十二話「決闘」


 人垣は円を描くように割れ、広場を囲んで見守っている。

 刺青の入った逞しい腕を組んで、酒の入った壺を掲げて、赤ら顔で大声で笑い、弦楽器を掻き鳴らし、太鼓を無造作に叩き、リズムに合わせて足踏みする。

 浮かれ騒ぐ群衆のざわめきを、ミコトはやや離れた場所で聞いていた。市場の隅の、黄緑や薄青の生地がはためく天幕の中だ。頭上を覆う布が日光を遮り、入り口から差し込む陽の中で埃がゆるやかに舞う。

 ミコトは拳に布を巻きながら、心臓の鼓動を感じていた。情けない主人を置いて逃げ出すような感覚はもう無い。早く暴れさせろと内側から壁を叩くような、頼もしい鼓動だ。

――ミコト、よく言った。見直したよ。

「本当はまだ怖いんです。どうやったら勝てるのかもまだわからない。でも、やるしかないんだと思います。今逃げたら、僕は一生自分が許せない」

――何よ、ちょっとした間にすっかり男の子の顔になっちゃってさ。男子三日会わざれば刮目して見よってのは本当ね。しょうがない、ここで死なせるのはもったいないから、差し入れをあげるわ。これ、使いな。

 ミコトの前に、黒光りする物体がごとりと現れた。

 銃だ。小型で一見玩具のようだが、使用済みの傷や汚れが、なんとも言えない迫力を醸し出している。

「これは……」

――ブンタって奴から掠め取ってやった。あいつがバカで助かったわ。せっかくだから利用できるものは利用させてもらいましょ。使い方はわかる?

「引き金を引けば弾が出るって事くらいは……」

――弾はすでに装填されているから、引き金を引くだけで撃てるわ。あとは、なるべくひきつけてから撃つ事。弾は三発しか残ってないから気をつけてね。

「はあ、やってみます」

――いい? 先手必勝! 相手に攻撃させては駄目よ。あんたなんか一撃で殺されて終わりなんだから。しくじったら即座に逃げなさい。

「わかってます……まともにやっても勝ち目は無い。うまくやるしかないんです」

 ミコトは目の前の銃を拾い、矯めつ眇めつ調べてみた。気が済むと、木の台にそれを置き、小さい椅子に腰をかけ、膝の上で両手を組んでうずくまる。

「聖地で撮った写真って、一度現実に戻ると消えているんでしょうか?」

――ん? 普通は消えるはずだけど。でもこの神話の場合は地続きみたいなもんだから、もしかしたら残ってるかもね。

 ミコトは携帯電話を取り出し、カメラを起動した。アルバムを呼び出して――

 あった。

 ミコトとスーリヤが並んで写っている写真だ。二人とも緊張した面持ちで、少し照れながら仲良く並んでいる。ミコトは自分の事ながら微笑ましい気持ちになり、思わず頬が緩んだ。

 この時は、こんな事になるとは思っていなかった。

 映画みたいなシチュエーション。好きな女の子のために決闘か。悪くない気分だ。

 不思議だ。死ぬかもしれないのに。

 スーリヤの顔を見ていると、全然怖くないよ……

 天幕の布が押し上げられ、ガネーシャが顔を見せた。

「時間だ。準備はいいか?」

 ミコトは顔を上げ、ゆっくりと頷いた。



 ミコトが広場に姿を現すと、群集から割れんばかりの歓声と怒号が巻き起こった。

 人垣が割れ、広場の中央へと道を作る。逞しい異形の神々が見下ろす中、ミコトはまっすぐに顔を上げて進んだ。照りつける太陽は人々の熱狂に煽られてさらに燃え盛るかのようだ。

 神々が体に塗ったオイルの香りが鼻をつく。砂埃とともに風が運んでくるのは酒気と人いきれの入り混じったような匂いだ。

 乾いた空に笛の音が高らかに響き渡り、打楽器が低く腹に響くリズムを刻む。いやがおうにも高揚がこみあげてくる。

 広場に着くと、すでに対面には不気味な影がひっそりと佇んでいた。ラーフケートゥだ。赤く輝く目でミコトを見据えている。手には、長い柄に長刀をくっつけた槍のような武器を携えている。柄も刃も真っ黒だ。

「よく逃げなかったな小僧……すぐに終わらせては白ける。殺さない程度に一寸刻みにしてやるよ……」

「僕が勝ったら、お前には僕とスーリヤに謝らせてやる」

 距離を置いて対峙。周囲の喧騒も耳に入らない。目の前の相手にだけ集中だ。

 シヴァが丘の上から告げた。

「これより、決闘を行なう。両名、前に進み出て名乗りをあげよ」

 まずラーフケートゥが前に出た。賭けを行なっている者達はこぞって声を張り上げる。おそらく倍率では圧倒的にラーフケートゥが有利だろう。

「我が名はラーフケートゥ。日食と月食を起こす凶兆の星よ。太陽神スーリヤが苦しむのは我が望み。それを妨げる愚か者は千の肉片に刻んで奈落の底に放り捨ててやる」

 受けて、ミコトが進み出る。失笑と罵声。からかうような野卑な声援。

「我が名は衿家ミコト……平の、人間だ!」

 わっと歓声が上がった。勝ち目が無いとわかっていても、力の限りを尽くして善戦する事を期待しているのか、あるいは残虐なショーを期待しているのか……

 シヴァはすっと手を上げ、演出するかのように溜めを作った。

「それでは――」

 人々が水を打ったように静まっていく。

「始めよ!」

 宣言してシヴァが手を振り下ろすと同時に、津波のような歓声が広場を埋め尽くす。

 人々が遠巻きに見つめる中、ミコトはじっと佇んでいる。

 ラーフケートゥは長槍を構え、悠然とミコトに歩み寄った。

「どうした。怯えて身動きもできないか」

 距離が縮まる。あと五歩。あと四歩……ミコトは学生ズボンの尻ポケットに差していた物体を取り出した。

 銃だ。リンカがブンタから掠め取ったグロック26。両手を伸ばして相手に向けて構える。

――迷うな、撃て!

 頭を空にして引き金を引いた。肩を突き抜ける衝撃。轟音が歓声をかき消す。

 腹に命中した。ラーフケートゥがゆっくりと仰向けに倒れる。

 銃声の余韻で耳鳴りがする。拡散する硝煙越しに倒れた相手の姿を確認。観客の声は聞こえなかった。静まり返っているのか、轟音で一時的に耳がおかしくなったのか判断がつかない。

「当たった……ま、まさか、死んでないですよね……」

――油断しないで。

 倒れたラーフケートゥを見下ろしていた群集が、思い出したように怒号や悲鳴、意味不明の叫び声を搾り出した。おそらくラーフケートゥに賭けた者達だ。野次を飛ばす者もいる。

 広場の地面に横たわる黒い影。

 その上半身がむくりと起き上がった。

「えっ……まさか、無傷……?」

 観客の怒号が歓声に変る中、何事も無かったかのように立ち上がったラーフケートゥは不気味な笑みを見せた。真っ赤な口腔がちらりと覗く。

「痛ェじゃねえか……痛ェぞ! 体に穴が開いちまったじゃないか!」

 ラーフケートゥは体に巻いた布をめくって傷口を見せた。皮膚というより影のような体表には小さい穴が開いていたが、見る間にさらに小さくしぼんでいく。ミコトはうろたえた。銃すら効かない相手にどうやって勝てばいいんだ……

「なーんて。この程度、どうという事はないんだよ! 残念ながら俺は不死の霊薬アムリタを一口飲んで以来、不死の体になったんだよ。アムリタを盗んだ罰で首を切られたが、ほれ、この通り! ぴんぴんして生きているんだからな!」

 真っ赤な目を剥いてひとしきり笑うと、手にした漆黒の長槍を構え、

「次はこちらの番だ」

 ミコトに向かって振りかぶる。刃を包む黒い影のような物が大きく伸びた。元々は大人の身長ほどの長さだったのだが、今はその三倍は優にある。咄嗟にしゃがみこむミコトの頭上を、広場の端にまで届きそうなほどに伸びた刃が唸りを上げて通過。ミコトの遥か後方で、居並ぶ小屋の柱がごっそりと抉り取られた。バランスを崩して小屋が崩れ、屋根がわりの布が大きくはためく。周囲にいた観衆が慌ててミコトの背後を避けるように場所を移動する。

「ほらほら、頑張って逃げないとすぐに終わってしまうぜ?」

 体勢を立て直して駆け出すミコトのすぐ横を刃が過ぎった。刃の軌跡に沿って、地面がごっそりと抉られる。それは刃の跡というより、刃周辺の空間ごとこそぎ取られたような有様だった。

「どうだ? すげぇ切れ味だろう。俺は蝕の槍と呼んでいるがね。太陽も月も無尽蔵に呑みこむ底なしの槍だ。この槍が通過した跡は、何もかもごっそり無くなっちまうのさ」

 逃げ惑うミコトをもてあそぶように、ラーフケートゥは右に左にと槍を振るう。その度に地面が抉れ、小屋が傾き、市場の商品が散らばって観衆が怒鳴りながら右往左往する。ミコトは足をもつれさせながらもかろうじてかわしている。刃がかすめるたびに寿命が縮まる思いだった。

――こりゃ、やばいわね。ミコト……命あっての物種だわ。神話世界とのアクセスを解除した方がいいかもね……

「お断りします!」

 少し動いただけだが、ミコトはすでに肩で息をしていた。命がけの緊張感は普段以上に体力を消耗させている。照りつける太陽が容赦なくスタミナを削り、心臓は限界まで脈打つ。

 だが、それでもきっぱりと言い切る。

「せっかくここまでこぎつけたんです。今度アクセスした時にシヴァ神がその気になってくれるとは限りません。大丈夫……ここまで来たからにはとことんやりますよ!」

 額にかかる汗に濡れた前髪をぬぐいもせず、相手を睨みつける。しゃがんだ際に学生ズボンは土埃に汚れ、汗でぐっしょりと濡れたシャツを陽光が乾かしていく。

――大丈夫ってあんた……相手は銃も効かないのよ。対して、あんたは死んだらそこでアウトだからね。シヴァ神が都合よく生き返らせてくれるなんて思わないでよ。あんたは神話世界の住人じゃないんだから、死んだら意識は消滅なのよ!

「かまいませんよ。あのいけ好かない野郎にごめんなさいって言わせるまでは、僕は諦めませんから」

 ミコトは断固とした調子で言い張った。

――あんた……ここ一番ってところでは頑固なのね。わかった。もう余計な事は言わないわ。好きなようにやってきなさい! 

「はい!」

 激しい興奮状態で恐怖が麻痺しているというのもある。ナチュラルハイというやつだろうか。

 視界もクリアで意識もはっきりしている。こんな奴に負けない!

 銃を構え、弾丸に気合を込めるように引き金を引き絞る。轟音と衝撃が体を揺らす。

 ラーフケートゥは長槍を体の前にかざした。9mmパラベラム弾が刃に触れた途端、水面に落ちた雪のようにあえなく消滅した。残弾は一発。

 撃ち終わった後に即座に逃げ出すミコトを、ラーフケートゥは悠々と追いかける。ミコトにとって幸いなのは、ラーフケートゥの移動速度がそれほど速くない事だ。足をひきずるようにして、じりじりと追いかけてくる。それでも槍の攻撃範囲が広いため、危険な事には変りは無いのだが。

「無駄なあがきだな。絶対勝てる勝負ってのは気分がいいねぇ。俺はこう見えて慎重派でね。勝てる勝負しかしないんだよ。好きなだけ無駄な努力を重ねるがいい。見ててやるからよぉ? 一生懸命がんばって積み重ねてきたものを、一瞬にしてプチッ! と踏み潰す快感! 絶対的な強者に与えられた特権だな。どうあがいても勝ち目が無い事を悟り、心が折れて俺にひざまずくってんなら優しくしてやってもいいぜ?」

 ひたすら逃げ続けるミコトと、それをゆっくりと追うラーフケートゥ。

 酒を煽っていた観客の一人が、隣の仲間に遠慮のない声で言う。

「こりゃ、もう勝負はついたも同然だな」

「どだい、無理な話なんだよ。勝負自体は最初から見えている。鶏をどうやってくびり殺すかを見ているようなもんだ」

 観衆に弛緩した空気が漂う。ミコトの攻撃は効かず、相手の攻撃は一発でも当たればおしまいだ。ミコトはすでに汗と埃にまみれ、ラーフケートゥはほぼ無傷。

 だが、ミコトの表情には勝負を投げた様子はない。小高い丘の上に陣取るとくるっと振り向き、何事かとざわめく人々を見下ろした。

「どうした? 諦めたか?」

 最初から勝ち目がないと決めてかかる奴らに挑むかのように――ミコトはゆっくりと指を一本持ち上げ、高々と頭上に掲げた。

「ラーフケートゥ。お前を倒すのは、指一本で十分だ!」

 どっとギャラリーが沸いた。無謀さを笑う者、これだけ絶対不利の状況で強気を崩さないミコトを褒め称える者、二人を煽り立てる者……

 ラーフケートゥはといえば、口元をひきつらせて嘲笑う。

「馬鹿なのかこいつは……いいだろう。では挑発に乗ってやろうか」

 ミコトは人垣に紛れるようにして駆け出した。その行く手を遮るように、ラーフケートゥが刃を振るう。勢いを増した斬撃が、巨大な岩を真っ二つに切り裂き、地面も、ミコトが隠れようとした潅木も何もかも抉り取る。

 その刃の先端がシヴァ神像を横薙ぎに切り裂いた。切断された首が斜面を転がり、中腹の小屋を押しつぶして柱にひっかかって止まった。

「おっと、勢い余っちまった。シヴァ神よ、あとで建て直すからお目こぼししてくれるよな?」

 さすがにシヴァは怖いらしい。ラーフケートゥはミコトを追うのをやめ、シヴァの様子を窺う。人々の群れから離れ、丘の上から決闘を見守っていたシヴァは鷹揚に頷いた。

「かまわん。ただの像だ。気にするな」

「へへ。ありがてえ」

 シヴァから広場へと視線を戻すが、ラーフケートゥはミコトを見失ったようだった。周囲を見回している。

 潰れた小屋から布を剥ぎ取ったミコトは、それを体に巻いて群集に紛れていた。周囲の人々はそれがミコトであることに気付いていたが、笑いを押し隠してそしらぬ顔を続けている。

 軽く肘で押してくる群集にかまわず、隠れてラーフケートゥの隙を窺う。

 ラーフケートゥはおどけた調子で言った。

「おやおや……姿が消えてしまった。どこに行ったかな……」

 ミコトが隠れている場所とは見当違いの方向へと歩いていくと、群衆の足元を覗き込んだ。 

 そこには、太陽に照らされてくっきりと映し出された影が並んでいる。ラーフケートゥは、はいつくばるようにして影へと手を伸ばした。

 何をしているのかと訝しがるミコトの視界に、動くものがよぎった。ハッとして足元を見る。

 腕だ。

 ミコトの近くにいた群集の影の中から、黒い腕が突き出している。見る間に、水面から顔を出すかのようにラーフケートゥの黒い顔が腕に続いて現れた。

 腕が伸び、ミコトの足首を掴もうとする。ミコトは咄嗟に銃口を向け引き金を引いていた。

 腕がひっこみ、乾いた地面に空しく弾痕を刻む。

 再び影が盛り上がり、ラーフケートゥの形をとる。

「バア」

 ラーフケートゥはミコトの目の前でおどけて両手を広げてみせた。

 銃のスライドが下がっている。弾倉はすでに空だ。ただの荷物になった銃を投げつけ、群集をかきわけるようにして逃げ出す。

「おやおや、武器も捨ててしまうのかね。武器も無い、逃げる事もできない。さぁ困ったナァ! どうするんだい、がんばらないと死んでしまうよ」

 ミコトの先回りをするかのように、前方の影からラーフケートゥが現れ、槍をかざして威嚇する。すぐに攻撃するつもりはないようだ。群衆に気を使っているのか、逃げ場のないミコトの絶望感を楽しんでいるのか。おそらく後者だ。

 ミコトの足元から腕を伸ばして足首を掴もうとし、それをかわして逃げても死角にある影から現れて斬りつけてくる。かろうじてかわしているが、シャツは裂け、かすった傷口から流れた血が白い肌を伝う。激しい興奮のためか痛みはほとんど感じなかった。

 いくら必死で逃げても、影を伝って一瞬で先回りされてしまう。武器ももう無い。

 ミコトは逃げ回りながら考えを巡らせた。

 問題なのは三点。

 一点目は、相手の武器。一発でもまともに食らえば致命傷だ。

 二点目は、影を伝った移動。逃げてもすぐに追いつかれ、こちらから攻撃するにもすぐに逃げられては話にならない。

 三点目は、相手が不死という事。銃で撃ってもすぐに回復するのでは決め手が無い……

 これらをなんとかせねば、勝ち目はないだろう。

――ミコト……

 リンカが珍しく心配そうに声をかけた。ミコトは息を荒げて目に入った汗をぬぐう。だが、ミコトの返事には焦る調子はない。

「あいつ、自分の影には入れないのでしょうか? 最初から自分の影に入っていれば追いかける必要なんてなかったはず」

――他人の影にしか入れないんじゃない?

「おそらく、そうなんでしょう。リンカさん……一つ試したい事があります」

 群集から抜け出し、広場へと戻る。

「現実世界から神話世界へは、一度何かを送ったらもう同じ物は送れないのですか?」

――いや、送るといってもこっちにある物が消えてなくなるわけじゃないからね。――もしかして、銃をもう一度送れって事? 確かに同じ物を送れば残弾は元に戻るけど。あいつには効かないでしょ?

「それもあります。が、その前に……ガネーシャ神に渡した写真と同じ物を、もう一度送ってほしいんです」

――あんた、もしかして……

「それも大量に。同じ物を大量に送る事はできますか?」

――そりゃ、出来るけど。

「お願いします。可能な限りたくさん」

――しょうがないわね、とっておきの写真だってのに……まあ、それで勝てるならお安い御用だけどね。

 広場の真ん中で身構えるミコトの前に、一枚の写真がひらりと舞った。

 続いて、二枚、三枚、四枚……

 降り積もるように現れる写真の数々。何事かと、群集の視線が集まる。

 ミコトはそれらを拾い集めて両手に抱えると、風が吹くのを待つ。

 来た。ミコトの助太刀をするかのように、一陣の突風が駆け抜けた。

 風に乗せるようにして写真をばら撒いた。澄んだ青空に、肌色の被写体を収めた写真がひらひらと舞う。

 四本の腕を持った大男が、腕を伸ばして写真の一枚をつまんだ。隣に立っていた別の男と写真を覗きこむ。白い肌、金色の髪をした美女の艶かしい肢体に男達がどよめいた。

「おおおお!」「美しい……」「おいっ、俺も! 俺にもよこせ!」

 嘲るかのようにひらひらと舞う写真に男達が一斉に手を伸ばす。ひらりと手をすりぬけ、風に乗って飛んでいく写真を追い求めて男達の大移動が始まった。

「待って! ああっ、あと少し!」

「誰か! 風を起こして一箇所に集めるんだ! 暴風の神よ! こんな時こそお力を!」

「まわりこめ! フォーメーションを組むんだ! こっちは俺に任せておけ!」

 男達はここぞとばかりに絶妙のコンビネーションを発揮し着々と写真を追い詰めていく。風を操る神が一箇所に集め、農業や漁業を司る神がカゴや網で収穫する。さすが神。

 男達がいなくなり、広場には呆れ顔の女性たちがわずかに残るばかり。

 ひと気の無くなった広場で、ミコトは彼等のバイタリティーに感心するやら呆れるやら、複雑な心境だった。

「大人なんてこんなのばっかりだ……」

 が、今はそのおかげで助かった。とりあえず影を遠ざける事に成功したのだから。これでラーフケートゥはもう影を伝って移動する事ができないはずだ。

 ぽつんと残されたラーフケートゥがミコトに迫る。

「おい、どういうつもりだてめえ! 観客がごっそりいなくなっちまったじゃねえか!」

「負けて恥をかく姿を見られなくてよかったじゃないか」

 ミコトは強がりつつ、丘の斜面を駆け上っていく。

「観客がいないならもうお遊びの必要はないな! 今すぐ八つ裂きにしてやるよォォ!」

 ラーフケートゥが槍を構えなおし、足をひきずりながらミコトを追う。ミコトは斜面を横切るように走っている。

「リンカさん! 銃を! できるだけ多く!」

――あいよ!

 ミコトの目の前にがらがらと大量の銃が現れる。それを空中で掴み取ると、ラーフケートゥにではなく、丘の斜面に向けて構えた。銃口の先には潰れかけた小屋。柱には、シヴァ神像の頭がひっかかっている。

「間に合えッ!」

 衝撃で腕が痺れるのも構わず引き金を引きまくる。狙いなどつける間もない。当ろうが外れようがとにかく撃つ。弾が切れるとすかさず次の銃を掴んでひたすら連射、連射、連射。連続する銃声に耳鳴りがする。硝煙で銃火が滲む。弾丸を雨あられと食らった柱がひしゃげ、シヴァ神像の頭がぐらりと傾き、急斜面を転がり始めた。斜面の下にはラーフケートゥ。

「下敷きにでもするつもりか? 馬鹿が。この程度は蝕の槍で――」

 槍を構えるラーフケートゥへ銃口を向ける。

「そんなヒマがあるのか?」

 新しい銃を拾って、がむしゃらに撃つ、撃つ、撃つ。ミコトの足元にはすでに大量のグレック26が山を作っている。膝をつき、使い終わった銃は後方に投げ捨ててひたすら連射。弾は実質、無限だ。ラーフケートゥは槍を体の前面に立てて弾を防ぐしかなかった。不死とはいえ、銃弾をまともに食らえば倒れるくらいのダメージはある。最初の一発を当てた時にそれはわかっている。倒れてしまえばどのみちシヴァ神像の下敷きだ。

 急な斜面を転がりながら加速するシヴァ神像の頭が唸りを上げて迫る。頭とはいえ、大人の背丈以上の大きさだ。岩を削り、土埃を巻き上げ、弾丸に勝るとも劣らない速度で――

 ラーフケートゥの顔面を捉えた。

 たまらずにラーフケートゥは吹き飛ぶ。その体を押しつぶすようにしてシヴァ神像の頭は転がり落ち、斜面の下に叩きつけて鈍い音を立てて緩やかに止まった。

 もうもうと立ち込める土煙の中、仰向けの形で下敷きにされたラーフケートゥは、かろうじて顔を上げた。体は下敷きにされていて動かないようだった。

 斜面を滑り降りる音。ミコトだ。身動きの取れないラーフケートゥを見下ろす。

「さて、覚悟はいいですか」

「……馬鹿が。俺は不死だと言っただろう。お前には俺に止めを刺す決め手が無い。お前がモタモタしている内に俺はここから這い出して――」

「そうですか? そんな事はないと思いますけど」

 ミコトが手にしている物を見てラーフケートゥはぎょっとした表情になった。

 黒い柄に黒い刃。ラーフケートゥの蝕の槍だ。

「この刃で切断されたらたとえお前が不死であっても困った事になるんじゃないかな。さて、約束どおりに……」

 ミコトはシヴァ神像の頭に槍を立てかけた。刃が倒れる先にはラーフケートゥの頭。

「指一本でお前を倒すって言ったよね」

 人差し指を突き出し、そっと槍に向けて伸ばす。

「待て! おい、冗談だろ……わかった! わかったよ……あー、俺の負けでいい」

「台詞を間違っているぞラーフケートゥ。ごめんなさい、だ!」

 ラーフケートゥがぐっと言葉を詰まらせた。

「あっ指が」

「待て待て! わかったよ畜生! あー……クソッ! ご……い……」

 顔を背け、ごにょごにょと呟くラーフケートゥ。

「聞こえない」

「ご、め、ん、な、さ、いぃぃィィ! アアッ、これで満足か! 気が済んだか!」

 ミコトはにこっと微笑んで言った。

「ごめんなさいと言えば許すとも言っていないけどね」

 容赦なく槍を突付く。迫る刃にラーフケートゥが黒い顔を青ざめさせたところで、左手で槍をぱっと掴んだ。

「ごめんね。冗談だよ」

「最悪だ。こいつ俺より性格悪いよ……」

「自分が性格悪いって自覚してたんですね」

――ミコト……本当にやってのけたわね。もうあなたの事、坊やとは呼べないわね。

「坊やって呼んでたんですか? ……それはそうと……なんとか勝てたようです」

 ミコトは空を仰いだ。抜けるような青空。ギラギラと輝く太陽を直視できず、腕で目をかばう。頬を流れ落ちる汗も今は心地よかった。勝利の実感がじわじわとこみあげてくる。

「スーリヤ……僕、勝ったよ……」

 丘の上を見ると、シヴァ神と目が合った。力強く頷く。隣ではガネーシャが満足そうに鼻を揺らしていた。

 丘の上から降りてきたシヴァは、ミコトの片手を掴み、高々と掲げた。

「勝者、衿家ミコト!」

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