第12話結婚指輪……?




そろそろ寝ようという時間になってノエルは両腕で枕を抱え、最も頼りになる姉のベッドの前に立ち尽くしていた。

力強く抱きしめられた枕はノエルの不安を誰の目にも分かるほど的確に表現している。

その姿に、当然ながら何かあるとエイミーは感じ取り、それとなく場を整える。


「あらあら、どうしたのノエルちゃん。今日は一緒に寝る?」

「……うん」


かけ布団を持ち上げて入りやすいようスペースを開け、そこへノエルを導く。

そしていそいそと潜り込んだノエルを優しく抱きしめ、そっと背中をさすってやる。

ノエルはしばらくの間はされるがままにしていたが、いつしかエイミーの服にしがみつくように強く握った手を緩め、胸元に埋めた顔を上げて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「ねえ、おねーちゃん。あたしね、チェスター、なんかずっと一人でいようとしてるっておもうの……」


ノエルの胸の内を占めるのは、弟のような幼馴染の事だ。

始めこそ邪魔者を扱うような態度だったが、それでも一緒にいさせてくれる。一緒にいて楽しい。心がぽかぽかする。それに優しい。なのにチェスターはいつも一人になりたがって、平然と無茶な事をする。

手を離せば逃げ出し、目を離せば消えてしまう。

急に倒れたあの時は、死んでしまったのではないかと本当に怖かった。

そんなチェスターに抱く危うさがふとした拍子に肥大化し、ノエルの焦燥感を駆り立てる。


「……え? ああ、そうかもしれないわね」


エイミーは今、妹が最も御執心で他の同年代の子とはどこか違う、独特の雰囲気を放つチェスターの事を思い浮かべる。とは言え、本来あの年頃の男の子なんて好奇心の塊のようなもので、そういう意味ではノエルのように束縛しようとするのは逆効果な気もする。



それ自体は、あの子も例外ではないように思う。

だけど、この子に離れろと言っても聞かないだろう。

何より、獣人は本能が強く、直感的に物事の本質を掴む場合も多々ある。この子がそう感じたのならそうなのだろうと、エイミーはそう思っている。

何より、幾ら駆け引きの要素を説いても、この子はそれを了承しないだろう。



「ねえ、あたし、どうしたらチェスターがあぶないことやめてくれるの? どうしたらチェスターといっしょにいられるの? どうしたら……どうしたらチェスターはひとりにならないの?」

「くううううぅぅ〰〰! ああもう、この子はなんていじらしいのかしら!」

「きゃっ!」


ノエルを抱き寄せ、衝動のままに強く抱きしめる。


「おねちゃん、くるしいよ……」


だけど姉としては、弟よりもこの可愛い妹の味方になるのは当然と言えよう。

相手は、あの年頃にしては少々大人びている気もするが、だからこそ有効な手段もある。

それに、どうにもあの年頃の子とは別の理由でノエルとは距離を置きたがっている雰囲気があるのだ。

こっちから引いたらそれ幸いと距離をとる可能性の方が高いだろう。そして、一度開いた距離を縮めるのはより困難となる。



私がする事はそっと背中を押す程度の事でいい。

ノエルはノエルのままに、押して押して押し通すのがきっといいはずだ。何せこんなかわいい子に迫られて嫌になる人間なんて絶対にいないと、そう強く確信しているからだ。

シスコンここに極まれりと、チェスターがいればそう言っただろうが、生憎とここは二人っきりの空間だった。


「ふふ、ならそんないじらしい妹に、お姉ちゃんが意中の彼がどこにも行けないように、彼をメロメロにしちゃう必殺技を教えてあげるわ」

「ほんと!」


きらきらと純粋な目を輝かせて、期待に胸を膨らませたが、聞いた相手が悪かった。何せ彼女は姉の皮を被った悪魔だったのだから。


「ええ、そうね。二週間だけ待ちなさい。その時には可愛いノエルちゃんのために、お姉ちゃんが必ずチェスター君を虜にする、とっておきの必殺技を教えてあげるわ」


しかし、味方となれば悪魔ほど頼もしい存在はいない事もまた事実。

必殺技、などと口にした瞬間、その場にいないはずのチェスターに寒気が走ったとかそうでないとか。






そして二週間後、その日がやって来た。


「私達獣人の、それも犬をモデルとしたタイプは、その人にとって特別な人にこれを贈るの」


おもむろに取り出したのは、ノエルでも日常的に見馴れている物だった。しかしそれを見た瞬間、ノエルの表情はぱあっと輝く。


「これ、これ見たことある!」

「ええ、そうね」


ノエルはキラキラと目を輝かせ、期待に満ち溢れた表情でエイミーを見つめる。なぜなら両親が大切そうに保管している物と同じ物なのだから。

だからノエルにとっても、それが大切で特別な物なのだと気付いたのだろう。


「これをチェスター君に贈ってあげなさい。ノエルちゃん手ずから嵌めてあげるといいわ」

「うん!」


純粋無垢な子供は、疑うという事を知らない。

与えられた知識を、正邪も真偽も問わずにそのまま鵜呑みにしてしまう。



「うふふ、いい子ね。これでもしノエルちゃんに手を出すようなら……そう、たとえ未遂であってもちゃんと責任とらせなきゃね」

「せきにん……?」

「ええそうよ。もしチェスター君が責任をとるような事態になれば、ノエルちゃんはチェスター君とずっと一緒にいられるわよ」

「ほんと!?」

「ええ、だから頑張ってきなさい」

「うん! おねーちゃんありがとう!」



疑うという事を知らないノエルは、満面の笑みを浮かべて姉にお礼を言う。

以前も、これがあればというような事をチェスターは言っていた。それに、姉が言っていた事ならば嘘じゃない。そんな経験と信頼がノエルの自信をより強くする。

むしろこれでチェスターがどこにも行かないのだと思うと、思わずスキップしてしまうほどにご機嫌であった。

だがその足は、スキップではなく今までにないほどの全力疾走を披露してのけたが。







「チェスターぁぁああああ!!」



息を弾ませ、いつも以上にご機嫌そうな様子で駆け寄ってきたノエルを見て、俺は嫌な予感を覚えた。

ただでさえノエルには、日頃からあれだけ面倒事に巻き込まれているのだ。ならば当然、テンションの高いノエルはいつも以上の面倒事に巻き込まれる可能性がある。そんなノエルとは即座に距離を置きたいところだが、逃走手段がない。

走って逃げる事の限界なら理解している。まして今のノエルから逃げ切れるとは思えない。あれは間違いなく地獄の底まで追ってくる。そんな気配だ。

かといって、他の手段は思い浮かばない。あれこれ考えているうちに結局両者の距離は縮まって、結局タイムアップとなってしまった。


「チェスターこれ、これ見て!」

「…………それがどうかしたのか?」


興奮も収まらないままにそう言って差し出された物を見て、しかし俺はなんとも言えなかった。

何が来るのかと身構えていた分、拍子抜けしてしまったほどだ。

それを見た所で、なんでそんなに興奮しているのかが全く分からない。前世でもそれはありふれた物であり、この世界にも同様の物があったのかという程度で、それは俺が知っている物となんら変わりがない物だからだ。


「はい!」

「……はい?」


いや、はいと言って差し出されても、それを一体どうしろと言うのか。


「もう、だからはい!」

「いや……だからはい?」


俺としても何が何だか分からないのだから、問い返すようになるのは仕方がないだろう。実際、ノエルの意図が少しも分からない。


「もう! チェスターじっとしてて!」

「…………え?」


まるで焦れて我慢の限界だと言わんばかりに、元々お互いが少し手を伸ばせば届いた距離から更に一歩詰め寄ったノエルが、それを俺にかける。


「ぐえっ!?」

「うん!」


……俺の首に。

そう、まるで犬の首につけるような、そんな首輪が。

ノエルがそれを差し出した時、新しい服を買ってもらって自慢でもするのか、という類のものだと思っていただけに、俺の首に着けさせられたのはあまりにも予想外で、しかも間違ってもとれないようするためかキツく絞めてくるものだから変な声が出た。

ノエルは俺の首に首輪を掛けて満足したかのように腕を組み、どこか誇らしげに胸を反らしながら鼻息も荒くふんすと頷いた。


「ぐっ! テメエ一体何の真似だ!!」

「…………うん?」


俺の怒気なんてどこ吹く風。


「う~ん……」


と言うよりそもそも聞いてない。

むしろ少ししてどこかおかしいとばかりに首を傾げながらジッと俺の首元を見つめ、その頭上にはてなマークを浮かべる。


「むうう~」


ノエルが何やら悩んで百面相しているうちに手探りで首輪を外し、力いっぱい地面に叩きつけた。


「あー!!」

「あー、じゃねえ! 何のつもりだ。テメエがその気なら俺も容赦しねーぞコラ!」

「チェスター、めっ、だよ! だいじにしないと!」

「…………」



ほう、よりにもよって人の首に変な物を巻きつけておいて、それを大切にしろと? わざわざ再び巻けと言わんばかりに差し出された首輪が、ノエルのその態度がとても腹立たしい。

これはもう宣戦布告以外の何物でもあるまい。



「……オーケー、お前がその気なら俺も容赦しねえ。今まで受けた屈辱、今ここで倍返しにしてやらあ!!」



ノエルが差しだしていた首輪をひったくるように奪い、やられたらやり返すの精神でノエルの首に巻く。

ふふふ、泣こうが喚こうが、今この周辺に人はいない。

どれだけコイツが嫌がっても、助けは来ない。

ノエルも俺がこんな行動に出るとは思わなかったのか、無抵抗でされるがままだったため簡単にその首に首輪を着けることが出来た。

これでリードでもあれば適当な木に解かれないようめちゃくちゃに結んでやるのに、それが出来なくて残念だ。



と、ここでふとノエルがあまりにも無抵抗と言うか何の動きも見せないから気になってしまい、思わず冷静になる。

無抵抗なのは別に良い。

新手の遊びとでも思ったか、それとも特にこういう事を屈辱に感じていないか等、幾らでも可能性はある。

だが、なんでコイツは満面の笑みなのだ? むしろ俺が行動した事で凄くうれしそうにしているのはなぜだ?



「チェスター、これでいっしょだね!」

「いや…………え?」

「だって、おとーさんとおかーさんが言ってたの! これがけっこんのあかしだって!」

「…………は?」

「じゅーじんに伝わるじゅーだいなぎしきって言ってた! なんかよく分からないけど、しがわかつまでずっといっしょって! だからいっしょにいられるって!」

「……………………はあ!?」



なんだそれ、まさか俺はこのバカと婚約した事になってしまったのか?

…………まさかとは思うが、以前ノエルが言っていた結婚指輪は、獣人にとっての結婚指輪は、指輪じゃなく首輪だったとでも言うのか?


「……そ、そんなの無効に決まってる! 意味も分からず結婚するとかありえねえ!」


世の中合意の上でなくとも、男が強引に相手と性行為をしてしまえば結婚なんて地域もあるらしいし、獣人にとってこの行為がどういう意味や重みを持つのかなんて知らない。ただ嫌なら嫌と言う、当たり前の事をするだけだ。

知らなかったで済まされる事も、世の中にはあるのだ。

それが、結婚がリアルな墓場に繋がっているというのなら尚更。



四六時中このバカと一緒になってしまえば、間違いなく俺はノイローゼになって寝込むだろう。

それに、俺はノーと言える日本人なのだ。


「つーかそもそも、お前は結婚の意味が分かってんのか!」


分かるはずがあるまい。

子供を生む行為は勿論だが、そもそもこの馬鹿と一緒になるとか俺としてはあり得ない。


「おねーちゃんが、こうすればチェスターといっしょにいられるって言ってた!」

「…………」


が、その答えは何とも返答に困るものだった。

いや、もうこれが打算でない事が分かっているからこそ、どうにも反応に困るのだ。

むしろ打算だった方がよっぽど良かった。



「……まあいい、だいたい分かった。お前が何も分かってないことと、あのシスコンが黒幕だって事が良く分かった。いいか、今回のは無しだ。誰も見てないから、何もなかった事にしろ」

「だけど、それだとチェスターといっしょにいられない……」



その程度でしょぼくれんな。

くっそ、身長とか同じくらいなのに、どうやったらそんな上目遣いが出来るんだ。断れないじゃないか。


「……分かった。そんなことしなくても偶になら遊んでやるから、そんな目で俺を見るな」

「まいにちじゃダメなの?」


最大限の譲歩をしたつもりで容易にそれを上回らんとするノエルは、相も変わらずつぶらな瞳で無邪気そうに首をかしげる。

だがそう、俺はノーと言える日本人なのだ。



「いや、だけど毎日じゃあ俺の都合が……」

「チェスター、まほーのれんしゅーしててもいいよ? あたし、それ見てるから!」

「いや、だからあのだな……? ええと……」

「……ダメなの?」

「ダメ……じゃなくもない気がしなくもないというか……。あれだ、見られると気が散ると言うか、こう、万が一の事故とか色々責任とれないからな?」

「せきにん…………せきにん!」

「お、おう、どうした突然」



考え込むように呟いたと思えば、突然叫び出したノエルに思わず身構える。

そして、悲しい事に予想通り爆弾発言が飛び出した。



「おねーちゃんが言ってた! せきにんとるってずっといっしょにいるって! チェスターせきにんとって!」

「あのバカ姉ほんと三歳児に何吹き込んでんだ! つーか違うからな!? その責任は間違いなく違うからな!!」

「あたしよく分かんない……」

「だろうな! とりあえず今の話は忘れろ。それと念の為言っとくが、俺は責任をとることはないからな。あと、俺の邪魔をしないなら近くにいてもいい……、いや、俺の言う事をなんでも聞くならだな」



傍にいても絶対に邪魔をするのは目に見えていた。

これだけ言っても言う事を聞く確証はないが、少しでも確実性を増す言い方の方が良いだろう。


「うん!」


どこまで言う事を聞くかは分からないが、そんな自分勝手だと分かっているような言い分にも、ノエルはいつも通りの無邪気な笑顔でそう答えた。

軽々しく言う事をなんでもきくなどと言うノエルの事は、保護者として少々気にならないでもなかったが、今はとにかく都合が良いのでそれで納得した。

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