第三話 『接触』
「なんでこんなことになってるんだ……?」
と、一騎は悲しさを一杯に含んだ溜め息を「はぁ」 と吐き出した。
場所は変わってグラウンド。その中で制服姿の一騎は浮いていた。
周りを見渡せば、皆がそれぞれ速乾性に優れた最新型のトレーニングウェアを着込んで練習に取り組んでいる姿が見える。またそれだけではなく、センサー式のホログラムディスプレイ型ストップウォッチといった、最新の機器が使われているのが見える。
「たくっ、おせぇぞ!!」
のそり、と担いだクーラボックスの重さに顔をしかめた一騎に、しゃがれた怒声が飛んでくる。声の主は陸上部の上級生だった。
「はい、すいませんっ!」と返事を返しつつ、肩に担いだクーラーボックスを慌てて運ぶ。やけに重いこのクーラボックスも実は最新の機械らしく、『相転移式急速保冷タイプ』というのだが、一騎にはイマイチわからない。
一騎は今、陸上部で雑用仕事を任されていた。
本来の目的は、陸上部での金城葉月の警護、及び接触しての情報収集、身辺の調査のはずだった。
このような、体よく言えばマネージャー、悪く言えば雑用係を押し付けられるなどと誰が想像できただろう。
瑠衣曰く「金城さんに接触するにはまず信頼関係を得ることが重要です。一騎君がいきなり話しかけても相手の方は気分良くないでしょう?」とのことだ。
「どういう意味だ!」とその時は思ったし「それなら瑠衣がやればいいんじゃ?」とも言ったが「私が行くと色々面倒なことになるんですよ」とお茶を濁されてしまった。
とはいえ、流石に一騎一人陸上部に放置するのは憚られたのか、
「いやー助かるよ霧島。人手が足らないと常々思っていたところなんだ」
「いえいえ先生、こちらこそ無理を言って申し訳ありません。どうぞ彼をこき使ってあげて下さい」
と、瑠衣は陸上部の顧問に絶賛ゴマスリ中。
まんまとその術中に嵌っている教師の石島は、浮ついた様子で瑠衣と話している。
上手いことダシに使われた気がする、と複雑な気持ちを胸中で渦巻かせつつも、これも人助けかと自分を奮い立たす一騎は、横目で部活動の様子を眺めた。
「それにしても、凄いもんだよなぁ……」
一騎達の通う高校は都心部から少し離れた、郊外付近に建設された公立高校。
部活動も生徒数も偏差値も殆どが並と言ったところなのだが、だというのに陸上部では最新鋭の機器が導入されている様子が見られる。
陸上部だけではない。そもそもこの学校の設備からして、専用のタブレット端末が配られていたり、授業はパソコンを使ったりなどといった、一昔前では考えられないようなモノとなっている。
以前まで郊外どころか各地を転々としていた一騎にとって、この光景は未だ馴れない。
「『ヘキサグラフ』に『デュアルエンジニアリング』か……」
一騎が呟くのは、日本を変えた二つの名前だ。
それは一騎が生まれる前のこと。
かつて日本を襲った未曾有の危機があった。
それは『ヘキサグラフ』と呼ばれるウィルスが引き起こした、感染症だった。
その病状は急激な細胞分裂を強制的に起こすというもので、人の体はその細胞分裂のスピードに耐え切れず肉体が腐っていってしまう。よって対処法はその細胞分裂が起こっている箇所を切断する、もしくは正常な部位と交換することのみという、奇病だった。
だが、とある企業が開発したワクチンが、その状況を変える。
当時、全くの無名であった『デュアルエンジニアリング』が開発したワクチンにより、状況は回復。
くわえて、義足や義手といった代替手段に対するネガティブなイメージを払拭し、ファッション性を取り入れた義体を開発したことで、一躍『デュアルエンジニアリング』は大企業となった。
この学校でも殆どの教師たちは、気を付けて見なければわからないほど精巧な義手や義足を身につけている。おそらく、瑠衣が話している石島教諭も義手か義足のはずで、『ヘキサグラフ』の被害者だ。
今では多方面で各事業をこなす『デュアルエンジニアリング』はコングロマリットとして、名前を聞かないことは無い程に成長を遂げた。
学校に導入された最新機器というのは、そんな『デュアルエンジニアリング』による試作品をモニターするという契約のもと、安値で導入されたモノだったりする。
都心部を中心に、こういったモニター契約が流行っているらしい。
「まぁ、使えるかどうかは別、だけど」
なんて、一騎はウォン、ウォンと唸るクーラボックスを睨みつける。
「千条君、ちょっといいかな?」
と、一騎がクーラーボックスを指定された場所に下ろした時、肩をその声が叩いた。
振り向いた一騎が声の主を見て眼を丸くするのは一瞬のことだった。
金城葉月だ。
一騎が接触しなければならない重要人物。
その相手が一騎へと自ら接触してきたのだから、これが驚かないはずがない。
けど、なんで俺なんかに!?
「か、金城さん! なんのご用件でっ!? け、計測でしゅか!?」
咄嗟のことに一騎の脳みそがフリーズする。
普段の瑠衣との会話がどれだけ彼の自然体だったのか改めて思い知らされるほどの変容っぷりである。
本来の一騎は人見知りの激しい性格なのだ。
ここ一ヶ月、この町に来てからまともに話したのは、瑠衣とその家族のみという徹底ぶり。それ以外ではごく事務的な言葉をボソッと呟くのみだった。
そんな一騎が葉月とまともに会話を続けることは、最初から無謀だったのかもしれない。現にガチガチになって満足に話すこともできないでいる。
先程から眼は泳いで焦点が合わない。この暑さとは裏腹に冷ややかな汗が頬を伝った。
何か喋らなければ。いや、でも何を?
というか、そもそもなんで俺が金城さんと話す必要があるんだ?
瑠衣、助けてくれとばかりに恨めしげに睨んだ一騎だが、あいにく瑠衣は絶賛ゴマすり継続中。
どうすれば、どうすればと、ぐるぐる回る思考は、
「どうしちゃったの千条君、顔色悪いよ?」
なんて言って、こちらの様子を伺う葉月がくれる笑みによって中断させられて。
「そういう時はね、一回落ち着いた方がいいよ。はい、深呼吸して〜」
葉月は一騎の様子に気味悪がること無く、彼女が普段、教室で浮かべるような朗らかな笑顔でこちらの身を案じてくれる。
――い、言われた通りに深呼吸しよう……まずは、落ち着かないとな。
このままでは考えることもままならない。一騎は言われるままに大きく息を吸い込んで、
「……す、すぅ――んぐぉ!?」
慌てて行った為に思わず咳き込んでしまう。げほっ、げほっと自分の駄目っぷりに涙すら滲んできた一騎だが、
「大丈夫、千条君!?」
なんと葉月はそんな一騎の背に手をあてがい、さすってくれたのだ。
絶妙な力加減で触れられた手が一騎の背中の上を行ったり来たりする。徐々に楽になっていく呼吸。しかし妙にそれがこそばゆくて逆に一騎の焦りはどんどん増していく。
このままではマズイと思った一騎は、普段ならば考えられないほどの大きな声で「も、もうダイジョブだから!!」と葉月を制した。これ以上続けられたら余計な気でも起こしそうだ。
これには流石に葉月も驚いて、サッと手を引いてしまう。眼は信じられないものでも見たように丸くなっていた。
――あ、やっちまった……。
そんな葉月の仕草に、ふと、一騎は嫌なモノを想起する。
一騎は人付き合いが上手くない。単純なコミュニケーションすらも、ままならない。きっとそこには余計な感情が交じるからだろう。
自分が他人にどう見られているのかが気になる。自分が起こしたアクションがきっと相手を傷つける。他人を前にした時、一騎はそのことばかりを考えてしまう。
一騎がクラスで孤立するのは瑠衣ばかりのせいじゃない。一騎自身、自分の卑屈さや、駄目な部分に自覚があるから、目立つ事を恐れ、影のように振る舞おうとするのだ。
だから葉月が友好的な態度で接してくれて内心嬉しかった。けれど同時に怖くなった。こういう時、どう相手と話せば良いかわからなくなるから。
なのに、
「えへへ、ちょっとビックリしちゃった。千条君がそんなに大きな声出したとこ見るの初めてだったから」
変わらず一騎に笑顔を向けてくる葉月。なぜ、と思う間もなく、「でも」と葉月は言葉を続けて、
「私は普段からそれぐらい元気な方がいいと思うよ? 千条君見てると、いつもそう思うんだ」
なんて、ちょっと恥ずかしそうに彼女は言った。
自分のことをそんな風に思ってくれている人がいることに一騎は驚く。
からかわれることはあっても、素直に自分を肯定してくれることを言ってくれるような人は少ない。
そんな葉月の言葉は、すんなりと一騎の心に染み込んだ。
だからだろうか、一騎もいつの間にか、葉月の眼を真っ直ぐに見れるようになっていた。
「そう、かな。ありがとう。でも、俺のこと見てるってどういう……?」
「あはは、えっとね」
葉月は少し眼を細め、
「千条君ってさ、やっぱり目立つじゃない? あ、えっと、悪い意味じゃなくてね? なんていうかいつもクラスで一人でいるのに、あの霧島さんとよく一緒にいるし、だから――やっぱり眼に入っちゃうんだよね、どうしても」
そう言って、葉月は申し訳なさそうに苦笑する。
現状の一騎を知っているからか、その瞳には同情の念が浮かんでいるように見える。
「私もね、本当はあんまり目立つの好きじゃないの。たまたま良いタイムが出てそれでチヤホヤされてもなんだかなって」
彼女は中学時代、地味な生徒だったと瑠衣は言っていた。一騎も彼女が今のような状況になっていく様子を知っていた。教室の中で一騎はそれを見ていたのだから。
「でもね。私は千条君と友達になりたいって思ってた」
「え?」
「千条君、たまに私のこと見てるでしょ。その……嫌とかそういうんじゃなくってね。何て言えばいいのかな、他の人とは違って、この人は大丈夫だなって」
「大丈夫?」
「うん。やっぱり、色々な人と一緒にいると不思議とわかるんだ。この人は大丈夫でこの人は大丈夫じゃない、とかって。最近良く話をする人は大丈夫じゃない人、かな」
やや伏し目がちに言った葉月は、少し照れたように指を絡めた。自分の話していることが的を射ていない自覚があるからだろうか、それでも彼女は語るのを止めない。
「千条君、霧島さんと普通に話せてるじゃない? あの霧島さんが楽しそうな顔見せているの千条君だけなの知ってるよ。そんな人が、クラスで一人でいるなんて私にはちょっと信じられなかった。だから一度、話をしてみたかったんだ」
友達。それがどういう意味を持っているのか、一騎はよく知らない。
一騎の生活は常に兄と共にあり、同じ場所に留まるということはごく少なかった。
だから、口下手で社交性の欠片も無い一騎に友達と呼べる者はいつだって存在したことはなかった。
だからか、葉月が自分と友達になりたいというその言葉に一騎は疑念を抱く。卑屈なのは分かっている。一騎はそんな自分が好きになれない。けれど、
「千条君は私に似ているのかなって思った。普段は人と話そうとしないし、目立とうもしない。きっとそれは自分に自信がないからだって」
葉月をそれを『理解』してくれていた。自分もそうだからと。
「でも、霧島さんがあんなに楽しそうにしてるってことは、やっぱり千条君がとっても魅力的だからだと私は思う。そんな人と話してみたいし、友達になりたいって思うのって変かな?」
葉月はそう言って、首を傾げる。
――変かなって言われても、そんなの俺が答えられる訳ないだろ!?
さっきから葉月が言っていることは、一騎にとって絶句すべき言葉の数々。
そんな事を言われても、自分にはどうすればいいかなんてわからない。
瑠衣が自分を褒めてくれるのは、からかい混じりの冗談だと分かっているからなんともならないが、こうして真っ直ぐに言葉を向けてくれる葉月の言葉は、一騎を酷く混乱させた。
「あれっ? 千条君、顔真っ赤になってない?」
ただ出来ることは、真っ赤になった顔をうつむかせることだけだ。
ふと、一騎の視線の先へ、にゅうっと細く、小さな手が伸びた。
それに合わせるように、声が耳に入ってくる。
「だからさ。私と友達になってくれませんか?」
ゆっくりと、一騎は顔をあげる。
目に映るのは、葉月のはにかんだ笑顔。
素朴なその表情は、一騎の心の壁を壊すのに充分な威力を持っていた。
しかし、それと同時に来るのは、今までの人生観から来る、不安、不信、拒絶、忌避、それらがない交ぜになった感情だった。
――ホントにいいのか? この子と友達に?
不安は消えない。だが、
――こんなに真っ直ぐな人、見たことがない気がする……。それに、ストーカーから守る為にも仲良くなることは悪くない、よな……。
自分の中でもっともらしい言い分を見つけた一騎は、なんとか唇の震えを押さえ付け、
「あの、よ、よろしく、お願いします……」
「うん! こちらこそ!」
一騎はその手をとる。
目と目が合う。葉月は笑顔で一騎の弱々しい視線を受け止める。
がっちりと確かめ合う掌の感触。自分よりも小さくて柔らかい。肌は健康的に焼けていて、自分よりも濃い色をしていた。
そんな友人関係となった証明としての握手。
一方で、その行為の意味を他人がどう受け取るかは分からない。
つまりそれは、その光景をおもいっきり勘違いしている者がいるということで――。
「!?」
一騎がその事に真っ先に気付く事が出来たのは、彼女に隠す気がなかったからだ。
葉月の笑顔の向こう側。視線の先で瑠衣が一騎の方を見ていた。
しかも、満面の笑みを浮かべながら。
笑う。笑う。笑っている。
彼女の笑みは、見るものが見ればそれはもう心奪われること間違いなしと呼べるほどに素晴らしい。美しくて、それでいて氷のように鋭い。だが一騎だけがその笑みの真の意味を感じている。
その笑みは、怒りすらも内包していた。
――俺が何かしたのかっ!? 何か勘違いしているんじゃ!?
一騎に思い当たる節はないのだ。
ただ、金城葉月と友達になるという握手を交わしただけで――。
――って、これかぁっ!?
もしかすると瑠衣は、一騎が葉月と手を繋いでいるのが気に食わないのか。
しかしそれは全くの誤解なのだ。でも瑠衣がその事に嫉妬心を抱いているのであれば、それはそれで嬉しいわけで。
「…………!」
なんて一騎が思考している間にも瑠衣の不機嫌オーラは増している。ゴゴゴという擬音が似合いそうなほどに。
このままでは、何されるか分からない。命の危機すらあるかもしれない。
その時、思わぬ助け船を出したのは先程から手を繋いでいる葉月だった。
「あ、あの……千条君、手いつまで握ってたらいいのかな? 別に嫌じゃないけど、その、は、恥ずかしいっていうか……」
確かに言われてみればこの行為は目立つ。
周りを見ても、この異様な光景に苛立ちの視線を送っている者もチラホラいた。
瑠衣だけが不機嫌になっている訳ではないようだ。――まぁ、瑠衣のは少し、種類の違うモノのような気がするが。
一騎も言われて、自分のしたことの恥ずかしさを今更実感した。
慌てて手を離す。というか、遅すぎる。
少々、名残惜しい気持ちが無いでもないが、これでいいのだと自分に言い聞かせる。
だがその時、
「ひっ!?」
手を離してすぐ、葉月がビクッと体を震わせて両手で肩を抱いた。
明らかに様子がおかしい。
「金城さん!?」
一騎は慌てて、葉月に声を掛ける。
葉月の震えは収まらず、小刻みに体を揺らしている。
徐々に肌は蒼白になり、明らかに体調は良さそうではない。
いきなりの変調が何を意味するのか一騎にはわからない。ただ、「大丈夫!?」と声をかけ続けるだけ。
一体どうしたというのだろうか、こういう時、どうすればいいのか。一騎も一種のパニック状態になっていた。
だがやがて、葉月の震えは収まりを見せていった。荒く息を吐いて呼吸を整える。それこそ一騎に向けてそうしろと言った通りに。
心配そうな表情を浮かべる一騎に、葉月は手のひらを向けて、
「だ、大丈夫。ちょっと、誰かに見られているような気がして……」
確かに、先程から陸上部の部員たちは一騎たちを見ていた。
ただし、葉月の言う見られているというのはそういう意味ではないだろう。
「それって、ストーカーがこの近くに居るってこと!?」
「……わかんない。凄く嫌な視線を感じたのは確かなんだけど。私、人の視線に敏感で……」
そう言う葉月の表情は、未だ恐怖の色を滲ませている。
こんな時、労いの言葉のひとつでも言えればどんなに良いだろうかと、自分の気の利かなさに辟易する。
口に出すのは恥ずかしいが、友人としての握手を先程交わしたばかりだ。何か力になれることがあればいいのに。
そう、一騎が思っていると、
「金城、顔色良くないようだがどうした? 保健室行くか?」
一人の男性が声を掛けてきた。
なかなかの長身。三十半ばといった歳。髪は短く切り揃えられた男性。
先程、瑠衣と会話していた陸上部の顧問、石島教諭だ。
「え、でも。夏休みも近いですし記録会も……練習を休む訳には……」
そう返す葉月の口調は弱々しく、石島教諭と眼を合わそうともしない。
それは石島教諭にも丸わかりであり、
「今後の練習があるからこそ、今は休んだ方がいい。お前はうちのエースなんだから。ほら、保健室行くぞ」
そう言って、石島教諭は葉月を促す。
葉月は渋々、保健室へと、石島教諭に連れられ歩き出した。
「……それじゃ、千条君、また」
葉月は力なくそう言って踵を返す。
その声は言外に助けを求めているような気がした。しかし、一騎はその場から動くことはできなかった。
「あ、そうだ千条。今日はお疲れ様。明日から来なくていいからな。本当に助かったよ」
だめ押しの石島教諭の言葉が、何故か粘りつくように耳に残った。
●
――そいつは怒りに震えていた。
昂るその体の疼きが、そいつを動かす原動力だった。
あの男が許せない。昨日、自分の邪魔をしたのにも関わらず、加えて今日、『彼女』に接触したあの男が。
一部始終は見ていた。気安く『彼女』に触れるウジ虫の姿。
やはり、最初はあの男を始末すべきだった。今の一番の障害はあの男に他ならない。
そいつはそう胸に誓い、そしてひとつの疑問を覚えた。
――何故、周りの奴はあの男が『レッズ』だと分からない?
おかしな話だ。変装していると言っても稚拙なマフラーを巻いただけ。お世辞にもあれで秘匿しているとは思えない。
それに、他のやつらが覚えているのはあのマフラーと目の事だけ。
それだけを覚えているというのは明らかに不可解だ。昨日、自分と同じようにあの男を目にした『彼女』ですらそうなのだ。これは明らかにおかしい。
あの男も自分と同じように不思議な能力を持っているのだろうか。それによって、自分の存在を守っている?
いや、それは無い。と、そいつは思う。
自分の能力を完璧に見切ったあの男の能力が、他人の記憶を操るような力だとは考えにくい。自分と同じような能力かあるいは――。
だとするならば、怪しいのはあの男と行動を共にしているあの女。
――霧島瑠衣。
あいつの力と見るのが妥当だろうか。
そこまで考えて、ふうっと息を吐く。
敵の存在を意識すればするほど、体の底から力が沸き上がり自分を支配しようと蠢く。それは一種の麻薬のように甘美な匂いで自分を魅了してくるのだ。もっと、もっとと。
だが、今はその時では無い。力を存分に振るうのはまだ早い。探りをいれつつ、慎重に事を運ばねばならないのだ。
そう、『彼女』を完全に自分のモノとする為に――。
そいつは不適に笑みを浮かべる。
「あぁ、葉月…………」
だが、そいつは気付いていない。自制せねばと考えている自分こそが既に自身の力に支配されている事に。
既に、手遅れだということに――。
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