第二章 お嬢様たちの午後③


「エリス!」


 クレアがむっとうめいた。

 ……また邪魔なのがきた。そんな表情だ。


 エリス・ファーレンガルト。

 学院の風紀を守る〈風王騎士団シルフィード〉の団長だ。

 可愛い容姿に似合わず厳格な性格で、日頃から問題を起こしているレイヴン教室のクレアたちとは折り合いが悪いようだ。


 もっとも、カミトとしては、それほど苦手な相手というわけではない。

 入学当初は男の精霊使いというだけでカミトを毛嫌いしていたようだが、そのことについては、すまなかったと謝罪してくれた。

 ちょっと生真面目すぎるところはあるにしても、一本芯の通ったまっすぐな性格で、騎士の誇りをもっているところは尊敬できる。


 エリスはつかつかとテーブルのほうへ歩いてきた。


「騎士団長様がなんの用ですの?」

「決闘のやり直しなら、いつでも受けてたつわよ」


 リンスレットとクレア、二人の目が剣呑な光を帯びる。

 そういえば、先日の決闘は、突然の魔精霊の乱入によってうやむやになってしまった。

 あのときの決着を、再びつけようということなのだろうか――


(……勘弁してくれよ。決闘なんて二度とごめんだぞ)


 こちらへやってきたエリスが、鋭い目でクレアを見下ろした。


「ふん、私はいまここで決着をつけても構わないぞ、クレア・ルージュ」

「望むところよ」


 エリスが剣を抜き放つと、クレアもスカートの下から革鞭を抜いた。

 一触即発の空気に、周囲のテーブルにいた女の子たちがガタガタッと立ちあがる。


「おい、クレア……」


 カミトが止めようとすると――


「だ、団長、落ち着いて!」

「こ、ここで剣を抜くのはだめですよ!」


 カフェの入り口から、二人の少女があわてた様子で駆けてきた。

 エリスと同じ騎士団の甲冑を身に着けている。

 髪の短いボーイッシュな娘と、なんとなく生真面目そうな三つ編みの娘。


 二人ともカミトには見覚えがあった。

 先日の決闘で戦った騎士団の女の子たちだ。

 名前は確か――髪の短い方がラッカで、三つ編みのほうがレイシアだったか。

 騎士団の仲間に止められ、エリスはばつが悪そうに剣を収めた。


「……す、すまない、騎士団長ともあろう者が」


 恥じ入るように咳払いして、二人の少女に謝ると――

 こんどはカミトのほうへ向きなおった。


「カゼハヤ・カミト」

「俺?」


 カミトは怪訝そうに首を傾げた。

 クレアはともかく、自分はとくに騎士団に睨まれるようなことをした覚えはないのだが。


「今朝の対抗試合でウルヴァリン教室に負けたそうだな、完膚なきまでに」

「なによ、やっぱり喧嘩売ってるの?」


 クレアがガタッと立ちあがる。


「そうではない。じ、じつはだな、カゼハヤ・カミト、君を――」


 エリスは首を振ると、急にもじもじと顔を赤らめてうつむいた。


「ん、どうしたんだ?」

「だから、その……」

「もう、団長ってば、早く言えばいいのに」

「いつもは毅然としてるのに、こういうときはまだるっこしいんだよなあ」


 エリスの背後でレイシアとラッカがひそひそ囁く。


「でも、こうやって照れる団長も可愛いですね」

「あー、あれだな、まるで恋する乙女みたい――」

「か、からかうな! わ、私はこんな不埒者のことなどなんとも思っていないっ!」


 エリスは顔を真っ赤にして叫んだ。

 それから、誤魔化すようにこほん、と咳払いする。


「そ、それは確かに、先日の件で少し見直しはしたが……それだけだ。わ、私が憧れるのは、かの最強の剣舞姫レン・アッシュベルのような、高潔で強い女性なのだ。断じてこんな男など!」

「……」


 凜とした声で告げるエリスを、カミトは半眼で見つめた。


(……悪いな、お前の憧れの女性は幻想なんだよ)


「む、な、なんだその目はっ!」


 エリスはカミトの首筋に剣を突きつけた。


「わ、私がレン・アッシュベルに憧れているのが、そんなにおかしいのか?」

「……っ、い、いや、そうじゃない!」


 カミトはあわてて首をぶんぶん振った。


 三年前の精霊剣舞祭ブレイドダンス――最強の剣舞姫の舞った剣舞は、同年代の少女たちに強烈な印象を残した。

 以来、彼女は精霊使いを目指す姫巫女たちの憧れなのだ。

 それはどうやら、エリスも例外ではないらしい。


「いいから、用件を早く言いなさいよ」

「うるさい、わ、わかっている!」


 クレアに向かって言い返すと、エリスはふたたびカミトの顔を見つめた。


「カゼハヤ・カミト――」

「な、なんだよ……」

「その、つまり、だな……」


 緊張しているのか、エリスの手がかすかに震えていた。

 ちなみに、剣を突きつけたままなので危なっかしくてしかたない。


「つまり……わ、私は君が欲しい!」

「……」


 ――シン、と静寂がおとずれた。


 クレアたちはもちろん、ラッカとレイシアも唖然としていた。

 数秒間、時間が凍りつく。


「な、なな、な……」


 最初に口を開いたのはクレアだった。

 顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。


「……っ!?」


 エリスはハッとしたように目を見開き、ぶんぶん首を振った。


「ち、ちがうぞ、い、いまのは、そういう意味ではない!」

「そ、そそ、そういう意味って、どういう意味よ!」

「だから、そ、それは――」


 エリスは大きく深呼吸してから、


「カゼハヤ・カミト、わ、私たちのチームに入らないかっ?」

「え?」


 予想外の言葉に、カミトは耳を疑った。


(……エリスが、俺とチームを?)


「なんですって?」


 クレアとリンスレットも目を丸くしている。

 ラッカとレイシアは真っ赤になったエリスを見てニヤニヤしていた。


「……えっと、どういうことだ?」

「そ、そのままの意味だ。カゼハヤ・カミト、き、君を私のチームに迎え入れたい。あの軍用精霊を倒した君の実力なら申し分ないからな」


 早口にそう言って、ふいっとあさってのほうへ目を逸らすエリス。

 どうやら、本当にカミトをスカウトするつもりのようだ。

 首筋に剣を突きつけながらなので、スカウトというよりは脅迫っぽいが。


 エリスの成績は上級生を抑えてトップクラスだ。

 カミトがこのチームに加われば、精霊剣舞祭への参加資格を得る確率が大幅に上がるのはまちがいない。


 しかし――


「エリス、俺は――」

「だめよ、こいつはあたしの契約精霊なんだからっ!」


 カミトの返答をさえぎって、叫んだのはクレアだった。

 椅子から立ちあがり、カミトの制服の袖をぎゅっと掴む。


「クレア、おまえ……」


 カミトが振り向いて見下ろすと、透き通った紅玉ルビーの瞳と目が合った。

 クレアの瞳は、不安そうに揺れていた。

 たぶん本人は意識していないのだろうが、すがるような目で見つめてくる。


(そうか、こいつは……)


 きっと、姉のルビアに裏切られたことが、心の深いところで傷になっている。

 誰かに見捨てられる――というのが、怖くてしかたないのだ。

 だからいつも孤独。誰にも頼れない。

 また裏切られるのが怖いから――


「……」


 カミトは――


 ふっと息をついて頭をかいた。


(……そんな顔を見せられたら、な)


 苦笑しながら、クレアの頭のつむじにぽんと優しく手をのせる。

 答えなんて最初から決まっていた。悩むまでもない。


「エリス、悪いが、俺はこいつの契約精霊なんだ。チームを変える気はない」

「……カミト!?」


 クレアがハッと顔を上げ、目を見開いた。


「……そうか」


 エリスがきゅっと唇を噛む。

 だが。つぎの瞬間にはもう、いつもの凜とした表情に戻っていた。


「……わかった。突然、無理を言ってすまなかったな」

「いや、こっちこそ……俺なんかを誘ってくれてありがとな」


 カミトが謝ると、エリスはちょっと照れたようにはにかんだ。


「い、いいのだ。き、君がそういう男だからこそ、私は――」

「うん?」


 エリスがなにか言ったようだが、声が小さくて聞きとれなかった。


「あーあ、フラれちゃいましたね」

「大丈夫、団長にはあたしたちがいるぜ」

「お、おまえたち……そ、そんなのではないっ!」


 ニヤニヤとからかう仲間の二人を、エリスが真っ赤になって怒鳴った。


「あ、あの、カミト……」

「ん?」


 クレアが制服の袖を掴んだまま、なにか言いたそうにもじもじしていた。


「どうしたんだ?」

「……あ、ありが……と」

「……? なんだ?」


 なにを言おうとしているのか、声が小さすぎてよく聞きとれない。

 こんなふうに口ごもるのはクレアにしてはめずらしい。


「だ、だからっ……えっと、ね……」


 と、そのときだ。バンッと扉が開き――


「ここに淫じゅ――カゼハヤ・カミトはいますかっ!」


 サロン・カフェに学院生の女の子が駆けこんできた。

 よほど急いで来たのだろう、息を切らしているようだ。


(っていうか、いま俺の名前を淫獣って言いかけたような……)


「俺ならここにいるぞ」


 カミトが手を挙げると、その子はほっとしたように胸を撫でおろした。


「学院長がお呼びです。すぐに来るようにと」

「グレイワースが?」

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