2-6 新規開拓

「いらっしゃいませ」

 愛想のいい声が飛んできた。


 それほど広くない店内のテーブルもカウンターもほとんど埋まっていた。老若男女。いや、若い人間はいない。老老男女が和気あいあいと過ごしていた。


「あら、田村さんの」

 お盆を持った店員が声をかけてきた。


「あ、どうも、えと……」


「日下よ、日下。同じ小学校の、日下道弘の」


 同じ小学校の日下道弘のことも覚えていないが、その親となるとまったく記憶にない。


「第三田村荘に住んでた」


「あ、ああ……、ああ!」


 今はもう無い第三田村荘のことはよく覚えている。祖父が畑を潰して建てた田村荘は第八まであった。田村荘のあとはコーポ田村が第六まで、メゾン田村は第五。田村荘は全てマンションに建て替わっている。


「お、喜美江ちゃん、お知り合いかい?」

 テーブルの客が日下さんに声をかけた。


「こちらね、田村さん。この辺りの地主の田村さんのお嬢さん」


「ほえー、あのでっかいお屋敷の?」


「そうそうあの田村さんの。ええっと」


 さすがに日下さんも里佳の名前は覚えていないようだ。


「里佳です」


「そうそう、里佳ちゃん。すっかりお嬢さんになって」


「ええ、まあ」

 里佳は肩をすくめた。


「お祖父さまお祖母さまは随分とお早くねえ」

 日下さんはしんみりとした表情で、心なしか目もうるんでいた。


「それで今日は何かしら。櫛田さんからお電話いただいていたけど」


「あ、はい、実は……」


 チラシを鞄から取り出した里佳の周りに店内の客がワラワラと集まってきた。


「……というわけなんですよ」


「なるほどねえ。墓石屋さんのバスツアーで墓参り、色々考えるもんね」


「ええ、お弁当とお墓掃除の道具も込みなんですよ」


 こうやってウンウンと聞いてくれるお客さん相手の説明は気持ちがいい。


「バスで近所から出られるのはいいわね」


「そうねえ。ウチの旦那も知らない道だと億劫だって言って出さないのよ」


「カーナビあるぜぇ、今はぁ」


「あら、トンちゃんカーナビ使えるの?」


「自宅に帰るボタン専用だよぉ。子どもとか孫とか一緒の時はぁ、そりゃあ重宝してるよぉ」


「オレもカーナビは使えないけど、運転だけは現役だ。どこでも行くよ、ホント」


 ひとくちにお年寄りと言っても色々あるらしい。特別養護老人ホームでの介護が必要なお年寄りと、ここに集まるもう少し若くて元気なお年寄りとは随分違うようだ。


「皆、元気で驚いちゃうでしょ。でも、あちこち痛むから、隣の整骨院に通ってるのよ」


「腰がぁ、ちょっとねぇ」


「オレも定年のあと嘱託で働いてたのも辞めてから歩くの減ったら途端に腰がえらいことになってさ」


「ワタシは肩がね」


「そうそう、肩。五十肩どころじゃなくて、七十肩よ。ねえ。もう大変」


「皆さん元気だねえ。ボクは卒中で倒れてから、ずっと左足のリハビリで通ってるよ」


 里佳は感心していた。三国が整骨院の隣の喫茶店に元気な年寄りが集まっていると言ったのはまさにその通りだ。


「墓もなあ、オレのところは寺だ。どうなんだい、オタクは?」


「あら、ワタシのところは親が今時あれだって言うから近所のなんとかパークに移しちゃったのよ。そしたら三年前にふたりともポックリで。こんなこと言っちゃなんだけど、ピンピンコロリでねえ」


「あぁ、そりゃあ、一番だねぇ」


「トンちゃんのとこもねえ。色々とねえ」


「ボケちゃってからぁ、長かったからねぇ」


「そうよそうよ、今はなんて言ったっけ、ほら、ワタシたちみたいな年寄りがもっと年寄りの親を介護すんのよ」


「老老介護ね」


「そうそう、それそれ。なんだかねえ、本当、大変よねえ」


 このままでは収集がつかなくなる。里佳はそれとなく話を持っていくことにした。


「あのお、皆様、お墓は」


「ウチはさっき言った通りお寺さんだ」


「ワタシのところはなんとかパーク。あの近所のあのあそこよ、あそこ」


「八柱ぁ、知ってるかなぁ」


「あら、トンちゃんのとこ、八柱だったの、ウチもよ」


「おや、ウチもあれだよ、父親の実家は神奈川だったけど、母親の時に相談して八柱に移したよ」


「八柱ぁ、クルマだとそこそこ近いんだけどぉ、電車じゃあ、大変なんだよねぇ」


「八柱ってどこにあんの?」


「都立の霊園だけどぉ、松戸なんだよねぇ」


「お、ウチも都立だ。谷中だ」


「谷中ってあそこ有名人じゃなくても入れるの?」


「募集してるよ」


「へえー」


 どうしても話はまとまりそうにない。お客さんの扱いならなんとかなるが、お年寄りの、それもこんなに元気なお年寄りの相手は里佳には荷が重すぎた。


「あなた、これ、売り込みたいのよね」

 白髪の上品な女性が見かねて声をかけてきた。


「あ、はい」


「じゃね、私に少し任せてくださる?」

 女性はごく自然な調子でそう言った。


「里佳ちゃん、花山さんにお任せしちゃえば」

 日下さんもそう言う。


 お年寄りたちも口々に、それがいい、そうしちゃえば、などと里佳に勧めてくる。


「はあ……」


 なんだか不思議な気分だった。売り込みに来たのに売りつけられているような、ミイラ取りがミイラになるとはこういうことなのだろうか。


「田村さん、私、保険屋の花山よ。私もあなたのおじいさんとおばあさんには随分お世話になったの。覚えてらっしゃらない?」


「あ、保険屋さん」


 すっかり思い出した。祖父母のアパート経営に関連した保険は全て花山さんだった。それも、マンションに建て替えてからは疎遠になっていた。


「今は保険の代理店はやっていないのよ。すっかり引退。でもね、こういうのなら、少し任せていただいてもいいかしら。マージンがどうとかはいいの。もう、仕事辞めてから暇で暇で。やらせてくれない、私に」


 完全に押されていた。周りも嫌とは言わせない雰囲気になっている。ここで断る勇気は里佳には無かった。


「あのォ、少し考えさせていただいていいですか?」


「いいわよ。櫛田さんと相談されるなら私の事は伝えてね。断らないと思うわよ」

 花山さんの柔和な笑みは自信に満ち溢れていた。


「あ、はい」


 なんだか狐につままれたような気分の里佳だった。

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