第82話 腕を盗む悪霊

 あるところに騎士の館で働く母子がいた。


 ある日、母親が騎士の大切にしている壷を割ってしまった。


 騎士は怒り、母親の首を刎ねようとした。


 必死で謝り続ける母親と、怒りが収まらず剣を抜いた騎士との間に、少年が割って入った。


「騎士様、どうか母をお許しください」


「いいや、許せん」


「何でもしますから、どうかお許しください」


 少年は母親の隣で、何度も頭を下げ続けた。


 何でもするという少年の言葉を聞き、騎士は意地悪な笑みを浮かべた。


「ならば我が領内にいる不埒なゴブリンを退治して来い」


 その騎士が統治する領土には、ゴブリンの盗賊が跋扈して村人を困らせていた。


 ゴブリンを退治するのは王に領土を封ぜられた騎士の役目であるが、その尖兵に少年を使おうと考えたのだ。


 少年は剣など持ったこともない。まともに戦えばゴブリンの返り討ちに遭うことは確実である。


 だが少年の死により、ゴブリンたちの情報が少しでも手に入れば、騎士にとっては十分な収穫だ。


 そんな騎士の思惑を他所に、少年は母親の為に快諾した。


「わかりました」


「ゴブリンを退治した証を立てられたら、お前の母親の罪は許そう」


「はい。それで証とは?」


「村の外れに枯れた井戸がある。そこにゴブリンの手を入れろ。右手だ。ゴブリンの右手で井戸が溢れた時、母親の罪を許してやる」


 騎士が右手を指定したのには理由がある。


 騎士はさして強くなく、過去にゴブリンとの戦闘で右手に怪我をした。


 その時の恨みが忘れられていないのだ。


「いいな。右手だぞ。古井戸に一つでも異なるモノが入っていたら、母親の罪は許さぬ」


「はい」


 少年は騎士との約束を旨に、持ったこともない剣を携えてゴブリン退治へと向かった。


 少年は今まで剣を振るったことはなかった。


 しかし下働きにより体は頑健で、しかも賢かった。


 一人のゴブリンならば、不意を討てれば少年でも倒すことが出来る。


「問題はどう不意をつくかだな」


 少年は与えられた任務を達成する重要なポイントにすぐに気づき、策と忍耐力を使ってそれを克服した。


 少年は草原の草に偽装したマントを作り、それを着てゴブリンを探した。


 首尾よくゴブリンを見つけたら、マントを頭からかぶって土に伏せ、そしてじっと時が満ちるのを待ち続けた。


 ゴブリンが油断して、一人っきりになる瞬間を、延々と待ち続けたのである。


 やがて辺りが暗くなりすべての条件が整った時、少年はマントを脱ぎ捨ててゴブリンの前に現れた。


「だ、誰だ?」


「……」


 少年は一言も喋らず、剣を振ってゴブリンを殺した。


 そしてゴブリン死体から右手を切り取ると、件の古井戸へと投げ込んだ。


 古井戸は深く、いったいどれだけのゴブリンを殺せばいいのか検討もつかない。


 だが少年は無限に続くかとも思える任務を諦めず、騎士との約束を信じてゴブリンを殺し続けた。


 少年はある時は木々に、ある時は落ち葉に、ある時は雪に、ある時は新緑にマントを偽装して、ゴブリンを殺して回った。


「どうしよう、もうゴブリンがいなくなってしまった」


 騎士の領内を荒らしていたゴブリンの盗賊たちは、いつしか領内から逃げ出していた。


 しかし古井戸が右手によって溢れ出すには、まだほど遠い。


 少年は仕方ないので、近くのゴブリンの村を襲い始めた。


 ゴブリンたちは、一人っきりなると襲い掛かるという、正体不明の者に怯えた。


 盗賊であれば話は簡単だ。物取りはゴブリンにとって、最もありふれた職業である。


 しかしその正体不明の者は、ゴブリンを殺してもその持ち物をなにも盗まないのだ。


 唯一、右手を除いて。


「悪霊だ。悪霊の仕業に違いない」


 ゴブリンたちはまったく理解できない殺人鬼の正体を、生前に右腕を失って死んだ悪霊の仕業だと結論付けた。


 ゴブリンは迷信深くなかったが、殺人は事実であり、死体から右手もなくなっており、物取りでもないのも確かなのだ。


 ゴブリンたちは行動原理がまったく理解できない、変質的に右手を欲する悪霊の影に怯えた。


 そんなゴブリンの恐怖を他所に、少年は活動範囲を広げた。


 少年は警戒が緩んでいるゴブリンの村を見つけては、そこに潜んでゴブリンを襲い続けた。


 そして三年後。


 殺したゴブリンの数が千人を超えた時、ようやく古井戸はゴブリンの右手で一杯になった。


 少年は喜んで騎士の館に向かった。


 だが懐かしい館で少年が聞いた言葉は、まったく予想外のものであった。

「お前は誰だ?」


 騎士は少年のことなど、まったく覚えていなかった。


 もちろん騎士は少年との約束など一切覚えてはいなかった。


 騎士は壷が割られた事件の三日後には少年との約束を忘れて、一週間後には不埒な少年の母親を処刑し、三ヵ月後にはなぜか領内からゴブリンが消えたことを喜び、半年もたつとゴブリンの存在すら忘れていた。


「古井戸をゴブリンの右手で一杯にしたのです。約束したのです。私は貴方の約束を信じて、三年間ゴブリンを殺し続けてきたのです。なのに貴方は、母を殺したのですか?」


「わけのわからないことを喚くな。なんなんだ前は、無礼者めが」


 騎士は少年を切り捨てようと剣を抜いた。


 正確には、剣を抜こうとした。


 だが騎士が手を剣にかけた瞬間、少年は光よりも早く動き、騎士の右手を切り落としていた。


 それは三年もの間、様々な闇に潜んでゴブリンを殺し続けた少年の成果であった。


 少年の剣の腕は、惰眠を貪っていた騎士では及びもつかない領域まで上がっていた。

「ぎゃ……」


 騎士は悲鳴を上げるよりも先に、少年は騎士の口に布を押し込み、そのまま騎士の心臓に剣をつきたてた。


 少年は約束の最期に騎士の右手を奪い、腐臭漂う古井戸の上に置くと、そのまま姿を消した。


 後に残されたのは、ゴブリンたちの噂話。


 夜に一人きりになると、悪霊がやってきて右手を奪うという。


 ゴブリン族の民間伝承となった【腕を盗む悪霊】の話である。





【朱の騎士】ベルレルレンは、遠い目をしていた。


 記憶の隅に封印していた20年も昔のことを、思い出していた。


「おい、聞いているのか!」


 返事をしないベルレルレンにじれて、【太陽の姫君】レィナスが怒鳴った。



「あ、はい。なんでしょうか?」


 ベルレルレンは急に我に返り、レィナス姫の方を向いた。


「だから悪霊だ。【腕を盗む悪霊】とかいう、ゴブリンたちの伝承にある悪霊。それがどうも人間の村にも出たらしい」


 ある辺境の村で、連続殺人が起こっていた。


 死体に共通することは、全て右手がないことである。


 腕を盗む悪霊の話を聞いたことがある者ならば、犯人を誰もがその悪霊だと連想するだろう。


「悪霊が出たとなれば大変だが、そもそも悪霊なんているのかな。お前はどう思う?」


 レィナス姫は、ベルレルレンにそう尋ねた。


「なるほど悪霊ですか……」


 ベルレルレンは頬を掻きながら考える。再び思考が遠い昔に生きそうになるが、直ぐに結論をだした。


「……そんな者いないでしょう。悪霊なんて実在するはずありません」


「しかしゴブリンを殺して右手を奪うというのは、伝承の悪霊とそっくりだぞ」


「わざとそうして偽装しているのですよ。なにが狙いかはわかりませんが」


「ふーむ」


「わざわざ腕を狙う変質的な犯罪者か、悪霊の仕業にしたい思惑を持つ者か。わたしは後者が臭いと思います。そもそも20年も昔の妖怪伝説が、今更急に話題になるのもおかしい。噂の出処を調べる必要がありそうです。ともかく犯人は実在の人物に違いありません」


 ベルレルレンの言った当然といえば当然の結論に、レィナス姫はガッカリして嘆息した。


「やはりそうか。つまらんな。悪霊がいれば是非とも退治したいと思っていたのに」


「そんな怪しげな妖怪退治を、一国の英雄がしようとしないでください」


「まったく。世界はつまらない」


 ベルレルレンの言葉に、退屈を持て余し気味のレィナス姫が呟く。


 ふと思うことがあり、ベルレルレンは言い直した。


「では姫君好みに言い直しましょう。悪霊はおります」

「ん?」


 興味を引かれたレィナス姫に対し、かつて悪霊であった騎士が言った。




《悪霊も悪魔も鬼も怪物も、この世には全て存在します。正体は全て人間です》

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