第9話 アイドルの初ライブは

 ボクは今、多分緊張している。

 いつも、どんな時でもこれほど緊張したことはなかっただろう。

 会場のキャパシティは五千人。それが全部埋まっているのだという。文化祭で劇に出たときとはわけが違う。人数はざっと七.五倍。

 Mスタの時とは五倍近く違うだろうか。そんな人数の前で歌って踊るのだ。


「何、緊張してんの」

「しないの?」


 ボクがメイクを児阪にさかさんにしてもらっている間、終わった瑠衣センパイは隣で歌詞カードを見ていた。水色のブラウスに黒のベスト、パンツはブラックジーンズ、靴は軽いハイカットスニーカーで、ボクと全く同じ。

 楽屋の端にはこれから着る衣装が全部おいてある。あとで舞台袖に移動予定だ。


「しない、訳はないけど。するほどのことに出会えたんだと思ってる」

「ん?」

「ルイちゃん、ちょっとお姉さんもわからない」


 いや、貴方はお兄さんです。児阪さん。


「何か、今までは文化祭とかも全然緊張しなかったし、人前でなんかやること自体が少なかったから、あんまり緊張しなかったんだけど、今緊張してるってことは、失敗したくないって思ってるってことだから。そう思えるものに出会えたんだと思って」


 なるほど。

 多分、文化祭とかは瑠衣センパイにとって「どうでもいいもの」だったのだ。失敗しようが成功しようが。瑠衣センパイは損もしないし得もしない。

 ただ見目がいいからって、舞台に立つことが多かった。でもそれだけだった。心の底から「失敗しませんように」とか考えたことはなかったんだろう。


「変わった考え方ね」

「そうでしょうか。児阪さんは高校の時からそんなしゃべり方だったんですか?」


 唐突な話題の逸らし方だった。

 ボクの緊張をほぐそうとでもしているのか。


「いいえ。今も高校時代の親友に会ったりするときは普通に話すわ。こういう仕事は、このしゃべり方の方がしっくり来る気がしてこうしてるだけ」

「そっちの方が変わってますよ」


 ボクにしてみればどっちもどっちだ。

 決してボクが普通というわけではないけれど。


「さて、出来上がり」


 ボクのメイクが完成したので、いよいよ楽屋を出る。

 舞台裏に入って、最終確認をしたら本番だ。

 ふっと息を吐く。


「緊張すんなとはいわないし、それは良いことなんだ。ただ、し過ぎはよくない」

「うん」


 瑠衣センパイがボクの背中を叩いて、ボクは歩き出す。

 失敗したらもう、誰も愛してくれないかもしれない。そんな不安はある。

 けど、味方はいる。


「ルイ君」

「ん」

「がんばろうね」

「……よし」


 拳を突き合わせて、ボクらは少し暗い舞台裏へと入った。

 最終確認は、移動や間奏でのアクション、その間に動くライトや、もし機械トラブルがあった時の対処法等だった。

 一通り話された後、「じゃあ」と、手を出された。円陣みたいなやつだ。真ん中に手を集めて、掛け声で上にあげるアレ。


「じゃあ、二人掛け声どうぞ」

「えいえいおー、で行きます。お願いします」


えいえい、おー


この声は会場には届いていない。カメラも回っていないから、誰かに見られることもない。けれど大事な一場面だと、ボクは思うのだった。


「今日はよろしくお願いします」


 ボクがそういって、全員が続いた後。ボクと瑠衣センパイはスタンバイ位置に立った。

 ヘッドセットをつけて、ボクは目を閉じる。


『ご来場の皆様にご案内申し上げます』


 館内アナウンスが流れる。至って普通のアナウンスで、携帯電話の電源をお切りくださいだとか、録音や録画はご遠慮くださいだとか、周りの皆さんに迷惑をかけないでくださいだとか、そんなものだ。それの一つ一つに、お客さんは「はーい」と答えている。

 本当にいい人たちばかりなんだろう。


「5! 4! 3! 2! 1!」


 アナウンスが終了したのか、次に聞こえてきたのは観客のカウントダウンだ。同時にヘッドセットのから、男性の声でカウントダウンが始まった。その両方が「0」と言った瞬間に、ボクは右足を蹴りだした。


 最初の曲はMスタで披露した『RESPONSE』。

 振付が激しい上にラストはバク転で締めるあれを、最初に持ってきたのはインパクトとボクらの体力の問題もあった。

 

「きゃあああああああああああ!!」


 観客が歓声を上げる。音楽はちゃんと聞こえているし、瑠衣センパイの声もボクの声もきちんと観客の皆に届いているのだと安心した。

 ドクドクと、心音が上がっているのがわかる。運動をしているのだし、多分緊張が最高潮にまでなっている。けど不思議と頭は落ち着いていて、歌詞もすんなり出てくる。でも油断はならない。何せ締めはバク転だ。一歩間違えれば大けがだってしてしまうのだ。


 怪我、そういえば瑠衣センパイがナイフで刺されかけたボクを庇って手を怪我したっけ。ちゃんと治ってよかったけれど、痕が残ったらあの人はどうするつもりだったのだろう。


 いや、今更気にしても仕方ないことか。


 ラストサビを歌い終わると、瑠衣センパイがボクを見る。バク転をする五秒前ということだ。いつもこのとき、瑠衣センパイの目はボクを心配している。Mスタの時も思ったけど、少しは自分の心配もしてほしい。ボクは瑠衣センパイの息子か。いや、弟なんだっけ?

 ボクにとっては瑠衣センパイは理想のお父さんって感じなのに、変なの。


「自分の心配もしてよね」と同じく目で返事をして、ボクは足を曲げ、腕を振る。


「きゃあああああああああああ!!」


 二度目の歓声。

 それは決して悲鳴ではなかったから、ボクも瑠衣センパイも失敗はしなかったということなんだろう。ほっと一息を一瞬だけついて、次の曲へ。


 次はデビューシングルの二曲目に収録されていた曲。この五千人の中に、デビューシングルを買ってくれていた人はどれだけいるのだろう。この曲を知っている人はどれだけいるのだろう。それでも、良い曲だと思ってもらえれば幸いだ。

 そう思ってセットリストに組み込んだ。それと、一曲目に『RESPONSE』を持ってきたので、テンポや曲調が似ているというのもある。


 もう一つ、理由を挙げるとするならば、ダンスが激しいことにあった。

 一曲目の『RESPONSE』をやって、すぐにMCに入るという案も、もちろんあったのに、それを却下したのは瑠衣センパイと社長で。最初にボクらには珍しい激しいロック調の曲を三曲連続でやることで、可愛いイメージを覆すという案が最終的に採用された。


 三曲目。『Your Rock』。セカンドシングルの三曲目に入っていた曲で、瑠衣センパイが「歌詞にあるのは「鍵を開けて」なのに、なんで「Your Lock」じゃないの?」と疑問に思っていたけれど、それはこの単語のイニシャルが「YR」だからだということに気づいたファンがファンレターで教えてくれていた

 髪が額にへばりつく。まぶたになんか雫が乗っている。揉み上げのあたりからタラリと何かが垂れている。

 でも、それが不愉快ではないのが、なんだかおかしくて、楽しかった。


「こんばんわー、YRです!」


 三曲目が終わって、スタッフさんが手持ちマイクを持ってきてくれた。

 それを握り、ボクらはヘッドセットマイクを外す。


「改めまして、爽野瑠衣でーす」

「鈴芽ゆうきです!」


 ボクらが最初に出たときの歓声の中に、ボクや瑠衣センパイの名前を呼ぶ声が聞こえる。

 応えるようにボクらも手を振る。


「今日は忙しい中来てくれてありがとー! こんな集まってくれてボクら幸せです!」


 まずは一礼。もう一度大きな拍手と歓声をもらって、一呼吸おくと、瑠衣センパイが話し出す。


「ゆうき、一個言っていい?」

「なんだい、言いたまえよ。ルイ君」

「ずっと思ってたの、サイリウムめっちゃ綺麗」


 許されるのだったら「それな」と返したかった。

 真っ暗な中で舞台から見える客席は、ほとんど全員が持っている水色のサイリウムが海のようで、とてもきれいだ。


「そんなこと考えながらバク転してたの?」

「いや、バク転のときは、どっちも失敗しませんようにって祈ってた」


 ダウト、と言いたいがここはもう終わってから文句を言うことにしよう。


「皆オレ等かっこよかった? 大丈夫?」


 カッコよかったよー、と返してくれるお客さん達。優しい。

 瑠衣センパイはそれにありがとう、と言って手を振った後、皆に疲れてないかを尋ねた。


「ルイ君、まだ三曲だよ。でも皆水分ちゃんと採ってね? 脱水とか気を付けて、最近寒いけど中は熱いし、まだまだ熱くする予定だから!」


 会場全体に響く、女性たちの声。それがやむなり瑠衣センパイがぽそりと、


「次の曲、熱くないんだが」


 と、呟いた。もちろんマイク越しなので、お客さんには聞こえている。

 くすくすと笑う声が、水色で彩られた客席中に響いた。


「そういうこと言わないでもらっていいかな!?」


 台無しだ。

 咳払いを一つして、ボクは続ける。


「はい、気を取り直して! 次の曲行きます! 手とか振るから皆ボクらと一緒に振ってください! 曲は『Hello,Cherry』」


 『Hello,Cherry』の部分だけ、瑠衣センパイと声を重ねて言うと、前奏が流れてくる。

 アコースティックギターとスネアドラムの軽快なリズムが、春を連想させる。深く息を吸って、ボクらは音を紡いだ。


『「桜が咲いたみたいだよ」って笑う人達が、ボクの横をすり抜けていく』


 ボクらはそれぞれ、ステージの端へ移動した。そこで手を振ってから、また真ん中に寄っていって、手を振る。この曲には振付というものはなくて、ボクらが自由に動きながら歌っていいとのことだった。なので、精一杯ファンの皆に見てもらえるように、アピールする。本当は、というか客席に下りて歩き回るという案も出たのだけど、それは序盤にやることではない、と却下された。


 激しいダンスの曲の三曲をオープニングとするなら、MCを挟んだ後のしっとりした曲が続くこのパートは、第一章といった感じだ。

 始まりの『Hello,Cherry』はその名の通り春の訪れを感じる曲だし、その後の『雨と花と』はピアノの音とフルートくらいしか聞こえない(本当はベースが鳴ってるけど多分普通は気づかない)くらいのバラード。その後の『大丈夫』もそうだ。『カフェオレとコーヒー』で少しだけアップテンポになって、『夕暮れロマンティック』で軽快、というか快活な感じの雰囲気になる。


 雰囲気が変わったところで、もう一度MCだ。と言っても今回は短い。


「では、ここで小休止、というか。ボクら着替えてきまーす」

「皆トイレとか行っとけよー」


 会場が笑いに包まれたところで、ボク等は舞台袖へ移動した。

 ボクらのライブは、まだまだ始まったばかりだ。

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