第六章 出立の朝③


 朝靄にけぶる学院の中庭。

 リンスレット・ローレンフロストは、メイドと狼をつれて朝の散歩をしていた。


「キャロル、食堂で朝食でもとりましょうか」

「はい、お嬢様」


 嬉しそうにうなずくキャロル。

 隣を歩く白狼もうぉんっと鳴いた。


 獰猛そうな姿とは裏腹に、意外とつぶらな目をしたこの狼は、ローレンフロスト家に代々仕えてきた高位の魔氷精霊〈フェンリル〉だ。


 契約精霊を散歩させることは、そうめずらしいことではない。

 精霊たちはとくに森を歩くことを好んだ。

 学院を囲む〈精霊の森〉は、こちらの世界に顕現した精霊にとって、とても心地のよい環境なのだ。


 中庭を囲む学院の廊下を、騎士団の少女たちがあわただしく走っていた。


「なんですの? 朝から騒々しいですわね」

「昨晩、学院に泥棒が入ったそうですよ、お嬢様」

「この学院に忍び込むなんて、それは勇気のある泥棒ですわね――あら?」


 ふと眉をひそめ、リンスレットが声をあげた。

 学院の校舎から精霊の森へ向かう道を、カミトが歩いていたのだ。

 カミトは横にハッとするほど綺麗な女の子を連れていた。


「あれ、カミト様ですよね。横の女の子は、たしか編入生のフィアナさん?」

「……」


 リンスレットはむっと不機嫌そうに唇を尖らせた。


「どうしてかしら、なんだか胸がムカムカとしてきましたわ」

「あら、お嬢様はカミト様が嫌いなんですか?」

「ええ、大嫌いですわ! あんな見さかいのない方!」

「でも、お嬢様はずいぶんカミト様のことを気になされているようですね」

「わ、わたくしはただ、クレア・ルージュの奴隷を奪いたいだけですわ!」


 顔を赤くしてふいっとそっぽを向くリンスレット。


 ――と、そこにまた知り合いの姿を見つけて眉をひそめる。

 ちょうどレイヴン教室寮の外門から、クレアが出てくるところだった。


 なんだか様子がおかしい。

 めずらしく沈んだ表情でとぼとぼと歩いている。

 自慢の紅いツーテールも、いまはしょぼんと垂れ下がっていた。


「いったい、どうしたのかしら?」


 リンスレットは心配そうにつぶやいた。


(……ライバルとはいえ、さすがに放ってはおけませんわね)


 いつもは喧嘩をしていても、なんだかんだで幼馴染みが心配なのだった。

 キャロルとフェンリルをその場に残し、リンスレットはそっと背後から近づいた。


「あ、あいつってば、そんなに大きな胸がいいのかしら、あの脂肪の塊が……」

「胸がどうかしましたの、クレア・ルージュ?」

「……っ! リ、リンスレット!?」


 クレアがのけぞって悲鳴をあげた。


「あなたの胸が残念なのは、いつものことじゃないですの」

「う、うるさいわねっ……まあいいわ。それより、カミトを見なかった?」

「カミトさんなら、さっき見かけましたわよ。女の子と二人で歩いていましたわ」

「な、なんですって!」

「森のほうに入っていきましたわ。追いかければまだ間に合いますわよ」


 クレアはぐぬぬ……と唸った。


「し、知らないわ、あんなやつ! む、胸に埋もれて窒息死すればいいのよ!」

「ねえ、クレア、いったいどうしましたの?」


 怪訝そうに訊くリンスレット。

 クレアは唇をきゅっと噛みしめ――


「リンスレット、恥を偲んで聞くわ……ど、どうして、あたしの胸は小さいのかしら」


 顔をもじもじと赤らめるクレアに、リンスレットはふっと優しく微笑んだ。


「あなたはなにも悪くありませんわ。ただ、あなたの残念な胸が悪いのですわ。それに、そっちのほうが好みというマニアックな男性も世の中にはいますわよ」

「リンスレット、あんた、慰めるふりしてものすごく失礼なこと言ってない?」

「気のせいですわ」


 リンスレットはしれっと言った。


「わたくしの胸を、あなたにわけて差しあげられたらいいのですけど……」


 つぶやいて――ふとリンスレットは、前になにかの雑誌で読んだ記事を思いだした。


「クレア、胸を大きくする方法を思い出しましたわ」

「え?」


 クレアは一瞬、期待に満ちた目でリンスレットを見つめた。

 ……だが、すぐに首を振る。


「……う、うそよ、そんな方法あるわけないじゃない。昔〈精霊の森〉に伝説の巨乳精霊がいるっていう噂を聞いて狩りにいったけど、あれもデマだったし」

「え? あなた、そ、そんな残念なことをしていましたの?」


 リンスレットはさすがにちょっと引いていた。


「う、うるさいわねっ……まあいいわ。その方法とやらを聞いてあげる」


 クレアは、こほん、と咳払いして言った。


 関心がなさそうな態度をとってはいるが、興味津々なのはバレバレだった。

 リンスレットはふむ、と顎に手をあてる。


(……これは、ひょっとすると取り引きに使えるかもしれませんわね)


 どうやら、クレアの悩みごとはたいして深刻なものではないようだ。

 となると、ライバルにただで情報をあげるのは、もったいないような気がしてきた。


(……そういえば、クレアのチームはSランク任務にエントリーしていましたわね)


 リンスレットは、ふと、昨日キャロルから聞いたことを思い出した。


「教えてさしあげてもいいですけど。ただでというわけにはいきませんわね」

「な、なによ?」

「チーム・スカーレットの今度の任務、わたくしも参加させていただきますわ」

「……は? なんであんたがついてくるのよ!」

「あなたたちだけ旅行だなんて、ずるいですわ。それに、わたくしの目のとどかないところで下僕を勝手に手懐けられては困りますもの」

「旅行じゃないわ、任務よ。だいたいカミトはあんたの下僕じゃないし」


 クレアはそっけなく首を振った。

 当然だ。任務に参加する人数が増えれば、それだけ一人あたりに与えられるランキングポイントも減ってしまうのだから。


「そう、なら残念ですけど、胸を大きくする方法は教えられませんわね」

「くっ……」


 クレアは悔しそうに歯噛みした。

 数秒間、キッとリンスレットを睨みつけ――


「……っ、わ、わかったわよ」


 やがて、あきらめたようにため息をついた。


「ついてきてもいいわ。でも、あんたとチームを組むのは一時的にだからね」

「あ、あたりまえですわ! だれがあなたのチームになんて入るものですか!」

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