第二章 異世界ハーレムは茨の道である

ファンタジー世界ドラッグ紀行 ダメ! ゼッタイ!

 「うー……ううう……」

 おれは仲間たちと馬車に揺られていた。

 おれたちが乗っているのは、四頭立ての大きな馬車だった。

 それはミフネが用立ててくれたもので、鉄で補強された荷台と、がんじょうな布が張られたほろがついている。運転席にあたる部分にも矢を防ぐための胸壁が据え付けられている。もともとは軍事用の補給馬車だったという。

 「うー」

 目指しているのはダークエルフたちの帝国だ。

 ダークエルフ帝国は、この土地で最大の軍事国家なのだという。そこでは女たちはほとんどが軍人となり、みなやけに露出度の多いアーマーを着ているという。むちむち巨女パラダイスだという。

 「うううう……」

 馬車から外をみれば、目の前に広がるのは巨大な荒野だ。

 赤い岩と、乾いてひび割れた赤土、雲のほとんどない真っ青な空。生きものの気配はほとんどない。ところどころ、針の山のような植物がまばらに生えているのと、赤土の中に、にごった色の丸っこい植物が埋まっているぐらいである。

 おれの本来いたところではまず見られなかった風景であった。遠くを見れば、地平線を境に、空の青と、大地の赤にはっきりと分かれている。空気はとても乾いていた。大陸の内陸部というのは、こんなにも空気が乾くのか。

 ダークエルフの帝国は、この荒野のむこうにあるという。

 いったいどんなところであろうか。

 それはそうと。

 「ううー、うー」

 「おいおい、おまえ大丈夫か」

 「ううう、気分が……」

 おれは酔っていた。車酔いである。

 「吐くか?」

 クムクムがおれの背中をさすってくれる。

 「むりにがまんすると逆によくないぞ」

 彼女がおれにいちばん親切にしてくれるのだった。おれをこの世界に召喚した責任があるからだ、と本人は言っているが、たんに面倒見がいいのだと思う。

 「ダメですよ、吐いたら、もったいない」

 アイシャはけらけら笑う。

 彼女はあまりおれを心配してくれない。わりと突き放すような態度である。しかし、おれが腹を壊さないように湯冷ましを作ってくれたりもした。

 「もったいないです! 食い物が!」

 「……もう吐くものないよ」

 おれは力なく答える。「胃がカラだ」

 「その状態で吐き気があるというのはあまりよろしくないね」

 エコー先生がおだやかな口調で言う。

 「胃がカラでも吐くものはあるよ。胃液を吐くときもあるし……あ、もし赤や黄色や緑色のものを吐いたら教えてくれ」

 彼は医者である。正確に言うと、医療用のマシーンである。

 「そ、そんなカラフルなゲロ吐きませんよ、絵の具じゃあるまいし」

 「嘔吐物が赤い場合、出血している。胆汁を吐いた場合、黄色や緑になるよ」

 エコー先生はにこにこ笑って言う。

 彼はとても善良な性格なのだが、人造人間であるという彼の特性か、それとも医療関係者という立場によるものか、しばしば繊細さに欠ける。

 「そんな涼しげな顔で胆汁とか言わないでくださいよ」

 「とにかく、まだ吐くものはある」

 彼は外見上はとても美しい。ちょっと現実味のないほどの、透き通るような銀髪の少年である。彼の説明によれば。統計的に人類がもっとも好感を抱くような顔に造られているという。

 


 「あ、そうだ、次の彼のゲロが何色か賭けませんか?」

 アイシャがおれを指さして言う。

 「おまえなー! もうちょっと優しくしてやれよ!」

 クムクムがおれをかばってくれる。

 「ああ、ありがとうクムクムさん! おれに優しいのはきみだけだ」

 「うむ、感謝しろよ」

 「ひざまくらしてくれ」

 「……やだ」

 「だめ?」

 「アイシャに頼め」

 「絶対いやです。エコー先生、彼にひざまくらを」

 「べつにいいけど……」

 そう言いつつ、エコー先生はおれの横に座る

 「治療効果があるとは思えないんだけどな」

 おれはお言葉に甘えて、エコー先生のひざに頭をのせる。

 冷たくて、硬い。

 「そりゃ、機械の上に人工皮膚があるだけだからね、ぼくの脚は」

 エコー先生がおれの顔を見おろしながら言う。

 「ふむ、耳が汚いな」

 彼はおれの耳をひっぱってのぞきこむ。

 「な、なんか背徳的な気分になるんですが」

 「それは君の内面にそういう要素があるからだ」

 「先生は何も感じませんか……?」

 「きみの耳が汚い」

 エコー先生はハンカチのようなものをとりだし、それにアルコールをつけて、おれの耳をぐりぐりと拭き始める。

 「あふう」

 「もういい! やめろやめろ!」

 クムクムが何か腹を立てたように言い、おれの腕をつかんで起こす。

 「痛い! 痛いです」

 「うるさい! 人が心配しとるというのに!」

 アイシャがゲラゲラ笑う。

 「まったく、緑色のゲロでも吐いてればいいんですよ」



 「面白いな、お前らは」

 ミフネがおれたちを見て笑う。

 彼女は馬車の前方にすえつけられた大きな荷箱のうえに座り、楽しげにおれたちを見ていた。ダークエルフの彼女がおれをまねいてくれたので、俺たちはダークエルフの国に向かっているのだ。

 ミフネはダークエルフの軍人の中でも、それなりの地位だという。そして彼女は、夫となるべき相手を探していると言っている。異種族でもいいという。

 こ、これは。

 ……ついに!

 「なにがついになんだ?」

 ミフネがおれの顔をのぞきこむ。

 「目標地点はまだ先だぞ」

 「あ、いや、別に」

 彼女はけっこう、いやそうとう露出度の高い鎧を着ている。いわゆるビキニアーマーである。なんでこんな防具なのかはさておき、単純に、目の前に座られると目のやり場になかなか困る。

 「見てると退屈がなくていい、なあ、ナジェ」

 ミフネは馬車の御者に話しかける。

 「よその種族も横で見ているとおもしろいものだ」

 「は、左様でしょうか」

 馬車を操っているナジェと呼ばれた女性もダークエルフだった。ミフネよりもさらに背が高く、髪は短く刈り上げていた。

 彼女はミフネの部下らしく、彼女と同じタイプの鎧、つまりビキニアーマーを着ている。その上から、日光を防ぐためだろうが、薄い白布を羽織っているので、こちらは目のやり場にこまらない。

 「しかし、軟弱なものだ」

 ナジェはおれの方をぎろりとにらむ。

 わりと憎しみがこもったような目である。

 「他のものはなにも応えてないのに、あのヒューマンだけが寝込んでいるではないか。これしきの行軍でその体たらくとは」

 「まあそう言ってやるな。男はか弱いものだ」

 「ですが……」

 「黙れ」

 ナジェは何も言わなくなる。

 「そうだ。望みのものはあるか? おまえ」

 ミフネはおれに言う。

 「何かわたしにねだってみてもいいのだぞ?」

 「え?」

 「欲しいものを言ってみろ」

 「……ふ、服が欲しいかな」

 おれは言った。

 全裸でこの世界にやってきたおれは、服を持っていなかった。この世界でもらったジャージの上下と布靴だけでずっと過ごしていた。

 この世界に持ちこんだのは、ダクトテープとジャガイモと、ラマーズ法の知識ぐらいだったのだ。

 下着すらない。ベリーハードモードでの異世界生活スタートだった。いわゆる持たざるものスタートである。クムクムのせいなのだが。

 そんなわけで、わりと真剣に服が欲しいと思っていた。

 よく衣食住というが、服が足りないのがこんなにしんどいとは思わなかった。着替えすら思い通りにできないのだ。

 だから迷わず服が欲しいとこたえた。

 「服か。あははは、可愛いやつだ。おまえは」

 ミフネは笑う。

 「服とはな……ふふ、安心するがいい。私の屋敷におまえの部屋が用意してあるし、そこにいくらでも用意してある」

 


 車酔いはなかなかよくならなかった。

 「……すこしは落ち着いたか?」

 「ああ……ありがとう」

 クムクムはあいかわらず、ひざまくらはしてくれなかったものの、おれの背中をずっとさすってくれたり、水を口にふくませたりしてくれていた。

 「なあ、アイシャ、少しこいつの世話を交代してくれ。疲れた」

 「イヤです!」

 アイシャはさわやかな笑顔で言った。

 「足手まといはそもそも狩りに連れていかないのが森の掟です!」

 「おまえなー、そういうけどなー」

 「あ、そうだ。ハオマを飲ませましょう!」

 アイシャが怪しげな小瓶をとりだす。

 「ウッドエルフ特製の超絶薬草酒です。がっつん効きますよ」

 「ハオマ? 薬用酒……ほう」

 薬用と聞いて、エコー先生が興味をもったようだった。

 「アブサンみたいなものかな? ちょっと調べさせてくれ」

 「どうぞ、ハオマは最高の薬ですよ。咳も吐き気も、痛みも熱も、呪いも病気もこれで一発です。これで治らなかったら死にます。瀕死状態の戦士もこれを飲めば狂戦士になって敵を倒します」

 「なんだそのゾンビパウダーみたいな……」

 おれに何を飲ませる気だ、この女。

 エコー先生が小瓶を受け取る。中には黒褐色の液体が入っている。

 「……ふむ」

 彼はそれを指先につけて、口に入れる。

 「なるほど、たしかに効くだろうね」

 「彼に飲ませても?」

 「……五滴以上飲ませたら絶対ダメだよ」

 「了解です」

 「あと、二回目を欲しがっても絶対にあげたらだめだ。依存症になるかも」

 「わかってますよ」

 アイシャがおれに近寄り、頭をがしっとつかむ。

 「さあ口を開けなさい!」

 アイシャがおれの口を開け、小瓶の中身を振り入れる。

 すさまじい苦味が口の中に広がる。

 「うっ、苦ッ! それもイヤな苦さだ! 苦ぁぁぁぁぁ!」

 「何を言いますか! ハオマは神聖な薬なんですよ! ウッドエルフの部族でないものがハオマを口にするなど例外中の例外なのです!」

 口の中に広がった苦味に続いて、味覚が完全になくなってきた。

 「な……なんは、ろれふがまわらないんはへほ」

 「お、おい! 大丈夫なのかアイシャ! これは!」

 「大丈夫です。口の中がしびれるんです。しゃべらない方がいいですよ、自分の舌を食いちぎってしまうことがありますから」

 まるで歯医者の麻酔みたいだった。

 口の中の感覚がほとんどなくなる。

 そのまま痺れが全身に広がり、おれは体を起こしていられなくなった。

 「だ、大丈夫か?」

 クムクムの声がする。

 「おい、ぐたーっとしちゃったぞ!」

 「大丈夫ですよ」

 目を閉じると、まぶたの裏にきれいな原色の模様が見えた。

 おれは意識を失った。



 「あー……くそ、やっぱり両替商にごまかされた……」

 アイシャの声が聞こえた。

 それからチャリチャリという音。

 目を開けると、アイシャが金を数えていた。

 「両替屋は信用できんな、どこも」

 クムクムの声がする。

 「イーライ学長は大丈夫なのか?」

 「大丈夫じゃないですよ」

 「どうなるんだ」

 「ぜんぶミフネちゃんのせいにしました。わたしがこの異世界人をハイエルフの王国に連れて行こうとしたら、ミフネちゃんが彼をさらって、それをわたしが追いかけている、そういう内容で報告してあります」

 「ミフネどのがぜんぶ悪者か」

 「そうしないとわたしの顔が立たないですから」

 アイシャが話している。

 視界がぐらんぐらん揺れている。

 「とうぶん、あなたがたについていきますよ。大学にはしばらく戻れません。論文発表も延期ですね」

 「わははは、私が悪者か、それはいいな」

 ミフネの声がする。

 彼女の声が赤い円の形に見えてくる。

 「それならあのハイエルフも歯がみするだろう。わたしの願い通りだ」

 「おっ、おまえ」

 クムクムの顔が見える。彼女の輪郭が青く光っている。

 「気がついたか!」

 「うう……おれは……」

 おれは起きあがろうとする。

 視界がぐらん、とゆれて、おれはまた倒れた。

 「まだ起きあがらない方がいい」

 エコー先生の声がする。

 ふだんは落ち着いているはずの彼の声が、やけに大きくびりびり響く。

 馬車のほろのすきまから、大きな光の玉が見えた。

 それが月だということに気づくまでしばらくかかった。

 月は大きく青く輝いていた。

 「美しい大自然……」

 おれは大自然のすばらしさに感動し、涙を流した。

 「この世界にも同じように月があるんだな……」

 おれはボロボロボロボロ泣いていた。

 「いかん、まだ正気じゃないなこいつ」

 「そろそろ抜けるはずですけどねえ、しかし、あれっぽっちの量でここまで効くなんて不思議です」

 「三滴にしておくべきだったね……」

 仲間たちの会話は聞こえていたが、おれの頭には入ってこなかった。

 おれはただ、感動していた。

 大自然のすばらしさ、存在の秘密、人生の肯定、おれがここにいた意味!

 「すばらしい……世界は……すばらしい、青く、黄色い青の光が……」

 目を閉じると、カラフルな模様がうねうねと流れるのが見える。

 「アイシャのせいだぞ……」

 クムクムの声がする。

 「ふつう、あの量じゃ気分がよくなるぐらいで済むのに……」

 「こいつ、瞳孔がガンガンにひらいとるじゃないか!」

 「あはは……」

 「さっきから、存在とか、神とか、霊とか、青い光とか、そういうことばっかりつぶやいとるじゃないか! こいつ!」

 「それが狩りの女神の祝福ですよ」

 「ただの幻覚じゃ!」

 「わたしたちはハオマで精霊と交信するのです」

 「幻覚だろうが!」

 「聖なる植物の霊的な力です!」

 「やめよう、宗教的な議論になる」

 エコー先生が二人を止める。

 「バイタルサインの推移からして、彼の命に別状はないよ」

 「よかった……」

 クムクムがため息をつく。

 「そのハオマに、ぼくたちのいた世界では法的に規制されている有機化合物が、およそ70種類以上入ってるのはたしかだな。ぼくたちの世界の価値観からすれば、完全なドラッグカクテルだ」

 エコー先生はなかば感心したように言う。

 「こんな合剤、ぼくのいた世界にもなかったよ。オピオイドやモノアミンオキシターゼ阻害剤、カンナビノイド、エルゴタミン類、シロシン、メスカリン、レポドパ、アルコールにツヨン、アドレナリン、エフェドリン、ジメチルトリプタミン……よくこれだけ抽出して混ぜたものだ」

 「わはは、ウッドエルフの秘伝ですからね」

 アイシャの声。

 「色々なキノコやサボテンや植物、虫の汁やカビを集めて、灰汁や酢や酒で加工するのです」

 「そりゃ、こんなもの飲んだら痛みが消えるのもまちがいないし、車酔いの状態でなくなることはたしかだね……幻覚と麻酔と興奮を引き起こす薬物がまぜこぜに入ってるんだから」

 「そうですね、人によって効果が違います」

 「あまりにも興味深かったので、つい彼に飲ませるのをOKしてしまった」

 エコー先生はちょっとばつが悪そうに言う。

 「知的好奇心に負けてしまった」

 「そ……」

 おれは口を開いた。

 「そんなもの飲ませるな……!」

 「おお、正気に戻ったか!」

 クムクムがおれを抱きしめる。

 「心配したぞ! ほら、水を飲め! ひどい汗をかいていたからな」

 「ああ……」

 おれはクムクムがくれた水を飲む。

 「おれはどのぐらい寝てたんだ?」

 「おまえがあれを飲んだのが昼前で、いま明け方だ」

 「丸半日か……」

 「大丈夫か?」

 「わりと気分は良い……とおもう。まだふらふらするが」

 「そうか、パンがゆをつくっておいた。食えそうなら少しでも口に入れろ」

 「ありがとう、クムクム……」

 おれはクムクムのくれた粥を口に入れる。

 「ところで……」

 おれはアイシャを見る。

 「なんでしょう。恨み言なら効きませんよ」

 「それ、ハオマ、もう一回飲みたいんだが……すごい気持ちよかったし」

 「だめだよ、明らかに依存性があるものが含まれている」

 エコー先生のストップがかかる。

 「そうです。これはひと月に一回しか使っちゃダメなんです」

 アイシャも言う。

 「もう一回だけ……だいじょうぶだ。依存はしてない」

 「あの……瞳孔開いてますよ」

 「……おまえのためだ。ていっ」

 クムクムのパンチがおれのみぞおちをとらえる。

 おれはふたたび意識を失った。

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