ろってよなぁっ!』

「やっぱり逃げるんだね……」

 華の特殊技を見せたはいいものの、戦略的撤退は致し方なかった。とりあえず八メートル超級にとってはやや狭いような気がする幅およそ三メートルの一本道に居ては回避行動もままならないので、三機は脚部のホイールを酷使して後退していった。


 oveR-07


 幅およそ六メートルの道路は、歩道も無ければセンターラインも引かれていなかった。ただアスファルトで舗装されているだけで、ガードレールも信号も何も無い。路地裏にしては広いが地方道となるには交通量が少なすぎる、ここはそんな道路だった。

 <メックス>の足は遅い方だ。こちらから何とか目視できるくらいに、彼ら三人とは距離が大きく開いている。小休止を取ってコレからどうするか作戦を練ってみると、アルカが口を挟んできた。

『お前ら、こーなったらもうアレを使うしか無ぇ!』

「……何か言いたいことがあるんだったら早く言ってくれない?」

『ウイ、お前絶対に俺のこと嫌いだよなぁっ?!』

 というくだらない会話は置いておいて。

『その機体たち――<ティーダ>、<アクセラ>、そして<カローラフィールダー>には、まだ機能が幾つか残っている! その内の一つ、ソレこそがまさしく『合体』だぁっ!』

 わざわざ人型の変形ロボットを作るくらい男のロマンに忠実なのだからある程度は予想できたものの、それでもサキ、コーベ、ウイの三人は驚き耳を疑った。

「合体、って……まさか、あの巨大猫ちゃんに対抗できるくらいのサイズになるって言うの?」

『あぁ、その通りだサキ! 三機をもう一段階変形させて繋げることで敵と大きさを合わせるだけではなく、エンジンも三機同時運用することによって出力も向上するんだよぉっ! ソレに高出力対応の専用武装を外付けとして別に供給するから、攻撃だってもっと簡単に通じることになる! その際はコーベ、お前が音声認識でロックを解除することになるからなぁっ!』

「え……僕?」

 キョトンとした彼も含めて、アルカは三人に役を言い放った。

『そうさ! 合体時はそれぞれですることが違って、だから協力し合うことになるっ! 具体的には、ウイが機体制御、サキが操縦、そしてコーベが引き金を引けっ!』

「えぇっ?!」

「私、かなりの重役っ?!」

「……縁の下の力持ち?」

 いきなり伝えられてそうおいそれと適応できる訳も無く、しばらく慌てふためいていたが、そろそろ<メックス>が彼らに追いついてきた。いくらのろのろとした鈍重なモーションで来られても、もう時間が残されていないことは誰が見ても明白だ。

「やるしか……無いよね。コレ」

「そりゃそうだけどさ、コーベ……果たして出来るかどうか」

『心配はいらないニャ! みんニャはタイミングを合わせてロック解除するだけで、基本的にはこのイスクちゃんが超々高精度でやるから、安心して下さいね☆』

「……ソレが心配」

 この猫耳美少女AIに任せると、ロクなことが起こらない気がする。

「それでもさ。モノは試しって言うし。やってみる価値はあると思うな、僕は」

『おっ、コーベくんは私に騙され……私のことを信じてくれるのかニャ?』

「流石にわざとだよねそのセリフ、ねぇ?」

 断言する。コイツに任せたらもうロクなことは起こらない。

『冗談だニャ☆三人にはイスクが責任を持って協力するから、安心してねっ!』

 今度は本気の笑顔が、端っこにあったウインドウを満たした。

「状況も状況、賭けてみるしか無いか……分かったわよ。イスク、アナタに任せてみるから」

「……イスク、お願い」

『うんっ、お任せあれ☆』

 こうして、三人の意志は一つに固まった。敵はもう五〇メートルほど前に迫っている。もたもたしている暇は残されていない。アルカから簡単なレクチャーを受ける。

『ロック解除のキーワードはそこのウインドウに示した! 合体後に使用する武装はすぐに供給できるから、余計なことは考えなくても十分だかんなっ!』

「了解、アルカっ! それじゃあ、サキ、ウイ、タイミングを合わせるよっ!」

「了解っ!」

「……了解!」

 緊張のためか、高揚のためか、三人とも語尾に力が込められる。操縦桿を強く握った。アクセルはいつでも踏んでやる。

そして呼吸を合わせては。

『<オーバーファミリア>っ!』

 同時にそう叫んだ時、モニターがブラックアウトしてから専用画面に移行する。背景は藍と淡い緑が流れるような波を描き、そこに爆発するような紅がアクセントとして乗っけられていた。表示は『人態→合態』。一旦、近くの家の屋根の高さまで浮上した。

 三機とも、合体シーケンスを開始する。

 まずは<ティーダ>。一時的に元の車体の形状(車態)に戻るが、両肩の羽は展開したままにしておいてボンネットから迫り出す『腹』の部分とする。そしてフロントフェンダーを本体から引き出すようにして離し、露出したシリンダーを『太腿』、フロントフェンダーをそのまま『腰』とする。それ以外の部分は二分割にして『脚』とするが、リアフェンダーからは『足首』が繰り出されて更にそこから『足』が展開された。

 次に<アクセラ>。腕と胴体と頭を肩に収納してフロントフェンダーに戻す以外は車態への転換は無く、ソレを『胸』とする。腰は縦に分割されて横へ持っていき『肩』となり、そのまま付いてきた両脚は先端を変形させて『腕』になる。<フィールダー>のバックドアを受け取っては『右腕』にマウント。『手』はリアドア内側から一八〇度反転して出てくる。

 そして<カローラフィールダー>。基本的には<アクセラ>と変形方法は変わらずフロントフェンダーが車態に戻るが、フロントドアがシザードアのように上方向へとせり上がった。腰は分割されず、ドアの開いたスペースを利用して股関節が外に九〇度開く。人態時にも使っていた頭部が、床下部分から出てきた。

 <ティーダ>が下半身で、<アクセラ>が上半身で、<フィールダー>がバックパック。

 電流をほとばしらせながら、まるで磁石のように結合した。

『コレが……』

 モニターに必要な情報が映し出された。内容は三人でそれぞれ違う。見ている景色は同じだった。

 手を握ってはまた開く。膝を曲げてはまた伸ばす。腰を回してはまた戻す。駆動系に問題無し。

 全身にパワーを満たしてみる。各関節に力を入れたようなポーズを取った。コレもオールグリーン。

 頭部装甲を展開して、大きさを体に合わせる。

 合体完了。

『<T.A.C.>、コンプリーテドっ!』

 ウイ、サキ、コーベの三人で言葉を放つ。ツインアイが爆発のごとく発光した。

 全長七メートル、重量四トン。フォルムはスマートだった。脚では<ティーダ>のホイールが回転していて、胸には<アクセラ>のボンネットとエンブレムが輝き、バックパックの<フィールダー>は羽のように広がっている。腕も脚もたくましいけれど、胴体には女性らしさが垣間見え、頭部に至ってはアンテナに華やかさがあった。

 三人の特徴が、一つに纏まった機体。

 スラスターを吹かして綺麗に着地すると、迷わず<メックス>を真っ直ぐに見据えた。

『合体成功、お疲れ様で~すっ☆』

「いやいや、私たち何もしてないし……ソレよりも、機体名と部隊名が一緒なのって手抜き?」

「いや、良くあるセルフパロディとかなんとかでしょ」

「……一回の被りくらいなら誤射かも知れない」

『好き勝手言ってくれんな、お前ら……!』

 因みに合体ロボの方の<T.A.C.>は<ティーダ>、<アクセラ>、<カローラフィールダー>の頭文字を並べた名前なので、部隊名の方(Transformable Automobile Cavalryの略)とは成立が違ってくる。決して手抜きでは無い。もう一度言う、決して手抜きでは無い。

「とりまそのことは置いといて。アルカ、この機体専用の武装

ってのはどこにあるの? この辺にあるアパートは全部二階建ての小さな奴だけど……」

 コーベが辺りを見回すが、小さなアパートと民家の他は、平屋でトタン張りの工場一軒しか確認できない。とてもじゃないが、<T.A.C.>にピッタリサイズの武装はソレらの中には入っていそうに無かった。

『ソレだったら、サキ、もうちょっと前に進んでみろ。すぐに供給してやっから――っと、でもソレどころじゃ無いみてぇだなぁっ!』

「はぁ? 何を言って……るのっ?!」

 遂に<メックス>が追いついた。しばらく時間を空けても怒りがまだ収まっていないのか、左前足でジョグを繰り出してくる。まともに食らったら一発KOは間違いない。

「……出力、上げておくから」

 途端にウイが呟いた。この意図をコーベがすぐに察する。

「そういうこと……サキ、僕が受け止めるからアクセル全開にして前進をっ!」

「ってことは、また無茶苦茶な……えぇい、分かったわよ!」

 右腕の盾で攻撃を防ぎ、倒されないように踏ん張りを入れる。何とか耐えきった後は姿勢を変えず、左手で敵の肩を掴んだ。傍から見たらちょうど相撲を取っているような構図だ。猫と相撲を取ったロボットなんて、世界でもこの例が初めてだろう。

「……関節強度には余裕がある。パワーは順調。スラスター稼動に問題無し。サキ、思う存分に」

「力を込める場面なんだから、そんなに軽く言わないでよ~っ!」

「……思う存分に、やって!」

「そんなノリ良く小言に付き合わなくても――えぇい、くどい! 倒れろぉぉぉおおおっ!」

 スラスター噴射を最大に、そして腕力と脚力も総動員で、相手を精一杯押し返す。突いてみると鋼鉄製でも意外と飛ぶモノで、十五メートル位の距離が楽々と稼げた。

「すごいね。この機体のパワー」

「……まだ出る」

「扱う身にもなってよ、全く……トホホ」

 感想は三者三様だった。<メックス>は丸い体型を生かして、ゴロリと反動を殺して立ち直る。アルカから通信だ。

『よーし、そこら辺で十分だろう! 今から武装<リンクトボルト>をそっちに送る!』

「アルカ、ソレってどういう武装なの?」

『実物を見りゃ一発で分かんだろーがっ! 操作だとかはさっきと同じくもう表示させてある! 受け取り次第、距離を詰めてさっさと処分してやれっ!』

「処分、ってまた……」

 どこの保健所の職員だ、とコーベは突っ込みたくなったが、意識を周囲に向けなければならなかった。結局どこから供給されるのかが分からない。このイカレ科学者に訊いてもどうせまた『出てくりゃ分かんだろーが』とか返ってくるのが関の山だ。

 そんなことを考えていると、サブマシンガンの時のような、ハッチが開く音がした。水平方向を見渡してみて、しかしソレらしき物体は見当たらない。仕方が無いのでとりあえず溜息でもついた途端――。

 道路のアスファルトから、剣が生えていた。

 と言ってもツクシみたく垂直に生えている訳では無く、アスファルトの一部がめくれるように開いていて、その下から仰角四〇度で柄をこちらに向けていた。大きさは正に<T.A.C.>にジャストフィットしそう。デザインは目立った装飾や衣装が見受けられない武骨な両刃式のバスターソード。よく分からないが柄や鍔、刀身から黒く太いコードが数本、収納されていた空間へと伸びていた。

「え~っと……アルカ、コレ?」

『何だその寒い格好して登場一秒でまだ何も喋っていないのに滑ってしまったマイナーお笑い芸人を蔑み鼻で嘲笑い見下してついでに写メを撮ってSNSにアップロードしたら意外と受けてテレビにも出演するようになりその輝かしくも滑っている姿をただ茫然と見つめて『ないわー』とか思ってるような顔は』

 つまりどういう顔だ。

「何か、中に電池入れるのが面倒臭くてACアダプタで繋げたヒーローモノのおもちゃの何たらソードみたい」

「……アーミーナイフでは無く剣とは、これ如何に」

 傍らでは二人が好き勝手に文句を言っていた。

『かなり不評だな……まぁいい、そんなことよか目の前の方に集中しろぁっ!』

 二足歩行状態で殴る気満々な<メックス>に、五メートルは距離を詰められていた。こちらもさらに前進しながらでないと抜刀も出来ないので、そろそろ攻撃を開始しないと流石にまずかった。

「コレ、使うしか無いのよね……仕方ないか」

「……格好がつかないけど、この際選んでられない」

「この文句。帰ったらまずアルカに殴られるんだろうな……」

 柄を握ってホールドする。両手からはもう離れない。重心を前に置くことで勢いを得て走り出し、連動して白金の剣先が露になる。ただ鉄を削り出しただけの道具に見えるというのに、どことなく冷徹な、血の通っていない無機的な機械を感じさせた。

「よし。サキ、ウイ、蹴りをつけようっ!」

「了解っ!」

「……了解!」

 <メックス>の方も<T.A.C.>も、減速の気配が感じられない。そのまま正面衝突でもするつもりか。しかしすぐに分かったことは、前者はそう考えていて、後者はそう考えていないということだった。

「……電力供給安定、機体各部異常無し。コーベ!」

「コードはここまでしか伸びない! 止まるから再度踏ん張り入れてっ! ……コーベっ!」

 突然、機体が急ブレーキ。アスファルトの表面を三センチメートルほど削った後は、決して放さないようにソレを掴む。腰を引いて左肩を前面に出し、刃渡り五メートルの両手剣を右の腰だめに構えた。相手は止まらない。止めてみせる。

「うん……やって仕舞うよっ!<リンクトボルト>、<オーバーファイア>っ!」

 特殊武装発動ロック解除。両操縦桿を前に倒す。

 刀身を大きく振り回して、敵対象を逆袈裟に切り裂いた。ちょうど腹をバッサリと。血液は飛び散ったが細胞が減っていたせいなのか、酸素を供給するために必要な絶対量が少なくてさほど濃い赤は広がらなかった。近くに居ても返り血を浴びない。

 蒼い電光がほとばしり、猫を容赦なく包み込んだ。

 こちらに向かって来る動きが止まった。恐らく斬撃時に流し込んだこの高圧電流の影響で、脳や筋肉あたりでも麻痺を起しているのだろう。その証拠として、尻尾が痙攣している。全身が帯電して、まるで稲妻に覆われているように見えたのだ。毛並みが残っていたら逆立っていたに違いない。

 もう一撃加えてみる。

 いわゆる『ツバメ返し』。左下から右上へ、首を一撃で斬り落とす。今度の電流も効いたらしく、キャパシティオーバーで全身の筋繊維がブチブチと焼き切れた。おまけに頸動脈もやられている。どこもかしこもダメージだらけ。もう損傷率四〇パーセントとは言わせない。

 歪な三分割が完了した。

「トドメ……刺したよ」

 コーベの締めの言葉をもって、<メックス>は沈黙してしまった。

 <リンクトボルト>。原理は非常に単純で、地下に備え付けられた電源から何本ものコードを伝って電気を送り、刃が対象と接触した瞬間に限って放電する。そもそもの切れ味も去ることながら、三〇万ボルトの高圧電流の威力もこの通り絶大だ。

尚、この放電はバスターソード自体が大きく重すぎて素早く振り回せないという欠点を補うための対策であった。最も、コーベはそのデメリットを『手首のスナップを上手く用いる』ことで物ともしなかったが。

『敵の生命反応、確認されず。ぱんぱかぱーん、戦闘終了ですっ☆』

 イスクの報告が、状況の完了を確定した。アルカ含めた四人全員で、安堵の域を思わず漏らす。


「一時はどうなる事かと思ったんだけどね……」

「でも、結果としては何とかなったよ?」

「……一件落着」

 それぞれがコメントを残したところで、アルカがやかましく指示を出してきた。

『よーし! お前ら気を休めるのも良いが、んなことよかさっさと車は車庫に戻しておけよなっ! 入口は大学東の(株)朝霧産業七番倉庫、そこに地下駐車場へのエレベータがある!』

 三人は素直に返事をして、合体解除と車態への変形を済まして帰路へと着いた。ここからその目的地まではあまり離れていないため、数分で到着するだろう。

そう言えば、この機体たちは地下に停めてあったのだった。武装も同じく地下やはたまたアパートの中に用意されてある。もしかして……。

「ねぇアルカ、この街って要塞都市に改造させられてたりするの?」

『いんや、そんなことは無いぞ? あくまでも『買収』の名のもとに、建物の一部分だけ改築してあるだけだからな』

 一々買収してるんだ……。

「んじゃさ、金はどっから出てる訳? あんなにも大がかりってことは、相当の金額がつぎ込まれてるんだろーけどさ」

『俺のポケットマネーに決まってんだろが』

 どこの大富豪だ貴様は。

「……そのお金は、どっから湧いてきたの?」

『俺の取得した特許から来る特許料、論文や講演会、スポンサーからの支援金……まぁ、一概には言えん』

 こんなイカレ科学者にスポンサーが付くのか。

『もちろん、公的機関からの支援だとか許可もあるぞ? じゃなければ、避難勧告が出てる中で文民を戦闘に引きずり出すなんてことを大々的にはやれん。いくら戦争に勝った経験があれど、通常兵器で<メックス>に対抗なんて出来る訳が無いからな』

 桜美国、とりわけ浅川県には神居鉄山と三広炭田が存在する。片や質の良い鉄鉱石を産出し、片や石炭生産量が惑星フィース随一。しかも付近には港湾まで持っている。

しかし元々地球の植民地惑星として開拓されたからなのか、その土地に国家が元々根付いている訳では無く、特にフィース黎明期においては『国家侵略』という概念がここでは形骸化している。コレら二つの資源を奪うために侵攻し自国の領土としてしまおう、と目論む国は少なくなかった。だから桜美国にはあちこちに一般市民用のシェルターが存在し、また桜美軍は半世紀という歴史の中で実戦により鍛え上げられてきた。特に関市はこの二つの鉱山に挟まれた場所に位置するので、住民の避難訓練なども徹底しているし軍隊の練度もハイレベルなのである。

 そんな関陸軍基地のマッチョでガチムチな皆さんでも、せいぜい市街戦用の中型戦車数十台くらいの戦力しか保持していない。四メートル級のオーバーテクノロジー人型ロボット三機が柔軟に動き合体してようやく一体倒せる<メックス>には、とてもじゃないが歯が立たないだろう。

「そんな危険な仕事を、大学生なんかに任せていいのかしらね……?」

 なんてサキの素朴な疑問は、アルカになんか届いていないのであった。

『結構大変だったんだぞ? 一から<メックス>の危険性を説明して、でもその存在を確認できないって拒否られて。俺の研究データを見せてようやく信じてもらえたよ。最初に発見した、まだ巨大化の機構も備わってない鋼鉄の仔猫も手土産にしてな』

「……そう言えば、私たちの倒した<メックス>の残骸は?」

『あぁ? ソレだったら、今頃溶けてんだろうな』

 溶けるのかアレ。

『まさしくはぐれメ○ルみたいに泡が弾けてな。敵側からしたら、残骸を回収されて技術漏洩なんかしちまったらたまったもんじゃ無いからな……』

 うんざりしたような口調だった。猫の巨大化と言う技術力からして、敵も同じ科学者なのだろうから、その気持ちが痛いほど分かるのだ。

「それにしても。アルカ、よく<メックス>に対抗しようとか考えたね。<T.A.C.>の開発にビルの買収とか、労力も資金もかなりの量が必要だったろうに」

 コーベがブログを更新するくらいの気持ちの軽さで呟いたが、対して彼は声の低層部分に影を含ませた。

『……トンビが鷹を生むとはよく言うが、鷹はトンビから何も教われない。能力の使い方も、金の使い方も、そして道徳的なこともな。俺は両親から距離を置かれてたから、だから俺なんかは頭のネジが数本ブッ飛んでんだよ』

 この言葉の意味を考えているうちに地下駐車場入り口に到着し、結局釈然としないでもどかしさを感じたままアルカの研究室でミーティングをすることになった。


oveR-08


『ウイちゃん、サキちゃん、ソレにコーベくん、お疲れ様ですニャ☆』

 アルカの研究室に入るなり出迎えてくれたのは、ごくごく一般的な白い招き猫の前に投影されたイスクのホログラムだった。大きさにして四センチメートルくらいで、少しぼやけているが配色なども映像と一緒だ。ついでに可愛さも変わっていない。

「うん。お疲れ様」

「ようやく終わったわね~。何か力がもう入らない……」

「……甘いモノが食べたい」

 三者三様のコメントを受けて、テーブルに座っていたアルカがこちらを向いた。

「本当に、お疲れ様な~。俺ももう力が入らなくてテンションがクソ下がってるわ~」

「嗚呼、あのお優しく上品な新井先生は何処へ……?」

『ゼミ生が誰か入ってきたら、きっとそのお姿も戻ってくるニャ!』

 コーベが深い溜息をつく。避難命令の解除が未だなされていないという状況下では、いくら富士見でもしばらく経たないとここには戻ってこないだろうことは明白だった。

「飲み物とかあったら嬉しいな~っと……それにしてもさアルカ、<メックス>って結局何だったのよ?」

「……売店って今やってるかな?」

「流石にやって無いと思うよ……。サキ、ソレ僕も気になってた。そう言えば、大きくなる時に尻尾を地面に刺してたけど……」

 サキが冷蔵庫を勝手に開けては何も入っていなかったことに絶望しているのを傍目に見つつ、アルカが思い出したように説明を始めた。

「そうか、まだ全部は話してないんだっけか……よく聞けよ。<メックス>(M-EX, Metallic EXecuter)は簡単に言うと生物兵器、ってのは分かってるよな? しかしだが、コイツは必ずしもその枠に嵌められる様なシロモノでも無い。外部からは行動をコントロールできないんだ」

「何ソレ、兵器じゃ無いってことなの?」

「あぁ、その通りだ。基本的には猫の本能で動いてるんだよな。製作者の意のままに動かすことが出来ないから、兵器としては不確定要素の多い『欠陥品』でしか無い。しかしだがな……あの大きさだから無邪気に動いているだけで破壊行動が成り立ってしまう。俺たちが歩くだけで知らぬ間に床が傷むのと、本質的には何ら変わりは無い。ただ世界を無秩序に破壊したいってだけならば、アレも兵器に見えるんだよな~……」

 仕方が無いから、サキは大人しく水道水を飲むことにした。次はウイが話を促す。

「……じゃあ、アレの発生にはどんな技術が使われているの?」

「詳しいことは……知らないが、メカニズムとしてはさっきの<MBC>(Metallic Beast Creator)が一枚噛んでる。猫の首輪に付けられたソレはナノマシンとして血液中に段々と注射されてゆき、一定濃度に達したら活動を開始する。コーベが言ってたことはまさにこの活動開始に必要なモーションでだな、尻尾をストローにして地中の鉄分を吸い上げて、<MBC>が全身に運搬し純度の高い鋼鉄で肉体をカバーする。つまり、中の猫ちゃんは外側の装甲にパイプ代わりの血管と神経を接続されて<メックス>を操ってるだけで、本体自体は中のどこかに残ってる訳だ。倒した時に飛び散った血液は、つまるところ猫一匹分しかない。もっとも、接続を分断したらショックで死んじまうがな。また、中身だけ殺しても<メックス>の巨大化は理論上防げる。体のどの部分に隠れてるかは個体差があるけれども。駆動系……というか筋繊維は、これまた地中の栄養分から作られた植物性タンパク質が主成分。神居鉄山とか三広炭田が近い関市ならではの成長方法だな」

「へ~……詳しいね、アルカ」

「まぁな……運良くまだ大きく成長してないで体が鉄に覆われていた<メックス>を、早期に見つけられたからだよ」

 コーベは先ほどとはまた違うもどかしさを感じた。

「んで、そのかなりヤバめな<メックス>が本格的にここを襲い始めるのに備えて、私たちの機体が作られたー、ってことね」

「あぁ。まだ改良の余地が残ってるがな……まさしく『未完の最終兵器!』ってトコロだ」

「……どこのバ○ターマシン?」

 ウイの突っ込みは特に気にしない。

「でも、そんな<メックス>も僕たちが倒しちゃったからね」

「そうそう、もう関市の平和は約束されたみたいなモンよ!」

「……やっぱり甘いモノが食べたい」

 戦いも終わったから、三人は見事に浮かれていた。あの激戦をくぐり抜けたのだし、まぁ仕方が無いだろう。もう巨大猫は現れない。危機は去ったのだ。

 だがしかし、何かが歯と歯の間に詰まっているような顔でアルカが口を挟んできた。

「もしかしてだが……<メックス>の侵攻が今回きりでもう二度と来ない、とか考えてねぇか?」

 その言葉に対し、三人が同時にキョトンとする。

「ふぇ、違うの?」

「てっきし、そうだとばっかり僕は思ってたけど……?」

「……甘いモノ食べたい」

 いや、約一名はただ食欲を隠していないだけか。

「どう考えたら、一度に二体発生した奴のことを『もう二度と来ない』なんて言えるんだよ……?」

 イカレ科学者は、完全に呆気にとられていた。天井の石膏を仰ぎながら、額に手まで当てている。

「えっ……ちょっと待って、まさか私たちにまたあの怪物と戦えとか言い出すんじゃないでしょうねっ?!」

「……コレ以上、無償で命を危険にさらすのも。あと甘いモノ」

「事態が収拾したら皆でアイスでも買いに行くから少し我慢しよ、ね?」

 ただでさえ非現実的なことが発生したというのに、ソレが常態化するとアルカは言いたいのか。となると<メックス>が発生する度に、三途の川でスキューバダイビングをする準備をすることになる。そこで魚と一緒に撮ったスナップ写真はもれなく遺影。シャチのような軍隊のガチムチなお兄さんたちならばまだしも、動物性プランクトンのようなただの大学生三人組にこのリスクはあまりにも重すぎた。

「さっき言ったことからも分かる通り、<メックス>を発生させる理由は『世界を無秩序に壊したいから』くらいしか挙がらない。だとしたらコレからも量産される可能性は十分ある。まさか、このことを分かってないとはな……」

「……インフォームドコンセントが足りない」

「最初に、何回も出撃することになるって一言言ってくれれば良かったのに……」

 ぶつくさと愚痴を零していた。そんな二人に、訊いてみる。

「あ~……ひょっとしてお前ら、もしかして機体から降りるつもりか?」

 対して、さも当然かのごとく返した。

「当たり前でしょーが。私はそう易々と命を捨てられるほど落ちぶれちゃいないからね?」

「……可愛い猫ちゃんにねこぱんちされて死亡、ってのはちょっと」

 確かに、ソレは嫌だ。字面だけ見るととても幸せそうな死に方だが。

「ってちょ……二人とも、出撃前のあの決断はどうしたのっ?!」

 二人の離合に反対したのは、もちろんコーベだったが。

「コーベが嘘言ってない、ってのは分かってるんだけどね。でもゴメン、ただアルカの方を生理的に受け付けない、ってだけだから」

「……嘘付き、良くない」

「おいコラちょっと待て、誰も『出撃は一回だけだ』とは言ってないだろが」

「でもさ、『コレから何回も出撃することになる』とも言ってないわよね?ソレ、説明不十分だから。コレは正当なクーリングオフよ、クーリングオフ」

「……嘘付き、良くない」

「だから嘘は付いてねーだろっ?!」

 イカレ科学者はやはり女受けが悪かった。

「ホラホラ、二人ともアルカ総スカンはそこら辺までにしといて。アルカの方も、何か説得してみようよ」

 男のロマンを共有し合った友情からか、コーベが彼を擁護しようと女子二人を止めた。このままでは<T.A.C.>が合体できなくなり、部隊もたったの一時間ちょっとで解散される他、以降は防御型の<フィールダー>一体だけで戦うという何とも無茶な状況に陥ってしまう。

よりにもよって敵を倒せないメンバーのみが残るなんて、既にカマ肉まで削がれた頭しか残されていないマグロの解体ショー並にインパクトに欠けた戦闘になってしまうではないか。『はい、このマグロの目玉を今なら脳ミソと一緒で売っちゃうよー!』とかかなりわびしい解体のおっちゃんの声が遠くから聞こえてくる。珍味にすらならないのではないか?

 流石に珍味にすらならないことを重く見たのか、アルカはいきなり究極の交換条件を提示してきた。

「クソっ、コレだけは言いたくなかったんだがな……しょうがねぇ、お前たちにとって最も価値のあるモノをくれてやる。もちろん、以降もずっと可変自動車に乗り続けるのならば、だがな」

「最も、価値のあるモノ……?」

「……何ソレ」

 やけに重い雰囲気を彼が醸し出していたので、思わず息をのむ。返って来たその漢字二文字は、まさしくサキ、ウイ、そしてコーベの人生までをも左右させるのに十分な代物だった。

「単位を、くれてやる」

 その瞬間、神が舞い降りてきたのだと錯覚した。

 単位。基本的に無気力で勉強もろくにしない大学生にとって、唯一手に入れるのに燃えざるを得ないモノ。いくら就職の内定を貰っていても、コレが無ければ卒業が出来ないためにその意味を成さない。それに彼らの安泰を唯一邪魔しているのが単位なのであって、裏返せば単位さえ取得していればどれだけ遊び呆けていても誰からも文句を言われずに卒業、そして就職先が決まってその後は華のホワイト企業デビューだ。

 特に三人の在籍する『工学部』なる存在はよく『単位取得を除けば人生イージーモード』と噂されており、就職が他学部よりもスムーズに行くが単位取得の難易度がケタ違いだと一般に言われる。この三人もまた単位に悩まされているのであり、しかもこの新井悠教授が担当している講義はどれもテストの難易度が軒並み高い。彼の講義のためだけに、やむを得ず留年するしかなかった上級生も数多く見てきた。そんな彼が単位を渡してくれるのだったら、命なんて安いモノだ。

『私、乗りますっ!』

 サキもウイも、即答だった。コーベは天使を礼賛するポーズでアルカを仰いでいる。

「よし、コレで人数は確保できたな。まさか、こんな奥の手まで使うことになろうとは思いもよらなかったが……」

「だって、コーベの『好き』のバーゲンセールだけじゃ何か釣り合わないからね」

「……というよりも、コーベの『好き』は若干信用できない」

 次はコーベがボロクソに叩きのめされる番だった。コレだけでも相当彼の心に来たらしく、いとも容易く打ちひしがれる。

「そ、そんな……そんなこと、言わないで……ふぉげる~」

「おい何か得体の知れない言語を吐き出し始めたぞこのなよなよした生物」

 アルカの突っ込みをもってしても、彼の傷は癒せない。野郎の施しでは満足できないのだろうか。

「ってか。信用できないってどういう事~……?」

「どういう、って訊かれても……」

「……ねぇ?」

 直せない欠点というモノは、概して言葉に出来ないようなモノである。

「ま、何となくは分かるよな……コイツ、今日だけで何回告白したよ?」

「アルカまでそう言うの~……?」

 つい先ほどにわざわざ庇ってやった義理を忘れたのだろうか、と言うよりもむしろ恩を仇で返すのか、彼はコーベの欠点を証明する実験に打って出た。

「なぁコーベ、一つ質問するぞ。……お前、富士見さんのことは『好き』か?」

 アルカでも三人称に『さん』を付けられるんだ、と誰もが感心したのは言うまでもない。ともあれ。

「……ソレ、何の意味があるの?」

「まぁ待てよウイ、結果が全てを物語る。コーベ、どうだ?」

 相手の瞳をじっと見つめる。こうすることで会話から逃げられなくなるという、一種のコミュニケーションスキルだ。そんなことをされたコーベから飛び出た次の言葉は、確かに全てを物語っていた。

「え~っと……うん。富士見さんのことは、『好き』だよ」

 漏れなく戦慄が走った。

 このコーベは、今し方富士見さんのことを『好き』だと言ってのけた。富士見さんとは紛れも無く、あの優しくて誰もが一瞬でメロメロビーム(死語)を受けた状態になってしまうほどの超絶イケメンさんのことである。そしてコーベと性別が同じ、男性なのだ。ところで元来、同性愛者は迫害されてきた。現在でも同性愛を法律により禁じる国家が数多くあり、社会的に認められることは金輪際あり得ないだろう。つまるところ、同性愛を公言するということは社会に抗う覚悟があるということであり、実はこの時点で並の人間よりも人間として数ステージ上の存在になるのだ。迫害どころか、むしろ祀られるべきである。もう一度言うが、このコーベは今し方富士見さんのことを『好き』だと言ってのけた。ということは同性愛を公言したことに値し、彼は人間として数ステージ上の存在となった。コレからは『コーベことなよなよとした草食系男子』では無くて『我らが偉大なる聖王コーベ大神尊』とお呼びせねばならない。ソレほどまでに、大学二年生のコーベくんは人間として言うのに勇気が必要なことを言ってしまった。

「こ、コーベ……アンタそんな趣味があったの?」

「……ボーイズラブ?」

『ってことは~、コーベくんは富士見さんの富士山の火口に自分の登山用ストックを挿したいのかニャ、それともお互いの樹海のお手入れをしている最中にちょっとした手違いで色が何かアレなマグマが噴出してくるのを二人して一緒に楽しみたいのかニャ?』

 いつものごとくイスクがかなり余計なことを口走ったのは言うまでもない。

「さて、コレで証明終了だ。どうもお前らは要らん勘違いをしてるみたいだが、コイツは別に同性愛者なんかじゃ無い。ただ単に『好き』の基準が常人よりも甘々で、お前ら二人も同性の富士見さんと同レベルにしか好きじゃない、ってこった」

「つまり……アルカ、何が言いたいの?」

 ある程度の察しはついているものの、恐る恐るコーベが尋ねる。対して、観測者の宣告は無慈悲なギロチンのごとく彼を襲った。

「お前がどれだけ他人を『好きだ』とか言っても信用ならん、ってのを言いたかったんだよ。どうだ、コレでお前の改善すべき課題は発見できたぞ?」

 結論、今日の告白は『好き』のバーゲンセールでしか無かった。

「うが~……アルカ、どうしてそんなこと言うのさ? まるで瀕死の僕をもう一度いたぶって二度おいしいとか言いたそうな顔で」

「悪かったな、こんな顔で……」

 コーベがノックダウンする寸前、どうやらアルカに一矢報いることが出来たらしい。

 ちょうどそのタイミングで少し長めのサイレンが鳴り響き、各所にあったシェルターの入口が開放された。若い女性の機械音声が安全確認の終了を告げる。ソレによると、突如出現した巨大な物体は軍関係者が処理したとのことだった。

『ぴんぽんぱんぽーんっ!たった今、政府から避ニャん命令の解除が通達されました☆ということは~、もうみんニャお外に出ても大丈夫ってことなのです!』

 イスクがかなりテンションを上げて知らせてきた。本関大学の体育館棟からも、続々と学生や近隣住民が並んで出てくる。あと十分もすれば、大学生協も祭りだと言わんばかりに開店してモノを売り出すだろう。とりあえず避難してきてくれた市民の皆様に、より多くの不良在庫を買っていって欲しいのである。

「ふぅ~……まず、今回は一件落着と言うことで」

「……街を、守れた」

「そうだね。見て、あの人たち。嬉しそうに笑ってる」

 恐らく親子なのだろう、中年女性と女子中学生が抱き合いながらほほ笑みをまき散らしている。一命を取り留めることが出来たのが、とても嬉しいのだろう。

「何かさ……幸せだよね。僕たちが、あの人たちを救えて」

 コーベが呟くと、サキとウイも続いてそう感じた。

「そうね……あの笑顔を見られただけでも、私たちが命張って戦った甲斐はあった」

「……ほっこりしてくる」

 研究室の窓から外を見やり、三人は柔らかく笑った。

「何かいい感じで締めようとしてるところを邪魔するようで悪いけどよ、そこの二人ってコレからは単位のために被害者である無垢な猫ちゃんをロボットに乗って殺処分しまくるんだよな」

 その後、地雷を踏んだアルカの声を聞いた者は居なかった。彼の処分にかかった時間、一秒足らず。

「……そう言えば、甘いモノ」

 ウイが自分の感情を思い出した。他の二人も反応する。

「売店開くのって、この調子だとあと十分くらいよね? だとしたらさ、正門近くの方の食堂に行ってみましょうよ」

「そっか、そっちだとここからちょうど十分だしね。帰って来たら、富士見さんが戻っててコーヒーを淹れてたりしてくれないかな?」

『某有名SNSツールによると、富士見さんはひとまず研究室に寄ってみるつもりらしいニャ!』

「ありがと、イスク。僕たちがここに居るのがばれたら色々と面倒だろうし、裏口の方から出てみよっか」

「おぉっ、コーベにしては名案ね! それじゃウイ、早速行きましょーかっ!」

「……何にしよっかな」

 そんな会話を交えながら、三人は研究室の扉を開けた。コーベの言う『試練の門』から、クエストをクリアして出てきた形になる。それも、仲間を増やして。

 三人の物語は、まだ始まったばかりに過ぎない。

 ウイ、サキ、コーベの三人は、一緒に売店へと歩き出した。


 三人が研究室に帰ってきて最初に見た光景が主に口元を重点的に拘束されたアルカとソレを真に受けてあたふたとしている富士見さんだったことは当然の結果である。


oveR-Ext.


 何時間が経ったのだろうか。少なくとも、もう夜の九時を回っているのは確かである。外は土砂降りで雷も鳴っているというのに、二人は予定を変更せずに顔を合わせていた。

「よぉ、遅れてくるかと思ったんだが」

「そういうの、あんまり好きじゃ無いからね。他人に求めるのであれば、自分もそうしなければ」

 場所は本関大学第二研究棟の屋上。濡れてしまわないように、どちらもレインコートを羽織っていた。

「……そうか。そう言えば、お前はそういう人種だったもんな。それで、今回は――」

「第一回目の評価、でしょう?」

 先に待っていた方が、頷く代わりに薄くにやけた。

「まず、<メックス>の本格的生成の成功、おめでとう」

 待たせていた方が続けて喋る。悪びれた様子は微塵も感じられなかった。

「いや、お前の功績の方がデカいだろう。俺が今回やったのは、例のアレの起動くらいだぞ?」

「それでも、君だって協力してくれた。仮説だって、証明できたしね」

 いまいち喜んでいないのは待っていた方だ。理由を訊いてくる。

「どうかした? <メックス>が暴れて、そして討伐出来たんだ。もっと嬉しそうにしてみたらどう?」

「いや、仮説の根拠とするにはまだ弱い。本来の計画ならば第二段階はあと一ヶ月続けるつもりだったが、もう少し延ばして様子を見てみたい」

「ソレは構わないけど……でも、そうなると余計<メックス>は人間が手を付けられないシロモノにならないかな?」

「元々そのつもりだ。終わらせ方だって、ちゃんと考えている」

「なら、大丈夫。計画の延長をしよう」

 雨だけでは無く、風も強い。この時間が一番激しいのだろうか。いや、コレから更に酷い有様となる。

「……そう言えば、搭乗者は誰になったの?こっちには全く知らせてくれなかったけど」

 待たせた方は、何気ない世間話のつもりで訊いてきた。しかし、返って来た答えは厳しい。

「若狭羽衣に佐浦紗姫、そして神戸咲哉」

 耳をつんざく轟音と共に、雷神様が落っこちてきた。

「え……? ちょっと待って、どうやってその三人にコンタクトを……いや、どうしてその三人なの? だって彼らは――」

 明らかに戸惑っていた。待たされた方は、このようなリアクションを取られるから自分からは言わなかったのに。

「今の俺の知ったことか。最終的にソイツらに決めた、少し前の誰かさんにでも問い合わせろ」

「……全て身内の間で済ませろ、ってこと?」

 自分なりの答えは出せたらしい。

「まぁ、そんな所だろうな。『昔の友人』との縁は、記憶が消えても切れないってこった」

 雨が止む気配は窺えない。ここに長居しては、どちらも風邪を引いてしまう。

「さて、今日はコンディションが悪い。後のことは電話なりメールなりで済ますとして、今日はコレくらいでお開きにでもしよう」

「……うん、そうだね。それじゃあ、また後で」

 待たせた方が踵を返して、東側の階段へと進む。

「あぁ……またな、『タク』」

 タク――待たせた方の後姿を見送りながら、彼は西側の階段を使って降りようとした。

 雨は、まだ降り始めたばかりである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る