第116話 バケモノ戦争④
トロールの軍団を打ち倒した【火炎山の魔王】ガランザンに、今度は【珊瑚の女王】イオナが立ちはだかった。
イオナ女王の周囲には血気盛んなマーメイドの兵士がいる。
マーメイド族の武具は本来貧弱なものだが、彼らはエルフである【樹海の苗】ピクラスの協力により、最新の武具を装備していた。
またイオナ女王は小山のように巨大なドラゴン、【暴君竜】カーンの背に跨っていた。
史上最も強力となった、マーメイド族の軍勢である。
一方で魔王の周辺には、逃亡寸前のゴブリンたちしかいない。
「久しぶりだな。マーメイドの女王よ」
ガランザンがイオナ女王に話しかけた。
たとえ軍容が劣ろうとも、ガランザンに恐怖心はない。魔王軍が軍として成り立つ以前、彼はたった一人で世界を滅ぼすために戦い続けていた。
魔王の魔王たる所以である。
「お変わりない様で」
イオナ女王は答えた。
二人には面識がある。かつて魔王が起こした死人戦争と呼ばれる侵略の折に、二人は出会った。
共に種族を代表する最強の戦士であるが、一度としてその意見が同じであったことがない。
「魔王よ。私は悲しい」
イオナ女王が言った。
「ほう。なにが悲しい。マーメイドの女王よ?」
「貴方はそれほどまでに強いのに、人を傷つけることでしか自分を表現できないのですね」
ガランザンは鼻で笑った。
ここに至って敵に心配とは。とことんまでイオナ女王とは意見が合いそうもないと、ガランザンは思った。
「それが人の性よ。業よ。宿命よ。女王はそう思わんのか?」
「そういう一面もあるでしょう。しかし人は憎しみだけで出来てもいないのです」
女王は諭すように言うが、ガランザンは笑うばかりで聞く耳を持たない。
「お前がそう思うのは勝手だ。だがその考えを押し付けたいなら俺を殺せ。殺さねば、俺はいつまでも止まらぬぞ」
ガランザンはそれ以上の問答は不要と、言葉尻を強く言い切った。
イオナ女王は、その豊かすぎる感情から溢れ出る愁いを瞳に満たして、ガランザンを見ていた。
言葉よりもむしろ、その視線がガランザンの胸に突き刺さる。
悲しみの瞳。慈愛の瞳。哀れみの瞳。
「……」
その瞳には見覚えがあった。
はるか昔のことだ。
ガランザンがまだ魔王と呼ばれる以前、子供の頃のことである。
トロールの一族が住む山がある日、大噴火を起こし、一族には飢えがおとずれた。
助けを求めたが、他の種族たちはその求めを拒絶した。
むしろ弱っていたトロールの一族に、攻撃すら加えた。
飢えと戦いにより、一族の者たちは次々と命を落とした。
そして残るはたった二人となった。
一人は幼少のガランザン。
もう一人は少女であった。
子供を最優先で残し、男女を二人でも残せれば、いずれ子孫を増やすことも出来る。
そんな一族の願いが込められていた。
ガランザンは一族の願いを背負い、僅かながらに気力を残していた。
だが少女の方は死の間際であった。
「死なないでください。死なないでください」
幼少のガランザンは涙を流して懇願したが、しかし少女の方はもう限界であった。
干からびた唇を、パクパクと動かしと、ほんの少しだけ言葉が漏れた。
「……あなたが、しんぱい……」
少女はイオナ女王と同じ瞳で、泣いているガランザンを見ていた。
生き残る彼を羨む気など一切ない。
これからたった一人ぼっちになってしまうガランザンを、心の底から心配し、哀れみ、悲しんでいる瞳であった。
やがて少女は死に、ガランザンは一人ぼっちとなった。
生き延びたガランザンは世界への復讐を誓い、虐殺に虐殺を重ねて、【火炎山の魔王】と世界から呼ばれることとなる。
(なぜ今更になって、あの日を思い出す……)
ドラゴンの背から見下ろすイオナ女王と、ガランザンの視線が交錯した。
流れ出る汗から、ガランザンは瞬間的にここが戦場であり、今が窮地であることも思い出した。
ガランザンは手の大剣の腹に自身の額を打ち付けた。
額から赤い鮮血が滲みでて流れ落ちる。
(今更だ。俺は何を考えている!)
記憶の全てを雑念と断じて振り払うように、ガランザンは首を激しく振った。
そして思い至った。
死んでいった一族の姿を思い出すのなど久しぶりのことだ。
まして戦場でなど、今までにない。
思い起こさせたのは、イオナ女王の瞳である。
「マーメイドの女王。お前は恐ろしい女だ。お前の優しさは、人の心を溶かす」
ガランザンは今更ながらに、【暴君竜】カーンが彼女の傘下に入った理由を理解した。
死の恐怖にとらわれていたカーンを、女王の優しさが溶かしたのだろう。
「我々はあくまでも戦わねばならないのですね」
「その為に俺は生きてきた。お前もその為にここに来たのだろう」
ガランザンがイオナ女王に斬りかかった。
周囲のマーメイドたちが、ガランザンを逃がさぬように、一斉に魔王を取り囲む。
その時、砦の周辺で騒ぎが起こった。
城門が開き、中からゴブリンの援軍が飛び出てきた。
「遅いわ」
ガランザンはもっとも適したタイミングで援軍を出すであろう腹心、【林冠】パヌトゥの顔を思い出していた。
《わたしを同情しないで下さい。わたしはその同情に耐えられません。
わたしを哀れまないで下さい。わたしはその哀れみに耐えられません。 わたしを愛さないで下さい。わたしはその愛に耐えられません》
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