第72話 隻腕王と魔王③

【火炎山の魔王】ガランザンの率いるゴブリンの軍団が、【隻腕王】ジョシュアの治める人間の国へと攻め込んだ。


 ゴブリンたちは欲望のままに村々で暴れまわり、略奪し、殺し、燃やした。


 そして領土の荒廃に耐えられなくなったジョシュア王とその騎士団を、決戦の舞台へと引きずり出した。


 今、ゴブリンの軍団と人間の騎士団とが、広大な平原にて相対している。

「篭城されたら厄介でしたが。野戦に持ち込めたようですね」


 魔王の腹心である【林冠】パヌトゥがほくそ笑んだ。


 肥沃な村々を事前に調査し、それらの村を襲撃しながら行軍したのは彼の策である。


「よくやった」


 ガランザンもパヌトゥの功績を素直に認めた。


 時間がかかる城攻めは、彼の好むところではない。


「あとは騎士団を叩き潰すだけだな」


「騎士団といっても、問題にもならないでしょう。【隻腕王】ジョシュアは世界中の王の中で最も弱いと有名ですから」


 パヌトゥはジョシュア王の噂をガランザンに披露した。


 妹に修行の旅を押し付けた話。


 ライオンに襲われて腕を食われた話。


 臆病さからマーメイドとの戦争を避けた話。


 いずれも酷いものばかりだ。


「……不可解な。なぜそんな弱兵が王位につける?」


「ジョシュア王の父親は、人間族を代表する程の勇者であったと聞きます」


「それと隻腕王とは、なんの関係もないだろう」


「関係あるのです」


「世襲という奴か。人間の文化は理解しがたいな」


「まったくです」


「では血筋に恵まれただけの弱兵が、不釣合いな地位につく愚かさを教えてやろう」


 ガランザンは開戦をゴブリンに宣言し、自らも剣を抜いた。


「全軍突撃! 思うがままに殺せ!」


 ゴブリンが突撃を開始した。


 騎士団もそれに呼応して叫び声を上げ、ラッパが響き、両軍の交戦が始まる。


 魔王軍と隻腕王軍の戦力比はおよそ5:1。


 ゴブリンの数が膨大な為に、魔王軍の方が圧倒的に多い。


 ただし訓練を積んだ騎士は、数人のゴブリンを同時に相手に出来る。


 問題となるのは、やはり魔王ガランザンの動きであった。


「敵もどうやら、何かと考えてきたようですな」


 パヌトゥが言った。


 敵軍のひときわ士気が高い部隊が、ガランザンに向かって突撃をしてきたのだ。


「俺を殺せば勝ち、そう思っているのだろう」


 ガランザンは嬉しそうに言った。


 嬉しそうに見えるのではなく、彼は間違いなく嬉しいのだ。


 自分に挑みかかる敵がいることが、もはや戦闘狂になりつつあるガランザンには好ましく思える。 


「悪くない考えですな。魔王様の代わりは、世界の何処にもおりませんから」


 パヌトゥは人間たちの作戦を褒めながらも、落ち着いたものであった。


 人間の騎士などに、魔王ガランザンが殺される心配などひとかけらも考えていない。


 殺されるどころか、厚いゴブリンの軍勢を切り開いてガランザンにたどり着くことすら、人間の騎士には無理だろう。


 そう思っていた。


 それはただの思い込みであったことが、すぐにわかる。


「魔王を倒せ。それが我らの王の願いだ!」


「魔王を倒せ。それが我らの民衆の願いだ!」


「魔王を倒せ。それが我らの願いだ!」


 切り込んでくる騎士たちの士気の高さは、もはや尋常ではなかった。


 一人が叫んでいるようであり、全員で叫んでいるようであり、支離滅裂なようであったが、全員が一糸乱れず魔王に向かって突撃してきていた。


「あの騎士たちは……錯乱しているのでしょうか?」


 特攻する騎士らの興奮した様は、パヌトゥには理解できない程であった。


 言葉は話しているが、会話が通じるようには思えない。


「麓にして頂にあらず」


「はい?」


「合ってはいるが、まるで足りない。トロール族の言葉だ」


「はあ」


「奴らはよほど俺を殺したいらしい」


「それはそうでしょうが。あれではまるで生きて帰る気が無い様にすら見えます」


「生きて帰る気がないのだろう」


「それでは彼らは何のために戦っているのですか?」


「……」


 ガランザンには説明が出来なかった。


 戦いとなれば、生還など元から考えないのはトロール族にとってはごく普通のことだ。


 しかしそれはトロール以外には通用しない常識であると思っていた。


(人間にもいるか)


 ガランザンはその感情をどう処理していいかすらわからなかった。


 今すぐ殺したい相手に、親しみをも思える。


 まして言葉に出すことなど不可能だ。


 一方で、突撃する騎士団に足並みを乱され、ゴブリンたちは数の優位を生かせないでいた。


 ゴブリンを殲滅するように押し寄せる騎士団の本軍の中央に、片腕の小柄な男が一瞬見えた気がした。


 ガランザンの驚異的な視力は、確かにその男の姿を捕らえた。


 懸命な形相で、持ち慣れないであろう剣を振るいながら叫んでいた。


「噂の弱兵も、なかなかやるではないか」


「一時的な攻勢に過ぎません」


「そう思うか」


 ガランザンは会話を打ち切った。


 切り込んでくる騎士団は、もう間近に迫っている。


 命を捨ててやってくる彼らに、魔王としてやれること。それは彼らを、全力をもって殺すことだけである。




《獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす? 違うね。逃げる兎の必死さが、獅子を本気にしたのだよ》

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