超能力者の東雲四兄弟
水無月
プロローグ:独房の少年
2004年、6月30日。
世田谷にある『
研究所自体は質素なもので、都会の騒がしいビル群に紛れて、無表情でひっそりと佇む、本来なら誰も気にもとめない様な場所だ。
新聞の端の方にポツリと記載されていたその放火事件は、現在、ある組織の抑圧により一切の詳細を隠されている。
いくら目立つ事の無い施設が炎上しただけとはいえ、目撃者や、事件について調査していた警察官などがいるはずである。しかし、彼らは一様にして事件の事を知らないと言い切る。都市伝説好きなブロガーや、様々な情報の売買を生業としている業者の中にはその事件について耳にした事がある人物がいるようだが、あくまで彼らが知っているのはごく一部だ。
何者かによって詳細が隠された事件、となれば、そこに根も葉もない噂がついてくるのは、言わずとも分かってしまうものだろう。どうも世に蔓延る文化人とかいう人間達は、こういった事への食いつきが半端ではない。
人間に制裁を下すべく現れた悪魔が火をつけたとか、CIAの様な政府直属の機関による所行だとか、果ては宇宙人の仕業ではないかと言い張る輩までいる。
他にも、もはやただの焼け跡と化した研究所についての黒い噂も、数えきれない程まとわりついた。
その中でも有名なのが『四人の子供』にまつわる噂だ。
そもそもその研究所では何を研究していたかというと、たまげたことに『超能力』の研究をしていたらしい。普通の人間を素体にし、そこにちょっと手を加える事により、常軌を逸した能力を持った超能力者を作り出すことが、その研究所の目的であったとか。
これもタダの噂なので、本当かどうかは怪しいものだ。
そして研究所の職員たちがその実験の検体として選んだのが、十歳以下の子供たちだった。
もちろん、研究所の職員たちが「研究の
実験材料として扱われた子供たちは、無理矢理身体を改造された事もあり、ほとんどが無惨な姿で死に絶えたらしい。やはり超能力者など、そう簡単には作れない。
しかし、たった四人だけ、幸いなことに生き延びて実際に超能力を得た子供たちがいたそうだ。——いや、それを『幸い』だというのは、すこし違うかもしれない。
とにかく、生き残ったその四人はそれぞれ検体名を与えられ、研究所の奥の方へ隔離され、いずれはどこかの軍組織や大企業に売る商品として、大事に仕舞われていた。
本来ならこの四人の子供たちは研究所にとっては手放し難い“成功例”の筈なのだが、彼らが暴走した場合の被害を恐れたのか、はたまた、ただの子供を研究材料として扱う事に罪悪感を覚えたのか、研究者の一人が自ら研究所に火を放ち、彼らの命をその証ごと終わらせた、というのが三橋第二研究所焼失事件に関与する噂の中で、もっとも有名で、同時にもっとも信じられていない噂のひとつだ。
くり返すようだが、あくまでこれは噂の域を出ない。言い伝える人々にとっては、娯楽の一環でしかない。
——だが、もし彼らが本当に実在していたとしたら。
そして、あの放火事件があった日に、彼らだけ助けられていたら。
あの事件から十年経った今も、どこかで普通に暮らしているとしたら。
それが知れれば、例え目には見えずとも、世界は大きく揺るぐはずだ。英雄にも怪物にもなり得るその存在を、危険視して排除しようとする者や、自らの手中に収め利用せんとする者が現れるに違いない。
そんな事を気にも留めず、一般の人間に紛れて、彼らが平和な生活を送っているのだとしたら——。
この物語は、そんな四人の——超能力者である『東雲兄弟』たちの物語である。
・・・
——もう、消えてしまいたい。
ねずみ色の壁に身を寄せ、少年はその歳に似合わない重たいため息を吐く。どこか色気をもったそのため息が、わずか二畳半のつまらない部屋に響く。
部屋というより、独房と言った方が最適かもしれない。何にせよ、一人の子供に与えられるにはあまりに狭すぎる部屋だった。その上、机も椅子もありゃしない。あるのはごうごうと唸りを挙げる換気扇と、格子のついた鉄製の扉。そして、少年の小さな矮軀を拘束する鎖だけだった。
けれど、この部屋で半年ちょっと暮らしている少年にとっては、もう慣れたようなものだった。むしろ、今はここが一番落ち着くようだ。
では、虚ろな目をした少年のため息はどこから来たのか。
それはもうすぐ、少年が嫌う『あの時間』がくるからだ。
時計も無いこの部屋では、正確な時間を知る事が出来ない。しかし、彼は今が何時何分かを正確に知っていた。
そんな彼が現在の時刻を知る方法、その答えは壁に刻まれた数多のひっかき傷にあった。
この場所での少年の時間は施設の人間に管理されていて、食事も起床時間も少年の意思関係なく決まった時間に行われる。就寝時間だけが唯一自由となっているが、何も無いこの部屋では夜更かしするための遊びも出来ない。朝になると、目覚まし時計よろしく、ここの『看守』が起こしにくるのだ。彼らは鉄格子の向こうから呼びかけるだけで、決して少年に近づこうとはしない。無駄に声を張り上げて、少年が起きるまで呼びかけを繰り返す。なので寝起きは最悪だが、そうして起こされた瞬間から少年は脳内で一分を刻み始める。一分を数え続け、六十分経つと壁に引っ掻き傷をつけていく。こうして一時間を計るのだ。これは食事の時間も行われる。ものを食べながらも、少年は秒数を数え、壁に傷を付ける事を忘れない。
一つの趣味として始めたこの行為は、近頃では習慣化してきていて、危うい状況に立たされた少年の自我をギリギリ引き止めている。傷自体は小さく浅いものだが、これをもう半年前からやっているため部屋の壁は傷だらけだ。まるで気性の荒い獣でも住んでいるのではないかと勘違いさせられる。その表現もあながち間違ってはいないのだが。
だが、それが中断される時間が、午後八時から九時の間、きっちり一時間だけある。それがこの部屋を出る事が出来る唯一の時間であり、少年がもっとも嫌う『検診』の時間だった。その時間が今日もまたさし迫っている事に気づいて、少年のため息は再び繰り返された。
よく分からない円筒状の機械に閉じ込められ、全身を隈無くスキャンされ、三十分かけて身体のあちらこちらを調べられる。機械の中は彼が暮らす部屋よりも窮屈で、かつて一度だけ乗った事がある満員電車を思い出させた。さらに最悪なのは、三日に一回ほど、堅苦しいスーツを着た人間がその『検診』を視察しにくるのだが、その時はさらに気分が害される。見せ物にされてるようで、興味深くこちらを見つめる視線が少年の心を深くえぐった。動物園の檻に閉じ込められた動物たちのストレスが、少しばかり理解できた。
最も、満足できるための環境が整えられている分、動物園の方がマシなのは間違いない。
それでも少年が舌を噛みちぎらなかったのは、一種の奇跡と呼べるかもしれない。
実験体として改造され、六ヶ月ほどの間、まともな生活を送れずに、少年の心にはポッカリと穴があいていた。もはや希望と呼べる希望もなく、脱出の手立てを探すことも、すでに諦めている。
監禁が始まって一ヶ月くらいは家族の事を思い出して泣く時もあったが、今では流す涙も枯れ果て、実験の影響か、もしくは、少年の心が辛い事から逃げようとしているのか、彼は家族の顔すらもとうに忘れてしまっていた。
少年が何もない部屋の角を見つめながらぼうっとしていると、コンコン、と扉をたたく音がした。
(——来たか)
看守が『検診』のために自分を呼びに来たと思って、せめてもの抵抗として返事をしないでそっぽを向く。
本来ならば、ここで横文字の検体名を呼ばれるはずなのだが、それがない。不審に思って扉の方に目を向けると、鉄格子の間から二つの目玉がこちらを覗き込んでいた。まるで卵のようにまんまるな目玉で、そこに確かにやつれ果てた少年の姿を映していた。
この施設でそんな眼をした人間はいないし、第一こちらを見ようともしない。
扉の向こうの見知らぬ人物は、そのまま十秒間ほど少年を見つめた後、一歩後ろに下がって急に喋りだした。
「君が実験体no.1かな?こんにちは。私は
早口で捲し立てられ理解が遅れたが、東雲 桜子と名乗る人物の言っている事が本当ならばとんでもない事をしでかそうとしていると分かった。慌てて自分の身を屈め、主に頭部を守るようにして爆発に備える。
しかし、数秒後に訪れた爆発はとても小規模なもので——あるいは扉が予想よりも頑丈だったのか ——扉自体が木っ端微塵になるような事は無かった。ボン、という良く響く音と共に鉄製の扉が少し歪み、桜子はその扉を蹴り倒して姿を現した。
薄汚れた白衣に、手慣れていないのか雑に束ねられた黒い長髪。見た目から判断するに二十代後半から三十代前半あたりだろう。顔には淡白な笑みを浮かべていて、どこか胡散臭さが拭えない。
分かりきっている事だが、この研究所の職員ではない。では、彼女は何者なのか。どこの所属で、なんの目的があるのか。
だが先ほどの言葉を信じるならば、この人物は少年を助けに来たはずだ。さすがにこの扉をぶち破ってくれただけで彼女を信用する事は出来ないが、こちらに近づいて来る桜子に投げかける少年の視線には期待がふんだんに込められていた。長らくまともに人と会話してなかったため、桜子が自分に喋りかけてくれるだけ嬉しかった。
「手荒いマネでごめんなさいね。さ、その鎖を外しましょ」
外すというのだから鍵でも持っているのかと思ったら、懐からナイフを取り出し迅速に鎖そのものを斬ったのだから仰天した。
まるで研究者のようなナリをしているが、そこに神経質さは微塵も感じられなく、細かい事を気に留めない豪快さがこの数秒の行動で読み取れた。こうも行動一つ一つに肝を冷やされていては、先が不安になってしまう。
まだ手首と足首には枷がついているので、若干重く感じたが、自由に手足が動かせるのは実に六ヶ月ぶりの事だ。検診の時でさえ、その手は縛られていたし、足は目的地へ向かう事以外の目的で動かしてはいけなかった。考えてみれば、囚人よりもひどい扱いだ。奴隷と例えた方がしっくりくるだろう。
「じゃあ行きましょうか」
桜子が早々に少年を連れ出そうと踵を返す。
行くってどこへ?と尋ねたくて口を動かすが、しかし声が出ない事に気づく。話し相手のいないこの場所では、喋る必要も無いため、声の出し方を忘れてしまったようだ。
吐息にも似た声にならない声だけが、少年の口から放たれる。
そんな様子を察してか、桜子はしゃがんで少年と目線を合わせ、そっと頬に手を当てる。まるで本物の母親が息子に接するかのような、慈愛に満ちた触れ方だった。
「落ち着いて。大丈夫だから、ね。なにも怖がる事は無い。君は今日から自由よ」
とても穏やかで優しい口調が、子守唄のように少年の心を安堵させる。
やがて少年が落ち着いたところで、桜子は少年の手を握った。
「そうだ、君に紹介しておきたい子たちがいるの」
桜子は後方を振り返ると、部屋の外に向かって呼びかけた。
陰からおずおずと姿を現したのは、三人の子供だった。
まず、一人目は少年よりすこし年下に見える女の子。
これまた人形のように可愛らしく、輝之は彼女の姿に目を奪われた。だが、綺麗な黒髪は煤けていて、せっかくの愛くるしい顔立ちも痣や切り傷で台無しにされている。
いったい、彼女はどんなことをされたのか。どんなことをしていたのか。
輝之はそれが気になった。
後の二人はそれよりも幼い男女で、互いに小さな手を握り合っている。目元や髪の色がそっくりなので、おそらくは双子の兄妹かいとこ同士か、少なくとも血縁者であるという事は察せられた。
三人ともまだ事情を良く飲み込めていないようで、不安を宿した顔つきをしている。
三人は桜子の横に並んで、怯えながらも少年の前に立つ。視線は三人とも少年から外しているが、少年は三人をじっくりと見つめて、そして再び桜子に視線を戻す。
「これから君の家族になる子たち。君と同じくこの施設に閉じ込められていたの」
「………」
自分の他にもそんな子供がいたなんて、少年は承知していなかった。かといって驚きはしない。この施設の非道さはよく分かっている。この三人の他に、あと百人ほど同じ目にあった子供がいたっておかしくない。その子供達がどんな末路を辿ったかまでは考えたくもないが。
……というより、家族?
まだ話が飲み込めず、少年はポカンとした表情を浮かべたが、桜子はそれにかまわず彼女の横に並んだ子供たちの紹介を始めた。
「右から順に、玲奈、青葉、誠よ。仲良くしてあげてね」
桜子は頷きを求めるように少年に微笑みかけた。少年も答えるように首を縦に振る。
「て…き…」
それから少年は、絞り出すように掠れた声で名乗った。長いこと名前で呼ばれていなかったため思い出せるのは下の名前だけだが、それでも自分を証明できる数少ない物として大切に記憶に留めてあったのだ。
「輝…ゆ…き、です。僕のなっ…、名前…」
「輝之…」
桜子はじっくり味わうようにその名前を繰り返してから、少年の頭を撫で「良い名前ね」と言った。
少年の目からは、しばらくぶりの涙が溢れ、彼の頬をそっと滑り落ちた。
こうして、改造人間として終わりかけていた輝之の人生は、桜子に救われていた事により、新たなスタートを切ったのだった。
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