第3話ワン娘2



ドンッ、とノックもなしに勢いよく家の扉が空き、すわ敵襲かと警戒したのも無理はないだろう。



「チェスター、あそぼー!!」



なにせ事実敵襲だった。

太陽が顔を覗かせたばかりの時刻、相手の迷惑も何も考えず、ただ勢いそのまま家中に響く声で叫ばれたのだからこれを敵襲と言わずなんと呼ぶ。

ただでさえ狭い家なのだから、そんなに叫ばずとも聞こえると言うのに。

前世ならまだ眠ってる時間だし、今でさえ恐らくどの家庭もちょうど朝食の時間のはず。だと言うのにこんなに早く来たという事は、嫌がらせであり敵襲以外の何物でもあるまい。



「あら、ノエルちゃんおはよう。朝ごはんは食べてきたのかい?」

「うん、いっぱいたべた! それもはやく!」



どうやらそういう事らしい。

息を弾ませ、上気した頬を見れば、ここまで急いできたのであろう事くらいは察せられる。

よくもまあ横腹が痛くならないものだ。



「ほら、アンタもさっさと食べて行きな! ノエルちゃんを待たせるんじゃないよ」

「約束も何もなくいきなり襲撃しかけといて、待たせるも何も。しかもこんな時間に……」



などと不満気な表情とぼやきを目ざとく見抜いた母親から鋭い眼光が送られ、ささやかな抵抗は当のノエルに届く前に撃沈される。

最後に残った一欠片のパンとスープを同時に口に入れ、ほとんど噛まずに呑み込む。村の外には出るんじゃないわよー、と言う声を背にすごすごと家を出る俺とは正反対。トボトボ歩く俺を急かすように、何が楽しいのか満面の笑みを浮かべたノエルが俺の手を引っ張る。

少しの間は引っ張られるままだったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

家から充分に離れた所で気を取り直し、ノエルを撒くためにまずは会話で攻める。



「つーかなんで俺と遊ぶんだ?」

「だってあたしおねーちゃん!」

「…………」



どうやら姉としての使命に目覚めたらしい。

本当に余計な事を……。



「俺はにーちゃん達と遊ぶから、お前は入ってくんなよ」



そんな予定はないが、一人になれるなら何だっていい。

とりあえず適当な嘘でもつけば問題ないだろう。



「だったらあたしも入れて!」

「やだよ、男だけの遊びなんだ」

「もう、チェスターわがまま言っちゃメだよ!」

「わがままなのはお前の方だ!」

「ちがうよ! あたしのゆーこと聞かないチェスターのほーがわがままなの!」

「…………はあ」



ああもう、これだから子供は嫌いなんだ。

我が儘で自分が世界の中心で、だから空気を読まない。そして理屈も通じないのだから、本当にどうしようもないのだ。



「そもそも何して遊ぶんだよ」

「えーとね……おままごと! あたし、おひめさまがいい! チェスターは……とくべつにおーじさまね!」

「嫌だ。一人でやってろ」



この歳でままごとなんてやってられるか。

と言うより、この歳でこんな子供と同レベルの遊びなんて精神的な面で出来るわけがない。



「チェスターはおとーとなんだから、あたしの言うこときかなきゃダメなの!」

「姉なら弟の言う事くらい聞く度量があってもいいと思うけど?」

「やった! チェスターがはじめておねーちゃんってってくれた!」

「違うそこじゃない! しかも皮肉だ!」



皮肉が通じない。

さすがに三歳児には高度過ぎたのだと反省しつつも、即座に否定する。



「それじゃあチェスターはなにがしたいの? おねーちゃんが聞いてあげる!」



ぺったんこの胸を逸らし、得意げな表情を浮かべるノエルだが、さっきから会話が成立してそうで成立してない気がするのは俺の気のせいか。



「そもそもお姉ちゃんって1日早いだけだろ。子供は黙ってろ」

「もう、チェスターのほーがこどものくせに!」

「俺の方が年上……じゃない。俺の方が頭いいんだから、俺の方が上だ。俺に構ってないで、さっさと他の奴らと遊んでこい」

「むぅ、チェスターはおとーとのくせになまいき!」

「ああもうそれでいいから、さっさとそんな生意気な俺なんて放っておいて、従順そうな俺以外の奴と遊べ」

「もう、なんでチェスターはあたしとあそぶのがヤなの?」



ノエルは頬を膨らませながら不満気に言う。

何が何でも俺と遊びたいのか、困ったことにこの様子だとどこまでもしつこく付きまとわれる事になりそうだった。だからこそ、ここで上手く対処すればこれを最後にも出来るだろう。

だから尤もらしく、そして一定の本音を混ぜて言う。



「俺は冒険者になるんだから、こんな所で時間を無駄になんか出来るか。一人でやる事あるから、お前はあっち行け」



まだ三年しかこの世界で生きていないとは言え、この世界に魔物がいる事も、それを退治する事を職業にしている冒険者という存在がいる事も知っている。

そして実力至上主義の冒険者こそが、平民が成り上がれる、例外的とも言えるほどに数少ない手段だということも。


そのための嘘であり、本音だった。


別にそこまでして冒険者になりたいわけではない。せいぜい進路候補の第三希望といったところだ。

だが第一、第二希望はなれる可能性が限りなく低いので、現実的な妥協の結果だ。

ただ農民のように搾取されるだけの、土地に縛られる生活は嫌だった。領主の決定に振り回され、最悪飢え死にする可能性もある。



数が多いという事は最悪、幾らでも代えが利くと思われる危険性を孕んでいる。自分にとっての唯一が、他人にとっての唯一とは限らないのだから。

幸い、ここの領主は他と比較して善政を布いていると聞くが、この先どうなるか分かったもんじゃない。



反対に、そんな事のない自由な生き方には多少なりとも憧れがある。

せっかく剣と魔法の世界に生まれたのだ。それを体験してみたいという思いはある。それに何よりこの世界では、法も大して整備されていなければ科学技術で僅かな手掛かりから犯人が捕まるような事もないこの世界では、往々にして力が物を言う。



突発的に起こった事件で死ぬ可能性や、不安定な社会情勢に巻き込まれる可能性等、考えればキリがない。

自分の命を見ず知らずの他人に預けるだなんて真似、他に選択肢がないならばまだしもそうでなければ、正気ならば到底出来ないだろう。

他人より可愛いのが自分であり、最後に頼れるのも自分自身。

だからこそ、自衛のために強くならなければならない。

権力は、生まれこそが大きく左右するから諦めざるを得ない。

何せ両親は見た目も能力も平凡そのもの。駆け落ちして今は平民だがその身には貴族の血が流れている、なんて事もないだろう。



知力では、あるに越した事はないがいざという時に頼りにならない。

少なくとも、漫画や映画に出てくる天才詐欺師のように降って湧いたピンチに対して口先だけで切り抜けられるほどの才能もなければ、天才軍師のように未来予知に匹敵する先見性もない。まして言葉も通じない魔物相手にはあまりにも頼りない。

だからこそ最低限の強さは、己の身を守る程度の武力を身につけるべきだ。

自然災害のように突如襲いかかる魔物の暴力から生き残るためにも、それなりの強さは必要だった。



幸い、前世の記憶があると言う事は、少なくとも子どもながらの無鉄砲さや無謀さとは無縁でいられる。更には幼いころから合理的な訓練も積める。

俺自身は弱いし、臆病だ。だけど、それでいい。真っ先に死ぬのが勇者の役目ならば、俺は臆病者として生き残る。



だからこその訓練。

唯一暇で、自由時間が幾らでもある幼いうちから将来を見据えて動く。まして幼いうちの方が成長速度も早いし、相対的にも有利に働く。

今は合理的に、かつ安全に自身のレベル上げをする段階なのだ。



「だったらあたしもぼーけんしゃになる!」



と、ほとんど反射的にノエルも答える。

その意味も良く分かっていないのだろう。

命懸けの世界に入ると宣言しているのに、その顔は能天気な笑顔のままだ。

どうせ子供の言う事だ。すぐに単調で辛い訓練なんて飽きるだろうが、それでもその訓練とて危険が付きまとうし、何より自分ばかりに構っていてはノエルも村の中で孤立する。

今からなら遅くはない。

この子くらい天真爛漫であればどこのグループでも上手く溶け込めるはずだ。そう、この子の将来のためにも、ここは拒まないといけないのだ。

そう、決して、面倒を見るのがめんどいからじゃない。



「いいか、世の中にはハングリー精神ってのがあってだな……」

「はんぐりいせーしん?」



不思議そうに首をかしげる姿を見て、そんな難しい事なんて理解出来るわけがないと思い至る。

どうせこれが最後だ。

餞別がてら、もう少しくらいは付き合ってやる事にしよう。



「毎日腹減らしてる人間の方が、腹いっぱい食って満ち足りてる人間よりも上昇志向が強いって事だ。これが転じて、俺はいずれ有名な冒険者になって腹いっぱい食べれるような満ち足りた生活を送ってやる、っていう目標を達成するための強い原動力になるんだよ」



冒険者を目指すと言うのは、現代で言えば誰もが憧れるプロスポーツ選手になりたいという年相応の少年を演じるための方便。最低限の自衛能力を鍛えるために剣を振り、魔法を鍛える事を怪しまれないよう、ただそれだけを念頭に置いた嘘だ。

言い換えれば女であり、それも人気者の素質のあるノエルは将来こんな方向に進むべきではないだろう。

そう、だからこの説得は、決して自分の為ではなくノエルの為なのだ。



「はらぺこはーと……」

「違う……いや、違わなくもないが、何か違う!」



なんだその聞けば脱力してしまうような言葉は。

意味は一緒のはずなのだが、勇ましさやら反骨精神溢れる格好良さやらその他諸々が残念な感じになってしまうだろう。



「もういい。とにかく、お前みたいな恵まれている村長の子供は向いてないんだ。だからやめとけ」

「おなかすいてるの? チェスターかわいそう……」

「……なあ、はなし通じてるか?」

「あ、そうだ! おうちからパンをもってきてあげる! だからいっしょにあそぼうよ!」

「そうじゃねえよ!」



通じてなかった。

むしろここまでくれば、言葉さえ通じていないのではないかと不安にさせる程に通じていない。

いや、もらえるならパンはほしいけど……。



「ちゃんと人のはなし聞けよ、つーかなんでそうなる。いや、まあ腹は減ってるには減ってるけど、とにかくなんか違う……」


この少女には方便なんて元から必要なく、適当にごまかした方が良い結果になりそうだ。


「もういい、とにかく俺は忙しいんだ。お前あっち行けよ」



あくまでノエルのためにも、自分に関わるよりは他の人間と関わった方がいいだろう。

俺は俺自身のためにしか動くつもりはないし、いずれはこの村を出て行く人間だ。

一応最低限、同年代の人間と遊ぶこともあるだろうが、それだってカモフラージュ兼、基礎体力の向上を目当てとしたものだ。

やはり大部分は一人で活動する方がやりやすい。

一人でなければ怪しまれるような事もたくさんするつもりなのだから、どうあっても関わらせるつもりはないのだ。



「ヤ!」

「…………は?」



だからこれだけ言った後でこんな答えが返ってくるとは思わず、つい間の抜けた声が漏れてしまう。

しかしいつまでも呆けてはいられない。すぐさま気を取り直し、説得にかかる。



「あのな……言っただろう。俺は一人が良いし、お前と関わるつもりはない。だからお前も俺に関わるな。ほら、ちゃんと構ってくれる他の奴らと遊んだほうがお前も楽しいだろ?」

「やだ!」

「だからなんでそんなに俺に関わるんだ……」

「だっておなかもすいてるのに一人ぼっちって、チェスターもっとかわいそう……」

「もっとかわいそうって……」



三歳児如きに憐れまれた。

それもこんな頭の残念そうな奴に。

これは望んでやっていることだし、そんな同情は筋違いというものだ。それに何より、こんな子供を相手にしていられるほど暇じゃない。

何せ腹が減っている。つまり、生きるか死ぬかの瀬戸際であり、文明人としても死活問題なわけだ。

俺という人間の尊厳に関わる、可及的速やかに、そして確実に解決せねばならない重大な問題なのである。

どれだけ遅くとも、十歳になるまでには片を付けておきたい問題。

だと言うのに、この少女は聞く耳を持ちそうにない。恐らくどれだけ時間を掛けて説得したとしても無駄になるだろう。だったら――



「オーケー、分かった」

「ほんと!」

「ああ、お前は好きにするといい。だけど俺も好きにする」

「…………え?」



力ずくで距離を置く。ぽかんとした表情のノエルをその場に残し、脱兎のごとく逃走を開始する。

それから数瞬して、ようやく事態を把握できたのか、慌てて後を追ってくる。が、同い歳の、それも女の子に負ける程軟な鍛え方はしていない。

歩けるようになった時から、むしろはいはいの時から基礎鍛練は欠かしていないのだ。



頼りない歩幅、思い通りに動かない体であろうと、所詮はまだ鍛練を開始して間もない年齢だろうと、肉体に制限があるなら技術で。

スプリンターばりの、とまではいかないが、子供のように自分の身体の合理的な動かし方さえも知らないようなお子様に負けるはずがない。ましてスタートダッシュで差もついている。

傍から見れば五十歩百歩だろうと、そこには確かな差がついているのだ。

いや、むしろ言葉のあやだろうと、倍もの差があるんだ。これは大きい。

つまり、俺の勝利は揺るがないという事だ。



「……まってよチェスター。もう、なんできゅーにおにごっこはじめるの!」



背後から聞こえてきたのは、驚きと怒りが混ざったような声。鬼ごっこのつもりはないが、どうとでも解釈すればいいさ。

ふはははは、捕まえられるものなら捕まえてみろと、声に出す余裕はないから代わりに内心で高笑いをあげる。が、それも少しだけだった。

背後から衝撃が走り、無警戒だった体はあっけなく地面へと倒れ込む。



「えへへ、チェスターつかまえた!」



……どうやら倍もの差をつけられていたのは俺の方らしい。

うつ伏せのまま肩越しに振り返ると、満面の笑みがアップで映る。

ああ、そういえば曲がりなりにもコイツは犬だったと今更になって思い出す。どうにも狩猟本能を刺激したようで、さっきからばしばしと全力で動いている尻尾が足に当たり、獲物を上手に捕らえたから褒めて褒めてと言わんばかりに頭を差し出す。



逃げ出すつもりがなさそうなのは、もしかするととっくに鬼ごっこの事など忘れているからか。

だが、負けるはずがない勝負で負けた俺にそんな精神的余裕があるはずもない。

本人に自覚はないのだろうが、勝者の余裕ともとれるその行為には無性に腹が立ったので、大人げないと分かっていながら、そのおでこに軽めのデコピンを一発お見舞いしてやった。


「あうっ!?」


何をされたか分からないといった呆然とした表情はすぐに崩れ、じんわりと増した痛みにすぐ顔を歪める。


「……いたい」


それほど強くした覚えはないし、憂さ晴らしでやったはずなのだが、ノエルが潤んだ瞳で見てくるせいでなぜか罪悪感に襲われる。



「……なんでその程度でそこまで痛がるんだ」

「だって、チェスターがしたから……」

「ああもう、悪かったよ!」


だからその程度でしょげるな落ち込むな泣きそうになるな。

俺はそれほど悪くないはずなのに、なんかすごい悪い事した気になるから。


「あ……うん!」


頭を撫でただけで急速にいつもの明るさを取り戻すのだから、ほんと安い奴だ。


「それで、この後はどうすんだ。鬼ごっこの続きでもするのか?」

「うん!」


先程の事など完全に忘れたように振る舞うノエルは、すぐさま逃走を開始した。

さて、あれほどまでに速さに差のあったノエルをどう捕まえたものかと思案する。正直、このまま放置してやりたいのが本音だったが、先程の今にも泣きだしそうな表情が浮かびあがった。

少々迷いはしたものの、いつでも全力を出せるよう体力を温存しつつ、ノエルの追跡を開始する事にした。







結局、この日はノエルに付き合って鬼ごっことおままごとを交互に繰り返した。

だがこれは、あくまでノエルを一度たりとて捕まえる事の出来ないほどあまりにも頼りない基礎体力の向上と休憩の繰り返しであって、別にノエルに屈したわけではない事をここに宣言しておこう。

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