白雪の傭兵

あたりひ

"旅立ちの傭兵編"

第1話

 北の地では、夜の森は悪魔の口だと言う。夜の森を吹き抜ける風の音がまるで悪魔が吠えている様だから。


 洒落ているのか、伝統なのか。粉雪は天使の吐息、大雪の日は天使のため息。


 粉雪が天使の吐息なのはわかるが、大雪の日がため息なのは何故なのだろう。

 ただ洒落た言い方がしたかったのか、はてさて本当にそうなのかもしれない。


 その理由を知る者は既にいない。幾世代も受け継がれた昔話も、いつかは何処かで途切れるからだ。

 そして当然、その昔話の意味も失われていく。


 そろそろ、森に人が来る頃だろうか。賑やかなのもそれはそれで嫌いではない。

 そんな事を思いながら、 ふらりと夜の闇に目をやってみる。


 そして。なるほど月の光に煌めく雪は、確かに天使の吐息なのかもしれないなと。


 一人おもって苦笑する。


 じきに春になる。天使の吐息は消えて、誰かがここに来るのだろう。


 来たのならば持て成そう。今はもう、新しき時代なのだから。




 ◎◎◎◎




「今日も仕事は無し、ですか」

「ったく、そう一筋縄で依頼が捕まるもんかよ。物事が都合よく行ってたら俺だってお貴族様になれるってもんだ」


 酒場で一人、はぁ とため息を吐く少女に隣から声がかかる。


 閑散とした昼の酒場にいるのは、決まって無職の飲んだくれか、雇われない傭兵だ。

 その考えで行くならば、ここにいる少女もそれに当てはまってしまうのだが、人生は思う以上に上手くいかない物である。


 目の前に置かれた葡萄酒をクイと一口、その後に続くのは何度目か分からないため息だ。


「……それにしても、ゲルダンさんはいつもこの時間に居ますよね。なんですか、仕事してないんですか?」

「随分と辛辣じゃねえか。お前さんと、同じだよ」


 八つ当たり気味に嘲笑を浮かべる少女に、ゲルダンと呼ばれた巨漢の男は思い切り苦笑して、皮肉を返す。


「まあ、私みたいな信用の無い傭兵に仕事なんて回って来ませんよね」


 そんな事を愚痴りながらカウンターに突っ伏している少女、ルフィアは今年で17歳になる傭兵だ。

 剣の腕には自信があるのだが、どうにも口を使った駆け引きが苦手であり、それは傭兵として致命的な事でもあった。


「そういえばゲルダンさん。最近、何か気になることはないんですか?」


 少し間を空けて。


おもむろに、自然な様子で尋ねると、ゲルダンの顔が真面目な物に変わる。

 情報を教えてくれ、とルフィアが暗に言ったのだ。


「そうだな……そういや、最近この街に顔を変える殺人鬼がいるって聞いたな。

どうにも情報が乏しいんだが、怪しい奴を見つけたら警備隊に言え、との事だ。有用な情報なら金も出るらしいぜ」

「他には何かないんですか」

「他、か……ああ、北の森の中に魔獣がいるらしく、その所為で向こうの街が孤立しているって話を聞いたな。

 で、どうやら護衛を集め、そこを突破して一儲けしようと考えている商人が居るみたいだが」


 言ってからゲルダンは、馬鹿な話さ と笑う。


 孤立した街に行くことが出来たなら、そこはもう商人の独壇場だ。

言い値で商売を行い、恩を売り、まさに一攫千金という状況を生み出せる。


しかしこの場合は、少しばかり都合が悪かった。


「魔獣、ですか」

「他の傭兵どもが手を出さねえ理由がそれだ。全く無茶な話だよ」


 魔獣とは、長く生き過ぎた獣や植物が変異し、凶暴化した馴れの果てである。


その大抵は恐ろしく強く凶暴であり、いくら盗賊や野獣に慣れきった歴戦の荒くれ者でも、魔獣には絶対に手を出さないと言われている。


「しかし、報酬は美味しい」

「ああ、命知らずなお嬢さんにはお似合いじゃねえのか?」


 ゲルダンとて傭兵だ。自分が受ける仕事を他人に紹介したりなどしない。

時折本当に有用な情報を持って来ることもあるが、そんな事は稀な話である。


 つまりルフィアに与えたこの情報は、誰もが呆れ返るような意味の無い物なのだろう。


「運よく行けば、あるいは……?」

「魔獣と遭遇せずに行けるってか?」


 当然そんな事はあり得ないとは、理解している。

凶暴化した魔獣達は、その縄張りに入ろう物ならそれが何であろうと、その命すら賭して殺しに掛かるのだから。


「他には?」

「みんなお手付きだ。仕事が欲しいなら売り込みにでも行ってきたらどうだ?」

「低賃金でこき使われるのは嫌です」


 ため息を吐きながら、然程美味しくもない葡萄酒を一気に煽る。

どうやら今日もまた、仕事は無さそうである。



 ◎◎◎◎



「そこのお嬢さま!!あなた、傭兵でしょう?どうです、うちの護衛をしてみませんか!?」


 特に行く宛なしに街の中を放浪していると、背後からそんな声が掛けられてルフィアは振り返った。


「お嬢さまって……私の事ですか?」

「そう、あなたです」


 そこに居たのは小太りの、いかにも商人然とした貪欲そうな男だった。

 視線をその背後に向けると、そこには鋼鉄で作られた荷馬車が佇んでおり、いかにも商品を大事にしている風がうかがえる。


 鉄製の馬車、それを引く馬、裕福そうな身なり。

 どれを取っても金払いの良い客にしか見えない。


「……内容を聞いても、宜しいですか?」


 ルフィアはワザとらしく咳払いをして心を落ち着かせると、商人に近付いた。


 鋼鉄の馬車を持つ者などは貴族お抱えの商人くらいしかおらず、大抵の場合貴族関係者の護衛は楽に住む上、報酬が高い。

 となると、普通は傭兵団に横取りされるような仕事になるのだが、幸いこの街に今傭兵団はいない。


 この商人の場合。本当は傭兵団に依頼をするつもりだったが、いざ来てみればいなかったという状況なのだろう。


 ひとしきりそんな事を考えて、ルフィアは期待を高めに返答を待った。



「実は、ですね。私、近々北の森を抜けようと思っておりまして」

「北の森、ですか?」

「はい、そうです。ただ、そこに魔獣がいるとの話がございましてね」


ゲルダンの耳に入る訳だ。


ここまで堂々と募集をしていたのか、とルフィアは呆れも半分に考えた。


「すみません。さすがに魔獣が相手というのは……」

「お、お待ちください!!護衛をして頂けましたら、今回私が稼ぐ分の半分を、報酬と致しましょう!!」

「は、半分?」


 そそくさとその場を去ろうとするルフィアに男が叫び、ルフィアは足を止めて、ゆっくりと振り向いた。


「ええ、半分でございます。今の所予想できる金額で……」


 男は自信のこもった笑顔で、片手を広げた。

五本指の分が稼ぎになるという事だろう。


「銀貨五十枚、ですか?」


 だとすればそれなりの金額である。銀貨が一枚あれば、多少切り詰めれば数日は保つ。

 それが五十枚。半年近くの生活は保証されるが、魔獣を相手にするには少し足りない。


 すると男は首を振り、口を開いた。


「金貨五枚。如何ですか?」

「っ……!?」


 この周辺で使われている金貨は一枚で銀貨三十枚分の価値がある。つまり、この男が提示した額は銀貨百五十枚分。

 それは、ルフィアの一年分の生活費ほどの値段だった。


「本当に、それほど稼げるのですか?」

「言い値で商売が出来るのです。もしやすれば、これ以上の利益も見込めましょう」


 ルフィアは僅かだが顔を顰めた。ただ森を抜けるだけで、一年分の金が稼げるのだ。

 死んでしまっては元も子もないとは思う。だが、実に魅力的な話――


「……良いでしょう。前金は払ってくれるのですね?」

「おお、有難うございます!!当然、前金はすぐにお渡しします」


 そう言って男がルフィアに渡したのは、銀貨五枚。

太っ腹と言えば聞こえは良いが、魔獣を相手取る依頼であれば妥当なのだろうか。


口車に乗せられ、都合良く操られたように感じて、ルフィアは一抹の不安を覚えながら宿に戻るのであった。



 ◎◎◎◎



 男の名はチオルと言った。ルフィアはチオルと二日後に出立という約束を結び、それまでの間に魔獣対策の準備を整えた。


 小細工として、油や小麦の粉を詰めた袋。攻撃を受けたら終わりの為、出来るだけ雪の中でも動きやすい服に、効果があるかは分からないが、一応火薬を詰め、導線を付けたボトルを幾つか用意する。

 長らく使う事の無かった愛剣を研ぎ、最悪の事を考えて、死んだふり用の血糊まで用意した。


 そうして準備が終わったルフィアの姿は、今にも戦に飛び出て行きそうな物となっていた。


「お待たせしました」


 予定通り街の北門で待っていると、煌びやかな金属の馬車ではなく、質素だがしっかりとした作りの木のそりを馬に引かせたチオルが現れた。


「では、行きましょう!!」


 チオルに促され、ルフィアが雪車の荷物の隙間に座り込むとすぐに橇は出発した。


 一日目は森に入る前に休息を取り、次の日の夜明けから森を全速力で通過する。

 念には念を入れてとチオルは魔獣の注意を逸らすための何かを持ってきていた様子でそれの説明をしていたが、ルフィアは心配事から目を逸らすように適当に聞き流していた。


 そうこうしている内に日が傾き始め、森が見え始めた。そこで橇を止めると、交代で見張りをしながら休眠を摂る。



 そして遂に、森の中に入る時が来た。


「……」


 森の道に入ると、それまでは陽気に声を上げていたチオルも、静かに周囲を警戒していたルフィアも明らかに緊張していた。


 命を賭けた商売である。二人は正気ではないと言われてもおかしくない事を実行しているのだった。



 ◎◎◎◎



 馬が地面を蹴る音が五月蝿く聞こえる。それ程までに静かな森の道を、息を詰めたまま橇は走り続ける。



 その時、森の奥から狼の遠吠えが聞こえた。


 ただの遠吠えでは無い。轟音として鳴り響いたそれは地面を振動させ、馬を動揺させた。


 勿論、橇の乗員の顔色も変わる。


 チオルは青ざめた顔で頭を抱え、ルフィアは様々な道具を詰めた鞄を担ぐと、剣を抜いた。


 そしてそんな時間が数分ほど流れた頃に、雪を踏む大きな足音が聞こえ始めた。


 ズン、ズン、という足音が徐々に大きくなり、うるさいほどに心臓が鳴る。


 数秒後、足音の主が姿を現した。それは黒い靄に包まれた巨大な狼だった。



 初めてみた魔獣の姿に、ルフィアは今すぐ逃げ出したいという気持ちを抑えて対峙する。


 巨大な狼は雪車を超える速度で走り、じわじわと距離を詰め始める。

 ルフィアは震える手を抑えて、小麦粉の入った袋を狼の顔面に投げつけた。


『グ……!?』


 小麦粉を顔面に受け、一瞬怯んだ狼が目を開いたのと同時。

一瞬の隙を、逃さない。


「今だッ!!」


 ルフィアが鞄から油を取り出し、それを地面に蒔いた。

 すると狼の足が少し遅くなる。油に足を滑らして上手く走れないのだ。


「チオルさん!最高速でお願いっ!!」

「もう最高速ですよぉ!!」


 続けて火薬を詰めたボトルを取り出し、導火線に火打石で火を付けて、思い切り投げつける。

 それが足元で爆発すると、狼は流石に体勢を崩して倒れ込んだ。


 徐々に狼が遠ざかり、小さくなっていく。ルフィアはひとまず息を吐くと、額に浮かぶ冷や汗を拭った。


「おお……素晴らしいですよルフィア殿!!いやはや、貴女を雇って本当に良かった!」


 チオルは真っ向から狼と向き合ったルフィアよりも安堵した様子で歓喜の声を上げている。

 口振りから察するに、ルフィアを雇ったのは魔獣に見つかった時の囮にする為だったのだろう。


 だが、商人としては感情の起伏が激しいこの男は、その行為が怖かったのかもしれない。

だからこそこの様な安堵が顔に出ているのだろう。


「森を抜けるまで後少しです!!ほぅら、急げ急げ……!!」


 にこやかに笑ってチオルは馬を走らせる。確かに森は後少しだ。目を凝らすと木々の無い雪原が見えた。


 チオルはその事が嬉しくてたまらないといった風に満面の笑顔でルフィアに振り返った。

 ルフィアもそんなチオルの姿に少しだけ気を抜き、微笑する。


「え?」


 だが次の瞬間、チオルの顔から笑みが消えた。

そして一瞬にして驚きが恐怖に変わり、ガタガタとその肩が震え。


「くっ……ぁっ!?」


 次の瞬間、ルフィアの体は宙に投げ出されていた。


 木に打ち付けられる寸前に鞄を緩衝材にして、なんとか地面に落ちたルフィアは状況を確認しようとチオルに目をやる。

 するとそこには、巨大な爪で叩き割られた橇があり。


「ぁああぁあ……っ!!」


 橇の下敷きになり身動き出来ないまま、怯えた表情で頭上を見上げるチオルがいた。


 恐らく魔獣が死角から接近し、一気に橇を襲ったのだろう。

 その証拠に、押し潰されたチオルの上には巨大な狼が乗っていたのだから。


「何で……早過ぎる!!」


 油の敷かれた地面で体勢を立て直し、回り込んで死角から襲い掛かる。その行動に掛かる時間は短い物では無い筈だ。

 あまりにも予想外の魔獣の身体能力に、ルフィアは目に涙を浮かべて恐怖した。


「まだ……まだです!!」


 狼がルフィアを見据える。


怒りの目で睨まれた、魔獣より遥かに小さな少女は恐怖を打ち払う様に剣を抜き払って狼へと走り始める。


 勇敢では無い。無謀な試みだった。


 当然、狼は前足を振り上げ、少女を叩き潰す。




 ――本当はそれで終わりだった。




 少女が何かをしたのでは無い。ましてや狼でも、チオルでも無い。


 シミひとつ無い真っ白な雪の中に狼の前足が落ちる。


 そして、唖然として崩れ落ちたルフィアの前には、狼に向かって堂々と剣を構える一人の男が立っていたのだった。


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