尻ぐらい使わせてやれ、と彼女は言った

 「わははは! そんなことでガタガタ言うな! 尻ぐらい使わせてやれ」

 ミフネはそう笑い飛ばす。

 おれは彼女にいくらか苦情めいたことを言ってみたのである。小脇にかかえられて城内を移動している今の状況は、この土地におけるおれの立場について話しあう最後のチャンスなのかもしれなかった。

 しかし、おれのクレームは一蹴された。

 「なあに、減るもんじゃない。増えもしないが」

 「量の問題じゃありません」

 「そうやって大人になっていくんだ」

 ミフネは快活に言い切る。

 「大したことじゃないさ。みんなやってる」

 もちろん尻の話題である。

 ダークエルフの名誉のために言っておけば、彼らが異常とかではない。

 彼らの風習は、人間にもありえなくはないものだ。人間にもいろいろな価値観や風習が存在する。成人の儀式として尻に年長者のちんちんを入れる部族も存在するし、成人の儀式として年長者の出したやつを飲む部族もあるという。コンビニにあった本で読んだ。

 文化の違いである。

 しかし今のところ、おれは自分の尻については保守的な立場をとり続けたい。

 そう思っている。

 おれは自分の尻については強硬な態度でいどむ。

 受け入れ拒否である。

 「肛門性交は断固拒否します!」

 「わはは、そんなんではいつまでも一人前の」 

 「認められなくていいです!」

 「やれやれ、困った子だ」

 ミフネはまるで意に介さない。

 彼女は慣れっこといった様子で、おれの頭をぽんぽんする。

 「まあ、マリッジブルーというのもな、若いとありがちだからな」

 「大人になんかなりたくない!」

 おれは手足をばたつかせてもがく。

 「ははは、こそばゆい」

 おれの抵抗はほとんど意味がない。薬を盛られて力が入らない。でもそうでなくても大して変わるまい。はいはい、もうわかってますよ。この世界では人間はとても非力なモヤシ種族なのである。

 おれはただ回転ずしの皿のように、流れに身をまかせるしかないのだ。

 精神的な救いになってくれそうなものは、彼女の横ちちぐらいなものである。

 しかしこの乳に気を引かれたせいでこんな状況に陥っているのだから、そういう意味ではすべて乳が悪いという言い方もできなくなかった。心を救ってくれるものと破滅へ誘うものが同じだということは、よくある。

 そんなおれとミフネの前に、小さな影が立ちふさがった。



 「やあクムクム、なんか久しぶりだね……」

 おれはクムクムに小さく手を振る。

 クムクムはミフネの行く手をふさぐようにして、彼女を睨みつけていた。なぜか使用人のウィルがクムクムの足にしがみついて引きずられていた。

 「無事か?」

 「あんまり無事じゃないかな……」

 「なるほど」

 クムクムはとくにおどろく風でもなく、ただため息をついた。

 「生きててよかった」

 「も、申し訳ありません。このコボルトが……」

 ウィルはクムクムの足にしがみつきながら、ミフネに謝る。

 「ぼくの力では止めることかないませんで」

 「話は同胞とこいつから聞かせてもらったぞ」

 クムクムはミフネをびしっと指さす。

 「おまえたちダークエルフの乱交文化を異種族に押しつけ、あまつさえ暴……」

 「乱交文化とはなんだ乱交とは!」

 クムクムが言い終わる前にミフネがキレた。

 「複婚制度ポリガミー複婚制度ポリガミー!」

 「いっしょだろうが!」

 「違うのだ!」

 「そうです、ちがいますよ!」

 ウィルが立ちあがって、服についたほこりを払う。

 「単に家長女性が複数の夫を持つだけです、乱交じゃないのです」

 「でも男同士も普通に寝るんだろう」

 「それになにか問題が?」

 ウィルは小首をかしげる。

 「みんな仲良くなのです」

 「女同士でも」

 「戦場でのそういうのは別腹です」

 ウィルはちっちっと指を立てる。

 「制度化された同性愛は軍事国家で発達するものです。文化です」

 「だいたい、一妻多夫制と言いつつ、嫁さんも普通にいるだろう、ミフネ」

 「ええ、奥様方も……何か問題が?」

 ウィルは両手のひらを上にむけてみせる。

 「伝統的に一妻多夫制でしたが、戦争の終結により女性死亡率が激減したので、皇帝の勅令により公妾制度がみとめられ、事実上の多夫多妻制に移行しました。野蛮なコボルトにはわからないでしょうが、われわれの制度がいちばん先進的であり」

 「そうだ、その通りだ」

 ミフネは深くうなずいた。

 「ダークエルフの結婚制度を愚弄するなッ! 一妻多夫制や多妻多夫制のなにが悪い! 一夫一妻制のほうが正しいという根拠でもあるのかーッ!」

 「うううう……」

 クムクムは言葉につまる。

 二対一だとクムクムも不利なようだ。文化の押し付けあいは多数派が有利である。

 「どうかと思うんだよなぁ……」

 「そんな風に感覚で批判されましても」

 やれやれといった感じでウィルが首をふる。

 「家のみんなで仲良くしましょうと、だから、家の一族郎党なるべく結束を強め、この異世界人のだんな様にも精一杯のハダカのつきあいをですね」

 「いや、そのりくつはおかしい……」

 疲れた顔のクムクムさん。

 「私は夫たちと妾たちそのほか愛人全員、わけへだてなく愛しているぞ」

 キリッとした顔で親指を立てるミフネさん。

 ウィルがぱちぱちと拍手する。

 おれとクムクムは無言であった。しばしの沈黙。



 「なんだなんだ」

 「ケンカか?」

 コボルトたちがぞろぞろと集まってきた。

 おれの召喚に応じ、反乱のために集まったコボルトたちであったが、とくに戦うほどのこともないという感じだったようで、だいぶテンションは落ちていた。

 「なんだよ。痴話ゲンカじゃないか」

 「ダークエルフと異種族の痴話ゲンカだ」

 「あー、このへんだとよくあるやつだ」

 「あの耳の丸い男が、ダークエルフのオスにちんちん入れられただけか」

 「ただのオス同士のマウンティングだ」

 「虐殺とかじゃないのか。よかったよかった」

 「よかったよかった。虐待されたコボルトはいなかったんだ」

 コボルトたちの雰囲気はいっそうなごやかなものになった。さっきまでカベを壊したり言い争ったり食い物をぬすみ食いしていたコボルトたちは、非常にまろやかな笑顔で笑い合っている。

 「あーもう……同族ながらこいつらは本当に」

 クムクムはのんきなコボルトたちに苛立っているようすだった。

 「おまえなーっ! おまえだよおまえ!」

 彼女はなぜかその怒りをおれに向ける。

 「自己主張をしろよ自己主張をー! 甘えてんじゃないぞー!」

 「な、なぜおれに怒るんですか」

 「おまえは押しが弱すぎるんだよ! ここの世界の住人は、みんな異種族どうしで対立してるから押しが強いんだ。ひかえめに言っても通じないんだよ!」

 「うっ」

 「そんなんだから尻にちんちんを入れられるんだよ!」

 「入れられてませんよ! ギリギリセーフで」

 「なんでもいいよ!」

 クムクムは顔を赤くしてどなる。

 「言いたいことは言えってことだよ」

 クムクムは腕組みして、足の先をぱたぱた動かす。

 「ほれ、どうなんだ。おまえはどうしたいんだ」

 「……クムクムさん」

 「なんだ? いいたいことがあるのか」

 「あー、その、なんだ」

 「早く言え」

 「………………会いたかった」

 「えっ」

 クムクムはのけぞったまま固まる。

 「ありがとう。来てくれて」

 「お、おうよ」

 「おれを連れて……逃げて……くんない?」

 ほかに言いようがなかった。ほかのコボルトたちがクムクムの後ろで大笑いしている。何がそんなに面白いのかわからないが、非常に居たたまれない気分であった。

 クムクムがやじ馬にキレる。

 「おまえらうるさい! だまれ!」

 それからおれにキレる。

 「なんだそれは! お姫さまかお前は!」

 とにかくキレるクムクムさん。

 「姫か! 姫なのかッ!」

 「今だけそう思ってみないか」

 「思えんわ! ……本当に世話がやけるやつだなあ」

 クムクムは頭を横にふったあと、縦にふる。

 「まあええわ……。はいはい、おまえお姫様だよ。そういうことな。普通に助けてくれとか言えないのか? なにをわけのわからないことを言いだしてるんだ」

 クムクムは大きくため息をつく。耳がちょっと赤い。

 「ミフネ、悪いがそいつを離してもらおうか、さもないと」

 「どうするのだ?」

 「たおす」

 クムクムは拳を突きつけて、にいっと笑うのだった。



 「倒す? この私をか!」

 ミフネは大笑いした。

 「なめられたものだな! 武器などいらん、おたがい素手でやろう」

 「いいとも」

 ミフネは片手で拳闘じみた構えをしてみせる。クムクムはにやっと笑う。

 「ウィル、持っていろ。手出しは無用だ」

 ミフネはおれをぽいっと投げる。

 おれは石の床に叩きつけられるかと身をすくめたが、ウィルがうまく受け止めてくれた。お姫さま抱っこの状態である。もうなんでもいい。

 「いやあ、さすが、引く手あまたですね」

 ウィルはおれににこにこ言う。イヤミなのかお世辞なのか本心なのかわからない。

 彼はミフネから離れ、やじ馬コボルトたちに合流した。

 「どっち勝つかな? どっち勝つかな?」

 「あれ、ここの領主じゃん?」

 「あの姉ちゃん、なんで怒ってるの」

 「あれ、なんだこの兄ちゃん。耳が丸い」

 「めずらしい」

 コボルトたちはわいわい盛りあがっているが、手を出すつもりはないようだ。

 「まあまあ、これでも食おうか」

 料理長とよばれていたコックらしきコボルトが、どこからか袋詰めのナッツやドライフルーツを持ってきた。

 「わーい」

 彼らは、バケツリレーのようなやりかたでそれらの食い物をまわりのコボルトにくばり始めた。とてもその場でぐうぜん集まったとは思えないほどに、みな協力していた。おれとウィルのところにも食い物が来た。彼らはとても平等に食べ物を分配する。


 のちに知ったことだが、コボルトの反乱にはふたつの側面がある。

 笛の音でコボルトが招集されたばあい、それが殺人のような重大な事件だったならば、彼らはそのまま危険きわまりない暴徒と化す。直情的で怪力のコボルトは、集団になるとエルフでも手がつけられない。

 しかし、招集されたものの大したことがなかった場合もよくあるという。そういうときは、彼らの集会は一種のレジャーと化す。彼らは反乱の招集を口実としてそろって仕事をさぼる。断固としてさぼる。都市の生産活動は半日から数日のあいだ停止する。

 強制労働などさせたら暴動の引き金になるから、ほとんどの場合エルフは引き下がることになる。内戦になるかええじゃないか騒動で終わるのかはエルフの態度しだい、というわけだ。

 支配種族であるエルフに抵抗するためのこの風習は、ようするにコボルトたちの祭りの一種なのであった。

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