パンツはいてないから恥ずかしくないもん、と彼女は言った

 「お……終わった……のかな」

 おれはおそるおそる前にすすみ出て、ウェルグングを見た。

 長い戦いのすえに、敵はスライムまみれになって、ほとんど動かなくなっていた。

 スライムはほとんど液状化していて、シェイクしたゼリーのようになっていた。

 悲惨な戦いのあとに、ジャガイモだけがプカプカ浮いている。

 「普通のジャガイモだ……」

 おれはもう少し近づいて、ジャガイモをまじまじと見た。

 それは、握りこぶしほどの大きさで、おれが前の世界で知っていたジャガイモと何も変わらなかった。

 「なんで魔法とジャガイモが関係あるんだよ……」

 「おーい、あんまり近づくと危ないぞ」

 クムクムがおれに言う。

 「あと、食うんじゃないぞ」

 「食わねえよ!」

 「しかし、うまく相打ちになってくれましたねえ」

 アイシャがほがらかにいう。

 「ラッキーでしたね。どちらかが生き残っていたら、そっちと戦わなきゃいけなかったところです」

 「え、どういうこと?」

 「もしジャイアントスライムが生き残っていたら、今度はそっちを倒さなきゃいけないですからね。それはそれでめんどくさいです。矢とか毒とか効かなそうな雰囲気でしたし」

 「えっ、あれはクムクムの命令で戦ったんじゃないの?」

 「わたしはただ呼びだしただけだ」

 クムクムは先ほど使っていた本のようなものを大事そうにたたんでいる。

 「わたしは召喚士として、あのスライムをこっちの世界に引っぱりこんだだけだ。そのあとでどうするかは召喚されたものの勝手だ」

 「そうなの?」

 「もちろん、ウェルグングと戦うようにやつの近くに呼びだしたがな。でも場合によっては、スライムがこっちに向かってくるかもしれなかった」

 「えっ、召喚魔法で呼びだした怪物って、呼びだした人の言うこときくんじゃないの?」

 「そんなわけあるか」

 クムクムは呆れたように言った。

 「じゃあ、おまえ、わたしの命令通りに動くか?」

 クムクムはおれを指さす。

 「動く理由がないだろ?」

 「ああ、うん……」

 「そんな便利な魔法があるなら、教えてほしいもんだ」

 「ふーん」

 「異世界の生きものを召喚するだけでも大変なんだぞ、いつでも同じように異世界とつながるわけじゃないからな。いくらでもほいほい連れてこられはしない」

 「なるほどね……魔法も面倒だな」

 「お、おい」

 エルフの一人が血相を変えておれを見ている。

 「後ろ! 後ろ!」

 「え?」

 次の瞬間。

 死んだと思っていたウェルグングがおれに体当たりしてきた。

 


 何かに吹っ飛ばされるなんて、中学のころバイクにはねられたとき以来だ。

 バイクにはねられたとき、おれは空中に吹っ飛ばされて一回転した。

 その時のことは今でも覚えている。

 急に時間の流れがスローモーションになったように感じ、自分の体がぐるっと回転するのがはっきりわかった。

 危険なときに時間がスローに感じるのは、自分の命を守るために人間が持っている本能みたいなものらしい。あまり役に立ったように感じないけど。

 飛んでいたとき、ああ、おれ、死ぬんだな。とか思った。あんまり怖くはなかったと思う。死んだらもっと楽しい世界に行きたいなとか、そういうことを思った。ある意味で前向きな姿勢といえた。

 しかしもちろんおれは死ななかった。

 ただ五針ぐらい縫っただけだ。でも大ケガは大ケガだから、学校に出てくるとみんなに注目された。あのころはよかったなあ。ケガして縫っただけで話題になれたんだから。

 変なことを覚えているもので、おれをはねたピザの配達員が、金魚みたいな表情をしていたのをはっきり思い出せる。その宅配ピザ屋の赤いロゴマークまで、今でも覚えている。

 思い出話はここまで。



 そしてふたたび、おれは吹っ飛ばされていた。

 今度はバイクじゃなくて手負いの怪物だし、場所は駄菓子屋の前じゃなくて異世界だが、とにかく吹っ飛ばされた事には変わりはない。

 そしてふたたび世界はスローモーションになった。

 目の前にスライムまみれのウェルグングがいる。緑色のスライムと血の赤でイタリア料理っぽいカラーリングになっている。

 敵はもう瀕死という感じだった。ゲームだったらHPが赤く表示されてるとこだ。それでもおれに襲いかかるという、この執念よ。

 な、なんでそんなにがんばっちゃってるんですか?

 ウェルグングさん!

 もういいじゃないですか!

 みんながんばりすぎだよ!

 そんなことを思った。

 あんたががんばると、

 おれまでがんばらなきゃいけなくなるだろ!

 おれはそういうのが嫌いなんだ!

 そんなことをスローモーションの中で思った。



 「ぐほっ」

 おれはあおむけに倒れた。

 見上げるとウェルグングがいた。

 敵も体当たりの衝撃でふらついている様子だ。

 スライムの破片がおれの口の中にぼたりと落ちてきた。

 鼻汁のような、味がした。

 「うわっ、ぺっぺっ」

 おれはスライムをぺっしながらどうにか体を起こそうとする。

 しかし上手く力が入らない。

 お、おれは死ぬのか?

 こんなところで?

 せっかく異世界にきたのに!

 「せめて最後に……」

 おれはひじをついて必死に体を支えようとする。

 「ピザ食いてえ…………」

 「し、死ぬなああああああああ!」

 誰かがこちらに走ってくる。

 それは宅配ピザ……じゃなく、クムクムだった。 



 「うおおお! まかせろ!」

 鉄のツメをつけたクムクムは、すばやくウェルグングをなぎ払った。

 敵はまた体勢を崩す。

 「こいつは殺させないぞ!」

 クムクムは叫ぶ。

 ああ、クムクムさん!

 助けに来てくれたんだね!

 おれの鎧がくさいからって離れてても、いざとなれば助けにきてくれるんだ!

 「でやー!」

 多少間の抜けたかけ声だったが、クムクムの鉄のツメの威力は本物らしかった。ウェルグングに効いているようだ。

 「おまえ、早く起きあがれ!」

 そう言いながら、クムクムはおれをかばうようにして、地面に伸びているおれの足もとに立つ。

 「早く逃げろ!」

 クムクムは敵の攻撃を鉄のツメでふせぐ。

 彼女はよろめいて後退した。弱っているとはいえ強力な一撃を受けたのだ。無理もない。

 「アイシャ! 今だ! 早く!」

 クムクムは叫ぶ。

 ウェルグングの頭に矢がいくつも突きささり、敵の巨体は、ゆっくりと横にくずれ落ちた。

 「今度こそ倒したっ!」

 クムクムはうおーと迫力の足りない声で叫ぶ。

 「おまえ! もう安心だぞ!」

 ここで、おれとクムクムの位置関係がいわば問題になる。

 彼女は今、仰向けに倒れたおれの、胸のあたりにうえにまたがっている。

 そして、戦闘態勢だったので彼女はちょっと中腰である。

 さて、ここからが重要なのだが。

 クムクムさん、パンツ履いてないのである。

 彼女は布を体に巻きつけるような格好をしていて、いまはその上に鎧を身につけている。身につけているものはそれだけである。

 獣人……というと怒るが、彼女はコボルトという種族だ。

 体毛の多い種族である。大きな耳や手足のあたりはもふもふの毛におおわれている。そうでない場所も、人間みたいなつるっつるではなく、シルバニアなファミリーのようなビロード状の細かい毛でおおわれている。

 そして彼女にはしっぽもある。しっぽがあるからにはとうぜんしっぽの付け根もある。そのあたりが非常によく見えた。

 「おい、どうした? あたまでも打ったか?」

 クムクムさんは腰をあげ、おれを振りかえる。

 腰の位置はあがったが、まだ見える。

 「あ、あの。クムクムさん」

 「なんだ? 大丈夫か?」

 「あ、あの。見えてます」

 「なにが?」

 「なんというか、その」

 「えっ……まさか」

 クムクムさんはおれの上から飛びのく。

 恥ずかしいから飛びのいたのだろう。ととうぜん思った。

 「幻覚が見えるのか? 大丈夫か?」

 しかしクムクムさんはおれの言葉を勘違いしていて、あろうことか倒れているおれの前でしゃがんだ。

 「だから見えるってば!」

 「なにが?」

 「言わせんな恥ずかしい!」

 おれは思わず顔をそむけた。

 「意味がわからん。ケガの手当をしてやるからそのくさい鎧を脱げ!」

 おれはとりあえず起きあがろうとした。

 そのとき、視界がチカチカして見えた。

 べつに見たからではない。



 「軽い脳しんとうのようだ」

 エコー先生はおれのベッドのそばで言った。

 彼はもう半ズボンではなくなっているので、殺人兵器の格納された生足は見えなくなっている。

 おれはあたりを見まわす。すりむいた肩が痛んだ。

 ここはエコー先生の診察室だ。

 先ほどの戦いで頭を打ったので、診察を受けていた。見てもらっているあいだ中、また直腸を検査されるんじゃないかという思いがわきあがったが、それはなかった。べつに期待してたわけじゃないが。

 「今のところは、一過性のものである可能性が高い」

 「なるほど、よかった」

 ベッド脇に座るクムクムはため息をつく。

 「気分が悪くなったりしたら、すぐに言ってね」

 エコー先生はそう言って部屋を出ていく。

 「ちょっと、補給の必要があるから出てるよ」

 ベッドは硬かった。中にバネとかが入っているわけではなく、木のベッドの上に布団のようなものがしかれているだけだった。前の世界でおれが使っていたベッドよりだいぶ広いが、寝心地は期待できない。

 「まあ、一安心だな。おまえもくさくなくなったし」

 そう言いながらクムクムはおれのそばで鼻をすんすん鳴らす。

 「うつったにおいが三日ぐらい残りそうだが」

 「そ、そんなに?」

 「わたしは鼻がいい」

 犬かよ。と思ったがもちろん口にはださない。

 そういえばこの世界に犬はいるだろうか、とふと思う。

 「で、なにが見えたんだ?」

 クムクムはおれの顔をのぞきこむ。

 「まさか、何か幻視ビジョンみたいなふしぎな能力を持ってるのか?」

 彼女は期待したような目でおれを見る。

 「ああ……いや、なんというか……たしかに幻と言えなくもない…………」

 おれはしどろもどろで答える。

 「おれのいた世界では、黒く塗られたりしちゃうから……」

 「なんの話だ? おしえろ」

 クムクムはおれに詰め寄る。

 「わたしはおまえの命の恩人だぞ!」

 「い、いうよ……言うけど……」

 おれはクムクムの耳に、おれの「ビジョン」を伝えた。

 「なんだそんなもん」

 クムクムは意味がわからないといった調子で言う。

 「べつにぜんぜん恥ずかしくないだろう。こんなん」

 クムクムさんはなんのためらいもなく、自分の体をつつむ布をめくりあげる。

 「わー! うわああああー!」

 「パンツ履いてたら、そりゃ恥ずかしいけどな」

 「は?」

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