3-5 ドリーマン

 里佳が躊躇しているのが浩人にはわけがわからなかった。いつもより遅いからだろうか。


「いいから、先に入って」

 里佳が浩人を後押しする。


「なんだよ、入るけどさ」

 入る前からいつもとの違いにさすがの浩人も気がついた。店の中から人の気配がするのだ。先客がいるようだ。


 戸を開けたまさにちょうどそのタイミングで店内からドッと笑い声が聞こえてきた。


「あ、お客さん?」

 浩人も若干とまどっていた。


「おお、山川、お客さんだぞ、お客さん。ありがたいな、おい」

 先客は三人。筋肉質なポロシャツと、かっちりスーツの男女。ポロシャツはいい塩梅に出来上がっているようで顔が真っ赤だ。声を出しているのはポロシャツだった。


「あ、悪い、テーブルで」

 カウンターの向こうの山川が頭を下げた。


「ありゃ、昨日の常連さんじゃない。通ってんの、カウンターに来なよ。なんだよ、山川の彼女じゃないのか、そっち、彼氏?」


「えー、山川くん、残念じゃない、こんな可愛い彼女さん」

 スーツの女も酔っ払っている。


「でも違うんだろ、らしいなあ。なんか足りないんだよ、山川氏」

 スーツの男も呂律があやしい。


「ぶっは。やめろよその山川氏っての」

 ポロシャツが吹き出した。


「懐かしー、山川くんのこと山川氏って言ってたの誰だっけ?」


「誰って、違うよ、山川が最初みんなのことそう呼んでたから真似しただけだって。そのうち課長も言ってたよ、山川氏って」


「言ってた言ってた」

 女が笑った。


「おい、やめろって」

 山川は苦り切っていた。


「いいじゃん。俺たち同期の出世頭が周囲の予想を裏切って退職だよ、昔の懐かしい話のひとつやふたつ、ねえ」


「そうそう、一足先にやめた山川くんのこと、みんな気にしてたんだし」


「まさか俺が山川の次に辞めるとはなあ。あ、他にも辞めた奴いた気もするけど、そういうのはどうでもいいだろ。もう忘れたし。けど、山川、おまえだけはなんか心に残ってるぞ俺は。色々あったからな」

 ポロシャツがそう言うとスーツの男と女がギャハハと笑った。


「あー、盛り上がってるところ悪いんだけど、生ビール、ジョッキでふたつ、よろしく」

 浩人が遠慮がちに注文を出す。


「おい、山川、注文だぞ。どうした声出せ。おまえ、昔っからそうだ。俺が代わりに言ってやるよ。生二丁、喜んでぇ!」


 スーツの男と女はポロシャツの大声でまた笑った。


「ああ、ああ、まあ、いいから。生、俺が入れるわ」

 浩人はカウンターに入ると自分でサーバーからジョッキにビールを注いだ。


「なんだよ、そういうの、山川にやらせろよ」

 ポロシャツが言った。


「ま、いつものことだから」

 浩人は軽くかわす。


「なんだよ、常連さんか」


「まあ、そう言われるとそうかな」

 ジョッキにはキレイに泡が乗っていた。浩人はふたつめのジョッキを手にした。


「おい、よかったな山川、常連さんが二人もいて」


 山川は無言で焼き鳥を焼いている。


「おい、なんとか言えよ」

 ポロシャツが山川に絡んだ。


「あー、あのぉ、お仕事大変なのわかるし、山川の知り合いなのかも知んないけどさ、それぐらいにしといたら」

 ジョッキを抱えた浩人が言った。


「お仕事? あんた、山川の地元の友だちか? あんたも山川みたいに親のすねかじってんのか?」


「まあまあ」

 喧嘩腰のポロシャツをスーツの男女がなだめた。


「すねかじってるっつうか、まあ、やることないし、家の仕事手伝ってるっていうか。あ、山川、この白菜漬け、もらっとっから」

 無理して答えるほどのない質問に浩人が答える。


「いいね、手伝うような家業があって」

 ポロシャツは止まらない。


「いや、そんなに大した商売じゃない。絶滅危惧業種。俺、別に仕事に夢とか持ってないから」

 浩人がジョッキを傾けた。


「ハッハ、仕事に夢? そんなの俺らも持ってないよ。山川ぐらいじゃないかなあ。こいつ、夢ばっかりでさ、あの頃おまえ、部内でなんて言われてたか知ってる? ドリーマン。ドリームたっぷりのリーマンでドリーマン。最高だよ、山川」

 ポロシャツの乾いた笑いにスーツの男女は微妙な表情だった。


「ねえ、根岸くん、もういいんじゃない」


「そうだよ、やめようよ、もう」

 女も男も少しだけ酔いが冷めた風だった。


「いいじゃねえか。俺たちは山川みたいなボンボンと違って仕事に夢なんか見てなかったっツーの。山川が地主のボンボンだって聞いてよくわかったよ、仕事の夢ばっかり語っちゃう理由がさ。俺たちはもっとリアリストで必死なんだ。夢見てる余裕なんかねえっツーの。あんた、あんた、家の仕事手伝ってるっていう、あんたもボンボンか。適当に仕事してんだろ。あと、そっちの、山川の彼女かと思ってたあんた、違うな、山川の彼女じゃねえな。あんたも地主かなんかなのか」

 根岸と呼ばれたポロシャツが里佳に聞いた。


「え、なんでわかるの?」

 里佳が思わず返事をする。


「ふぁっ、じゃ、やっぱ地主なんだな」


「おじいちゃんの代から」


「んー、それはそれは。いいご身分だな」


「えー、でも、別に好きで地主の孫に生まれてきたわけじゃないし」

 里佳はまだほとんど飲んでいない


「えっと、おまえはちょっと黙ってていいから」

 浩人が里佳を止めた。


 里佳に調子を外されたのか、ポロシャツもスーツの男女もみんなバラバラの方向を向いていた。


「で、何の商売?」

 気を取り直したポロシャツが浩人に聞いた。


「葬儀屋」

 浩人は今度はカウンターの中からキャベツを山盛りと塩ダレを持ち帰る。


「儲かんの?」


「んー、やりようだと思うけど、ウチはあんまり」

 キャベツに塩ダレを目一杯かける。


「そっか。家業っつってもピンきりだな」


「まあ、そんなもんでしょ」


「ところで、さっきからタメ口だけど」


「ああ、だって、さっき言ってたけど、山川と同期なんでしょ。俺、山川と中学の同級だから」


「じゃ、同い年だ」


「そうだと思うけど」


「すごいね、ヒークン、ちゃんとわかってタメ口だったんだ」

 里佳が感心していた。


「いや、そこ、感心するところじゃないから」

 浩人はキャベツを頬張った。

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