異世界に来てそうそうエルフに解剖されかけた
天国かと思ったら天井だった。
目の錯覚だった。
何を言っているかわからないと思うので、少し説明する。
おれは、全裸で体に「飽きた」とでかでかと書き、ケモくてロリい獣人に差別主義を糾弾され、ダクトテープで体にジャガイモをうなるほどくくりつけて、異世界に飛ばされたらしいところまでは記憶していた。
らしいというのは、そこでおれの意識はなくなったからだ。
そして今。
おれの目の前に美しい空間が広がっていた。
まぶしく輝く光の球が目の前にあった。
「来ましたね」
女の子の声がした。さわやかに澄んだ声だった。
目の前の光の球がしゃべってるように感じた。
ま、まさか……神?
ということはおれは死んだのか?
その光の球は、色鮮やかな幾何学模様に取りまかれていた。それはまるで巨大な万華鏡のような光景だった。この世のものとは思えない、というやつで、おれはすっかりそれを見てここはあの世だと確信した。
「大丈夫ですか?」
また声がした。
少し目が慣れてきて、光の球のまわりに、いくつもの小さな光の粒があるのが見えてきた。この光の粒はまさか天使……。
「おーい、大丈夫か?」
さっきの澄んだ声とは、また違う丸っこくて舌足らずな声がする。どこか聞きおぼえのある声だ。
「生きてるのか、死んでるのかぐらい自分で言ったらどうだ」
このあたりで、少し感覚が戻ってきた。
「死んでるってことにしちゃっていいですかね?」
澄んだ声が言う。
これらの言葉の意味が分かったのはあとのことである。
その時のおれには言葉の意味はわからず、ただふたつの声が会話していることしかわからなかった。ただ、ああ、おれは生と死の間にいるのだな、と思った。
こ、これは。
本当に異世界に行けたのでは?
おれはそう思った。死んで異世界に行くパターンの話をネットでたくさん読んでたので。自分がまさにその状況にいるのだ、と思った。
自分はこれから死んで異世界に行って、いやな人間世界とはおさらばし、ハッピーな異世界ライフを送るのだ。
ああ、憧れの異世界ライフ。人間世界の知識をつかってすごい大活躍して歴史を変えたり、英雄になったり、美麗なエルフの女の子と種族を超えたロマンスとか、そういうの。さっき会った獣人の女の子も、よく思い出すとかわいかったし……。
これは行ける!
そう思った。
よし、がんばって死ぬぞ!
「もう死んでるってことにしましょうよ」
澄んだ声が言う。
「いや、明らかに生きてるだろう」
丸っこい声が言う。
「なんかちょっと笑ってるし」
「でもぜんぜん動かないじゃないですか」
「動かないから死んだというのもどうか」
「でも死んでたら動かないですから」
「そういうのはどうか」
ふたつの声はなにやら議論をしていた。
このやり取りも、正確な意味はあとで知ることになる。
「もう、死んだってことにして召喚報告書に書いちゃいましょうよ」
「えーっ」
「そっちのほうがラクですし」
「でも、転移には確実に成功したと思うんだがな」
「世界線を乗りこえるときに、どっか体のパーツを置いてきちゃったんじゃないですか? 脳だけもとの世界に置いてきて、残りだけこっちに召喚したとか」
「そんなことあるか!」
丸っこい声のほうが怒る。やたら聞きおぼえがある声だ。
「わたしは優秀な召喚士だぞ!」
このころには、おれの体の感覚はかなりはっきりしてきていた。
重力の感覚が戻ってきていた。おれは仰向けに倒れていた。
皮膚の感覚が戻ってきていた。おれは冷たくざらざらした石の上にいた。空気が冷たかった。おれは全裸だった。
ベトベトした感触もある。ダクトテープだ。
どうも、おれは生きてるっぽかった。
残念というかなんというか……。
「わたしのキャリアに傷をつける気か?」
丸っこい声が言う。ああ、この声の持ち主が誰か完全に思い出せてきた。
「違いますよ。べつに召喚に失敗して死着するのなんかよくあるって話ですよ。クムクムさんは優秀ですよ。これまで召喚してきた異世界人はみんな生きてこの世界につきました」
「むううう……」
話している相手の澄んだ声のほうも、どうも、会話の内容からして神っぽくない。
思考力がだいぶ回復したおれはそう考えた。
「ただ、今回の個体は生きてるかちょっと微妙だって話です」
「いや、こいつは生きてる。たしかに手ごたえがあったからな。この差別主義者は生きてる」
「なんですか差別主義者って」
「わたしのことを会うなりロリ獣人よばわりしたんだ」
「あははは! ロリ獣人! たしかに、クムクムさん、コボルトの中でもだいぶちっちゃいですからねえ!」
「なぐるぞ」
視界に遠近感が戻ってきていた。
おれが光の球だと思ったものは、ガラス越しにみた太陽だった。
おれは石の床に寝そべり、ドーム状の天井にいちめん広がるステンドグラスを眺めていたのだった。
あたりに広がる光の粒は、ランプだった。天井のドームを中心に、ランプがらせん状に配置されている。どうやらここは聖堂……のような建物だ。
ステンドグラスは宗教的な演出のためのものだから、意識がもうろうとしたおれがガラス越しの太陽を見て神だと思いこんだのも無理はない。
「とにかく、解剖はだめだ。アイシャ」
声が言う。思い出した。
この声はクムクムだ。おれに説教し、ダクトテープでジャガイモまみれになるように指示した獣人の娘だ。獣人と言ったらメチャクチャ怒っていた。
クムクムの話している言葉は、おれに話しかけていたときのそれとは違っていた。
「べつに、いいじゃないですか。解剖ぐらい」
「だめだ!」
「こんなに頼んでも?」
彼女はこのとき、おれを解剖すると言っていたのだったが、その時にはわからなかった。その時点では、おれにはアイシャの言葉は理解できなかったからだ。
彼女がこの時に何を言っていたかは、すべてあとでわかったことなのだが、それについてはあとに説明する機会があるだろう。
「アイシャ・アショローヴィ! いい加減にしろ! 解剖はダメだ!」
その言葉は、おれにはヨーロッパのどっかの言葉に似ているように感じたが、意味はぜんぜんまったくわからなかった。
おれは目を動かし、声のする方を見た。
白衣を着た女の子がそこにいた。となりにクムクムの姿が見える。
白衣の女の子はアイシャと声をかけられている。それが名前だろうと思った。首が見えるぐらいの短い黒髪だ。黒髪というより、うっすら緑がかってみえる。
獣人じゃない、人間? 髪が少し緑っぽく見える
耳が三角形なのがみょうだが、クムクムより人間に近いようだ。髪の色と耳以外は完全に人間だった。
そしてアイシャはやたらと刃の大きなノコギリを手にしていた。
「わたしは解剖学の権威なのですよ! ウッドエルフ初の学者です」
「学者、ねえ。異世界の学問をパクったくせに」
「まあ……その、インスパイアです」
「なにがインスパイアだ! 異世界人から教わっただけのくせに」
「そうですけど、この世界で解剖学を確立したのはわたしです」
「まあそれはいい! とにかく、この異世界人は生きてる」
クムクムはおれを指さす。人を指さすな! と思うが、習慣が違うのだ。
「アイシャ、なんでそんなにこいつを解剖したがる?」
クムクムが言う。そうとう不穏なことを言う。だがその内容はおれには聞き取れないので、おれは、あー床から見上げる女の子いいなーとか思っていた。
「研究の報告のためのデータが足りないのです」
アイシャはそう言い、何か紙のようなものをクムクムに押しつける。
「さあはやく召喚物死亡確認書にサインして、解剖の許可をください! はやくこのヒューマンをバラバラにさせてください!」
「お、おい! お前!」
クムクムはおれのほうを向いて言う。これは日本語だった。
「なんとか言え! このままだとバラバラにされるぞ!」
「アイシャはなあ! このウッドエルフの女! おまえを解剖しようとしてる!」
クムクムはおれに意識がある事を確信しているらしく、おれに言う。
それで、おれはだんだん事態をのみこみはじめた。
「理由ははっきりわからんが……たぶん冗談じゃない。アイシャはやると言ったらマジでやる女だ! 殺されるぞ」
「クムクムさん、ねえねえ、いいじゃないですか」
アイシャは紙をピラピラさせる。
そして、ちらとおれを見て、日本語じゃない言葉で言った。
「ま、あなたがまとまった状態でいるのも今しばらくです」
アイシャは大きなメス状の刃物やノコギリをいそいそと小さなテーブルに並べ始めている。ああ、思い出した。あれ、骨ノコギリだ。
「んー!」
おれは始めて声を出した。
「んー! んー! んー!」
しかし、おれの口にはダクトテープが張りついていて声は声にならない。
「おいアイシャ! ほら、生きてるぞあの異世界人!」
「あーあー聞こえなーい」
アイシャは両耳を手でおおう。
おれは起きあがろうとしたが、ダクトテープが床に張りついて動けない。
クムクムはおれの口に張りついたダクトテープをベリベリと剥がす。メチャクチャ痛くて涙があふれ出したが、おれはクムクムに死ぬほど感謝した。
「お、おれ生きてるよ! 生きてる!」
「え? 何を言ってるか聞こえないですう。異世界の言葉はわからないです。ウッドエルフ語かパン・エルフ語で話してください」
アイシャは耳に手を添えて、こちらに向ける。言っている意味はわからなかったが、聞く気がないことはなんとなく伝わった。
クムクムはおれに向き直り、日本語で言う。
「お、お前のことは気に入らないが、召喚士の職業倫理にもとづいて守ってやる。異世界人の人権は召喚した召喚士に守る義務がある。安心しろ」
おれは混乱していたが、状況をだいたい理解し、クムクムに感謝した。
「やれやれです。運がいいですね。異世界人」
アイシャの言っていることはその時のおれには謎だった。
こ、ことばの壁……!
「そ、そうだよな。異世界にだってことばの壁あるよな……」
「当たり前だぞ」
クムクムが言う。
「お前らの世界なんか、ヒューマンしか知的種族がいないのにいくつも言葉があるじゃないか。こっちの言葉の壁はもっと厚いからな」
「うっ」
「お前たちの言葉で言うところのコミュ力がすごく問われるからな。自信はあるか? コミュ力」
「ねえよ!」
おれは逆ギレした。
「異世界でコミュ力が要求されるなんて聞いてねえー!」
「あほか! 考えたらわかるだろう! ふたつ返事で異世界に行くと言ったから、てっきり自信あるかと思ったじゃないか!」
「コミュ力があったら元の世界でもなんとかなっとるわい!」
「お前たちの世界の『海外旅行』の何倍も必要とされるぞ」
「あのー、お取り込みのところあれですが」
アイシャが口をはさむ。
「なんだ?」
クムクムが返事する。これはエルフ語だったので、もちろん内容はその時のおれにはわからない。
「ねえねえクムクムさん、取引しませんか」
「う?」
「この異世界人の死亡確認書にサインして、このヒューマンを死んだことにして、わたしに……まあ、その、なんだ。身柄を永遠にあずけてくれませんか」
「断る。ダメだと言っただろう!」
「クムクムさん、スイートロール好きでしたよね? 一年のあいだ毎日スイートロールおごりますから。こいつ死んだことにしてください」
「うっ。こいつを売れと……」
クムクムはおれを見る。
「うーん……悩むな………………」
おれの命は、一年分のスイートロールとてんびんにかけられていた。
おれはその時、会話の内容を理解していなかったので、クムクムがおれの命を救うためにすごい駆け引きをしているんだと思いこんで、クムクムがんばれ、と応援していた。
「こいつ、わたしをロリ獣人ってバカにしてたからなあ……正直好き嫌いでいうとちょっと嫌い入ってんだよな……いや、あかんあかん」
クムクムはおれを見るのだった。
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