第83話 義勇兵たちの偶像
その日の義勇兵の少年少女たちには、落ち着きがなかった。
むしろ全員が興奮を抑えきれず、冷静な者が誰一人としていなかった。
彼らが尊敬する【太陽の姫君】レィナスが、自分たちの訓練を特別指導に来てくれるというのだ。
「本当かよ? マジで来るのか?」
「間違いない、はずだぜ。……間違いないんだよな?」
「お、お、落ち着け。姫君が来るんだぞ。みんな、まず落ち着こう」
義勇兵たちは、皆が例外なくレィナス姫君に憧れ、信奉していた。
その熱愛の余り、新たに募集された義勇団に参加した者がほとんどなのだ。
「どうしよう。花束でも用意するか?」
「そう、だな。あったほうがいいな」
「よしすぐ用意だ。実家が花屋の奴はいるか?」
「俺んちそうだ。任せろ!」
普段は澄まして訓練を続ける彼らが、今日ばかりは挙動が不審なほどに浮ついていた。
国中に人気の高い姫君であるが、年若い義勇兵たちにとっては、その人気は異常なほどに加熱していた。
だがそんな彼らの中で、レィナス姫と実際に会ったことがある者は一人としていなかった。
※
一方その頃。
【朱の騎士】ベルレルレンは迷っていた。
やはり【太陽の姫君】レィナスからの訓練指導は、欠席させるべきではないかと、迷っていた。
今更中止なんてしたら、義勇兵たちは暴動を起こしかねない。
暴動は言い過ぎにせよ、義勇兵たちのかなりの数がやる気を喪失させるだろう。
なにしろ義勇兵たちは、レィナス姫を信奉しているのだ。
会える直前で、その機会を取り上げられたら、深刻な気力低下が起こるのは間違いなかった。
「今日は義勇兵の訓練日だな。楽しみだ」
そんなベルレルレンの心配をよそに、レィナス姫は動きやすい乗馬服を着てやって来た。
「姫君。本日はどうもありがとうございます」
「いやいや、礼には及ばん。お前が忙しい中、色々と雑事に使ってしまったからな。約束通り、今度はわたしが手伝ってやろう」
ベルレルレンの任務は、半壊した騎士団の建て直しであった。
その為にはとりあえず金のかからない義勇兵を訓練し、そこから騎士候補を絞り込んで、立派な騎士へと育成せねばならない。
それも可能な限り早く。
「それでわたしは今日何をすればいい? 実践訓練が一番良いが、お前の指示に従うぞ」
レィナス姫はやる気に満ち溢れていた。
ベルレルレンは、レィナス姫のやる気を削ぐことには良心の呵責は一切なかった。
だが軍隊とは名ばかりの、未だ卵の殻を被ったひよこに過ぎない義勇兵たちに、サボタージュなどさせている余裕も一切ない。
ベルレルレンには、騎士団を再建させる任務があるのだ。
「義勇兵たちは、姫君のことを尊敬しております」
ベルレルレンは考えに考え、懊悩した末に、すべての問題をレィナス姫に話して協力を仰ぐことにした。
「うむ。良いことだ」
「熱狂していますし、崇拝していますし、溺愛しています」
「ん?」
レィナス姫の考えている騎士の自分に対する尊敬のイメージと、その言葉には若干のズレがあった。
レィナス姫は自分が『国を救った強い騎士』として尊敬されているのだと思っていた。だがベルレルレンの言葉からはそれが伝わってこない。
「わたしは強いから尊敬されているんだよな?」
「一割くらいはそうです」
「なら残り九割は何なのだ?」
レィナス姫の問に、ベルレルレンは包み隠さず説明した。
それは急速に膨れ上がった義勇兵の少年少女たちが抱える精神的な問題でもある。
「残り九割は……」
レィナス姫の若さと美しい容姿。
未婚と浮いた話の一切ない処女性。
数々の偉業を成し遂げた武勇伝。
異種族の問題を解決した明晰な頭脳。
王位を長兄に譲る謙虚さ。
「つまり偶像です」
ベルレルレンは、義勇兵の中にはレィナス姫のことを、国を守護する聖天使として崇拝する者までいることを告げた。
「守護天使ぃ?」
「義勇兵たちは実像の姫君ではなく、空想上の、全てが完璧な、美しく処女の姫君が大好きなのです」
「……」
レィナス姫は露骨に顔をゆがめた。
「ですから、そういう顔はしないでください。天使は変顔をしません」
「なんだか、気持ち悪いぞ」
「義勇兵たちの想像では、姫君はトイレに行きません」
「うぉい! それ、人間じゃないだろ」
レィナス姫は堪らずベルレルレンの胸を叩いたが、ベルレルレンはそれを無視して続けた。
「ですから訓練指導中には、トイレには行かないでください。できるだけ汗もかかないように。実践訓練なんていりません。見ているだけで結構です。それだけでも義勇兵のひよっ子どもは、普段の二倍も三倍も訓練に励むでしょう」
「話を聞け! そんなのわたしと全然違うじゃないか。気持ちが悪いと言っているだろう!」
訴えかけるレィナス姫を、ベルレルレンは一瞥しただけで答えた。
「実在している、空想上の人物です」
「もういい、わかった。今日の訓練で、わたしが普通の人間であることを皆に知らしめる。わたしを何だと思っているんだ。わたしはそんな天使だか人形だかじゃないぞ」
「姫君……」
ベルレルレンは瞳で、その苦しい胸中を訴えかけた。
確かにそんな空想の中にしか存在しない偶像を愛されるより、実在のレィナス姫を好きになってもらった方が良いに決っている。
だが義勇兵は、まだまだ数が足りない。
騎士団を立て直すには、国中の暇な若者は強制的に義勇兵に召し上げたいほどなのだ。
義勇兵は民衆から公募される軍ではあるものの、慣習上、給金はごく僅かであった。
傭兵などと違い、自分の意思で参加しているからだ。
先の魔王軍との戦争で疲弊した国には、非常にありがたい存在である。
義勇兵で足りなければ、いよいよ傭兵を雇うより他ないが、それには莫大な予算が必要であった。
その費用を捻出できる予算は、今の王国にはない。
偶像であることを承知で、その力に頼るしかないのだ。
「……ベルレルレン。わたしをそんな目で見るな」
「姫君。恐れながら。まことに恐れながら」
重ねて騎士が哀願するような顔をする。
レィナス姫は、そんなベルレルレンの顔を見たくはなかった。
「そうか。実在のわたしより、今は偶像のわたしが必要なのだな」
レィナス姫が観念したように言った。
ベルレルレンはレィナス姫が理解を示してくれた事に、心から安堵した。
「いずれ騎士となった者たちは、本物の姫君を愛するようになるでしょう。ですが今この時のみはご辛抱下さい」
「わかった。いいだろう。しばらくは、皆の愛する偶像とやらになってやる」
「ご理解とご協力、感謝します」
「しばらくだけだぞ。あとこれは貸しだからな。覚えておけよ」
レィナス姫はそういい残して、ベルレルレンの元から離れて歩き出した。
完璧な偶像になるために、事前にトイレに行くためだ。
そして動きやすい服装から、およそ訓練に向く服装とは思えぬ煌びやかな服装に着替えて、その上軽く化粧までして訓練場へと赴いた。
まるで舞踏会からそのまま現れたようなレィナス姫の姿に、平民出身の義勇兵たちは熱狂した。
「今日は見学に来た。皆も国を守る立派な兵士になれるよう、訓練に励むがいい」
レィナス姫は歓声を上げる皆の視線を受けながら、訓練をする者達に天使のような微笑で声を掛け、義勇兵たちを大いに鼓舞した。
《僕たちは貴方のことが大好きです! 貴方とは、生身の貴方のことではありません!》
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