異世界召喚はボランティアではない
「……たのむから、ちんちんだけは切らないであげてください」
おれはエコー先生に言った。
「大切なものなんです」
「同意がなければ手術しない」
エコー先生は気絶したシンを抱きあげる。
「いちおう、提案だけはするつもりだ」
「やめてくださいよ!」
「とにかく。彼の治療はまかせておきたまえ。ぼくは何も食べられないから、食事は君たちだけで楽しんできたまえ」
「くれぐれも切らないでくださいね!」
おれは念を押した。
「わかってるよ。彼の意識が戻ったら、市場で電池の材料を探すことにする」
「そ、そうですね。きっと見つかりますよ」
「理想的には、発電機を作りたいところだな……レーザーメスはかなり電力を消費するからね」
「切らないでくださいね!」
「大丈夫、切らないよ……検査はするけど」
エコー先生は抱きあげたシンをじっと見る。
「……まず服をゆるめないとな」
「だ、大丈夫なのか? 先生」
クムクムが言う。
「さいきんちょっとおか……」
「なに?」
「い、いや、疲れてないか? 気疲れとか」
「ぼくにそんなものはないよ」
先生はじろりとクムクムを睨んだ。
「ぼくに精神的なストレスなんてものはない」
「わ、悪かった。と、とにかく、シンを」
「別に彼に変なことはしないよ。たぶんしないと思う」
エコー先生は、気絶したシンの顔をじーっと見ている。
「しないんじゃないかな……」
先生は雑踏の中に消えていった。
おれたちは顔を見合わせる。
「エコー先生……あんなだったっけ?」
「……いや、違う。前はもっと、本当に機械みたいだった」
クムクムはおれの腹をつつく。
「おまえに会ってから、一気におかしくなった」
「おれのせいなの」
「まあ、話しながらお茶でもしよう。金はあるし」
クムクムはそう言っておれを茶店まで引っぱっていった。
ダークエルフの茶店は、おれが知っている喫茶店とはだいぶ違った。
派手なじゅうたんがしかれ、客席はソファ、座ってみると身体がずぶずぶクッションに沈む。そこに座って菓子やらなんやら好きなものを頼む。お茶のおかわりはいくらでも無料で出てくる。
高級な店らしく、他の客はみんな身なりがよかった。
客たちはみな水タバコをふかしたりボードゲームのようなことをしてくつろいでいた。コーヒーを飲んでさっさと出ていくような客はいない。
「エコー先生、大丈夫かな」
「だ、大丈夫だろ。たぶん切らんだろ」
クムクムはドライフルーツのケーキをかじりながら言う。
「いちおう、理性は残ってるようだし」
彼女はケーキをほおばり、お茶を飲み干して満足げな表情をする。
お茶には、バラみたいな植物の花びらが入っていた。
おれも彼女と同じものを食べている。
大量のナッツやドライフルーツを小麦粉で固めて焼いたものに、ココナッツミルクと、熔けたバターらしきものがびちゃびちゃにかかったケーキだ。
ダイエット? なにそれ? なメニューであった。
ケーキはうまかった。とにかく容赦なく甘いが、疲れた身体にはしみる。ダイエットの概念はもとの世界に置いてきたと思うことにしよう。
「さっきの話だけど……エコー先生、おれのせいで変になったの?」
「そうは言わんが、最近とみに変なのは間違いない」
「おれに会ってから?」
「時期でいうとそのぐらいだ」
「おれ、何も変なことはしてないけどな」
そう口に出してから、自信がなくなる。
「いや……変なことはした。というか、されたけど……でも別に」
「あの機械の中には、意識の代わりをするための……ええと、クォンタムプロセッサ……だっけか、そういう石みたいなのが入ってるらしい」
クムクムはフォークでおれを指す。
「おまえわかるか?」
「わかんない」
「それの……マクロレベルの不確定性? とかいうのが上がったとか言ってたはずだ。おまえわかるか」
「わかんない」
「わからんならしょうがないな。ああ、心配だなあ」
クムクムがクッキーを手にする。
「心配だなあ、このクッキーうまいな。心配だな」
「心配だね。ああ、これうまいね。心配だね」
ナッツをねりこんだ緑色のクッキーを二人でほおばる。ピスタチオの味がした。
もう驚かないが、ピスタチオ?
ここは本当に異世界か?
「なんでピスタチオがこの世界にあるとおかしいんだ?」
クムクムは首をかしげる。
ケーキをあらかた平らげたころ、山盛りのクッキーが運ばれてきた。
「お気に召したようで何よりでございます」
ウェイターがそう言いながら、銀の皿に盛られた果物やパンを次々運んでくる。
お茶も何種類もあるようで、おれの分だけでカップが五つ用意された。
「足りないものは何なりとおっしゃってください」
ウェイターはそう言いながら、おれたちのテーブルの給仕だけをずっとしている。どうも、おれたち専属ということらしい。
きれいな顔だちをしたダークエルフの男の子であった。清潔な衣装を着て、うっすら化粧もしているっぽかった。
彼はお茶をついだりお菓子を補給するときも、こちらの会話の途切れ目を見計らって動いた。おれなんかよりずっと気が使えるようであった。
おれもこのぐらい目端が利いたら、もとの世界で成功したかもしれないな、とふと思わずにはいられなかった。
「わはは、たまにはこういうのもいいな」
クムクムは非常に満足そうだった。
「気に入っていただけてなによりです。今日はよい日です」
少年が応じた。
「わはは、であるな」
彼女が店主に金貨を見せて「五枚までここで使ってもいい」と言ったら、速攻でこうなったのであった。
異世界でも、カネの力はすごい。
口止め料とはいえ、アイシャもこんな大金を投げてよこすなんて、たいそうなものである。
あいつ、何者だったんだ?
「アイシャはありゃ、もとは盗賊だ」
「やっぱ犯罪者なんだ……」
クムクムはそこで少し黙った。
彼女はウェイターを手招きし、買い物をいいつけた。
彼はうなずいて立ち去る。
「あまり人に聞かせたくないからな…………」
「な、なるほど」
「アイシャはもと、盗賊団の首領だな。わたしが生まれる前だが。ハイエルフの貴族ねらいが専門で、盗んだものを別の種族に横流ししていた」
「うわ……学者だっていってなかったっけ」
「捕まった後、転職したんだ。ふつうなら縛り首なんだがな」
「死刑だったのが無罪ってこと?」
「何か取引したのは間違いないな」
「うーん」
「とにかくあいつは学者として再スタートした。あいつの賢かったところは、なるべく味方を作るように立ち回ったところだな。ほら、おまえがこの世界についたところに、ウッドエルフの兵士がいただろ」
「いたね」
「あいつらが、ぜんぶアイシャの兄弟分や手下だ。あいつら全員もと盗賊だ」
「マジで!」
「足を洗った盗賊は、だいたい昔の仲間に殺されるからな。そうならないよう、身内の犯罪歴を消し、仕事をあっせんしてやったんだ」
クムクムはそう言いながら、冷めてきた紅茶に砂糖をどばどば入れている。
「あいつは、異世界から手に入れた知識を使って、論文を書きまくり、ウッドエルフで初めて正式な学者になった。おまえのいた世界の学問のほうがずっと洗練されているのはたしかだからな」
「なんか……ずるくない?」
「そうかな? そうかもしれん」
クムクムは紅茶をぐびぐび飲む。
「まあでも、そういうてやるな。異世界の知識でも使わないかぎり、ハイエルフどもで固まった学問の世界でウッドエルフが……」
カップの底に砂糖が溶けきれずに残っていた。
「……まあいい。なんにせよ。あいつは盗賊としては完全に道を究めてるが、学者にはまだなったばかりだな」
「盗賊レベル99から、学者レベル1に転職みたいな」
「みょうな言い方をするやつだな。でもまあ、そんなところだ。やつなりに思うところや、やりたいことがあってそうしたんだろう。なんの目的もなければ、異世界になんかふつう関わらない」
「クムクムは、なにかやりたいことがあって召喚士になったの?」
「もちろん」
クムクムは残った砂糖を飲んで、妙に含みのある顔でにっと笑う。
「……つぎ会ったら教えてやるよ。会えたらな」
「なあ……おまえはいま、満足か?」
お互い食べるペースが遅くなってきたあたりで、クムクムが言った。
「満腹だよ」
「そうじゃなくて……この世界にきてからのこと」
「正直……」
おれはクムクムを見る。
「前の世界よりずっといいな。きたかいがあったよ」
おれはそう言った。本心である。
「いろいろひどい目にもあったが。おいしいこともいろいろあったしな」
「きたかいがあったか……」
クムクムはほおづえをついて、おれの顔をじっと見た。
「わたしが召喚した異世界人の中で、そう言ったのはおまえが初めてだ」
「そうなのか? 意外だな」
「わたしは、心のある生きものを本人の同意なしに召喚することはしない。おまえみたいに、来たいといったやつだけをこの世界に呼んだ。そういうルールだ」
クムクムははあ、とため息を吐いた。
「いろいろなやつがいたよ。でも、だいたいのやつにとって、異世界に来たことは、けっきょく幸せじゃなかったみたいだったな」
「ふーん」
「おまえは、珍しいやつだ」
「なんで?」
「たいていの異世界人は『この世界のやり方はまちがってるから変えてやる』って思ってるか『この世界を自分の思い通りにして得しよう』って思ってるか、どっちかなんだ」
クムクムはソファに身体をしずめる。
「……そんなやつが敵に襲われていたら、命がけで戦って助けてやろうなんて思うか? ないな」
おれは黙っていた。
「ウッドエルフが秘密の薬を分けてやろうとか思うか? ないな。アイシャが異世界人にハオマを与えたのは初めてだよ。彼女が言っていたとおり、あれはあいつらにとっては神聖なものだ」
まあ、おまえにとっては迷惑だったかもしれないが、とクムクムはつけ加えた。
「ダークエルフが貴重な水を分けてやろうと思うか? ないな。あいつらがあんなに鷹揚に水を分け与えるなんて、めったにない。あいつらがどれだけ飲み水を得るのに苦労することか」
「……」
「おまえはバカだし贅沢だし、文句ばかりたれるが、わたしたちに自分のやり方を押しつけるのはしなかったからだと思うよ」
クムクムはそこでちょっと目を細める。
「……わたしのパンツのこと以外はだが」
「ま、まだ怒ってるか」
「いや、許すよ……気にしてたのか」
「た、多少は」
「……よろしい」
クムクムはがばと身を起こし、テーブルに手をつく。
それからあたりを見回し、声をおさえた。
「そんなわけでだ。おまえにこれをやる」
クムクムはおれの手をつかみ、何かをおれの指にはめこむ。
それは指輪だった。
「コボルトの最終兵器だ」
おれの指にはめ込まれたその指輪は、かざりの部分が妙に大きかった。
黒い石と銀を細かく切って組み合わせたような細工ものだった。寄せ木細工に似ていた。はめると、指の第二関節からつけ根まで覆われる大きさだ。
「それはな、笛になってる」
クムクムは指輪のはじを指さす。
目をこらしてよく見ると、たしかに穴が開いている。穴は黒と銀の組み合わせで巧妙に隠されていて、穴があることすら見えないように工夫されていた。
「ふーん。笛……」
おれは指輪に口を近づける。
「やめろ吹くな!」
クムクムが慌てておれを止める。
「本当に大変な事になるんだよ!」
「わ、わかった」
「それを身につけていろ。その指輪ぐらいなら、ダークエルフの城や要塞にも持ち込めるはずだ」
「う、うん」
「ダークエルフでは男が着飾るのはごくふつうだ。誰も怪しまん」
「わ、わかった。でもこれって……」
「本当に危なくなったら吹け。なるべく強く、何度もな。遊びではすまないことになるから、試しに吹こうとかは絶対に思うなよ」
「吹いたらどうなるの?」
クムクムは何も言わず。ただ首を振る。
「……言えない?」
「知ることによっておまえの危険は増す」
そう言って彼女はまた首を振る。
「コボルトはどこにでもいて、どこででも働いてる。それだけ知っておけ。コボルトでないものがその指輪をするのはおまえが初めてだ、それだけ知っておけ」
「わ、わかった」
「エルフにそれについて何か聞かれたら、ただの装飾品だと言え。その笛の音は、エルフには聞こえない。おまえにもたぶん聞こえないだろう」
「お、おう」
「コボルトにそれについて聞かれたら……何も言わず、黙ってただ首を振れ。何も知らないって顔でただ首を振れ。それでおまえは必要なことは全部知ってることになる」
クムクムはおれの肩に手を回す。
「……生き残れよ」
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