第9話釣り
母親の目を盗んで密かに家から糸と針を持ちだし、そこらで拾った木の棒に括りつけて準備は万端。いざ出陣とばかりに意気込んで川へと繰り出した。
餌はバッタやミミズ、他にも水中にある石の裏にいる小さな虫でも、基本は何でも良いはず。
が、個人的にミミズでは抵抗があるため、今日は道中に見掛けたバッタを捕まえ、川へ着くと早速針に付けて釣り糸を垂らす。
「チェスター、あそぼー!」
と、数分経っただけでそこへいつもの如く邪魔が入る。
だがこの程度の事を予測しないわけがない。
「ああ、いいぞ。だけど先に釣りだ。一匹釣れれば遊んでやる」
「ほんと!」
「ああ」
案の定、ご褒美を用意しただけでノエルは俺の後ろで待機し、じっと釣りを見ている。これぞ日頃の調教の成果だ。
「……ねえ、チェスター。これってずっとこのままなの?」
「そうだ」
暇を持て余したノエルが、ぽつりと話しかける。
それには見向きもせず、一言で返した。
これは精神的、肉体的な差はあれど、お互い生存を懸けた真剣勝負なのだ。全身全霊を傾けねばならないし、そうしなくては相手に失礼だろう。
「……ねえ、なんかお話しよーよ」
「黙ってろ、魚が逃げる」
それから五分もしない内にノエルが話しかけてくる。
が、対応は変えない。甘やかして育てても子は育たない。そして結果的には俺に迷惑を掛けるのだから、甘やかすはずがない。
少々遅い気もするが、何事も初めが肝心だと言うしな。
「……ねえ、退屈だよ」
「うるさい、まだ始めて十分しか経ってないだろ」
「だって疲れたんだもん!」
「普段あんだけはしゃぎまわってるお前がこの程度で疲れるわけないだろ! いつもお前に一日中付き合わされてるんだからちょっとくらい我慢しろ!」
というかなんで動き回るより、じっとしている方が疲れるんだ。おかしいだろ。
「ヤだ! こんなことしても何もつれないよ、だからいっしょにあそぼーよ!」
が、所詮はノエル。
我慢など出来るはずもなく、むしろ十分も持たずに音をあげた。それだけならまだ良かったが、こうも騒がれたら釣れるものも釣れない。
場所を変えて再トライしかないだろうと思った途端、竿に手応えを感じた。
「おっし来た!」
まさかこのタイミングで来るとは思わなかったが、人間にだってノエルみたいなバカもいるのだ。つまり、この魚はノエル級のバカ魚。そしてこんなバカ、魚バージョンに負けたとあっては、俺の沽券に関わる。
予想外のヒットに焦りそうになった心を静め、事前に行ったシミュレーション通り慎重に合わせる。力づくで逃げようとする魚に対し、此方は現状維持を選択。そのまま数秒の駆け引きを経て、相手の気が緩んだ瞬間、一気に釣り上げた。
宙を舞う魚がキラキラと太陽の光を反射して光輝いていた。
「チェスターすごい!」
陸で飛び跳ねる魚を見て、ノエルが本当に驚いたように声をあげる。
先程の退屈そうな様子はどこへやら、興味深そうに魚をしげしげと眺め、おっかなびっくりつついた。
「わ、わ、チェスター! これつめたい! すべすべする!」
「いいからさっさと寄越せ」
と、ノエルから半ば奪い取るように魚を奪取。
しかし、家から持ち出したナイフを取り出した所でノエルの邪魔が入る。
「だ、ダメ! チェスターめっ、だよ!」
だが、カニの時と同じようにノエルがぎゃーぎゃー言ってくるのは予想通り。
慣れない作業なので集中して取り組みたいし、横で騒がれれば気が散る。だからノエルを黙らせるための、魔法の一言を放った。
「いいか、ノエル。これを見逃せばおいしい魚が食べられるぞ」
「ほんとっ!?」
案の定あっさりと食いついた。
「そういうわけで、黙ってろ」
「うん!」
そして予想通りに黙ったノエルを放置し、ぎこちないながらもなんとか捌く。
内臓を川の水でざっと洗い流し、木の棒に刺して自宅から密かにくすねた塩を一振り。そして――
「指先に宿るは柔らかな灯、『トーチ』」
指先に灯った小さな炎を素早く木の枝に移し、魔法を解除。
炎の近くの地面に魚の串を刺し、あとは見守るだけだ。
これは朝と晩に魔法の練習をするようになって一週間後の成果だった。
たったそれだけでも多少の疲労感を感じるが、半日に一回程度なら問題なく出来るようになったのだ。
「チェスター……、それ、もしかしてまほう……?」
「ああ、そうだ。だけど村の皆には内緒だぞ」
先程まで騒がしかったノエルが、呆然として呟いた。
正直なところノエルにも教えたくはなかったが、この調子でつき纏われればすぐにバレることだ。
隠し通す事が出来ないのなら、もうそこは開き直って抱き込むより他にない。
「す、すごい……。チェスターすごい!」
最初は信じられないとばかりに呆然と、だがすぐにいつもの調子を取り戻したノエルがはしゃぎながら言った。
「もういっかい、もういっかいやって!」
「え……」
出来なくはない。出来なくはないのだが、恐らくは気絶とまでいかないものの、その一歩手前の状態になるだろう。
だが、このキラキラとした純粋な眼差しは、出来ないと告げる事を躊躇わせるに充分だった。
実際、こんなしょぼい魔法を一回使っただけで限界が来るなど知られたくない。いや、もうほんと恥ずかしくて逆に死ねる。
俺だってこの世界の魔法の知識と実体験がなければ、この程度の事しか出来ないのかと思ってしまうだろう。
俺は男で、譲れないプライドがある。たとえそれが、最初なんて火花がせいぜいだったにせよ、今でさえこの程度が限界にせよ、相手がノエルにせよだ。
「ゆ……指先に宿るは柔らかな灯、『トーチ』!」
「わ、わ、わ! すごい! ひ! 火ついた!」
半ば自棄になって唱えた魔法は、やはり先程より短く3秒で限界がきた。
「チェスターすごい! まほう!」
「……お、おう! このくらい当然だ」
目眩に耐えて平静を装い、フラつきそうになる体に喝を入れる。正直受け答えもちゃんとできているか自信がないほどにヤバい。
立っていれば色々と危うかったかもしれない。座っていて良かったとこれほど思った事はなかった。
「もういっかい! もういっかいだけやって!」
「え゛……?」
今、ノエルはなんと言った?
おかしいな、幻聴まで聞こえるなんて早くも末期かもしれない。今後はやはり、魔法の使用について深く考えて計画的にやっていかないとな。
「ねえチェスター、いいでしょ?」
という現実逃避など、縋りついておねだりするノエルが更に駄々をこね、激しく体を揺さぶるせいで即座に現実に引き戻される。が、それでまた視界がぐわんぐわんと揺れるせいで現実かどうか分からなくなりそうな――
「いいか、これ゛――」
あれ? なんか視界がおかしい。いや、と言うか声がおかしい? 寝ているのに意識があるような、不思議な感覚。
「――たー」
苦しくはなく、妙に心地よい。このまま浸っていたいとさえ思えるのに、なぜか今すぐ何かをしなければならないと頭の片隅で警鐘を鳴らされているかのような感覚。
「――すたー」
まるで二度寝を求める時のように振り払い難い誘惑を辛うじて振り払い、それがなんだったのか思い出そうとする。
「チェスター!」
「…………は?」
そしてどこからか聞こえてきたノエルの声が引き金となった。
意識を取り戻した瞬間、いつのまにか視界いっぱいに涙を零しながら緊迫感に満ちたノエルの顔があった。
さっきまで興奮していたノエルの顔が、なぜか二枚の写真を連続で見せられたかのように一瞬で変わっている。
まるで俺一人取り残して時間が進んだかのような現実を前に、ノエルに何があったかを聞いてみる。
「ええと……どうした?」
「よ゛かっだよ゛お゛お゛おおぉぉ!!」
だが返って来たのは、質問に対する答えではなく、ただただ己の感情を吐き出しただけの言葉。
どうにもノエルは役に立ちそうにない。だからようやく戻って来た感覚や思考を頼りに、周囲を確認して事態を把握した。
「――ああ」
そして零れたのは、呆れた嘆息。
髪が、と言うより首から上だけが濡れ、川辺で寝かされている自分を知ればどうなったのか良く分かった。
結局、あの後短時間とはいえ気絶したのだ。
そのまま後ろに倒れ、川に頭を突っ込んだまま気絶していた。
今回はコイツのせいではあるが、そもそもの原因はやはりあれだけ魔力切れに注意しろと言われ、そのつもりになっていただけだった自分自身のミスだ。
些細な油断が重大な事故に繋がる事も知っているくせに、つまらないプライドのせいでこうなった。
意識の甘さが露呈したし、どこかでボタンを掛け間違えていれば死んでいた。今回ではなくとも、将来的にそうなっていたのかもしれない。そう言う意味では、今の内に無事学べたことは良かった。
お陰で致命的な失敗をしなくて済んだわけだし。
「ほら、ノエルもとにかく泣きやめ、俺も無事だったわけだし」
「……う゛ん」
鼻水をすすりながらも頷いたノエルも、ほっと一安心したように僅かに距離を置く。
「……ねえ、でもなんで? きゅうにたおれたからびっくりしたんだよ? まほーのせいなの?」
「ああ、そうだ……いや違う」
危うく何も考えずに認めかけたが、認めてしまえばコイツの事だ。
魔法禁止なんて言い出しかねないし、それを了承しなければ騒ぎだしかねない。魔法が使える事は秘密なのだ。騒ぎを聞きつけられて他人にバレてしまう可能性もある。
「立ちくらみって言ってな、急にフラッとする時があるんだ。それで偶々後頭部をぶつけてな。意識を失いかけただけだ。だから魔法のせいじゃない」
「うーん……」
だから恐らくノエルでは良く分からないだろう説明をしながらも説得する。
本人は分かったような分からないような、中途半端な頷きを返した。
「まあそういう事だ。ああ、それと魔法の事は秘密だ。誰にも喋るなよ」
「そうなの?」
「そうだ」
「ふーん……」
完全に納得したわけでもなさそうだが、これだけ念押しすれば一先ずはこれで問題ないだろう。
「ねえ、でもなんでそれってひみつにするの? おかーさんやおとーさんには言わないの?」
こいつ……。
普段は天然でこの手の事に対しては無害なはずなのだが、時たま急に食い下がり、しかも急所を突く事があるから困るのだ。
こういう時のこいつはしつこく食い下がるため、拒絶ではなくいなすように誤魔化すか、素直に答えるかの二択。
「あ、ああ、ええとだな…………、と、とにかくそれは二人だけの秘密だ」
不思議そうなノエルだが実際の理由を言うわけにもいかず、かと言ってノエルを納得させるような適当な理由が、疲れもあってかとっさに思いつかない。
苦しい言い訳だという事は、言われなくても理解している。
「あたしとチェスターだけの……?」
「ああ、そうだ」
「あ……うん、わかった!」
しかしなぜだかノエルはぱああっと顔を輝かせ、文句など微塵もないとばかりに嬉しそうな表情を作る。
ほんと、やっぱり子供は何を考えているのか、何に納得するのかがさっぱり分からない。
いや、とにかく今は上手くいった事を喜ぶべきなのだろうが。
そしてそんなやりとりをしていれば、いつの間にか魚が焼けた事を香ばしい匂いが伝えてくれる。
少々焦げ付いた感じではあるが、初めてという事もあって慎重に、木の枝に火が移らないよう念の為に距離を離してじっくり焼いたのが功を奏した。
記念すべき最初の一匹目が焦げて食べられなくなるのは残念すぎるから、ある程度偶然とはいえ助かった。
前回は碌に味わう事も出来なかったから、この世界で生まれて初めて地力でとり、ちゃんと味わえるごちそうだ。
知らず口の中にはよだれが一気に充満し、呑み込めばゴクリと音が鳴る。
もう我慢の限界だし、我慢をする必要もない。
いざ、と思いっきり良く噛みつこうとし、だが何も喋っていないノエルの存在感がなぜか急激に増したので、ちらりと横目でノエルを見る。
「…………」
「…………」
目は口ほどに物を言うと言うが、むしろ開きっぱなしになった口元(よだれ)は言葉以上に雄弁に語っていた。
ダラダラと垂れた涎がぽたぽたと音を立てて地面に落ちて染みを作る。
このまま気付かないふりをして食べるかどうか数瞬迷い、結局無言の圧力に屈した。
「ああもう、分かった! そんなに食いたければ先に半分食えばいいだろ!」
約束こそしていないものの、作業に集中するために実質あげると言ってしまったわけだし。
「で、でも、それはチェスターのだからだめなの……。チェスター、いっぱいたべて元気にならないと……」
「…………だったらその手は何だ?」
そして口では駄目だと言いながらも、体は正直だった。
「ち、ちがうよ? こ、これはその、あ、あれだよ!」
「どれだよ」
「そ、そう! チェスターがみちにおちたもの食べておなかいたくならないように、あたしがかわりに食べるの!」
「こんな短時間でなってたまるか! しかもお前の場合、絶対毒味とか言って全部食うのが見えてんだよ!」
「そんなことしないもん!」
頬を膨らませるが、ノエルの事だから信用など出来るはずもない。だが――
「薪運びを手伝った分と、待てが出来た褒美だ。だから半分なら遠慮せずに食ってもいい。ただし、これも秘密だからな」
「あ……うん! チェスターありがとう!」
ノエルを大人しくさせるための方便とはいえ、一応約束した身だから仕方がない。
そう言って差し出した木の棒を受け取り、ノエルが勢いよく魚にかぶりつく。……尻尾から。
「…………え?」
「おいしー! チェスター、このさかなさんおいしー!」
「お、おう……」
ノエルははしゃぎまわっているが、正直こっちはそれどころじゃない。
え、なに? いや、半分っつったら、普通片側半分だよな。何この子勢いよく尻尾からかぶりついてるんだ? などと、呆気にとられていたせいで、半分以上ノエルが食べた所でようやく正気に戻った。
「ちょ、ストップ、待て! お前もうそれ半分以上食ってるじゃないか!」
「あ、うう……ごめんなさい」
「いや、まあそれはいいんだが……」
正直良くないが、こうなる事を予測しておきながら止められなかった俺にも責任はある。
まあ頭まで食べつくしてしまいそうなほどのノエルの勢いに呑まれたせいなので、そういう点でも何とも言えないが。
とにかく、これ以上持たせておくわけにはいかないと、半ば奪うようにノエルから魚を受け取り、さっそく食らいつく。
釣りたての魚は一切の臭みがなく、あっさりとしているが旨かった。正直、シンプルな塩焼きの魚が、現世で食べたどの魚よりも旨いのだ。
そして幸いな事に、まだ幼いこの体は半分でもそれなりにお腹は膨れるというのも大きい。なんせそれなりに育った時に満足いくまで食べるなら、このサイズでは何匹もとらなければならない。が、さすがにまだ釣りに不慣れな自分では、毎日安定して何匹も確保できるかどうかは怪しい所だからだ。
いずれは肉も狩れるようにならなければいけないが、今はこれでも充分に満足だった。幼虫などと魚のえさにしかならないような物を、どうして人間様が食べなければならないのか。これこそが人間の食事、文化人としての食べ物である。
初めて味の面でも満足のいくだけの獲物をとって肉体的、精神的空腹を満たす事ができた。
ああ、生きてるってすばらしい。
しみじみと余韻に浸りながら、いつになく穏やかな気持ちで川の流れを見ていた。
「チェスター、もういいでしょ。あそぼーよ!」
だと言うのに、それを邪魔するのは毎度お馴染になったノエルだ。
ほんと、情緒を知らない奴はこれだから困る。
腕を抱え込むように引っ張られた事で余韻がぶち壊される。
普通気絶した奴をこうもすぐに運動させるかと言いたくはなったが、これも約束だ。それに今の満足している俺なら、この馬鹿に付き合ってやるのも吝かではない。
まったく、元来人間なんて肉体的、精神的に満たされれば余裕が生まれるはずなのだ。願う事ならこいつももう少し余裕という言葉を知ってほしいものだが、食いしん坊には困ったものだ。
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