第六章 出立の朝④
一方、その頃。カミトとフィアナは〈精霊の森〉の奥深くまでやってきていた。
夜はたちの悪い精霊の蠢く闇の森だが、日中はあたかも神聖な祭殿にいるかのような気分になる――〈精霊の森〉はそんな二面性を備えた森だ。
(そういえば、ここでクレアに出会ったんだよな……)
……あれはいろいろと最悪の出会いだったが。
「二人で森の中を散歩なんて、まるでデートみたいね」
「デートに向いてる場所じゃないな。目には見えない精霊がそこら中に漂ってる」
「平気よ。私、どちらかというと見られてるほうが燃えるタイプだし」
「……なっ、お、お姫様がそんなこと言うな!」
「冗談よ。なに赤くなってるの?」
そんな会話を交わしながら、二人は森の中の開けた場所に出た。
ここなら、誰かに話を聞かれる心配はない。
「さて、俺の聞きたいことはひとつだ――」
「私の下着の色は黒よ」
「先回りして答えるな。じゃなくて、そんな質問するつもりはないからな」
カミトは半眼で突っ込んだ。
……お姫様のペースに巻きこまれてはだめだ。
こほん、と咳払いすると、フィアナの目をまっすぐに見つめ――
「あんたは、どうして俺の正体を知っている?」
「……」
数秒の沈黙。
そして、彼女は静かにため息をついた。
顔に隠しきれない失望の色が浮かぶ。
「……ねえ、本当に思い出せない?」
「悪いが、俺に王女様の知り合いはいないからな」
カミトの答えに、フィアナはふたたびため息をついた。
頬をふくらませ、あきれているというよりは、怒っている感じだ。
「ヒントその一、この森を見てなにか思い出さない?」
「森?」
「そうよ、〈
「ヒントその二、〈
「
「ヒントその三っ、髪形っ!」
苛々した声で叫び、フィアナは両手で髪をアップに結い上げた。
艶やかな黒髪を両端で結い上げた、その顔に――
「あ!」
カミトは思わず声を上げていた。
「……お、思い出した!」
三年前、
たしか、あのとき、カミトは女装していないときの姿を見られてしまったのだ。
「あのときの女の子、フィアナだったのか!」
「……そうよ、まったく」
拗ねたように唇を尖らせるフィアナ。
「いや、でも、雰囲気が違いすぎて……」
カミトは言葉を濁した。
それほど鮮明に覚えているわけではないが、少なくとも、こんな大人びた女の子ではなかったはずだ。
「なによ、カミト君だって、ずいぶん変わったじゃない」
「いろいろあったんだよ」
カミトはばつが悪そうに目を逸らした。
その視線は、無意識に革手袋に覆われた左手を見つめていた。
――三年前とは、なにもかもが変わってしまった。
決して願ってはならない〈願い〉に手を伸ばし、彼女を失ったあの日から。
「また会えるって約束したのに、ずっと待ってたのに。君は姿を消してしまったわ」
「……悪い」
カミトは素直に謝った。
フィアナは腰に手をあて、やれやれとため息をつく。
「いいわ、許してあげる。ぜんぜん思い出してくれなかったのは腹が立つけど、まあ、そうよね。あなたにとっては、たまたま助けた女の子の一人でしかないんだもの」
でもね――と、フィアナは寂しそうにつぶやくと。
ふいに、やわらかい指先をそっとカミトの唇に押しあてた。
「本当に、初恋だったのよ」
「なっ……!?」
「冗談よ」
「……お、おまえな」
カミトが半眼で睨むと、フィアナはくすくすと微笑んだ。
「そうか、あのときの女の子か……」
しかし、だとしても――
いったいなぜ、彼女がカミトに近づいてきたのか。その理由がわからない。
「フィアナは、どうしてこの学院に来たんだ?」
「もちろん、大好きなカミト君とちゅっちゅするためよ」
「……言ってて恥ずかしくないか?」
「え、ええ……いまのはちょっと恥ずかしかったわ」
フィアナは赤くなってうつむいた。……じゃあやるなよ。
「私がここに来たのは、カミト君のことを聞いたからよ」
「俺のことを?」
「ええ、数日前に、城仕えの執事から噂を聞いたの。暴走した軍用精霊を倒した、男の精霊使いがいるって。で、調べてみたらその名前が――」
「三年前に姿を消した、俺の名前だったってわけだ」
「そういうこと。もっとも、男の精霊使いというだけでピンときたけどね」
「で、なんで俺に会いにきたんだ?」
「そ、それはカミト君とちゅっちゅするため――」
「いや、それはもういいから」
カミトがさえぎると、フィアナはちょっとむっとしたように押し黙った。
そして、静かに口を開く。
「過去の秘密で君を脅して、無理矢理チームを組んでもらおうと思ったのよ」
「どういうことだ?」
「
「……なるほどな。ってことは、あのわざとらしい色仕掛けも計画の一環か」
「えっと……バ、バレてたかしら」
「演技が不自然すぎるからな。まあ、がんばってたほうだとは思うが」
なにしろ本物のお姫様で、厳格なことで有名な〈神儀院〉の姫巫女だ。
そういう方面のことに関しては、ある意味、この学院のお嬢様たち以上にうぶな女の子なのだ。
「でも、誤解しないで! あ、あんなことするのはカミト君にだけなんだから!」
「いや、そんなフォローされても困るんだが……」
カミトは半眼でうめき、ため息をついた。
「でも、どうして〈
「それは……」
フィアナは一瞬、迷うような表情をしてから――
「決まってるじゃない。
「……そうか」
――嘘だ。
カミトは直感した。
きっと、それが本当の理由ではない。
凜とした彼女の瞳は、クレアと同じように、目的への強い意志を宿している。
そんな理由で、こんな目はできないはずだ。
「ねえ、カミト君。怒っていないの?」
「ん、どうしてだ?」
「だって、私はあなたを利用しようとしているのよ」
妙なところで生真面目なお姫様に、カミトは肩をすくめた。
「べつに、グレイワースにはいつも利用されてるしな。おまけにクレアには奴隷あつかいだ。そんなのが一人二人増えたところで、変わりはないさ」
「あの
フィアナが苦笑した、そのとき――
「君たち、そこでなにをしている!」
ガサッと茂みがざわめき、凜とした声が響きわたった。
振り向くと、茂みの向こうから見知った顔の少女があらわれた。
「エリス?」
「……なんだ、カミトか」
エリスはほっと息をついて剣を収めると、茂みをかきわけこちらへ歩いてきた。
そのすぐ後ろから、騎士団のラッカとレイシアがあらわれる。
「エリス、どうしたんだ? なんでこんな森の中に?」
「それはこっちの台詞だ。昨日の襲撃者のせいで騎士団はピリピリしているんだ。勝手な真似は慎んでもらいたい」
すっとエリスの視線が、カミトの背後に立つフィアナに向けられた。
その表情がとたんに険しくなる。
「お、おまえたち、こんな場所で、二人きりで、なにをしていた!」
いつのまにか、カミトの喉もとに剣が突きつけられていた。
……いつもながら神速の抜剣術だ。
「いや、俺たちは――」
「野暮ね、年頃の男女が森の中ですることといったらひとつじゃない」
「なっ、なんだと!?」
フィアナの言葉に、エリスの顔がカアアッと真っ赤に染まった。
ぐいっと剣の刃が立てられる。
「おい、フィアナ!?」
カミトは怒鳴るが、フィアナはふいっと素知らぬ顔だ。
「が、学院には不純異性交遊を禁止する校則はない。なにしろ異性がいないのだからな。だが、校則が許しても騎士団が許さん! さあ、なにをしていたのだ、言え!」
「さあ、なにかしら。でも、だいたい想像つくんじゃないかしら」
カミトの腕にむぎゅっと胸を押しつけるフィアナ。
エリスの目がますます剣呑に吊り上がる。
「フィアナ、なんでいつも火を油を注ぐような真似をするんだ!?」
「き、君のことを少しは見直していたのに……こ、この不埒者!」
ブンッ――剣が振るわれた。
容赦のない斬撃に、カミトはあわててとびさがる。
「ま、まて、エリス! 騎士団きてくれ、ここに殺人鬼がいるぞ!」
「ばかめ、私が騎士団だ!」
「皮肉で言ったんだよ!」
カミトが怒鳴る。
「団長、時間がもったいないぜ」
と、ラッカがエリスの肩に手をおいた。
「悪いわね、うちの団長は、あなたを前にすると情緒不安定になってしまうのよ」
「……〜っ、そ、そんなことはないっ!」
くすっと笑うレイシアに、エリスが顔を真っ赤にして噛みついた。
とりあえず、命の危険は去ったようだ。カミトはほっと息をつく。
「ったく、エリスたちこそ、こんな朝からどうしたんだよ?」
「ああ、任務で鉱山へ出かけることになってさ。坑道の中で光源に使う、光属性の精霊を捕獲しに来たんだ」
答えたのはラッカだった。
なるほど。手には小さな精霊鉱石を入れたランタンを持っている。
「鉱山? ひょっとして、俺たちと同じ鉱山都市ガドの調査任務か?」
「ああ、そうさ。もっとも、私たちのは調査任務じゃないけどな」
「どういうことだ?」
「今朝、新たに追加された
「襲撃者――あのジオ・インザーギって奴か」
複数の契約精霊を使役する、男の精霊使い。
あの男の目的がなにか、わかったのだろうか。
「そうだ。まだ奴の正体までは掴めていないが――図書館から奪われた機密資料は、戦後、鉱山都市ガドに封印された戦略級軍用精霊――〈ヨルムンガンド〉について記録されたものだった。どうやら、鉱山都市周辺で暗躍してる連中がいるらしい」
エリスが悔しそうに歯を食いしばった。
「ジオ・インザーギ――奴のせいで
エリスの言葉に、ラッカとレイシアも力強くうなずいた。
(……どうやら、ただの地震の調査ではすまなさそうだな)
カミトの脳裏にある予感がよぎった。
奪われた戦略級軍用精霊の機密資料。
そして、なぜかカミトの正体を知っている襲撃者。
(グレイワースは、あの襲撃者についての情報を掴んでいたんじゃないか?)
あの
だが、考えてみれば、このタイミングでグレイワースがSランク任務を提示してきたのは、なにか意図的なものを感じる。
(魔女め……)
カミトは苦々しくうめいた。
それから、エリスのほうを向くと――
「……なあ、エリス。目的地が同じなら、俺たちと協力しないか?」
あのジオ・インザーギとかいう襲撃者は尋常な相手ではない。
エリスの実力はもちろん知っているが、彼女の手に負える相手ではないだろう。
だが、エリスはきっぱりと首を振った。
「カミト、気持ちはありがたいが、君たちの手を借りるわけにはいかない。これは
「ま、そう言うだろうと思ったけどな。無理はするなよ」
「あ、ああ……君こそ、な」
カアッと赤くなってそっぽを向くエリス。
その様子を見たフィアナが、なぜか、むっと不機嫌そうに唇を尖らせた。
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