第34話「本気」と「必死」の違い

 尋常じゃなくやりにくい。

 テレビの異種格闘技戦などで、上半身裸で柔道出身者が戦っているのを見るが、よくやれるなと思う。相手が道着を着ていないというだけで、かなりの動きが制限されてしまう。


 そんな中で、亀井先輩の左手が、僕の右手首を掴んだ。


「くっ!」


 切ろうとするが、切れない。握力半端ない。


 上下に動かしても、押しても引いても切れない。


 それならばと、先輩の足を取ろうとするが、握られている右手首で体の動きが制限され、うまくいかない。完全にコントロールされている。


 だめだ、これは。


「今、諦めただろ」


 亀井先輩が言った。


「……はい」


「めちゃくちゃ分かりやすいな」


「すいません」


「いま、足を取りにこられた時、実はヒヤッとしたんだぞ」


「本当ですか?」


「しつこくあれやられたら、手を離してたかもしれない。でもお前は、すぐに諦めた。そこだよ、問題は」


「はあ」


「ちょっと試してみて、だめだったらすぐ諦める」


「はあ」


「『はあ』『はあ』って、聞いてんのか?」


「はい、聞いてます」


「しつこく試せ。いい所までいってる場合が多いんだからよ。それでもだめなら次の手考えろ。『もう無理』って思う暇があるなら、手を出せ」


「わかりました」


「柔道だけじゃなくて、勉強でも、人生でも、大抵の物事は、『普通の人が諦めるライン』ってのがあって、そこが成功と失敗の境目なんだと思う。普通の人ならとっくに諦めてる位のレベルまでやれば、そこまでやる奴が他にいないから、相手の想像を超えるんだ。そこに勝機はある」


「はあ」


「だから『はあ』って言うなよ!」


「すいません」


「まあいいや。言ってる意味は分かっただろ。だから、諦めず、どんな状況でも食らいついてみろよ。大抵どうにかなるから」


 しつこく試す……。

 次の手を考える……。


 状況はさっきと変わっていない。

 先輩に右手首を取られているままだ。


 足を取る戦法は、先程『ヒヤッとした』と先輩が言ったように有効な戦略だったのか。しかし、先輩がそう言ったからといって、バカ正直にそれをするのも芸がない気がする。


 例えば、今の状況を逆に利用すれば……?


 僕は先輩の方に向かって、ぐっと前に出た。


「……?」


 今までにはない動きに、先輩も1歩下がる。

 さらにもう1歩前に出る。

 先輩の2歩目が下がりきる直前、一気に力を込めて、取られている右腕をひねり、相手の左手首を握り返した。お互いが手首を掴み合っている状態となる。


 間髪入れず、その腕を思い切り後ろに引きながら、一本背負いにつなげる。


 しかし、先輩はさらりとその一本背負いをかわした。


 だめだったか、仕方ないな。


 と、普段なら一呼吸置いて諦めモードに入ってしまうところだが、この時の僕はすぐに前に出た。


 相手が、背負投をかわした時など、重心が後ろに傾いている瞬間に力を発揮する技がある。


 小内巻込み。

 小内刈りの変形である。


 相手に体当たりするような感覚で、肩からぶつかり、同時に内側から足をかけ、無理やり倒す技だ。スマートではないし、一本も取りにくいが、優勢な状態で寝技に持ち込めるという利点がある。


 亀井先輩は、僕の小内巻込みで体勢を崩し、腰から畳に落ちた。

 「技あり」まではいかない。「有効」か、下手すりゃ「効果」ぐらいか。まあ判定はどうでもいい。そのまま寝技にもつれ込む。


 先輩は、寝技も一級品であり、抜けるのもうまい。

 いくら僕が優位な状態で寝技に入ったとしても、気を抜けばすぐ返されるだろう。


 集中して先輩のすべての動きを何パターンか想像する。


 こうきたら、こう返す。こうきたら、こう返す。


 それをただ集中して考えた。相手が誰かというのは重要ではない。

 重要なのは、時間をかけずに頭をフル回転にして次の1手を読むということ。そしてそのための先手を打つということだ。


 脳の芯がすーっと涼しくなってくるのが分かる。


 ああ、これか。


 僕は、自然と先輩の次の動きを読み、腕ひしぎ逆十字固めをかけていた。


 「本気になる」というのは、「必死になる」と同義ではない。

 最も勝算の高い状況に自分を持っていくということだ。

 その勝算の高い状況は、「諦めない」という考えを前提とした時に初めて生まれる集中力やアイディアが源泉なのかもしれない。


 ビキ


 変な音がした。


「あ……」


 慌てて手を離す。


「大丈夫だ、気にすんな」


 先輩は右肘を押さえて立ち上がった。


「最後の動き、良かったな。何か掴んだんじゃないか?」


「それより、その腕、大丈夫ですか!? すいません、僕、すぐ離せばよかったのに……」


「なんともない。気にすんな」


「でも、明日の試合に響いたらまずいです!」


「明日には治る。それより、さっきの感覚忘れんなよ」


 そう言って先輩は道場を出た。


 最後に流れていたのは、脂汗ではなかったか?

 本当に大丈夫なのか?


 結局、ロレックスのことは、聞くのを忘れていた。

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