第90話 新たな犯罪と新たな法律

 ドラゴン教の信者たちが、魔王の私領へと住み着いた。


 魔王の私領で暮らすゴブリンたちは、彼らにどう接すればよいのか悩んだ。


 すべての犯罪行為は、ここでは犯罪ではない。


 法律がないのだから。


 無知な者であれば、徹底的に奪えばよい。


 有能な者であれば、利用し合う他者になればいい。


 見極めは重要である。


 ドラゴン教の指導者である人間の美女、ルーシャムはゴブリンたちに挨拶をした。


「これはゴブリン殿。僕の名前はルーシャムだ。僕たちはここでは新参者だからね。諸般ご教授願いするよ」


 ゴブリンは例え王であっても、他の種族からゴブリン殿なんて呼ばれることはない。


 これは、無知な方かもしれない。


 ゴブリンたちはそう判断をしようとした。


「宜しくお願いするよ」


 ルーシャムは笑顔で礼儀正しく、ゴブリンたちに挨拶をした。


 そして数日が過ぎた。


 ドラゴン教の信者が住んでいるという意味が知られるにつれて、ゴブリンたちの生活は変わった。


 一人で出歩かない。


 特に夜中に出歩かない。


 やむをえず夜に急用がある場合は、可能な限り多人数で行く。


 挨拶を交わし、他人との係わりを密に持つ。


 多少、人との軋轢を生んでも我慢し、団体で生活する。


 自己中心的な傾向の強いゴブリンが、まるで生まれ変わったかのようであった。


 もちろんその結果として、窃盗、強盗、殺人等の行為が減り、その地域でのゴブリンの治安は飛躍的に上昇した。


「ルーシャム殿は、いったいどのような魔法を使ったのですかな?」


 魔王の腹心であるエルフ、【林冠】パヌトゥが聞いた。


 だが当の本人は首を傾げるばかりであった。


「いや、特になにもしてないよ」


 ルーシャムの言葉に嘘はなかった。


 彼女も、ドラゴン教の信者たちも、今までと同じように暮らしている。生活は何一つ変わらず、魔王の私領でもドラゴンへ至る為の修行に励んでいた。


 思い当たるところは何もない。


「何もしていないのに、ゴブリンがあれほど倫理的になる訳がないでしょう」


「そう言われても、僕には心当たりがないよ。人徳と言いたいけれど、僕はそれほどゴブリン殿と密に係わっているわけではないし」


 パヌトゥとルーシャムは、揃って首をかしげた。



 更に数日後。


 パヌトゥもまた、ゴブリンの治安が向上した意味を知った。


 そして悩んだ。


 魔王の私領では全ての行為が許されている。


 法律は一つだけ。


 魔王の遠征時に、その命に従うこと。


 それが全てであった。


 もちろんゴブリン社会においてのルールはあるだろうが、あえて国家の側から強制する規範はなにもない。


 今まではそれで十分であった。


 しかし今後はそうもいかないだろう。


 パヌトゥは意を決めて、【火炎山の魔王】ガランザンへと相談した。


「魔王様、法律を一つ増やしたいのですが」


「無用だ」


 ガランザンは一瞥もせず断じた。


「そこをなんとか。曲げてお願いしたいのです」


「無用だ。我々に法など不要である」


「無理を承知で、お聞き入れ頂きたいのです!」


 あまりにもパヌトゥが食い下がるので、ガランザンはその法律の草案を聞いた。


 そして諸般の事情を全て聞き、深くため息をついた。


「その法律は、本当に必要なのか?」


「はい」


「それは法律で決めないと、守れないようなことなのか?」


「今まで守れました。しかし現在は違います」


 ガランザンは悩んだ。


 悩んだがしかし、結論は一つしかなかった。


 それを後押しするように、パヌトゥがダメ押しをした。


「ドラゴン教の者は我々と似ていますが、明らかに異なります。しかし受け入れてしまった以上、彼らも我々も、ある程度は変わらざるを得ません」


 その説得にガランザンは意を決した。


「是非もない」


 ガランザンは新たな法律の制定を許可した。 


 その翌日。


 魔王の私領内に新たな法律が追加された。


 全ゴブリンたちを安堵させたその法律は、以下の短い条文からなる。


『国民の捕食を禁じる』


 ドラゴン教の指導者、今では【悪喰】ルーシャムとゴブリンから恐れられている美女は、悲しげに呟いた。


「まったく煩わしい法律だね。食事が面倒になってしまったよ」


 その家の台所には、無数のゴブリンの骨があった。




《いいとこ取りなんて許すわけ無いだろう。旨いところをたんと食べたんだ。毒まで全て食べて頂く》

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