第12話「自信と慢心」

 開幕からの7連勝を含む19試合負けなしのリーグ記録を打ち立て、多喜城たきじょうFCは快進撃を続けていた。

 ゴールデンウィークの連戦から引き分けが増えているものの、小学生を無料招待した「Jリーグキッズデー」企画の多喜城スタジアムには、スタジアム建設以来初めて一万人を越える観客が集まる程の盛況ぶりで、数少ないチームグッズの「タオルマフラー」や「ミニフラッグ」は即完売するほどだった。


 同じ頃から、ついに若き天才MF、財満ざいまん 信行のぶゆきも全体練習に合流し、試合に復帰できれば、また連勝街道へ戻れるだろうと言う期待も大きく報道される。

 平日の練習場にも地元ニュース番組の記者やサポーターも数十人押し寄せるようになり、練習場が住宅地の直ぐ側にある多喜城FCの運営は、地元住民のクレーム処理に追われるようになって行く。

 ソシオからボランティアを出してもらい交通整理を行う。住宅地への車の乗り入れ、近隣コンビニ・スーパー等への違法駐車の監視も行う。さらには練習後のファンサービスの一部中止などを実施せざるを得ないような、喜びと悲鳴が同居するような状況が続いていた。


「キヨさん、もう選手たちの疲労はピークに近いですよ。ターンオーバーを実行できるほどの選手も居ないですし、なにか手を打たないと」

 トレーナーの寺島が清川監督に報告に来たのは、そんな慌ただしい状況の中、練習終了から4時間以上も後の夕方だった。

 聞けば、フィジコと2人で手分けして、選手の食事を挟んでマッサージを続け、それでも満足行く施術は行えないで居るという。

 ゴールデンウィークの連戦から2ヶ月、選手の疲労は取りきれないとなって体に刻まれていた。


「しかしな、今練習に休みを増やせば、あいつらの張り詰めてる気持ちが緩んじまう。そうなったらそれこそおしまいだ。一気にガタガタになるぞ」

 選手の疲労については、清川も気にしていた。

 元々コンディションのピークを開幕戦に持っていくという、Jリーグの常識から言えば考えられないプランで望んだシーズンである。シーズン中に一度、コンディションが落ちるのは想定済みではあった。

 練習メニューを組み直し、気が緩まない程度のギリギリの練習量を日々模索する。選手一人一人の体調や精神状態を考慮に入れ、コーチ陣と一丸になって組んだ日替わりの練習メニュー。

 監督とコーチの精神をすり減らして立てたそのメニューが、19戦負けなしと言う記録を作る一因となったのは明らかだった。


 しかしそれも限界に来ている。

 一度緊張をゆるめ、再度終盤の優勝争いのためにコンディションを上げていく、そのタイミングが多喜城FCの命運を握っていると言えた。




 そして迎えたアウェイ第20節、現在3位の鬼怒川デモニーオとの直接対決。シーズン折り返しの大事な試合で、それは起きた。


 後半15分。いつもの様に運動量の落ちた平山に替えて山田が右SHに入り、福石がトップに上がる。

 福石はアリオスの周辺を衛星のように走り回って相手DFをかき回し、山田はラインを切り裂くようなパスをそこに供給した。


 いつもの、勝ちパターン。


 スコアレスではあるものの、流れは悪くない。そんな気の緩みもあったのかもしれない。

 何度目かのアーリークロスが相手ゴール前に上がり、福石もアリオスも同時にそれに反応する。


――ゴツッ


 大音響の応援の中に、不気味に響くその音を清川は聴いた。


 交錯し、まるでスローモーションのように、体が反転した福石は相手DFに引き倒される。倒れる福石の頭にアリオスの膝が直撃した。

 膝を支点に転倒に巻き込まれたアリオスの後頭部に、一緒に倒れこんだ別のDFの肘が落ちる。

 一瞬の静寂の後、主審の笛が何度も吹かれ、試合は止まった。


 連戦で痛み、土が見えている芝の上で脳震盪を起こしていた二人は、この試合、ピッチに戻ることは出来なかった。




 その後、試合はアディショナルタイムの疑惑のPKで、鬼怒川デモニーオの1-0の勝利となる。

 アリオス、福石の負傷退場のシーンで、倒した相手DFにカードが出なかった事、逆にそれに対して抗議した山田、千賀、森尾の3人にイエローカードが提示された事も含めて、この試合は家森いえもり主審の名をとって「家森事件」としてサポーターの記憶に刻まれることになる。

 この事件の後、多喜城の試合に家森主審が登場すると、サポーター席から「イエ無理ー!(家森)」と言う野次が飛ぶのが通例となった。





「アリオスは次節には復帰できます。しかし福石は……右肩の亜脱臼も含めて、全治4週間と言うところでしょう」

 トレーナーの寺島が、書類をめくりながら溜息をつく。

 今回のことは不幸が重なった結果だとはいえ、今のコンディションではいつ怪我をしてもおかしくない。寺島はしつこいほどに清川に繰り返し言っていたのだ。


「今回のアリオスと福石の怪我は俺の責任だ。一度あいつらをリセットさせてやるしかねぇ。まぁ『連続負けなし記録』なんてプレッシャーも解けたことだし、いい頃合いだろう」

 難しい顔をしながら、清川は組んでいた腕を解き、腰に手を当てた。


「もともと、コンディションのピークを開幕に合わせるよう指示したのは俺だ。そのままシーズン最後まで行けるなんて思っちゃいねぇよ。連勝、負けなしと記録が続いてリセットの時期を遅らせてしまったのは俺の甘さだ。なんとか早急に対策を取らねぇとな」

 清川の当初のプランでは、シーズン開始から10戦ほどこなし、大きく勝ち越した所で、疲労がたまる前にリセットをする予定だった。そこで上手くリセットできれば、一時的に勝率は下がるだろうが、夏の折り返しまでにはもう一度コンディションを戻してゆけるはず。

 しかし、連戦連勝、引き分けも挟んだものの負け試合がなく、周りのお祭り騒ぎと選手たちの気合のノリ具合に欲も出た清川は、リセットの指示を出す機会を失ってしまったのだ。


 結果として大きく疲労の溜まった選手が大きな怪我をし、地味ではあるが現在の多喜城FCの戦術のキモとも言える福石を1ヶ月欠くという事態を招いてしまったのは、清川の甘さとしか言えなかった。

 百戦錬磨の清川とは言え、一つの判断ミスが致命傷となる。

 Jリーグとはそんな戦場だった。




 敗戦後の最初の練習。練習場に現れた清川は、珍しく選手と一緒にアップしていた。

 集合の時間になると、既に汗を滴らせている清川がベンチで一休みしながら選手を見回す。

 誰もが昨日の敗戦により一層の気合を喚起されたような顔をしている。清川は一つ深呼吸すると、立ち上がって「よし、今日は走るぞ」とそれだけを告げた。


「俺を追い抜いた奴は罰金な」

 そんなことを笑って話しながら、清川は先頭をゆっくりと走る。その後をぞろぞろと付いて走る選手たちは、皆一様に不満顔だった。


「キヨさん、もうちょっとペースあげようよ。これじゃあアップのほうがいい運動になるよ」

 横についた石元が最初に話しかける。後方では既に飽き始めた高校生2人、森尾と飯田が雑談をはじめていた。


「おうテル。そういえば最近お前の甲高い声、試合中に聞こえねぇな」


「甲高いって……キヨさんひどいなあ」

 石元を中心に、たちまち雑談の和が広がる。笑い声を上げながら30分ほど軽いジョグをした清川は、倒れこむようにベンチに座ると練習の終了を告げた。

 驚く選手たちに普段の練習時間をマッサージに使うように指示を出し、特に石元に「自主練禁止」を強く言いつけると、2時間を予定していた練習はそれだけで終了となった。


 次の日の練習はコーチ陣も交えた4チームでのサッカーバレー。これも30分ほどでおしまいになり、残りはマッサージなどのボディケアに費やされる。

 そしてついに、3日目の練習は急遽取りやめ、監督主催のバーベキュー大会となった。

 この頃には地元新聞にもゆるい練習についての記事が載るようになり、キャプテンの森を含め、数人から不満の声が上がるようになった。


「キヨさん、疲労を抜くための練習だとは分かっていますが、まだシーズン中です。そろそろペースを戻してください」

 清川と一緒に肉を焼く側に回っている森が、真剣な表情でそう直訴した。

 森が練習内容や戦術に異議を唱えることは珍しい。どのような無理難題でも、そこに意味を見出し、自分なりの努力を積み重ねる。練習メニューを考える人たちもプロ、それに対してプロの選手としての意見は言うが、不平不満は言わない。森はそんな選手だった。


 それに対して清川は、黙ったままトングで焼けた肉を皿に盛り、汗を拭く。森を連れて選手たちが待つテーブルに付くと、肉の乗った紙皿を全員に回した。


「……イチ(森)だけじゃなく、練習内容に不満のある奴は多いだろう。だがな、お前らのフィジカルは、本来ならもうシーズンオフを迎えて来年へ向けての調整に入る時期のような状態だ。2~3日軽い練習をした程度じゃあ、また福石やアリオスみたいな怪我人が出る」

 ノンアルコールの缶ビールを開けると、一気にそれを飲み干した清川は全員を見回した。


「お前らはコンディションの問題と一緒に慢心と言う気持ちの問題も抱えている。何連勝かして自信をつけてくれればいいと思ってとったこの作戦が上手く行きすぎた。まぁ勝ちなれてねぇお前らにゃあ仕方ねぇ」

 何人かから異議の声が上がるが、森とバリッチが選手を見回すと、その声はすぐに無くなった。


「19試合負けなし記録とか言っちゃあいるが、実際その記録の最後5試合は全部引き分けだ。前節の負けを含めれば『6試合勝ちなし』ってこった。運良く首位に立っちゃあいるが、14試合負けなしの後の6試合勝ちなし、これが優勝するチームの戦績か?」

 炭のパチパチと爆ぜる音、遠くを飛ぶ飛行機の音だけが聞こえる。

 清川はソーセージを一つ口に放り込んだ。


「お前らが勝てなくなった原因は、運動量の低下と、慢心によるコミュニケーション不足だ。試合中の声出しや、戦術の共有がおろそかになっている。フィジカルはリセットするが、その間に頭を使ってもらうぞ。しばらくは勝ちから離れるかもしれんが……」

 2本目のノンアルコールビールを開けると、清川はニヤリと笑った。


「最終節に頂上てっぺんに居ればいい。そういう事だ」

 高々と持ち上げた銀色の缶が、夏の光を受けて輝く。

 それは選手たちに優勝の大皿マイスターシャーレの銀色の輝きを思い起こさせた。

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