第1話 カレイ(日浦拓郎の小説)
カレイが好きです。
ビーフカレーやインドカレーなどのカレーではなく、魚のカレイです。味ももちろん好きですが、あの体つきが好きです。海底に張り付くように、地面と同化して過ごし、餌が通るのを待って、上を見上げているその様子が、まるで自分を見ているようで、恥ずかしくもあるのですが、それ以上に応援したくなるのです。
私の今の状況は、51年間の人生の中でも底です。会社を放り出され、家族とも離れ、この歳でコンビニのアルバイトをしています。別にそれが嫌というわけでも、コンビニのアルバイトが良くないと考えているわけでもありませんが、他人が自分を見る目の中に、哀れみが混じっていることが感じられて、逃げたくなることがあります。そのたびに、私の体もカレイのように地面に張り付けるようになればいいのにと思ってしまいます。
知っていますか?コンビニエンスストアの万引きによる被害額は、年間約50万円と言われています。多いと思うか少ないと思うかは人それぞれだと思いますが、私は50万円は大金だと思います。私の働いていた店舗も万引きの被害に悩まされており、その額は平均を遥かに超えて、年間180万円に達するほどでした。犯人の目星はついています。このコンビニの近くにある高校の生徒達です。
生徒の素行の悪さで有名な高校でした。私が高校生の頃からすでに歴史のあった学校で、昔は中堅どころだったと思うのですが、高校入試のシステムの変遷とともに、周辺高校との偏差値に格差が生じ、現在はこのあたりの学区では最も低い偏差値をキープしています。その高校の制服が前を通ると、大抵はタバコの匂いがします。そして、彼らの学校から最も近いコンビニが、私が働いている店舗だったというわけです。
店長は私に言いました。「奴らの万引きしているところを現行犯で捕まえて、警察に引き渡してくれませんか」普通はそういった事は店長が行います。私に頼んできたのは、単純に、彼らが怖かったからでしょう。また、私のほうが店長の彼よりも年上だったもので、言いやすかったのかもしれません。
一度、万引きを注意したところ、彼らは激昂しました。いわゆる逆ギレです。私はひるんで、彼らを捕まえることができませんでした。そして次の日から、アルバイトを終えて帰る時に、物を投げられたり、罵声を浴びせられたりするようになりました。ひどかった時は、いきなり囲まれて殴られ、財布の中の金を全部取られました。一度注意しただけで、ここまで大人を恨むとは、最近の高校生は恐ろしいものです。
私は、カレイの気分でした。自分の3分の1も生きていない人間にバカにされ、わずかなお金すら取られ、底を這うように生きています。
しかし、カレイの最も強いところは、これ以上の底がないということです。上がるしかない状況だということです。
「どんなことになっても今よりまし」
自分に言い聞かせて、私は高校生たちに人生の厳しさを教えてあげることにしました。海の底から見上げる水面は、どうやら血のように赤く、濁っているようです。
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