第6話

 心地よい風が御簾を透かせて政斗の頬に当たる。

 晴れ渡る青空に眩い陽光。直接浴びれば暑いのだろうが、御簾越しになると眩さもなりを潜め柔らかな日差しとなっている。


「なあ、本当に俺が御前試合なんか出て問題起こらないのか? 俺は大和国の武官でもなけりゃあ、大和国の民ですらねえんだぞ?」


 政斗の目の前には御簾。その御簾の向こうに四角形に区切られた舞台が設けられ、さらにその向こうにも同じように御簾のかかった急ごしらえの控え室がある。

 先程から、二つの控え室より名を呼ばれた武人が一人ずつ舞台に上がり、互いの腕を競う御前試合が行われていた。


 出場者は主に大和国の武官で、市井で名をはせている者もちらほら見受けられる。だが、さすがに政斗のような旅人は一人もいない。


「問題ありません。この御前試合は、東宮幸時様と、親王幸丈様ご推薦の武人が東西に分かれ競うもの。ご推薦があれば、身分立場に関わりなく出られるのが特徴です。もちろん、その者の身辺はちゃんと調べますけどね」


 隣で朗らかに笑う士郎は、きっちりと戦衛府の制服を身につけていた。

 動きやすさを重視してか、直接肌に身につけているのは伝統衣装の衣ではなく服と靴。胸と腿の部分に軽い部分鎧をつけ、上からひとえを改良した衣を纏っている。

 衿と裾部分に模様がある、紺青の上下が分かれた単。上位は胸までしかなく、下は腰から止めているので腰布のようにも見えた。


「あんたも出るのか?」

「はい。幸丈様からご推薦を頂きましたから。政斗殿の前。最後から二番目ですよ」

「って、ちょっと待て! 俺が大とりなのか!? 旅人の俺が!?」


 ギョッとして士郎を振り仰げば、憎らしいというか、癪に障る笑顔がある。


「はい。毎年大とりは、それぞれが一番強く推される者がつとめます。数年前には私もやらせていただいたんですよ」

「あんたは良いが、俺はまずいだろう……」


 何を考えているんだと、政斗は頭に浮かんだおふざけ親王の顔を殴りたくなった。

 帝の御前で行われる恒例行事ということは、国の行事の中でも重要なものということだ。その最大の花にして盛り上がりを、三日前まで牢に入れられていた人間に任せるとは。


「あの親王は大物か馬鹿か分かんねぇな」

「その内、分かられると思いますよ。っと、私の出番ですね」


 互いに善戦しましょう。そう言って士郎は御簾をくぐって舞台に上がっていった。その後姿になぜか疲れを覚えながら、政斗は御簾越しに観覧席を見やる。

 一番高い席に帝。その右隣に幸丈がおり、華那が足下に控えていた。

 さらに、帝の左隣にいるのが東宮の幸時だろう。彼の足下にも黒い狼が姿勢よく座っていた。

 パッと見は幸丈と同じ顔だ。髪が長いことと、幸丈よりも柔和な顔つきが見分ける方法だろうと思った。幸丈は、どちらかというと精悍な顔つきだ。


(東宮の隣の席にいるのが中宮……。で、親王の隣の席にいるのが姫巫女って奴か?)


 帝の正妃である中宮は、東宮の隣に御簾に覆われた席を設けられていた。その他の妃も、一段低い場所で御簾越しに観覧している。

 だが、帝一族と同列にもう一つ御簾に覆われた席があった。一人の女が、その席に陣取っている。


(なっがい髪……顔立ちはまあ、整ってるっぽいな)


 政斗の右目は、現在魔術を施した布で覆われている。右目の力を抑えるためだ。

 それでも周りの景色は見えるし、魔術を見破ったり、人の気配を感知したりもできる。ただ、布以上の遮蔽物を透かして見ることは、この状態では少し難しかった。

 しかし事前に士郎が、あの席に座るのが天照家という、ある意味帝の一族よりも重きをおかれる血筋の姫君だと教えてくれた。

 幸丈は時々、その姫君と何か話しているようだ。


「あの姫さんを守る、ね……」


 政斗は頬杖をつきながら呟いた。

 今回、牢から出るために政斗が請け負った条件の一つが、姫巫女、天照莉桜を守ることだった。


 幸丈の話によると、最近どうも姫巫女の周りで不信な出来事が起きているという。大事にはなっていないが、事故と考えるには不信すぎるのだそうだ。

 先日、姫巫女の乳姉妹ちきょうだいがその相次ぐ凶事に主を心配し、幸丈へと相談にやってきた。幸丈と姫巫女は幼馴染でもあり、たまに文のやり取りも行っているらしい。

 この時、東宮や帝に言っていないのは、騒ぎを大きくしたくなかったことと、東宮派が関与している恐れを乳姉妹が感じたからだそうだ。


 幸丈が単独で姫巫女の身辺を護衛するには、東宮の息がかからない者が必要になる。士郎や砕も使えるが、彼らには立場もあり動ける範囲が制限される可能性もあった。

 何より、士郎も砕も、姫巫女よりも幸丈を第一と考えてしまうそうだ。

 そこで白羽の矢が立ったのが街で騒ぎを起こした政斗だ。それなりに腕が立ち、誰の配下にもなく、そして場合によってはすぐに切り捨てられる人材。


「……考えれば考えるほど、俺は貧乏くじを引いてないか?」


 言ってみて『そのとおりだ』と、どこかから声が聞こえたような気がした。

 ともかく、姫巫女を守るためにはまずあの身分に近づく箔が政斗に必要だ。それが、この武闘大会での活躍なのだと幸丈は言う。

 親王の推薦を受け活躍できれば、ある程度の褒賞が貰える。さらに、幸丈が帝に交渉し、政斗にも一定の地位を与えるようにすると断言していた。

 そして、幸丈のお気に入りとなれば、彼が度々政斗に会っていても不審に思われにくい。仕事や調査の報告がしやすいということだ。


『だから、お前はとにかく活躍しろ。オレが目をかけたオレのお気に入りだと周りに思い込ませるんだ』


 何て面倒臭い条件だ、と政斗は幸丈の言葉を思い出して項垂れた。

 その時、政斗の重い心とは裏腹に盛大な歓声が広がる。つられて顔を上げれば、士郎が見事な刀捌きで相手を追い込んでいるところだった。


(基本に忠実。だが隙がねぇし、自分なりの戦法も作ってる……戦うと厄介な相手だな)


 刀にぶれがない。基本を押さえているからこそ、不測の事態が起こっても最低限の行動が取れる。無駄に我流の剣術を誇示している輩より、攻略するのが難しいだろう。

 そんな風に分析している間に、士郎は相手に『参った』と言わせていた。あの人の良さそうな笑顔も、戦場で向けられればきっと恐怖しか呼ばないものだ。

 戻ってくる士郎を見上げた政斗に、彼はやはり笑顔のままのたまった。


「御武運を」

「心がこもってねぇ台詞を吐くな」

「ははは、貴方の実力なら祈る必要もなさそうですから」


 軽いやり取りを背に、政斗は御簾をくぐる。直接浴びた光に目を細めると、観覧席からは新たな武人の登場に湧いた声が上った。それは政斗に向けられたものではなく、もう一人、東側の控え室から出てきた青年への歓声だ。


『最終試合。東、藤郷とうごう信秀のぶひで。西、雪竹政斗!』


 審判と思しき男がそれぞれを紹介する。政斗の正面に立つ青年は、さほど歳も変わらないだろうと思われた。

 生真面目な顔つき、纏っているのは戦衛府の制服だが、所々につけた装飾品は高価そうだ。おそらくは身分もそれなりに持ち合わせているのだろう。


『構え!』


 審判の言葉に、すらりと信秀が刀を抜く。刃を丸くした競技用の真剣だ。

 政斗は一瞬、幸丈に目を向けてから仕方なしに刀を手に取った。ここまできてしまえば、やるしかない。

 ヒュンッと振った刀に溜息が出る。


(大した刀じゃねぇな。まあ競技用だから仕方ねぇけど、刃の強度もイマイチ……)


 慣れない刀に眉をしかめた。本来は魔巧器の刀を扱っているのだが、あれは今、幸丈に取り上げられている。返して欲しくば勝って来い、と言われた。


(重ね重ねムカつく野郎だな)


 何度も手に馴染ませるように振っていると、突然、信秀が声を荒げた。


「貴様、やる気はあるのか。真剣に構えろ!」

「やる気? んなもん、ねえ」

「なっ!」


 絶句した信秀に、肩をすくめて目を向ける。


「望んで出たわけじゃなし。やる気なんて最初からあるかよ。それに、特定の構えがねぇのが俺の構えだ。吼えてる暇があるならさっさとかかってきな。早く終わらせたいんだ」

「この!」


 挑発したつもりはないが、信秀にとっては癪に障る言葉だったようだ。キッと目を吊り上げたかと思うと、次の瞬間、彼は大きく踏み込んだ。

 思っていたよりも速い。すぐに間合いを詰めてきたかと思うと、下方から刀がすくい上げられる。


 政斗の左目は、その一連の動作をどこか通り過ぎる風景のように見ていた。しかし、布に包まれた右目は、信秀の動作をまるで切り取った絵のように事細かに映し出す。

 踏み込む瞬間。間合いを詰める一瞬一瞬。そして、すくい上げられる刀の軌跡すら、右目は確実に捉えていた。


 軽く左足を引き、ほんの少し体を後ろに傾ける。ただそれだけの動作で避けられることを、信秀が刀を動かす以前に理解できてしまう。政斗はただ、見えたものに従い体を動かすだけだ。


「何!?」


 信秀の顔が驚愕に見開かれる。その動きも右目はつぶさに捉えていて、政斗は溜息をつきながら少しだけ左目を閉じた。


(便利は便利だが、疲れるな……)


 そう、政斗の左目と右目では見ているものは同じでも、動く早さや見える範囲が違いすぎる。しかし両眼から送られてくる情報を処理する頭は一つだ。

 長年の慣れと勘で日常生活に支障をきたすことはないが、一瞬の判断が命取りになる場では、長時間の使用が逆に不利になる。


 面倒臭い目だ、と思いつつも、政斗は引いた体を止め、後ろに下がろうとしていた信秀を追うように横薙ぎに刀を振った。

 構えていないからこそできる回避と攻撃。脇腹に一発入る。そう思ったのも束の間、刀が伝えたのは硬質な感触と響く金属音だった。


「くっ」


 ギリギリ、ではある。だが、信秀は政斗の刀を止めていた。

 自然と、口角が持ち上がった。


「へぇ、なかなか」


 家柄で得た地位かと思っていたが、一応、東宮が推薦するだけの実力はあるようだ。少なくとも、この間殴り倒した隊長よりはよほど使える。

 信秀は政斗の笑みに目を留めると、顔をさらに険しくして後方に下がった。

 正眼に構えられた刀の向こうで、彼は多少の嫌悪と警戒を込めて口を開く。


「貴様……悪人顔だな」

「…………よぉし、いい度胸だ。死ぬ覚悟はできてんな?」

「やはり悪人顔だ。その釣りあがった目、恐怖を誘う笑み。見事な悪人顔だ」

「うっせぇ、この顔は生まれつきだ!」

「生まれた時から悪人か!」

「もういい……潰す!」


 政斗はこの時、少しだけ『試合』であることを忘れそうになった。

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