ガンダールヴ
第一章 使い魔の一日
使い魔の一日①
才人がトリステイン魔法学院でルイズの使い魔として生活を始めてから、一週間が経った。
才人の使い魔としての一日を紹介すると、こんな感じである。
まず、世の中のほとんどの動物と人間がそうであるように、朝起きる。
寝床は相変わらずの床である。
ただ、初日に比べ幾分マシになった。
硬い板の上で寝たらひと晩で体が痛くなった才人はメイドのシエスタに頼んで馬のエサである藁をもらい、それを部屋の隅に敷き詰めたのだ。
ルイズから恵んでもらった毛布にくるまり、その藁の上で寝ていた。
ルイズは才人が作ったその寝床を『ニワトリの巣』と呼んでいる。
なるほど、ニワトリは藁の上で寝るからであり、朝一番の才人の仕事は雄鶏のようであるからだった。
才人は朝起きると雄鶏のようにルイズを起こさねばならない。
ルイズが先に起きると、大変なことになる。
「ご主人様に起こされる間抜けな使い魔には罰を」というのがルイズの口癖である。
才人が寝過ごすと朝ご飯が抜かれるのであった。
ルイズは起こされると、まず着替える。
下着だけは自分でつけるが、制服は才人に着させてもらう。前述のとおりである。
ルイズは一応、とんでもなく可愛らしい容姿をしているので、下着姿を見ると才人は息が止まりそうになる。
美人の恋人は三日で慣れるというが、才人は未だに慣れない。
恋人ではなく、使い魔だからかもしれない。
でも、そばにいるといった点では、恋人とあまり変わりがない。
違うのは態度と待遇であった。
下着姿のルイズを眺めるのは悪くない。
が、しかし、やはりプライドが傷つく。
靴を履かせるときなどは、ムカついてしょうがない。
うっかり機嫌が顔に出てしまう。
顔色ぐらいならまだいいが、才人の言葉がルイズの神経を逆なですると、面倒なことになる。
「朝っぱらからご主人様を不愉快にさせる無礼な使い魔には罰を」
というのがルイズのモットーである。
下着姿のルイズの胸の大きさをからかったり、ぶすっとした顔で「ボタンぐらいテメエで留めろ」なんて言ったりすると、朝ごはんが抜かれるのであった。
黒いマントと白のブラウス、グレーのプリーツスカートの制服に身を包んだルイズは、顔を洗って歯を磨く。
水道なんて気が利いたものは部屋まで引かれていない。
才人は下の水汲み場まで行って、ルイズが使う水をバケツに汲んでこなければならない。
そしてルイズはもちろん、自分で顔を洗ったりしない。才人に洗わせるのである。
ある朝才人は、タオルで拭く振りをして、拾った消し炭でこっそりルイズの顔に落書きをした。
ルイズの顔に描かれた自分の作品を見て、才人は噴き出しそうになったが、こらえた。
もったいぶった調子で、恭しくルイズに頭をさげた。
「お嬢様。本日は、いちだんとお美しいことで」
血圧の低いルイズは、眠そうな声で答えた。
「……あんた、何企んでるの?」
「わたくしが? お嬢様のしがない使い魔に過ぎないわたくしが、企むなどと!」
ルイズはバカ丁寧な才人の態度を激しく不審に思ったが、授業に遅刻しそうだったのでそれ以上問い詰めなかった。
鮮やかな桃色の頬と鳶色の魅力的な瞳、艶やかなさんごのような唇に今のところ装飾は不必要とわかっているルイズは化粧をしない。
つまり、鏡をあまり覗かない。その日も覗かなかった。
結果、才人がしてくれた化粧に気づかなかった。
ルイズはそのままの顔で授業に出かけた。
遅刻ギリギリだったので、廊下や階段でも、誰にも出会わなかった。
ルイズは息せきって教室の扉をあけた。
一斉に振り返ったクラスメイトたちが爆笑した。
「ルイズ! いい顔だな! ルイズ!」
「いやだ! あなた! お似合いよ!」
直後、親切なミスタ・コルベールに、メガネとヒゲの形をした小粋な化粧を指摘されたルイズは怒り狂い、廊下で腹を抱えている才人を一ダースも殴り、才人のご飯をまる一日抜いた。
ルイズに言わせるなら、ご主人様の顔を画布に見立てる使い魔は、かつて神々を味方につけた始祖ブリミルに逆らいし悪魔も同じであり、悪魔に女王陛下から賜わったパンとスープを与えるわけにはいかないのであった。
朝食のあと、もっぱら才人はルイズの部屋の掃除をする。
床を箒で掃き、机や窓を雑巾で磨くのである。
そして楽しい楽しい洗濯が待っている。
下の水汲み場までルイズの洗濯物を運び、そこで洗濯板を使ってごしごしと洗う。
お湯なんて出やしない。湧き水は冷たく、指が切れてしまいそうになる。
ルイズの下着は高そうなレースやフリルなんかがたくさんついている。
破ったりすると飯を抜かれるので、丁寧に洗わねばならないのだ。
つらい作業である。
頭にきた才人は、ある日パンツのゴムにこっそり切れ目を入れておいた。
翌日ルイズは気づかずにそれを身につけ、歩いている途中でゴムが切れた。
パンツは足首までずり落ち、ルイズの両足に、猟師のワナのように絡みついた。
階段の上だったので、ルイズは派手に転落した。
幸い階段に人影はなかったので、むき出しの下半身をさらけ出して回転運動をかましたルイズの名誉は守られた。
さすがにやりすぎたと思った才人はスカートの中を見ないように心がけ、踊り場で気絶しているルイズに謝った。
ここまでやるつもりはなかった。
せいぜい、廊下で足首に落っこちて、恥をかかせてやれぐらいにしか思っていなかったのである。
息を吹き返したルイズは、パンツのゴムの切れ目に気づき、ベッドのそばでさすがにかしこまる才人にパンツを突きつけてこう言った。
「切れ目が入ってるわね」
「入ってますね。お嬢様」
ルイズは怒りを通り越した声で呟いた。
「説明して。わかりやすく」
「水汲み場の水がよくなかったんです。お嬢様。なにせ、指が切れそうに冷たいもんですから。ゴムも耐えられなかったと存じます」
才人は直立して、答えた。
「あくまで、ゴムの所為にするのね?」
「というか水の所為です。悪いのは水でございます。冷たいだけじゃなく、ゴムをどうにかする呪いがかかってるに違いありません」
才人は恭しく頭を下げた。
「そんな悪い水で作ったスープを、忠実な使い魔に飲ませるわけにはいかないわ」
「お優しいことで」
「三日もすれば、水も元に戻るでしょう」
才人は三日間、飯を抜かれた。
しかし、たとえ三日三食抜かれても才人は平気であった。
しょぼんとしたフリをして、アルヴィーズの食堂の裏にある厨房に赴く。
そこで働く愛らしいシエスタに頼めば、シチューや骨付きの肉なんかを寄越してくれる。
抜かれなくても、才人は厨房に通う。
ルイズがもったいぶって「あまねく照らす女王陛下のお慈悲」と嘯くスープは、お慈悲にしてはどうにも量が足りないからであった。
ルイズにはもちろん、厨房での施しは秘密にしていた。
口の利きかたを改めるまでスープを増量しないと言い張るルイズに、優しいシエスタの肉とシチューがバレたら、大変だ。使い魔の教育方針に煩いルイズは禁止するに決まっている。
でも、今のところバレてはいない。
そんなわけで、才人は会ったこともない女王陛下や始祖ブリミルの百倍、シエスタと厨房を敬愛しているのであった。
その日の朝も才人は、しょぼくれたスープをルイズの前で飲み干したあと、厨房にやってきた。
ヴェストリ広場で、貴族のギーシュをやっつけた才人は、大変な人気である。
「『我らの剣』が来たぞ!」
そう叫んで、才人を歓迎したのは、コック長のマルトー親父である。
四十過ぎの太ったおっさんである。
もちろん貴族ではなく、平民であるのだが、魔法学院のコック長ともなれば、収入は身分の低い貴族なんかは及びもつかなく、羽振りはいい。
丸々と太った体に、立派なあつらえの服を着込み、厨房を一手に切り盛りしている。
マルトー親父は、羽振りのいい平民の例に漏れず、魔法学院のコック長のくせに貴族と魔法を毛嫌いしていた。
彼はメイジのギーシュを剣で倒した才人を『我らの剣』と呼び、まるで王さまでも扱うように才人をもてなしてくれるのであった。
そんな厨房は今では才人のオアシスである。
才人が専用の椅子に座ると、シエスタがさっと寄ってきてにっこりと笑いかけ、温かいシチューの入った皿と、ふかふかの白パンを出してくれた。
「ありがとう」
「今日のシチューは特別ですわ」
シエスタは嬉しそうに微笑んだ。
才人は一口シチューをほお張ると、顔を輝かせた。
「うまい、うまいよ! あのスープとは大違いだ!」
そう言って感激すると、包丁を持ったマルトー親父がやってきた。
「そりゃそうだ。そのシチューは、貴族連中に出してるものと、同じもんさ」
「こんなうまいもの、毎日食いやがって……」
才人がそういうと、マルトー親父は得意げに鼻を鳴らした。
「ふん! あいつらは、なに、確かに魔法はできる。土から鍋や城を作ったり、とんでもない炎の玉を吐き出したり、果てはドラゴンを操ったり、たいしたもんだ! でも、こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって、言うなら一つの魔法さ。そう思うだろ、サイト」
才人は頷いた。
「まったくそのとおりだ」
「いいやつだな! お前はまったくいいやつだ!」
マルトー親父は、才人の首根っこにぶっとい腕を巻きつけた。
「なあ、『我らの剣』! 俺はお前の額に接吻するぞ! こら! いいな!」
「その呼び方と接吻はやめてくれ」
才人は言った。
「どうしてだ?」
「どっちもむずがゆい」
マルトー親父は、才人から体を離すと、両腕を広げてみせた。
「お前はメイジのゴーレムを切り裂いたんだぞ! わかってるのか!」
「ああ」
「なあ、お前はどこで剣を習った? どこで剣を習ったら、あんな風に振れるのか、俺にも教えてくれよ」
マルトー親父は、才人の顔を覗き込んだ。
マルトー親父は飯を食いに来た才人に、毎回こうやって尋ねるのであった。
その度に才人は同じ答えを繰り返した。
「知らないよ。剣なんか握ったことないもん。知らずに体が動いてた」
「お前たち! 聞いたか!」
マルトー親父は、厨房に響くように怒鳴った。
若いコックや見習いたちが、返事を寄越す。
「聞いてますよ! 親方!」
「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」
コックたちが嬉しげに唱和する。
「達人は誇らない!」
するとマルトー親父はくるりと振りむき、才人を見つめるのだ。
「やい、『我らの剣』。俺はそんなお前がますます好きになったぞ。どうしてくれる」
「どうしてくれると言われても……」
全部ほんとのことなのに、マルトー親父は、それを謙遜と受け取っている。
心苦しい。気さくな親父を騙している気分になってくる。
才人は左手のルーンを見つめた。
あの日以来、ぴたりと光らない。
なんだったんだろう、あれは……、と才人がぼんやり自分のルーンを見つめていても、マルトー親父はそれを達人の控えめさ、と受け取ってしまうのであった。
マルトー親父は、シエスタの方を向いた。
「シエスタ!」
「はい!」
そんな二人の様子を、ニコニコしながら見守っていた気のいいシエスタが、元気よく返事を返す。
「我らの勇者に、アルビオンの古いのを注いでやれ」
シエスタは満面の笑みになると、ぶどう酒の棚から言われたとおりのヴィンテージを取り出してきて、才人のグラスに並々と注いでくれた。
真っ赤な顔をしてぶどう酒を飲み干す才人を、シエスタはうっとりとした面持ちで見つめている。こんなことが毎回繰り返される。
才人が厨房を訪れるたびに、マルトー親父はますます才人のことを好きになり、シエスタはさらに才人のことを尊敬するのであった。
そしてその日は……。そんな才人を厨房の窓の外から覗きこむ赤い影があった。
若いコックが窓の外にいる影に気づいた。
「おや、窓の外に何かいるぞ」
赤い影は、きゅるきゅると鳴くと、消えていった。
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