第10話「開幕戦:VS山梨(前半)」

 スタジアム自体が共鳴しているかのような、振動にも似た歓声とチームチャントの中、選手は入場する。

 スタジアムDJが選手一人一人を紹介する度に巻き起こる、声援と個人チャントは選手たちの気持ちを高揚させて行った。


「……そして! 我らが多喜城FCを率いる監督は……清川きよかわぁぁぁ 清彦きよひこぉぉぉぉ!」

 スタジアムDJが監督の名前を叫ぶと、一際大きな歓声が爆発するようにスタジアムを揺るがした。


――キ・ヨ・カ・ワ!(ドドドン)キ・ヨ・カ・ワ!(ドドドン)


 監督コールも大きく鳴り響き、驚いた清川はベンチから飛び出し、サポーター自由席へ向かって手を上げた。


「キヨさん人気あるんですね」


 サポーターからの声援を全身に浴びた清川が、ニヤニヤしながらベンチに座ったのを迎えて、ピッチを見つめていた山田が驚いたようにそう漏らす。


「あぁ、今、多喜城市内だったらお前より人気あるな」


「え? いや、残念ながらそれはあり得ませんよ」

 フフンと鼻を鳴らすと、山田はベンチコートの襟を直してポケットに手を突っ込み、モデルのように足を組み替える。

 はたから見れば少々滑稽にも映るポーズを取りながら、それでも山田は相手チームの選手の動きから目を離さずに居た。



 13時05分。

 主審の笛が鳴り、コイントスでボールを選んだホーム多喜城たきじょうFCがボールを蹴りだす。

 ついに開幕戦の火蓋は切って落とされた。


 各選手は気合を入れて走りだしたが、スタンドから雨のように降り注ぐ声援に、ピッチ上の指示が伝わらない。

 中盤でボールを回していた千賀が、横からボールをかっさらわれ、思わず手で相手を引っ張ってしまった所で、短く主審の笛がなった。

 幸いにもカードは提示されず、注意を受けただけでその場は収まったが、ゴール真正面、距離35m程の位置で相手にFKを与えてしまう。

 スタンドから盛大なため息が聞こえる。声援も大きいが、8千人のため息は、それだけでも選手を萎縮させる力があった。


 初練習試合の悪夢が蘇り、慌てて駆け寄る森に軽く手を上げて目を向けると、千賀は落ち着いて壁の位置に入る。


「イチさん(森)も壁に入って! ノリオ(片端)! 壁何枚?!」

 素早く気持ちを切り替え、守備の指示を送る千賀を見て、森は安堵の表情を浮かべた。

 テクニカルエリアの最前線で立ったまま、それを確認した清川も森と同じく安堵の表情を浮かべた。


 相手のFKをゴール前で大きく跳ね返し、アリオスが頭で横に落としたボールに全速力で守備から駆け戻った福石が追いつく。

 しかし、山梨のディフェンスの戻りも速い。右サイド深い位置で3人に囲まれた福石は、さらにその後ろから上がってきたSB、高校生の森尾にボールを戻した。

 ボールを受けた森尾は、ゴール前に走りこむ平山に相手DFが引っ張られて居るのを見ると、落ち着いて逆サイドへとアーリークロスを放つ。

 ゴールに向かってダイアゴナルに突っ込むアリオスは、まるで翼を持っているかのように宙を舞い、体を寄せる相手GKの腕よりも高い位置から、叩きつけるように頭でゴールへと叩き込んだ。


 前半13分、先制。


 新生多喜城FCの記念すべき公式戦初ゴールは、ブラジル人ストライカー・アリオスの名を全国に広めるJ3第1節のベストゴールとして記録されることになった。


 山梨のルイス・ゴンザレス監督が、テクニカルエリアギリギリまで出て大声で指示を出しているのが清川からもよく見えた。

 山梨ボールで試合が再開される。このたったワンプレイで山梨の監督は大きくディフェンスの形を変えてきた。

 開幕戦、どちらのチームも相手選手の情報は少ない。そんな時に臨機応変な対応が出来る監督は手強いものだ。

 清川は気を引き締めて相手チームの状況を確認する。

 山梨の監督の指示により、センターバックとボランチが2人でアリオスのマークに付くようにフォーメーションが変わっているようだった。


 不意打ちのようなゴールで先制点を奪ったものの、山梨のプレスは速い。2枚のディフェンスを付けられたアリオスも、上手くサイドに流れてボールをはたくが、それをゴールへ運ぶ選手との距離感が上手く作れずに居た。


 前半32分、なかなか攻め込めない状況に業を煮やした森尾が、千賀とのパス交換から前線まで一気に持ち上がる。タッチラインギリギリで相手DFに倒されるが、判定は山梨ボールのスローイン。ボールを抱えて立ち上がった森尾の肩がぶつかり、相手が顔を抑えて倒れた所で主審の笛が細かく何度も鳴った。


 倒されたことに対する報復行動ととられたそのプレーに、主審はイエローカードを提示する。


「何でだよ!」

 語気荒く詰め寄ろうとする森尾を、慌てて福石と森が抑えこんだ。

 報復行動で1枚イエローカードが出ているのだ、ここで主審に対する意義申し立てでもう一枚イエローを貰うようなことがあれば、退場処分となる。

 前半のこの時間で10人対11人の状況になるのは、どうしても避けなければならなかった。


 森に背中を押されやっと落ち着きを取り戻した森尾が定位置まで戻る。

 すれ違いざまにその肩を千賀がポンと叩いた。


「ユースケ(森尾)、お前もプロになるんなら、借りはプレーで返せよ」


 千賀のこの言葉を聞いた森尾は「はいっ」と気合の入った返事を返してポジションへ走る。

 それを見た森は千賀の成長に目頭を熱くし、福石は我慢できずに吹き出した。



 前半終了間際、石元の強力なミドルシュートがGKのグローブを吹き飛ばし、ポストをかすめて客席最上段まで飛ぶ。

 その威力にスタンド全体がざわつく中、前半最後のプレーになるであろうコーナーキックに、石元自身がボールをセットした。


 石元のセットプレーの正確さは、代表の試合でも、何度も繰り返された練習試合でも、サポーターに知れ渡っていた。

 ゴールの期待に「レッツゴー多喜城」コールの音量も2~3段階一気に上がる。

 石元は4歩下がると手を上げ、フッと強く息を吐きそのままニアに鋭いボールを蹴りこんだ。


 急激に落ち込んだ膝ほどの高さのボールに平山が頭から飛び込む。GKとDFに押しつぶされた平山は、それでもなんとかボールに触り、ふわりと空中高く逸らす事に成功した。

 まるでそこだけ時間がゆっくりと流れているかのように、空中に居たのは、またもアリオス。

 競り合いに来た相手DFの頭は、アリオスの胸の高さまでしか届いていない。

 空中で体を弓のように反らすと、力のこもったボールをゴールに叩き込んだ。


「ゴォォォォォォーーーーール!!!」

 スタジアムDJの絶叫にも近いコール。

 湧き上がる歓声。


 アリオスは雄叫びを上げ、石元と抱き合った。


 アリオスの2点目が電光掲示板に表示されるのと同時に、前半終了の笛が鳴った。



 ハーフタイムのロッカールームで、2-0と言う結果を残して戻って来た選手を迎えた清川監督は、何故か不機嫌そうだった。

 盛り上がっている選手たちに向かって腕を組んだまま溜息をつく。


「……テル(石元)、お前、最後のCKなんでショートコーナーにしなかった?」

 いつもより一段階低い声で唸るようにそう言った監督は石元を睨みつけた。

 得点を奪ったあのシーンに注意を受けるとは思っていなかった石元は、どう答えていいか分からずに口ごもる。


「前半を1-0で終わるのと1-1で終わるのが雲泥の差なのは分かるな? あの時間帯のCKは、カウンターを受ける危険性を考慮してショートコーナーから時間を使うのがセオリーだ」


「でも、点とったよ? 1-0と2-0じゃあ雲泥の――」

「結果論では話してねぇよ」


 ぴしゃりと話を切る清川の剣幕に、盛り上がっていたロッカールームが静まり返った。


「お前らはJ3で優勝するんだ。だから、ただ勝つだけじゃダメなんだ。一分の隙もない、ラッキーがあっても勝てない強靭なチームだと、全てのチームに思い知らせなきゃならん。そのためには、あそこは確実に1-0で終わるべきだった。分かるか?」


 まだ全員が納得したわけではない中で、何人かは頷いた。


「そういう意味で、バリッチ、お前もあのCKでは守備に残るべきだった。お前の身長は確かにセットプレーの強力な武器だ、だが使い所を間違うな」


「はい。すみませんでした」


 バリッチが頭を下げる。あのCKで一緒に前線まで上がっていた山市も一緒に頭を下げた。


「森尾は後半下げるぞ。だがプレーが悪かった訳じゃねぇ、カード貰っちまったからな、退場になる危険を考えてのことだ。よくやった。代わりは飯田だ、おもいっきり行け」


 厳しい表情のままそこまで話した清川は、我慢しきれずにクックッと笑い声を上げる。


「……しかしお前ら2-0たぁよくやった! あのスタンドの雰囲気見たら、点を取りに行きたくなるのも分かるぜ」


「でしょ?」

 即座に石元が笑顔を見せる。静まり返っていたロッカールームに笑い声が響き渡り、またチームに勢いが戻った。


 その他の細々とした指示を終え、清川はスパイクの紐を締め直している山田に近寄る。


「どうだ? 山梨の全部を理解出来たか?」


「当然です。いつでも行けますよ」

 片目だけ清川に向けて山田は落ち着いて答える。清川は「オッケーオッケー」と肩を叩いたが、交代は告げなかった。


「よしお前ら! 派手に決めてこい!」

 大きな声を合わせて気合を入れた選手たちは、後半へ向けて早くもチームコールが響き渡るピッチへと向かっていった。

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