第二話 『記憶の乱れ』

 午後の授業を終えて放課後。

 部活に向かう者、特に運動部は夏の大会も近いということもあってか足早に教室を出て行き、他の者は私語で一層教室内を賑わせた。

 クラスで一人、黙々と授業をこなした一騎は鞄に荷物を詰め込み、そそくさと立ち上がろうとした時だった。


「一騎君、何を平然と帰ろうとしてるんですか?」


 その声が一騎の行動を止めた。瑠衣だ。


 瑠衣は鞄を後ろ手に持ちながら一騎の席の横に立つといつものようにニコリと笑ってこちらを見ていた。


 昼休みの事があって、一騎はマトモに彼女の顔を見られないというのに、何もなかったように平然としているのがなんだか癪にさわる。


「一騎君、聞いてます?」


 一騎には一緒に帰る友達はいない。その原因の一端はこの美少女の存在もある。


 一騎が彼女ととある時期より行動を共にする姿が見られるようになり、彼女に密かに想いを寄せていた大多数の仄暗い感情は全て一騎へと向けられるようになった。


 昼休みに男子生徒に絡まれた一件にしてもそうだ。

 そんな存在と行動を共にしていれば、自然と孤立し、身に覚えのない恨みの念を受けてしまうのはしょうがないのかもしれない。


 今もクラスメイト達の向ける「早くどっか行けよ、テメェが邪魔で霧島さんが見えねぇだろうが!」という視線が一騎に殺到している。

 先ほどの男子生徒たちもその中には混じっていて、いくら瑠衣が記憶を書き換えたとはいっても、一騎はギョッとした。

 痛いぐらいの視線を一身に受けながら、ぐったりと瑠衣の方へと一騎は顔をあげると、


「瑠衣、頼むからいきなり声かけるのやめてくれ……。お前といるだけであんな人でも殺せるんじゃないかってぐらいの視線を浴びてたら、俺の豆腐メンタルがいつ粉々になってもおかしくないよ……」


 さも大袈裟に、訳の判らない例えを口にする。


「そんなこと気にすることありませんよ。私、お豆腐好きですから。さぁ、行きましょうか」


 瑠衣は髪を掻き挙げると、ふっと微笑んで一騎を促した。


「えっと……どこへ? 家に帰るんじゃないのか?」


 対して一騎は疑問符を頭に浮かべた。

 その一騎の反応に、流石の瑠衣も呆れ顔を作る。


「……本当にわからないんですか?」


「……?」


「……まぁいいです。歩きながら話しましょう」


 瑠衣はそう言って銀髪を翻して教室を出た。一騎はそのあとを慌てて追う。

 一騎は瑠衣の隣に並ぶと疑問を解消すべく、力強く歩を進める美少女へと問うた。


「で、何をするって?」


 瑠衣はその場でくるりと振り返ると、一瞬の溜めを作った後、


「――昼休みの続きですよ」


 甘美な響きでその透き通った声音は一騎の鼓膜を震わせた。

 一騎の思考は光の反応速度で、必死に脳内の奥に押し込んだ記憶の扉をこじ開ける。


 ――ままま、まさかっ!? あれの続きッ!?


 思い浮かぶあの情景。汗で額に張り付く美しい銀髪。上気した肌。揺れるバスト。プリッとした唇。そして、スカートという鉄壁の守護神が守る、楽園ユートピア。

 一気に押し寄せる思考の波が一騎の体温と心臓を熱していくと――


「冗談ですよ。一騎君」


 ピシャリと、瑠衣の無慈悲な一言が一騎に冷水を浴びせた。

 サァッと引いていく温度。


 期待に膨らんだ胸は一気に現実という不条理で押し潰された。

 昼休みに自分から逃げておいてエサを吊るされれば食いついてしまうあたり、まったくいい性格である。自省。


「現実は甘くありません。あの場から逃げ出したのは一騎くんですよ?」


「くっ……」


 彼女の期待通りの反応を示したのか、瑠衣の表情は嬉々としていて、楽しそうに笑っている。


 まだ笑みを口の端に残し、瑠衣は話を始める。


「ではそろそろ、やる気も出てきたところで本題に入りましょう」


「俺の方はもうボロボロなんですけど!? 楽しそうなのお前だけだよ!?」


「私とこうやって会話する事でコミュ障の一騎君が、会話をするという行為を忘れないようにしてあげてるんですよ? 感謝してほしいぐらいです」


「ぐっ……よく考えてみれば今日、瑠衣以外と喋ったのってアイツらだけだったような……?」


 頭に手をあて真剣に悩み出してしまった一騎に瑠衣は溜め息を吐きつつ。


「……はぁ。一騎君が相当ひどいコミュ障だと再確認できたところでいい加減本筋へと入りましょう」


「…………!」


 一騎も流石にこれ以上悩んでも蛇足と、瑠衣の方へと改めて向き直る。


「私達がこれから向かうのは金城葉月さんのところです。彼女のストーカー事件はまだ終わっていませんよ」


 ギロリと瑠衣の瞳が一騎の胸を穿つ。

 昨日のストーカー事件は一騎が撃退こそすれ、ストーカーの意外な逃げ足の速さに追い付くことが出来なかった。

 犯人はまだ捕まっていない。それどころか、その正体すら掴めていないのだ。

 一騎は若干の気まずさを咳払いで払い、話を先へと進める。


「でもさ、流石に学校にいる間は襲われることもないんじゃないか? 人目につくところで金城さんを襲うなんて危険なこと出来るかな?」


 瑠衣は軽く頷き、


「ええ、確かにそうです。きっと学校にいる間、少なくとも部活中は大丈夫でしょう」

「なら――」


 瑠衣は一騎の言葉を遮る。


「しかし、犯人に目星をつける事は出来ます」


 瑠衣は肩にかかる髪を掻き挙げると、神妙な顔付きで、


「いいですか? 金城さんが人気者としての地位を獲得する事が出来たのはつい最近のことなんです」


 言われ、一騎は思い出す。一騎のスクールカーストが決定する前、つまり一騎がまだぼっちとしてクラスで孤立していなかった頃、金城葉月はそこまで優秀な、目立つような生徒ではなかった記憶がある。


 幼なじみの紺野裕美という生徒が彼女の仲介役として交遊関係を広げていて、彼女はいつも紺野裕美の後ろで愛想笑いを浮かべるような大人しい性格の少女、というのが一騎にとっての認識だったはずだ。

 だが、


「金城さんが短距離走で凄いタイムを出したとかで、一躍人気者になったんだよな。確かその頃から金城さんの性格も明るい感じになって……」


「その通りです。……よく知っていますね」 


 と瑠衣は首を傾げる。どこか一騎を責めるような視線が混じっているのは気のせいだろうか。

 一騎はちょっぴり自信ありげに、


「伊達にぼっちやってるわけじゃないよ。ぼっちってのはクラス内の微妙な変化に敏感なんだ」


「どうでもいいぐらい悲しい自慢でした……」


 瑠衣は一騎を憐れむように笑った。


「――とにかく。その金城さんが人気者なことがどう関係あるんだよ?」


「人気者、ということはそれだけ人の怨みを買うものですよ、一騎くん。当人が知り得ないところで、その種は根付いている」


「――――」


 瑠衣が言う言葉には重みがあった。

 彼女は間違いなく人気がある。しかしそれと同じぐらい彼女を妬んでいるものがいるということを頭に入れなければならない。


 実際、彼女と一騎が最初に解決した事件も、瑠衣自身の人気が招いた事件だった。


 そんな彼女だから、この事件を早く解決したいと思っているのだろう。


「実は……彼女の記憶を改竄する時に、以前の記憶を少し覗いてみたんです。ストーカーについての手懸かりが少しは掴めるのではないかと思って」


「え!? それってマズくないか……」


 と、プライバシー的な事を気にする一騎だが、瑠衣は「大丈夫です、大したものは見ていませんよ、大したものは」などと含みのある事を言って。


「過去を遡って見ても中学時代からストーカーに遭っていたということもなく、また、これといった事件も無かったようなんです。彼女自身、自分のことを地味と評しているぐらいですから」


「おいおい、金城さんが地味だって? それは勘違いじゃないかな……あの顔で流石に無いよ」


 ハツラツとした印象の金城葉月。彼女を表するなら太陽という言葉が相応しいと一騎は思う。

 浮かんだ顔は白いワンピース姿だった。ひまわり畑で麦わら帽子を被った葉月が、こちらに手を振る姿がなぜか知らんが浮かび上がり――


「むぅ――――」


 と、頬を膨らませて睨む瑠衣を見て、余計な妄想トリップは中断。

 ごほんと咳払いして、


「えぇっと……やっぱり金城さんがストーカーに遭ったのって最近のことみたいだな。でも、どうする? 候補を絞り込む当てなんて……」


 一騎が真面目な顔で瑠衣へと問う。

 瑠衣はまだ少し、不本意そうに一騎をにらんだ後、問いに答えた。


「いえ、逆にこれで絞り込めたんですよ一騎君」


「どういうことだ?」


「金城さんは中学時代、今からは想像もつかないほどの地味な生徒でした。やはり、友達も少なく一人でいることが多かったようです。しかし、そんな彼女の支えとなっていたのが紺野裕美さんです。紺野さんは金城さんの幼なじみで昔からの親友。彼女がこの高校に進学することに決めたのも紺野さんの影響が大きいようですね」


 瑠衣は一度、呼吸を整え、


「そして、高校に進学。その時に紺野さんの力添えもあり髪型から化粧の仕方まで何から何まで教わっていわゆる高校デビューということになるわけです」


「なるほどな。けど性格までは変わらないんじゃないか? 今まで引っ込み思案だった娘がいきなり変われるもんじゃないだろ? 実際、高校が始まったばかりの時からちょっと最近まで紺野が仲介役だったんだろ」


 と、一騎が言うと瑠衣は、


「人なんて、凄く曖昧な生き物です。何がきっかけで人が変わるかなんてわかりませんよ」


「え?」


 ボソッと瑠衣が何か言ったような気がして一騎はすかさず聞き返した。その声が何処までも冷たく、寂しいもののような気がして問い返さずにいられなかった。

 しかし、瑠衣は「何でもないです」と言って一騎へと再度話を続ける。


「そして、不審な点が一つ。彼女の記憶に乱れがあること」


「乱れ?」


 瑠衣は「はい」と頷き、


「金城さんの記憶が抜け落ちているんです。陸上部への入部をしたと思われる時期の、彼女が何故入部を決めたのかという経緯が」


「そんなことってあるのかよ?」


「わかりません。こんなことは初めてですから。ただ間違いなく金城さんの変化のきっかけは陸上部への入部。そして彼女の性格が変わり、人気者になるまでつながった事。恐らく、ストーカー被害もこのことが原因のはずです」


 先程の寂しさを感じさせる声音は既に消え失せていた。ただ淡々といつも通り瑠衣は言葉を継ぐ。


「彼女の陸上部入りは彼女だけでなくその周りにも変化をもたらした。だとすれば、やはり一度行ってみなくては駄目ですね。ということで――」


 と今度は笑みを含ませた視線を向け一騎を見る。

 それを察した一騎は、目の前の美少女が考えていることを最終確認もかねて口にする。


「陸上部に行くんだな?」


 瑠衣は答える。


「ええ。その通りですよ一騎君」


 意地の悪い、毒気を含んだ笑みを浮かべながら。

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