第十五話 熊若の種明かし

 平治元年の暮れ、私は母に精一杯の反抗をしていた。

「私は嫌です!遠江守など、私には此度の乱、何の功もございません。それにも関わらず国司への任官など、恥ずかしくて一門に顔向けできません!」

 私は今回の乱で、一人父達の軍勢から遅れるという失態を犯している。私一人のために、父や兄、忠度叔父ほか多くの人々に面倒をかけてしまった。もちろんその中には母もいる。


「そなた……この母がどれだけ心を砕いてそなたの父に取りなしたか、知りもせずに好き勝手なことを!」

 母は力任せに私をぶった。何度も、何度も……。そんなに怒っているのであれば、いっそ私など殺せばよいのだ……。不肖の息子は消え去り、後には聡明で武勇にも優れた知盛、清五郎(のちの重衡)が控えている。私の代わりなど、いくらでもいるではないか。ふてくされた私は、邸に引きこもり、しばらく何もする気にもならなかった。


 年が明け平治二年の正月、私と共に熊野から戻った忠度叔父が我らを訪ねてきた。叔父は長年慣れ親しんだ熊野を離れ、ようやく平家の武将として父に仕える決心を固めたそうだ。

「宗盛殿、随分と浮かぬ顔じゃが、まだ旅の疲れが癒えぬかな?」

「はい。此度の乱では一門の足手まといとなり……」

 そういいかけたところで、母が遮る。

「忠度どの、ところでそちらの女子は?奥方か?」

 忠度叔父は熊若の代わりに、私よりも少し年上と思われる年頃の娘を連れていた。叔父、とはいってもまだ十七。妻を娶るにはまだ少し早い年頃である。

「いえ、これなるは私が長らく暮らしておりました熊野の別当、湛増殿の縁の者にござりまする。おや?宗盛殿は道中ずっと一緒であったはずだが、見覚えないか?」


 突然、叔父は私に水を向ける。このような女子、見覚えがない。熊野から都への道程には、女子など一人もいなかったはずだ。

「叔父上、一体何のことでございますか?さすがの私も熊野から同道した者の顔は覚えております。女子など……」

「おや、宗盛殿はわからぬかな……もうよい、種明かしじゃ!」

 叔父はもう笑いをこらえきれない様子で、傍らの少女に口を開くよう促した。

「宗盛さま。お見忘れですか?私です。熊若にございます。」


「――?」

 私はしばらく何も反応することができなかった。熊若が……女子……?確かに言われてみればそうかもしれない。熊野育ちの男子であれば、本来は忠度叔父のように日に焼けた顔をしているはずだが、熊若だけは肌も白く、整っていた。そして彼女は私より年長でありながら、声変わりもせず、今様の似合いそうな美しい声であった。

 確かに、女子でなければおかしいかもしれない……。しかしそうなると、私は何日も女子に助けられながら、馬に乗せられていたことになる。母がこのことを知れば、また叱責の種が増えるばかりだ。


 そんな私の心中を知ってか知らずか、叔父は既に笑いをこらえることすらしなくなっていた。父にも劣らぬ大きな声で、私に手ひどい追い打ちを加える。

「宗盛殿は道中ずーっと青ざめた顔をして、熊若に抱きかかえられるようにして馬上で震えておられたな!ハハハ……!」

 都から離れた熊野で大らかに育った忠度叔父は、遠慮というものがなく、人の細かい表情など伺わない。母の顔が明らかに曇っていることを読み取ったのは、私だけである。母たちとの暮らしで私が身に着けたのは、人の、というより母の表情をいち早く読むことだけであった。


「忠度殿、殿にはお会いにならなくてよろしいのですか?」

 母なりの早く帰れ、という合図なのだが、そんなことに気づく叔父ではない。

「なあに、それがしまだ平家の武将として日が浅い故、挨拶まわり以外にはまだ役目もなく……」

「忠度殿!殿がお待ちかねでございまする!」

 母も母で本音を隠しきれなくなっている。さすがの忠度叔父もただならぬ雰囲気を察したか、熊若を連れて、立ち去っていった。

 

 この場のことは本来全て忘れてしまいたいほど苦い思いでとなるはずだったが、これを美しい思い出に塗り替えたのは、去り際の熊若の言葉だった。

「宗盛様、遠江は我が母の故郷にございます。遠江守のお勤め、お励みくださいね」

 彼女だけは情けない私を笑わなかった。それだけで私は救われたような気がしたものだった。この時ばかりは、彼女にゆかりある遠江守として、誠意を以て励もうと思ったのだ。

 しかし、私の心に珍しく灯された火は、ある男のためにあっけなく消されることになる。

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