第8話 アイドルの休日 そして


 朝、瑠衣センパイは起きてまず、目を丸くしていた。

 それもそうだ。ボクが瑠衣センパイより早く起きていたのだから。


「おはよう、瑠衣センパイ」

「ん、おはよう」


 それでも自分より早く寝た人間が早く目覚めるのは当然か、と納得したのだろうか。ぐっと背伸びだけして、いつものように食事のリクエストはあるか聞いてきた。


「フレンチトースト」

「りょーかい」


 冷蔵庫が開かれる音を後ろに聞きながら、ボクは持っていた紙に目を通すのを再開させた。


「ずっとそれ読んでたの?」

「うん」


 昨日、あの後夕飯を食べて、ボクはぐっすりと眠ってしまった。

 そして、起きたときボクは、「ゆうき」と書かれた紙が貼られたボックスを見て思った。

 今回の曲はファンの皆への感謝を伝えるもので、ボクが生まれてきた意味を教えてくれるファンの皆の気持ちがこもったものを読み返せば、何か浮かぶのかもしれないと。曲を歌うとき、絶対に役に立つと。


「皆、本当にいい人たちばっかりだよね」

「……そうだな」


 お箸で液体を混ぜる、かちゃかちゃという音にまぎれて、淡々とした瑠衣センパイの声が聞こえてくる。

 瑠衣センパイは何かを混ぜるときに泡だて器を使わない。お菓子を作ったりもしないので、基本お箸か木べらだ。


「瑠衣センパイは、ソロ曲できた?」

「昨日できた。東井さんにメールで確認してもらってる」

「いつのまに!」

「お前が寝てる間」


 瑠衣センパイが段々、なんでもできる系男子になりつつある気がするのは気のせいだろうか? そんなことを思いながらファンレターを読み進めていくと、途中で甘い香りがしてお腹が空きすぎてきたころに、丁度綺麗に焼けたフレンチトーストが乗っているお皿が置かれた。


「はちみつ? メープルシロップ?」

「……メープルシロップ」


 その二択が出てくる程うちの冷蔵庫は充実しているのか。初めて知った。

 そういうと、「だってお前たまに、ホットミルクにはちみつ入れるだろ?」って返ってきた。なんだこの人。怖い。


 おいしいフレンチトーストを食べた後。ボクは作詞をするためにファンレター読んだり、パソコンをつけて、言葉を調べたりしていた。そのボクの後ろで瑠衣センパイはヘッドフォンをつけてDVDを見ている。英語の発音のために洋画で勉強しているようだ。


 

 それからは穏やかに時間が過ぎて行った。

 途中何度かカフェオレを瑠衣センパイが取り換えに来たり、したくらいでどちらも出かけることもせず、家の中で休日を過ごした。

 ボクの作詞がひと段落したのは、夕方くらいのことだ。


「うわ、こんな時間か!」

「んー」


 時計の針を最後に見てから、短針は八十度くらい傾いていて、時間の経過の速さに驚く。そして、そんなに時間をかけてもあまり進んでいない自分のとろさにも驚いた。

 瑠衣センパイはとっくに洋画を見終わっていて、過去のTV雑誌を読んでいた。


「なんか食いに行く?」


 雑誌をパチンと閉じて、瑠衣センパイは棚にしまった。ボクはとっさに「なんで」と聞き返してしまう。いつも「何食いたい?」って聞いてくるの人なので、「食べに行くか?」と聞かれるのは新鮮だ。


「だらだらしてたら飯作る気なくなった」


 一人暮らしとかだとよくある理由だった。

 そんな日もあるか、この人でも。


「うーん。……食べたいもの、ないや」

「ないか」

「うん」

「甲乙いくか」

「うん」


 結局いつものラーメン屋に行くのだった。





 それから三か月は怒涛というか、もうなんか、てんやわんやだった。


 ボクはまず歌詞を完成させて、長時間歌うからジムでトレーニング、全十八曲の歌詞をフルで暗記して、ダンスレッスンはもちろん、走りながら歌う練習や、演出家さん達との念密な打ち合わせに、衣装合わせ、グッズ展開のためにデザイナーさんとの打ち合わせ、等々。


 なんか色々合わせてばっかりの三か月だったけど、そんな風に過ごしたこともなかったので新鮮な日々だった。忙しい日々というのもなかなか疲れる。でもボクらは忙しい方がいいのだろう。


「今日はいよいよだね」


 会場への移動中。

いつも通りの車の中、ボクと瑠衣センパイが後部座席。運転席に辻さん。

 訂正。いつも通りではなかった。助手席には社長が乗っているのだ。


「お前ら、失敗すんなよ」


 ニヒルな笑みを浮かべる社長は、「芸能事務所社長」というよりも「インテリヤクザ」と言われそうだ。決して風貌が怖いというわけではなく、纏っている空気と言葉づかいが怖くて、見た目と一致していない。


「「しません」」

「ステージで転ぶなよ? ゆうき」

「転びませんよ」

「歌詞とちんなよ、瑠衣」

「はい」


 ボクらと社長はいつもこんな感じだ。「仕事をもらってきた、だから失敗するな」と、笑顔で言われて、それが怖くてやめていく人が多かったのだという。


「まぁ、なんだ。あれだ」


 どれだ。


「今回はこんなちっさいステージしか用意できなかったのは、俺は申し訳ないと思ってる」


 注意事項なのかと思えば、いつもと違う社長の雰囲気にボクも瑠衣センパイも唖然とする。


「それはまだお前らが駆け出しだからだ。来年、再来年。お前らはもっと人気が出る。俺はそれを確信している。それを確信できるのは、お前らが客に対して真摯だからだ。アイドルという仕事に対して真剣だからだ。お前らはいいアイドルになる。仕事に敬意を払ってる奴は愛される。だからな。今回のライブで満足するな、もっと広いステージを俺に用意させてみろ」

 

 それは社長なりの激励だったのだろう。

 ツンからのデレというやつだ。多分。


「今度ツンデレ役の仕事が来たら、オレ社長をモデルにしますね」

「ああ!?」


 それを本当に普通に流せる瑠衣センパイだった。ちなみに社長のツンデレはテンプレートに入りすぎているので、多分ダメだと思う。というか今のはデレしかなかったのだがそれはツッコみを入れるべきだろうか。


「ごほん、まぁ、頑張ってこい。俺が言いたいのは以上だ。辻からは楽屋で聞け」

「なんで社長楽屋で言わなかったんですか」

「俺も仕事があるんでな」


 とは言っても、忙しい中ライブ前のボクらにちゃんと応援の言葉をくれるのだから、なんだかんだ社長は優しい。ボクらが社長についてこれているのはこういうことがあるからなのだろう。

 というか、会場まで社長来ちゃってるけど、どこで仕事するのか。そこもツッコむべきなのかどうかを迷ってやめておいた。


「じゃあ、行こうか」

「はい」


 ボクらの初ライブが、もうすぐ開幕する。

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