使い魔の一日②


 さて、朝食、掃除、洗濯のあとは、ルイズの授業のお供を務める。

 初めは床に座らされたが、才人が他の女生徒のスカートの中を熱心に見学していることに気づいたルイズは、しぶしぶと才人を椅子に座らせた。

 そして、授業中に黒板以外のところを見学したら、昼ごはんを抜くと警告した。


 才人も初めのうちは、水からワインを作り出す授業や、秘薬を調合して特殊なポーションを作り出す講義や、目の前に現れる大きな火球や、空中に箱や棒やボールを自在に浮かべ、それを窓の外に飛ばして使い魔に取りに行かせる授業なんかが物珍しくて夢中で見つめていたが、慣れると飽きた。


 そのうちに居眠りを始めた。

 教師とルイズはぐーすか寝ている才人を睨んだが、授業中の使い魔の居眠りを禁じる校則はない。

 教室を見まわせば、夜行性の幻獣たちや、誰かのフクロウだって、ぐーぐー寝ている。

 居眠りを決め込んだ才人を起こすことは、使い魔ではなく人間として認めることになってしまう。

 従って、ルイズは居眠りをする才人に唇をギリギリ噛むほど文句が言いたかったが、言えなかった。

 言ったら、自分が決めた才人の立場を、否定することになるからだった。



 その日の授業中も、才人はぽかぽかした陽気に当てられ、ぐっすり寝ていた。

 今朝方シエスタに注いでもらったワインが利いている。才人は夢を見ていた。

 とんでもない夢であった。


 夜中、寝ているとルイズが自分の藁束の中に忍び込んでくる夢であった。


『ルイズ、どうしたんだよ……』


 ルイズはいきなり自分の名前が飛び出したので、きっ、と才人を睨んだ。


『眠れないだって? しかたないなあ……、むにゃ……』


 なんだ、寝言か、と思って再び前を見る。


『……むにゃ、な、なんだよ。抱きついてくるなよ』


 ルイズの目が再び才人に注がれる。

 授業を受けている生徒たちも、一斉に聞き耳を立てた。


『……おいおい、昼間は威張ってるくせに、寝床の中じゃ甘えんぼさんだな』


 才人は涎を垂らしながら、うっとりと夢に興じている。

 ルイズはいい加減にしろとばかりに才人を揺り動かした。


「ちょっと! なんちゅう夢見てんのよ!」


 クラスメイトが爆笑した。かぜっぴきのマリコルヌが、驚いた声をあげた。


「おいおいルイズ! お前、そんなことをしてるのか! 使い魔相手に! 驚いた!」


 女生徒たちは、ひそひそと囁きあった。


「待ってよ! このバカの夢の話よ! ああもう! 起きなさいってば!」

『ルイズ、ルイズ、そんなところネコみたいに舐めるなよ……』


 教室の爆笑が最高潮に達した。


 ルイズは才人を蹴倒した。

 才人は柔らかい夢の世界から叩き起こされ、現実のルイズに出会うことになった。


「な、なにすんだよ!」

「いつ、わたしがあんたの藁束に忍び込んだの?」


 可愛いルイズは腕を組んで、鬼の形相で才人を見下ろした。

 才人は首を振った。クラスメイトの爆笑は続いている。


「サイト。笑ってる無礼な人たちに説明して。わたしは、夜中自分のベッドから一歩も外に出ないって」

「えっと、皆さん。今のは俺の夢の話です。ルイズは忍び込みません」


 なあんだ、とつまらなそうに生徒たちは鼻を鳴らした。


「当たり前じゃないの! わたしがねえ、そんなはしたないことするもんですか! しかもこんなヤツの! こんなヤツの! こんな下品な使い魔の寝床に潜り込むなんて冗談にしても度が過ぎてるわ!」


 ルイズはつんと上を向いて、澄ました顔になった。


「でも、俺の夢は当たります」


 その仕草にかちんときた才人は言った。


「確かに! 夢は未来を占うものだからな!」教室の誰かが頷いた。


「わたくしめのご主人様は、あんな性格をしてらっしゃるので、恋人などできようはずもありません」


 教室のほぼ全員が頷いた。

 ルイズがカッとして才人を睨んだが、そんなものは今更意に介さない。

 才人は続けた。


「可哀想なご主人様は欲求不満が高じます。そのうち使い魔の藁束に忍び込んでくるはずです」


 ルイズは両手を腰に当て、才人に強い口調で命令した。


「いいこと? その汚らしい口を今すぐ閉じなさい」


 才人は気にせずに続けた。


「そしたら、俺はルイズを叩いて……」


 才人は調子にのってきた。ルイズの肩が怒りで震えだした。


「お前の寝床はここじゃない、と言ってやります」


 教室が喝采に包まれた。才人は優雅に一礼すると、腰掛けようとした。

 ルイズはそんな才人を蹴っ飛ばした。床に転がる。


「蹴るなよ!」


 しかし、ルイズはおかまいなしだ。

 真っ直ぐ前を見て、相変わらず怒りで肩を震わせている。


 そんな才人を、じっと睨んでいる赤い影があった。

 キュルケのサラマンダーである。

 床に腹ばいになり、並んだ席の通路に転がった才人をじっと見つめている。


「ん?」


 才人は気づいて、手を振った。


「お前はキュルケのサラマンダーだな。なんだっけ、名前があったよな。そうだ。フレイムだ。フレイムー」


 才人はおいでおいでをした。

 しかし、サラマンダーは尻尾を振ると口からわずかに炎を吹き上げて、主人のもとに去っていった。


「なんでトカゲが俺に興味を持つんだろう?」


 才人は首をかしげた。



 そして、才人が教室でサラマンダーとにらめっこをしている頃……。

 学院長室で、秘書のミス・ロングビルは書き物をしていた。


 ミス・ロングビルは手を止めるとオスマン氏の方を見つめた。オスマン氏は、セコイアの机に伏せて居眠りをしている。

 ミス・ロングビルは薄く笑った。誰にも見せたことのない笑みである。

 それから立ち上がる。


 低い声で『サイレント』の呪文を唱える。

 オスマン氏を起こさないように、自分の足音を消して学院長室を出た。



 ミス・ロングビルが向かった先は、学院長室の一階下にある、宝物庫がある階である。

 階段を下りて、鉄の巨大な扉を見上げる。

 扉には、ぶっとい閂がかかっている。閂はこれまた巨大な錠前で守られている。

 ここには、魔法学院成立以来の秘宝が収められているのだ。


 ミス・ロングビルは、慎重に辺りを見回すと、ポケットから杖を取り出した。

 エンピツぐらいの長さだが、くいっとミス・ロングビルが持った手首を振ると、するすると杖は伸びて、オーケストラの指揮者が振っている、指揮棒ぐらいの長さになった。


 ミス・ロングビルは低く呪文を唱えた。

 詠唱が完成したあと、杖を錠前に向けて振った。


 しかし……。錠前からはなんの音もしない。


「まあ、ここの錠前に『アン・ロック』が通用するとは思えないけどね」


 くすっと妖艶に笑うと、ミス・ロングビルは、自分の得意な呪文を唱え始めた。

 さて、それは『錬金』の呪文であった。

 朗々と呪文を唱え、分厚い鉄のドアに向かって、杖を振る。

 魔法は扉に届いたが……。しばらく待っても変わったところは見られない。


「スクウェアクラスのメイジが、『固定化』の呪文をかけているみたいね」


 ミス・ロングビルは呟いた。

 『固定化』の呪文は、物質の酸化や腐敗を防ぐ呪文である。

 これをかけられた物質は、あらゆる化学反応から保護され、そのままの姿を永遠に保ち続けるのだった。

 『固定化』をかけられた物質には『錬金』の呪文も効力を失う。

 呪文をかけたメイジが、『固定化』をかけたメイジの実力を上回れば、その限りではないが。


 しかし、この鉄の扉に『固定化』の呪文をかけたメイジは、相当強力なメイジであるようだった。

 『土』系統のエキスパートである、ミス・ロングビルの『錬金』を受けつけないのだから。


 ミス・ロングビルは、かけたメガネを持ち上げ、扉を見つめていた。そのときに、階段を上ってくる足音に気づく。


 杖を折りたたみ、ポケットにしまった。

 現れたのは、コルベールだった。


「おや、ミス・ロングビル。ここでなにを?」


 コルベールは、間の抜けた声で尋ねた。

 ミス・ロングビルは愛想のいい笑みを浮かべた。


「ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているのですが……」

「はぁ。それは大変だ。一つ一つ見て回るだけで、一日がかりですよ。何せここにはお宝ガラクタひっくるめて、所狭しと並んでいますからな」

「でしょうね」

「オールド・オスマンに鍵を借りればいいじゃないですか」


 ミス・ロングビルは微笑んだ。


「それが……、ご就寝中なのです。まあ、目録作成は急ぎの仕事ではないし……」

「なるほど。ご就寝中ですか。あのジジイ、じゃなかったオールド・オスマンは、寝ると起きませんからな。では、僕も後で伺うことにしよう」


 ミスタ・コルベールは歩き出した。

 それから、立ち止まり、振り向いた。


「その……、ミス・ロングビル」

「なんでしょう?」


 照れくさそうに、ミスタ・コルベールは口を開いた。


「もし、よろしかったら、なんですが……。昼食をご一緒にいかがですかな?」


 ミス・ロングビルは、少し考えたあと、にっこりと微笑んで、申し出を受けた。


「ええ、喜んで」


 二人は並んで歩き出した。


「ねえ、ミスタ・コルベール」


 ちょっとくだけた言葉遣いになって、ミス・ロングビルが話しかけた。


「は、はい? なんでしょう」


 自分の誘いが、あっさり受けられたことに気をよくしたミスタ・コルベールは、跳ねるような調子で答えた。


「宝物庫の中に、入ったことはありまして?」

「ありますとも」

「では、『破壊の杖』をご存知?」

「ああ、あれは、奇妙な形をしておりましたなあ」


 ミス・ロングビルの目が光った。


「と、申されますと?」

「説明のしようがありません。奇妙としか。はい。それより、何をお召し上がりになります? 本日のメニューは、平目の香草包みですが……。なに、僕はコック長のマルトー親父に顔が利きましてね、僕が一言言えば、世界の珍味、美味を……」

「ミスタ」


 ミス・ロングビルは、コルベールのおしゃべりを遮った。


「は、はい?」

「しかし、宝物庫は、立派なつくりですわね。あれでは、どんなメイジを連れてきても、あけるのは不可能でしょうね」

「そのようですな。メイジには、あけるのは不可能と思います。なんでも、スクウェアクラスのメイジが何人も集まって、あらゆる呪文に対抗できるよう設計したそうですから」

「ほんとに感心しますわ。ミスタ・コルベールは物知りでいらっしゃる」


 ミス・ロングビルは、コルベールを頼もしげに見つめた。


「え? いや……。はは、暇にあかせて書物に目を通すことが多いもので……、研究一筋と申しましょうか。はは。おかげでこの年になっても独身でして……、はい」


「ミスタ・コルベールのおそばにいられる女性は、幸せでしょうね。だって、誰も知らないようなことを、たくさん教えてくださるんですから……」


 ミス・ロングビルは、うっとりとした目で、コルベールを見つめた。


「いや! もう! からかってはいけません! はい!」


 コルベールはかちこちに緊張しながら、禿げ上がった額の汗を拭いた。

 それから、真顔になってミス・ロングビルの顔を覗き込んだ。


「ミス・ロングビル。ユルの曜日に開かれる『フリッグの舞踏会』はご存知ですかな?」

「なんですの? それは」

「ははぁ、貴女は、ここに来てまだ二ヶ月ほどでしたな。その、なんてことはない、ただのパーティです。ただ、ここでいっしょに踊ったカップルは、結ばれるとかなんとか! そんな伝説がありましてな! はい!」

「で?」


 ミス・ロングビルはにっこりと笑って促した。


「その……、もしよろしければ、僕と踊りませんかと、そういう。はい」

「喜んで。舞踏会も素敵ですが、それより、もっと宝物庫のことについて知りたいわ。私、魔法の品々にとても興味がありますの」


 コルベールはミス・ロングビルの気を引きたい一心で、頭の中を探った。

 宝物庫、宝物庫と……。


 やっとミス・ロングビルの興味を引けそうな話を見つけたコルベールは、もったいぶって話し始めた。


「では、ちょっとご披露いたしましょう。たいした話ではないのですが……」

「是非とも、伺いたいわ」

「宝物庫は確かに魔法に関しては無敵ですが、一つだけ弱点があると思うのですよ」

「はあ、興味深いお話ですわ」

「それは……。物理的な力です」

「物理的な力?」

「そうですとも! 例えば、まあ、そんなことはありえないのですが、巨大なゴーレムが……」

「巨大なゴーレムが?」


 コルベールは、得意げに、ミス・ロングビルに自説を語った。

 聞き終わったあと、ミス・ロングビルは満足げに微笑んだ。


「大変興味深いお話でしたわ。ミスタ・コルベール」

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