俺は使い魔②



 平賀才人。高校二年生の十七歳。


 運動神経、普通。成績、中の中。彼女いない歴十七年。賞罰ナシ。


 先生の評価は

『ああ、平賀くんね。負けず嫌いで、好奇心が強いけど、ちょっとヌケてますね』。


 親の評価は

『もっと勉強しなさい。ヌケてんだから』。


 ヌケているだけに、アクシデントに動じることが少なく、割となんでも受け入れるほうである。


 先ほどは飛ぶ人間を見て大騒ぎをしたが、普通の人間なら腰を抜かすところをあの程度ですませたのは、そのような性格によるところが大きい。

 悪くいえばあまり物事を深く考えない性質である。


 そしてなかなか負けん気が強い。

 そういう意味では、先ほどのルイズと性格が似ているかもしれない。


 そんな才人は、ほんの三十分前まで、きちんと地球は日本の東京の街を歩いていた。


 ノートパソコンを修理して、家に帰る途中のことであった。

 ウキウキしていた。

 これでインターネットができる。

 出会い系に登録したばかりだった。

 彼女が見つかるかもしれない。

 彼は、平凡な毎日に刺激が欲しかったのだった。


 しかし、刺激はインターネットの中ではなく、帰る途中に現れた。


 駅から家に向かう途中、彼の前に突然光る鏡のようなものが現れたのである。

 才人は立ち止まり、それをまじまじと見つめた。

 才人は人一倍、好奇心が強い。

 高さは二メートルほど。

 幅は一メートルぐらいの楕円形をしている。厚みはない。

 よく見ると、ほんのわずか宙に浮いていた。


 好奇心が騒いだ。

 これはなんの自然現象だろう、と、そのぴかぴか光る鏡(らしきもの)を見つめた。

 どう見てもわからない。こんな自然現象は見たことも聞いたこともなかった。

 脇を通り過ぎようとしたが、持ち前の好奇心の強さが災いした。


 それをくぐってみたくなったのである。


 やめよう、と思った。

 すぐに、ほんのちょっとだけなら、に変わった。

 いけない性格である。


 とりあえず石ころを拾い、それを投げてみた。


 石ころは鏡(らしきもの)の中に消えた。

 ほほう、と思った。

 鏡(らしきもの)の後ろを見ても、石ころはどこにもない。

 次にポケットから家の鍵を取り出した。

 鍵の先っぽを、鏡(らしきもの)の中に入れてみた。

 なんともない。


 引き抜いて確かめたが、鍵には変わったところはなかった。

 才人はくぐってもおそらく危険はないと判断した。

 そう思ったら、くぐりたくてしかたがなくなった。


 結局、やめようと思いつつ、彼はくぐってしまった。

 よし、今から勉強しようと思いながら、マンガをひろげてしまうあの心境に似ていた。

 すぐに後悔した。

 激しいショックに襲われたからである。

 子供の頃、頭が良くなる装置と言って母が買ってきた、体に電流を流す機械のスイッチを入れたときのショックに似ていた。


 才人は気絶した。そして、目を覚ますと……。

 そこはファンタジーだったのである。






「それほんと?」


 ルイズが、疑わしげに才人を見つめながら言った。

 手に、夜食のパンを握っている。


 二人はテーブルを挟んだ椅子に腰掛けていた。

 ルイズの部屋であった。

 十二畳ほどの大きさだ。

 窓を南向きとするなら、西側にベッドがおかれ、北側に扉があった。

 東に大きなタンスが置いてある。

 どれもこれも、高価なアンティークに見えた。


 気絶から覚めた才人は、ここまでルイズに連れてこられたのである。

 才人は痛む頭を撫で回しながら答えた。先ほど殴られた頭が痛い。


「嘘ついてどうする」


 才人は今日ほど己の好奇心を恨めしく思ったことはない。


 あんなモノ、くぐらなきゃよかった……。


 ここは日本ではない。地球ですら、ない。

 魔法使いがいて、空を飛ぶ国があるなんて、少なくとも中学の地理では習わなかった。

 もし、あったとしても、空に浮かんだあのでかい月はなんだ。

 地球の夜空に浮かんだ月の、二倍は優にある。


 でかいのはまだいい。

 もしかしたらどこかの国に、そういう夜もあるかもしれない。


 でも、二つあるのはおかしい。

 才人が知らないうちに月は二つに増えたのだろうか。


 違う。そんなわけない。

 つまり、ここは確実に地球ではない。


 時刻は夜……。もう夜もふけてしまった。

 今頃、家族は心配しているだろうな、と、悲しくなった。


 窓からは、夜空のほかに先ほど才人が寝転がっていた草原が見えた。

 月明かりに照らされ、その向こうに大きな山が見えた。

 右手には鬱蒼としげる森が見える。

 才人はため息をついた。日本で見る森とは完全に違う。

 こんな広い常緑樹の森は、日本にはない。


 中世のお城のような、学院の敷地内を通り、ここまでやってきた。

 ただの旅行ならウキウキしてしまうような光景が広がっていた。


 石でできたアーチの門、同じく石造りの重厚な階段……。

 ここはトリステイン魔法学院だと、ルイズが説明した。

 トリステイン魔法学院は全寮制の学校であるとのことだった。

 魔法学院! 素晴らしい! 全寮制! 素晴らしい! そんな映画があったなあ!

 でも、地球じゃない……。


「信じられないわ」

「俺だって信じられん」

「別の世界って、どういうこと?」

「魔法使いがいない。月は一つ」

「そんな世界がどこにあるの?」

「俺が元いたところはそうなんだよ!」


 才人は怒鳴った。


「怒鳴らないでよ。平民の分際で」

「誰が平民だよ!」

「だって、あんたメイジじゃないんでしょ。だったら平民じゃない」

「なんだよそのメイジとか平民ってのは」

「もう、ほんとにあんた、この世界の人間なの?」

「だから違うって言ってるんですけど」


 才人がそう言うと、ルイズはせつなそうにテーブルに肘をついた。

 テーブルの上には、アールデコ調のカバーがついたランプが置いてある。

 ランプの中に淡い光が揺れて、部屋をぼんやりと照らしている。

 電気はないようだ。

 まったく、手が込んでいるつくりじゃないか。

 昔家族で旅行に行った、異人館の中のようだ。


 つくり?


 そうか。これは……。


「わかった」

「何がわかったの?」


 ルイズが顔を上げる。


「ドッキリだな。ドッキリテレビだ。皆して、俺をはめようとしてる。そうだな?」

「ドッキリってなによ」

「怪我人が出て中止になっていたが、最近ネタがなくなって始めやがったな。カメラはどこだ!」

「何言ってるのよ」


 才人はルイズに飛びかかった。


「きゃあ! なにすんのよ!」


 椅子を蹴倒し、ルイズにのしかかる。


「マイクはどこだ! ここか?」


 暴れるルイズを押さえつけ、ブラウスのボタンを外そうとした。

 しかし、したたかに股間を蹴り上げられ、才人は地面にうずくまる。


「ほぁあああああああ……」

「よ、よくも、貴族のわたしに……」


 ルイズはわなわなと震えながら、立ち上がった。

 激しい痛みで、才人は思う。

 これは夢じゃない。

 そして……、ここは、地球じゃない。どこか、別の世界なんだ。


「お願いだ……」

「なによ!」

「家に帰して……」

「無理」

「どうしてだよ……」

「だって、あんたはわたしの使い魔として、契約しちゃったのよ。あんたがどこの田舎モノだろうが、別の世界とやらから来た人間だろうが、一回使い魔として契約したからには、もう動かせない」

「ふざけんな……」

「わたしだってイヤよ! なんであんたみたいなのが使い魔なのよ!」

「だったら帰してくれよ……」

「ほんとに、別の世界から来たっていうの?」


 困ったように、ルイズは言った。


「ああ」


 才人は頷いた。


「なんか証拠を見せてよ」


 才人は痛む股間を押さえて立ち上がる。そして、鞄をあけた。


「なにこれ」

「ノートパソコン」


 才人は言った。

 修理したばかりのノートパソコンが、ピカピカ光っている。


「確かに、見たことがないわね。なんのマジックアイテム?」

「魔法じゃない。科学だ」


 才人はスイッチを入れた。

 ブーンとうなり、ノートパソコンが起動する。


「うわあ、なにこれ?」


 現れた画面を見て、ルイズが驚いた声をあげた。


「ノートパソコンの画面」

「綺麗ね……。何の系統の魔法で動いてるの? 風? 水?」

「科学だ」


 きょとんとした顔で、ルイズが才人を覗き込む。無邪気な表情だ。


「カガクって、何系統? 四系統とは違うの?」

「ああもう! とにかく魔法じゃない!」


 才人は手をぶんぶんと振った。

 ルイズは深くベッドに座り込むと、足をぶらぶらさせた。

 両手を広げ、澄ました顔で言った。


「ふーん、でも、これだけじゃ、わかんないわよ」

「どうして? こんなもの、こっちの世界にあるのかよ」


 ルイズは唇を尖らせた。


「ないけど……」

「だったら信じろよ! わからずや!」


 長い髪を振り乱し、ルイズは頭を振った。


「わかったわよ! 信じるわ!」

「ほんと?」


 腕を組んで、くいっと首をかしげ、ルイズは怒鳴る。


「だって、そう言わないと、あんたしつこいんだもん!」

「まあ、何にせよ、わかってくれればいいんだ。じゃあ、帰して?」

「無理よ」

「どうして!」


 ルイズは困った顔で、才人に告げた。


「だって、あんたの世界と、こっちの世界を繋ぐ魔法なんてないもの」

「じゃあどうして俺はやってこれたんだよ!」

「そんなの知らないわよ!」


 才人とルイズは睨みあった。


「あのね、ほんとのほんとに、そんな魔法はないのよ。大体、別の世界なんて聞いたことがないもの」

「召喚しといてそれはないだろ!」

「召喚の魔法、つまり『サモン・サーヴァント』は、ハルケギニアの生き物を呼び出すのよ。普通は動物や幻獣なんだけどね。人間が召喚されるなんて初めて見たわ」

「他人事みたいに言うな。だったら、もう一度、その召喚の魔法を俺にかけろ」

「どうして?」

「元に戻れるかもしれないだろ?」


 ルイズは、一瞬悩んだ顔になったあと、首を振った。


「……無理よ。『サモン・サーヴァント』は呼び出すだけ。使い魔を元に戻す呪文なんて存在しないのよ」

「いいからやってみろよ」

「不可能。今は唱えることもできないわ」

「どうして!」

「……『サモン・サーヴァント』を再び使うにはね」

「うん」

「一回呼び出した使い魔が、死なないといけないの」

「なんですと?」


 才人は固まった。


「死んでみる?」

「いや、いい……」


 才人はうなだれた。

 左手の甲に描かれた、ルーン文字を見つめた。


「ああ、それね」

「うん」

「わたしの使い魔ですっていう、印みたいなものよ」


 ルイズは立ち上がると、腕を組んだ。


 よく見ると、ほんとに可愛らしい。

 すらりと伸びた足、細い足首。

 背はそんなに高くない。百五十五センチといったところだろうか。

 目は子猫みたいによく動く。

 生意気そうな眉が、目の上の微妙なラインを走っている。


 出会ったのが出会い系の掲示板なら跳び上がって喜んだかもしれない。

 でも、ここは地球じゃない。帰りたいけど帰れない。

 才人はせつなくなって、がっくりと肩を落とした。


「……わかった。しばらくはお前の使い魔とやらになってやる」

「なによそれ」

「なんだよ。文句あんのかよ」

「口の利き方がなってないわ。『なんなりとお申しつけください、ご主人様』でしょ?」


 ルイズは得意げに指を立てて言った。

 可愛い仕草だけど、言ってることは厳しかった。


「でもよー、使い魔ってなにすんの?」


 才人は尋ねた。

 確かに、魔法使いが出てくるアニメとかで、カラスやフクロウが出てくるのを見たことがある。

 でもあいつらは大体肩に乗ってるだけで、具体的には何もしなかった記憶が……。


「まず、使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ」

「どういうこと?」

「使い魔が見たものは、主人も見ることができるのよ」

「はぁ」

「でも、あんたじゃ無理みたいね。わたし、何にも見えないもん!」

「君、ついてないなあ」


 才人はぼけっとした声で言った。


「それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とかね」

「秘薬ってなに?」

「特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」

「はぁ」

「あんた、そんなの見つけてこれないでしょ! 秘薬の存在すら知らないのに!」

「無理だ」


 ルイズは苛立たしそうに言葉を続けた。


「そして、これが一番なんだけど……、使い魔は、主人を守る存在であるのよ! その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目! でも、あんたじゃ無理ね……」

「人間だもん……」

「……強い幻獣だったら、並大抵の敵には負けないけど、あんたはカラスにも負けそうじゃない」

「うっせ」

「だから、あんたにできそうなことをやらせてあげる。洗濯。掃除。その他雑用」

「ふざけんな。そのうち絶対帰る方法を見つけてやるからな!」

「はいはい。そうしてくれるとありがたいわ。あんたが別の世界とやらに消えれば、わたしだって次の使い魔を召喚できるもの」

「この野郎……」

「さてと、しゃべったら、眠くなっちゃったわ」


 ルイズはあくびをした。


「俺はどこで寝ればいいんだよ」


 ルイズは、床を指差した。


「犬や猫じゃないんだけど」

「しかたないでしょ。ベッドは一つしかないんだから」


 ルイズはそれでも毛布を一枚投げてよこした。

 それから、ブラウスのボタンに手をかける。

 一個ずつ、ボタンを外していく。

 下着があらわになる。才人は慌てた。


「なな、なにやってんだよ!」


 きょとんとした声で、ルイズが言った。


「寝るから、着替えるのよ」

「俺のいないところで着替えろよ!」

「なんで?」

「だ、だってね。まずいだろ! やっぱ!」

「まずくないわよ」

「魔法使いって、そうなの? 男に見られても平気なの?」

「男? 誰が? 使い魔に見られたって、なんとも思わないわ」


 なんだよそれ。まるで犬か猫扱いだ。

 才人は毛布を引っつかむと、頭からかぶって横になった。

 とりあえず、さっき可愛いと思ったことは取り消すことにした。

 気に入らない。こんなヤツの使い魔だって? 冗談じゃない。


「じゃあ、これ、明日になったら洗濯しといて」


 ぱさっ、ぱさっと何かが飛んできた。

 なんだろう、と思ってそれを取り上げる。


 レースのついたキャミソールに、パンティであった。

 白い。精巧で緻密なつくりをしているなあ、と熱した頭で考える。

 屈辱と歓喜が入り混じった感情が溢れ、それを握り締める。


「なんで俺がお前の下着を! 洗濯! 嬉しいけどふざけるな!」


 思わず立ち上がる。

 ルイズは、大きめのネグリジェを頭からかぶろうとしていた。

 淡いランプの光に、ルイズの肢体があらわになっている。

 薄暗いのではっきりとは見えないけど。

 でも、ほんとに恥ずかしくないようだった。

 なんか悔しい。男として否定された気分だった。


「誰があんたを養うと思ってるの? 誰があんたのご飯を用意すると思ってるの? ここ誰の部屋?」

「うぐ」

「あんたはわたしの使い魔でしょ? 洗濯、掃除、雑用、当然じゃないの」


 才人は再び毛布にくるまった。


 ダメだコイツは。根っから俺を男と思ってない。

 帰りたい。自分の部屋が恋しい。両親が恋しい。

 ホームシックが襲ってくる。

 ……ほんとに帰れるのだろうか。

 帰る方法はあるんだろうか。

 今頃、家族は心配してるだろうな……。

 とにかく、なんとか帰る方法を見つけないと……。

 どうすればいいんだろう。

 とりあえずここから逃げ出そうか。逃げ出してどうする。

 誰かに尋ねてみようか。

 でも、ルイズとのさっきの会話を思い出すと、別の世界の存在なんて、誰も信用してくれそうにない。


 冷静になって考えてみた。

 とにかく、じたばたしても始まらない。

 手がかりはなんにもないし、ここから逃げ出したところで帰る方法が見つかる保証はない。


 この世界には身よりもない。

 ルイズとかいう、生意気な女の子しか、頼れる人間はいないのだ。


 しかたない。とりあえず、コイツの使い魔として、やっていこう。

 飯ぐらいは食わせてくれるらしい。

 せつないけど、コイツにとっちゃ俺は使い魔なんだからな!


 生意気だけどまあまあ可愛いし、ガールフレンドができたと思えばいい。

 出会い系でついつい出会ってしまったと思えばいい。

 会いに行ったら外国でしたと思えばいい。

 ついでに留学しますと思えばいい。

 そう思い込め。思い込め。思い込んだ。俺って単純。偉い。


 よし、と思った。

 無人島に流されたワケじゃない。くよくよしても始まらない。

 使い魔として生活しつつ、なんとか元の世界に帰る方法を見つける。

 そうと決めたら、眠くなってきた。


 よくも悪くも、順応性の高い才人の性格が、彼を守った。

 普通の人間なら、パニックに陥るところを、才人は持ち前の流されやすい性格で切り抜けた。


 ルイズが、ぱちんと指を弾くと、ランプの灯りが消えた。

 ランプまで魔法かよ。確かにこれなら電気はいらんなあ、と間抜けなことを思った。


 部屋に、真っ暗な夜の帳がおりる。

 窓の外には月が二個、怪しく光っていた。


 母さん、才人は魔法使いがいる世界にやってきてしまいました。

 しばらく学校にも行けません。勉強もできません。勘弁してください。


 才人の使い魔としての生活が始まった。

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