マウスマウス

雨宮由紀

第1話 巡る時が走るとき

 この世界には物語が溢れすぎている。そのように感じたことはないだろうか?

 いや、別に感じていないのなら良い。それは君が幸せの中にいて、物語を享受出来るだけの余裕を持っているに他ならないのだから。そのもの自体を大切にしなさい、それが君の幸せへとつながるでしょう。

 さて、私が、私達が手を差し伸べるべきは幸せの中にいるものではない。幸せを望めど、手に入れることの出来ない不幸な子供達へ届けることに意味がある。

 大丈夫だ、安心したまえ。君達にも幸福を味わってもらうために、我々は時間を準備した。少しだけ衝撃が大きいかもしれないけれど、幸せの詰まっていない心でなら受け止められるだろう。安心して身を委ねてくれれば良い。

 我々は誘い人。この地に物語と幸せを運ぶものである。

 

 

     ◇

 

 

 カチコチと店のあちらこちらから、大小様々な音が聞こえてくる。この音に包まれて眠っている時が私が感じる二番目の幸せで、誰かに邪魔されるのを避けなければいけない大切な時間。それは例え一番の幸せをくれる彼女であっても許すわけにはいかず、仮に邪魔をしようものならば、理不尽にお説教を始めてしまうことになるでしょう。

 時計の奏でる優雅なる、繊細な音。それは複雑な機構がもたらしてくれる、芸術の一部。それを感じられる私は、幸せ者ね。

 時計には沢山の種類がある。例えば、懐中時計と一口に言っても、それぞれ異なった特性を持ち合わせており、手入れの際には気を使う必要がある。まずはムーブメントがぜんまいを使用する機械式と、ボタン電池などに頼ることになるクォーツ式へと分けられるでしょう。もちろん、ぜんまいを使わないタイプの機械式もあるけれど、あれは少し味気ない。この二つにはお手軽さと、機械式の音を望む人とで隔たりが出来てしまうから。それが悪いとは言わないけれど、たまには反対側の領域にも飛び込んでみて楽しめるだけの心の余裕を持ち合わせていて欲しいものですね。いくつもの時計を身近に感じている身としては、ムーブメントの違いくらいでケンカをされても困るわ。

 次に大きく分かれるのは、形状。オープンフェイスはシンプルさが売りであり、値段を抑えられるのも魅力。耐久性を考えるのであればハンターケースに軍配が上がり、他にも利便性を求めたナポレオンや、嗜好品としての側面の強くなるスケルトンへと目を配ることもあるでしょう。一部でしか使用されることを想定していない、ナースウォッチまで知っているのなら、心豊かにいられるでしょう。

 まぁ、どの懐中時計も良いもので、優劣をつけようとするのは個人的にはいただけない。そういったことを考える前には全てを所持し、日替わりで楽しむことを提案しましょう。それくらいの余裕がなければ、この子達は扱えませんよ。

 なぜならここ、三森時計店にある物は一つ残らずアンティークとしての価値を持ち、それ以上に面倒な機能、弊害を持ち合わせている時計しかないのだから。どの時計が良いかなんて悩んでいられるような時間はない。のんびりとしているのなら、その分だけ寿命を削ることになると捉えてもらっても構わない。それくらいの危機管理能力がないのであれば、来店した時点で帰るように張り紙をしているのだから。

 チリリンと鳴る、綺麗なベルの音。これは同居人であり、家主である彩音姉さんが帰ったことを示すものだ。結局、留守番中に来客はなかった。

 さて、姉さんが帰ってきたとなれば、いつまでも寝ているわけにはいかない。過保護な姉さんは、眠っている私を起こしたりはしない。つまりのところ、こちらから動き出さなければこのまま放置されてしまう。二人しかいない家族なのだから、そんな寂しいことはしたくないよ。

「おかえり、姉さん。頼んでおいたアイス買ってきてくれた?」

 目を開けたことにより飛び込んできた光。その眩しさに不機嫌になりながら、入り口を見つめた私は、追加で不機嫌になる為のネタを手に入れてしまった。

 我が三森骨董品店の店主であり、私の敬愛する彩音姉さんは女性にしては身長が高く、また緩やかに伸ばされた髪が魅力的な、美人だ。妹である私が言うのもなんだけど、どこかの雑誌にモデルとしてスカウトされたとしてもおかしくはないと常々思っている。

 慎重に反して顔のパーツは小さく、凹凸には乏しいのかもしれないけれど、愛くるしさを秘めている芸術に他ならない。目じりはたれており性格通りの優しさが表現される。あまり開かれることのない唇は、それ自体が宝石であるかのように輝き、不思議そうに綿塩見つめている視線ですら柔らかさを纏う。

 そんなおっとり顔の姉さんなのに、ボディーラインときたらすばらしいものがある。どれだけ取り繕ったところで無駄だろう、待ちを歩いている姉さん相手にナンパをしない人は、人生の七割を存しているといっても過言ではない。

 それほどまでに私の姉は完璧な存在だ。人の話を利いていないことくらい、本来であればちょっと小言を言う程度で追われるけれどさて何があったのかしら?

「姉さん。午後から雨が降るのを、知ってたよね? 出かける前に、傘を持っていくように言ったと思うんだけど。どうして、濡れてるの?」

「確かカバンの中に入れたはずなのに、どうしてかなかったの。不思議なこともあるものね」

 自らのほほに手を当て悩んでいる姿は様になっており、濡れていることさえ除いてしまえば問題があるようには見えない。そう、濡れてさえいなければ、問題ないはずなのに。どうして、どうしてここまで濡れているの?

「スーパーにも傘くらい売ってるでしょ? どうして買わなかったの?」

「だって、私はお夕飯の買い物と、可奈ちゃんのアイスを買いに行ったのよ? 傘を買うなら、また今度にしましょう」

「ちょっとくらい予定外のもの買っても良いでしょ? ウチの経営そこまでは厳しくないはずよ?」

 私達だけで切り盛りしているこの店は、けして裕福ではない。取り扱っているものが骨董品であり、アルバイト的な収入がなければご飯の心配をしなければいけないレベルの、売り上げしかない。だからといって、傘を買ったくらいで傾いてしまうほど、酷い状態ではないはず。何もしていない時の姉さんは、頼りになる雰囲気を出しているし、誰にでも自慢できるような美人なのに。ところどころ、大切なものが抜けてしまっているよね。

 料理を始めれば両手くらいのお皿を割り、片手に余る程度の鍋を焦がしてしまう。夜間を沸騰させすぎてしまい、グリルに到っては使用不能状態の一歩手前まで黒焦げにしてくれた。オーブントースターを使用すると、必ず悪臭と煙に見舞われる。

 私だって料理は苦手だから、手の込んだものなんて作れないけれど、それでいても彩音姉さんほど酷いことにはならないわ。

「まぁ、せめても仕方ないかな。タオル持ってくるからそれで体を拭いて、私はその間にお風呂にお湯を張るから」

「あらあら、いつも悪いわね。それなら、お言葉に甘えて買い物袋もよろしくね」

 そう言って手渡されたのは、パンパンになるまで食材が詰め込まれ、かなりの重量をほこっているビニール袋。見るからに重そうで、中身は野菜かな? ここまで一度に買い込む必要はないけれど、彩音姉さんに買い物をお願いしたのは私だから、チョイスに関しては文句を言うべきではない。おっとりとしていて、どこか抜けている。それもまた、姉さんの魅力だから。

「次からは小分けにして買いましょ。一度に沢山買ってきても、使い切れないよ?」

 注意は促すけれど、改善は期待しない。建前と本音はズレているからこそ、意味があるもの。それが分からないほど、私も幼くはない。

「はーい。だから、重たかったのね。今度から気をつけるわ」

 姉さんは興味のないことについては、ビックリするほどに覚えてくれない。何度言ったこところで、姉さんの頭には残らない。それは分かりきっていることだから、私がサポートするしかないの。そう考えておけば、これといって悩む必要もなくなる。

「そういえば、可奈ちゃん。田中さんから連絡があって、少し北のほうへ出張して欲しいみたいよ。どうする?」

 可奈ちゃんと呼ぶのは止めて欲しいと、そんな可愛い注意をしようとしたのに、田中さんという名前が全てを止めてしまった。姉さんの口にした田中さんというのは、特定の個人を指す名前ではなく、私達へ連絡役を務めてくれる役人のことを指しているから。それに、お願いのようには言われているけれど、基本的に断ることは出来ない。

 私達の生活費は、その殆どを依頼による報酬に頼っているし、私達はその依頼を消化していくこと自体を目的としているのだから。少し遠いくらいでは、断る理由には届かない。

「それについても、姉さんがお風呂に入っている間に決めてしまうわ。ちょっと寒いから、風邪をひかないようにちゃんと温まってきてね?」

 依頼の内容、既に起きてしまっている事件。その規模と避けなければいけない、最悪の未来。

 それらが全て私達の手の内にあり、人助けへとつながるのだから頑張らないとね。偽善者ぶるつもりはない、私達は報酬の為に、仕事として人助けを行う。それを汚い行為だと指摘されても、反論できる余地なんてない。

 ただ、そうだとしても守れるものがあり、つながる未来があるのなら、それでも良いと思わない? 自分達のやったことが笑顔につなげられるのなら、それで十分だって私は胸を張れるわ。助けてよかったと、口に出来る。

 

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