第39話

 ランタンが照らす道の端を、影と同化するように歩いていく。

  

 オルレニアはカフリノの核に『色』を入れた後、屋敷を離れ、一人でノーグ商会の元を訪れていた。

 理由は誰にも話していない。オルレニアの私用であった。


 特区に潜む『崩れた色彩』の戦力は、かなり落ち込んでいる。

 アルテは動きを封じられているが、ウラガーンの守りがあれば問題はないと予想していた。


「さて……」


 ノーグ商会の建物の数は多い。

 商談や執務、居住用の棟を用意し、商会の行事を滞りなく進めているのだ。


 特に入り口の大門からすぐの所にある商談用の建物の周囲には、いつも多くの人が行き交っている。

 それは、怪しい身なりの者に対する牽制でもあった。


 オルレニアは門をくぐらず、商会を囲む壁を飛び越えた。

 そして、二階の窓から執務用の建物のなかに入ると、警備の男たちをやり過ごしながら進んでいく。

 

 商会のなかはほとんどの場合、多くの人が行き来している。気づかれないのは、オルレニアが完全に気配を隠しているからだ。


 一階に降りると、まるで迷路のようになっている廊下を歩いていく。

 商会の内部がやけに入り組んでいるのは、有事の際の備えなのだろう。


 オルレニアは、一度通った道は忘れない。

 迷いなく突き進み、すぐに一つの鉄扉の前に行きついた。


 扉の先にあるのは、ユエンと初めて出会った石づくりの部屋だ。


 オルレニアは軋む鉄の扉を引いて、部屋に足を踏み入れる。


「ふん……」


 部屋のなかは相変わらず、薄暗かった。

 

 石造りで冷ややかな空気が漂っているが、燭台に乗っている蝋燭は、常に――訪客の予定がないにも関わらず――火を灯している。


 密閉された空間のなかでいくつも火を灯しているのに、温もりがないわけがない。

 違和感の原因は、簡単に想像がついた。

 

「”暴け”」


 呟くと、まるで絵画が描きかえられるかのように、部屋の内装が変化した。


 蝋燭は消え、きれいに掃除されていた石壁が苔むす。入り口の扉は金属製のものから木製に変化し、部屋の奥に壁に、扉が現れた。


 まるで絵画を描き変えたような変化。

『色の力』による、隠蔽だった。


「粗末な隠し方だ」


 最初にユエンと話した際に、彼が奥の扉から出て行ったとオルレニアは憶えている。


 なにか見つかっては不味いものを隠そうとしたのだろうが、明らかに、『崩れた色彩』の手が入っていることを証明していた。


 光源が消えた部屋はすっかり暗闇に呑まれてしまったが、オルレニアにとっては些細なことだ。

『黒の力』を持つ者は、暗闇を操る側にあるのだから。


 扉に手を掛けようとして、振り向いたオルレニアは、背後から迫っていた気配を睨めつけた。


「名乗れ」


 剣を抜くと、オルレニアの視線の先で三つの人影がわずかにたじろいだ。


 個人として思い当たる記憶はなかったが、オルレニアはその服装を覚えている。

 ノーグ商会で、商談を担当している者の服だ。


 裾の長い深緑の着物は、なるほど、得物を隠すにふさわしいだろう。

 片手に幅広で刃渡りの短い剣を持った彼らは、少なくともオルレニアの味方には見えない。

 

 目に殺意を宿して剣を構えているのだから、間違いなく敵である。


「名乗らぬならば、敵と見なすが」


 男たちは腰を深く落とし、オルレニアを注視する。

 言葉を交わすつもりは、ないようだった。


「よかろう。来るが良い」


 二人の男が左右に分かれ、地面を蹴った。


 これまでに見てきた『崩れた色彩』の影と比べれば、素早い。

 言葉もなしに息のあった動きをしていることから、相当な手練れであると見える。


 暗闇のなかで、これほどの技術を持っている相手と戦うのは至難の業だ。


 オルレニアが迷うように剣先を揺らした瞬間、二人の男は距離を詰めた。


「くだらん」


 暗闇に火花が散り、二人の男の握っていた剣をオルレニアの剣がはじき飛ばした。


 漆黒の金属で作られたオルレニアの剣は、闇のなかではほとんど目に映らない。二人の男の反応を許さず、その首すじを、足を斬り裂いた。


 あえて致命傷で抑えるのは、実力差を見せつけるためだ。

 

 視線を移すと、残った一人の男は目を見開いて唖然としていた。


「戦力を見誤ったな」


 あえてゆっくりと、オルレニアは男に近づいていく

 尋問することも視野に入れて、最初に恐怖を与えておくことは悪いことではない。


 男は扉に後ろ手をかけて、逃げようとした。


「愚か者め」


 オルレニアは剣を振るい、その足へ刃を迫らせる。


 しかしその寸前。

 男の首を、なにかが貫いた。


 わずかな殺気と共に突き出されたそれを見て、オルレニアは動きを止めた。


 細く、婉曲した刃だった。

 淡く緑色を帯びた鋼で作られたその刃は、まるで男の首から生えるように突き出ていた。

 

 痙攣する男を置いて、刃は静かに引き抜かれる。


「……貴様」


 オルレニアは刃の持ち主を睨んだ

 。

 崩れ行く男の背後に立っていたのは、足首まである裾の長い黒服を着た男だった。

 

 普段から柔和な笑みを浮かべているせいで、壮年の顔には深いしわがある。


 髪は白髪交じりだが、背筋は老いを感じさせないほど垂直に支えられている。

 片手に持っているのは男の首を貫いた、前腕ほどの長さの短刀だ。


「怪しい動きをしている者をつけて参ったのですが、まさか、あなた様がいらっしゃるとは」


 笑顔のない顔で言うのは、サイラスであった。


 サイラスは懐から取り出したハンカチーフで短刀に付いた血をふき取った。それから急いで短刀ごと懐にしまうと、軽く頭を下げる。


「何故、その男を殺した」

「少し前、商会に崩れた色彩の者が潜んでいると情報が入りましたゆえ。奴らめが色の力を使うのでしたら、手加減はできませぬ」

「我が居るとは、気付かなかった訳か」

「それは……出過ぎた真似を、失礼しました」


 頭を下げるサイラスに、オルレニアは無言で殺気を放った。


 刺客の尋問を妨げるということは、サイラスもまた、『崩れた色彩』の一員である可能性がある。

 

 サイラスは間合いの中だ。何かしらの行動をとるのであれば、即座に切り捨てることも可能だった


 ごくりと喉を鳴らす音が、静寂に響く。

 

 オルレニアの殺気は、正確には『色の力』による圧力だ。物理的に干渉し、貧弱な生物ならば、そのまま押しつぶしてしまえる。


 しかしサイラスは、頭を下げたまま、わずかにも体を動かさずに耐え続けた。うめき声一つあげないとは、天晴な忍耐力だ。


 は、と嗤うと、オルレニアは殺気を解いた。


「貴様の言を、信じてやる」


 頭を上げたサイラスの顔には冷や汗が見える。

 しかしさすがに商人ということか、すぐに表情を整わせて、オルレニアへ困ったような笑みを浮かべた。


「感謝致します。あなたの剣には、敵いそうにありません」

「試してみるか?」

「……ご冗談を」


 オルレニアの見立てが正しければ、サイラスは中々の使い手であった。

 男に突き刺した短刀の通り具合は、骨をかわして突き刺したものだ。動く人間に対してそれをするのは、簡単なことではない。


「つまらん男だ。して、この者共の始末はどうする」

「オルレニア殿が何用で参られたのかによりますが、信頼が置ける者たちに、後処理は任せるつもりです」

「我はこの扉の先に用があるだけだ」

「……そちらには、ユエンが使っていた倉庫しかありませぬが」


 訝しげな表情で、サイラスは首をかしげる。

 オルレニアは軽くため息を吐くと、剣を収めた。


「貴様は判らずとも良い。後処理は任せるぞ」

「しかし……いえ、畏まりました。あなたには最大限の便宜を図るように、ロンバウト殿にも言われておりますので」


 サイラスは腰を折り、深く頭を下げる。

 信頼はできないが、今のところ、障害にはならない。サイラスについての気がかりは、捨て置いて問題なかった。


 オルレニアは頭を下げるサイラスをしばらく眺めた後に背を向けると、部屋の奥の扉を開ける。

 それから足に力を籠めると、身を低くして地面を蹴った。


 一瞬のうちに、入口が遠ざかる。


 ――肌がひりついた。


 ふと足を止めたオルレニアの視界に、ぼんやりと白い影が現れる。

 それはルフィアの姿形に似ているが、今の彼女よりはるかに幼い容姿をしていた。


「不味いな」

 

『崩れた色彩』がルフィアをどう利用するかは、理解していた。

 傷を与え、体という器から溢れ出た『白』を回収するのだ。


『白の力』は空白の力。

 その場にあるものを白紙に戻す、、、、、こともできる。


 オルレニアは剣を振り、白い影を霧散させた。


 急がなければ、面倒なことになる。

 再び地面を蹴って、走り出した。


 ただ願うのは、ルフィアが無事であることだった。 





 ◎◎◎◎




 どん、という音が耳に入り、ユエンは地下室の天井を見上げた。

 カフリノ復活の準備は整い、すでにアルテが実行に移る寸前だ。入り口は念のためにウラガーンが見張っているが、状況は順調と言える。


「ユエン、今の音は」

「爆発音のようだね。なにか、起きたかな」

「見てきてちょうだい。結果を教えて」


 アルテの顔は、今までに見たことがないほどに真剣だった。

 これまでユエンのことをまるで信用していなかった目が、まっすぐに見つめてくる。


 これはこれで面白いな、とユエンは笑った。


「おおせのままに、と言っておこうか」


 アルテと出会ってから、数年が経つ。これまでにも何度か復活の実験は行い、その都度失敗してきた。

 それはオルレニアたちが来てからもジンクスのように付いて回り、アルテがそれだけ不安を抱えているだろうことは、ぼんやりとユエンにもわかっていた。


 地下室から上がり、さらに広間の階段を上る。

 

 街のなかでも高いところにある屋敷から見下ろせば、ある程度の状況はわかるはずだ。爆発音が鳴ったとなれば、人が集まっているだろう。


 二階の適当な部屋に入ると、戸を開けて、そのまま屋根に上った。


「ふむ、凄いな」


 日が落ちた中で、吹く風は冷たい。

 しかしユエンの目に映る光景は、そんなことを意識できないほど、鮮烈なものだった。

  

 街の各所で炎と、煙が上がっている。元々煙や炎に塗れた街だったが、家を燃やすほど火に困っていることはないはずだ。

 単眼鏡をのぞき込むと、遠くで『崩れた色彩』の影たちが闇の中から次々に湧き出ているのが見える。

 

『崩れた色彩』が動き出したのだ。


 数日前にサルマンに声をかけたからだろう。普段は見ない大勢の衛兵たちが抵抗しているが、影たちの異常な様相を恐れて、腰が引けている。

 ユエンは屋敷の周りを見回すと、ひとまずは敵の姿が見えないことにうなずき、家のなかに戻った。


「どうしたのかね、形無し。先の音はなんだ」

「ん? ああ、君を襲った者たちが暴れ始めたのだよ。ほら、かすかに悲鳴が聞こえるだろう」

「ほう、興味深いな。見に行って安全なものかね、それは」

「生憎と、私たちでは収穫に見合わない代償を払うことになる。君の気持ちもわからんではないが、やめておくことを勧めるね」

「つまらんなぁ……」


 半開きの扉から覗き込むようにしていたカルロスは、眉に深いしわを寄せて不満げな顔をした。

 若干の優越感を感じながら、ユエンはカルロスの肩をポンポンと叩きながら、その傍らを通り抜ける。


 悠長なことを言っていられるのは、この家に『崩れた色彩』に対抗できる存在がいるからだ。そうでなければ、ユエンは早々と荷物をまとめてこの街から抜け出しただろう。

 それはカルロスも同じことで、悠長に考えていられる余裕を提供しているという貸しに、ユエンはほくそ笑んでいた。


 地下室へ下りると、牙を剥いてユエンに威嚇するウラガーンを軽く流して、アルテに目を向ける。


 すでに、復活の魔術は始まっていた。


「へえ、すごいじゃないか」


 思わず、そんな言葉が口をついて出る。

 カフリノと額を合わせて立つアルテの足元からは青く光る幾何学模様の魔術陣が広がり、カフリノの体の各所には、その魔術陣から伸びた青い糸が絡まっている。


 アルテの体から溢れ出す紅く光る『色』が、魔術陣に近づくにつれて青く変色していく。

 これらをすべてアルテが行なっていることを、ユエンは知っていた。

 針に糸を通すほどの繊細さ。すべての行動がわずかでも歪んだ場合、この魔術は失敗する。


 アルテからこの魔術の原理と手順は教わった。半刻以上もの間、複数の作業を同時に行い、かつすべてが完璧でなければいけない魔術は、聞いただけでもまともなものではなかったが。


『嫌な匂いがする』


 ふと、ウラガーンが呻いた。


「どういうことかね?」

『近くまで、あの変なやつらが来ている。追い払わねば』


 ぐるる、と喉を鳴らして警戒感をあらわにするウラガーンは、地下室から出るために人の姿をとる。

 ユエンの半分ほどの背丈しかない、小さな銀髪の少女。見た目こそは頼りないが、その戦闘力は知っている。


 ユエンは思案すると、ウラガーンの肩に手を掛けた。


「待ちたまえ、銀狼」


 無表情に心なしか嫌そうな雰囲気を浮かべて、ウラガーンが振り返る。


 大して嫌われるようなことはしていないはずだが、と思いながら、ユエンは口を開く。


「君がここを守らなければ、アルテが危険なのだ。外に出てはいけない」


 ぺし、とユエンの手を払うと、ウラガーンは狼の姿に戻る。


『ならばどうする? 屋敷への侵入を許せば、いかに私でも食い止められぬだろ』

「私が行こう。満天も使えば、それなりに時間は稼げる」


 ウラガーンは――狼での顔でもわかるほど――唖然としたが、簡単な話だ。


『崩れた色彩』の影たちがどの程度のものかは、何度か目にして理解している。『色の力』以外の作用が通用するなら、ユエンでも戦える。

 それにあの程度なら、いくらでもやりようはあった。


『なんのつもりだ』

「心配は無用だよ。裏切りなどしないさ。私は今、君たちの味方だ」

『証拠は?』

「ここで喉を掻っ切ればいいかね? もしくは君が齧りつけばわかるだろう」


 言われるや否や、ウラガーンはぐわりと大きく口を開き、ゆっくりとユエンの頭を口内に入れる。

 

 独特の臭いがした。

 これはこれで興味深いなと思いながら、ユエンは目を閉じた。


 ぐぐ、と顎に力が入れられ、ユエンの首に牙が食い込んだ。


『良いだろう。行け、気味の悪い人間め』


 臭いが薄れ、ユエンが目を開けると、ウラガーンは一歩後ずさっていた。信頼したというよりも、面倒になったというような反応だった。

 牙が食い込んだ痕を撫でて、ユエンは血が出ていないことに目を細めて感心する。


「では、私が逃げ帰ってくるまで待っていてくれたまえ。ああ、そういえば君の香りはなかなか興味をそそられた、今度調べさせてほしいのだが――」

『早くいけ! 気色悪い!』


 つれないな。

 ユエンはそう思いながら地下室を上ると、こきりと腕を鳴らした。


 それから薬の保管室に向かい、ずらりと並んだ薬品のなかから、使えそうなものを見繕って懐に収めていく。様々な実験のなかで、副次的に完成した危険な薬品たちである。


 扱いを一歩間違えれば自分の身も危険になるようなものたちだったが、実験というのは得てして危険なもので、錬金術師はそれに慣れていた。

 

 一通り揃えたのちに、ユエンは二階にいるカルロスを呼ぶと、いくつかの薬品を渡す。


「形無し。何をするつもりかね?」

「悪魔退治の真似事だ。試験体が欲しくてね」


 もう一度薬品室に入ると、今度は妙な色合いの薬品を肩掛け鞄のなかに入れていく。

 赤、青、黄から始まり、紫や緑にもなるそれらは、ユエンがアルテと出会って以来、研究し続けてきたものだ。


「実験が成功すれば、本当に金を作れるかもしれないものだよ、満天の」


『色』に染めた薬品たち。

 最初に作った時はアルテに殺されかけるほど怒りを浴びたものだが、一度使用して、安全性は立証済みである。


 ユエンは心地よい喜びの感覚にぶるりと体を震わせると、玄関の扉を開けた。

 外には『崩れた色彩』の影たちが無数に集まっている。


 生物に当てた際の反応についての実験は、これより始める。

 予想した通りの効果が起きるなら、実験は成功と言っていいだろう。


「成功したとしても、誰かに真似させる気はないのだがね」


 自分の成果は、すべて自分のものだ。

 いらないものはくれてやる。


 サルマンも、サイラスも、なにもわかっていない。廃棄物を渡すだけで喜ぶのだから、まったく面白いものだ。


 ユエンはにやりと笑うと、影に向かって試験管を放り投げた。 

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