第44話 午前2時“女達の温戦場”

「遅くまで訓練に付き合わせてすまない月影瑠璃」

「いいのよフラウ、日々の鍛練はとっても大事だし。相手が居ると私も頑張れるから」

 真夜中のトレーニングルームから出てきた瑠璃とユングフラウは全身汗まみれだった。

 シャツを今ここで脱ぎ捨てたいくらいに、黒のタンクトップが肌に張り付きびっしょりと濡れている。


「フラウとの格闘訓練は緊張感があって負けられないって感じでやりがいがあるわ」

「そうか」

 最初の頃と比べれば進歩しているが歩駆では相手にならず、ハイジは女性相手だと本気を出してはくれないので、瑠璃はかなり不満だったのだ。


「暑い……もう冬の季節だって言うのに体が熱い」

 うっすらと体から湯気が出ている。だが、それは問題ではなく瑠璃は体の臭いが気になっていた。軍人である前に一人の女だ、こんな状態で人になど会いたくはない。そこで瑠璃はある提案をする。


「ねぇフラウ、今日は“お風呂”に行きましょう」

「フロ? そこのシャワー室でいいじゃないか……自室まで戻るのか?」

「いいえ違うわ。下の階層にね温泉施設が有るのよ。この前の戦闘で侵入者騒ぎがあった時に破壊されちゃって、それがやっと修復されたのよ」

「侵入者……」

 そのワードを聞いてユングフラウの中で何か引っ掛かる。が、何かは思い出せなかった。


「さささ、善は急げ。汗も疲れも全部洗い流しましょ?」

 行くかどうかの決定を待たずに、瑠璃はユングフラウの背中を押して目的地へと向かった。

 階段を下り、廊下を突き進むこと五分。二人は一人の少女と出会した。


「あら、マモルくん」

「ルリ姉と、キャラ被り」

「キャ……ラ? 一体何の事だ」

「ボーイッシュキャラはIDEALに二人も要らないの! ボクだってSV持ってないのに専用機、それも人型に変形する戦車なんて!」

 機嫌が悪いのかマモルは妙に突っかかる。謂れのない事にユングフラウは首をかしげた。


「自分は……ん……派遣されてきた正規のパイロットだ。貴様こそIDEALでの職務は何なんだ?」

「ボクの仕事はアルクの心と体のケアだよ!」

「カウンリング、精神科医なのか?」

「どんなカウンセラーよ?!」

 横で瑠璃が突っ込む。


「まぁまぁ二人とも、それくらいにしておきなさい。マモルくんも一緒にどう? 今から下の階のお風呂行くんだけど?」

「あー知ってる、海の底から出てきた温泉なんだよね? 行く行く!」

 何とかこの場を丸く納めて、三人は〈IDEAL大浴場〉へと入場した。



 一糸纏わぬ姿に、カエルの絵が書かれたプラスチックの桶とシャンプーやスポンジ等を持って浴室の扉を開ける。

 そこは、軍事施設の中にあるとは思えない、大きな滑り台などの遊具や様々な種類の湯がある風呂のテーマパークだった。


「うわぁー広ーい!」

 マモルの声が浴場に反響する。

 ここは二十四時間営業で何時でも利用可能な施設だが、流石に深夜一時過ぎには誰も居なかった。

 つまり、貸し切り状態なのである。


「ちょっとした遊園地ね、ここ」

 実は初めて来た瑠璃だったが、どうせならこんな深夜じゃなくてもっと時間がある内に来るんだった、と少し後悔した。


「肩凝り、腰痛、うちみ、くじき、肌荒れ……この怪しい緑色の湯に浸かれば治ると言うのか?」

「ボンタン湯やバラや牛乳の風呂、電気風呂って何だろう? 朝までに全部制覇するぞぉ!」

 ユングフラウは湯の効能が書かれた看板を凝視し、マモルもテンションが高くなり辺りを走り回っている。


「待ちなさい二人とも!」

 あっちこっち勝手に動き回る二人を瑠璃が止めに入る。風呂に入る為の重要事項をしなければダメなのだ。


「まずは先に体を洗う。それがマナーよ」


 ポチャン、と静寂の中に一滴の雫が落ちる音が響き渡る。

「はぁぁぁ生き返るぅぅ」

「…………ふぅ」

「久しぶりに……ゆっくりと広いお風呂に入れるって……いいわね」

 初めて温泉にユングフラウの顔が緩みきっている。


「そうだルリ姉ぇ聞いてよ! アルクったらね酷いんだよっ!」

 水面を手でバシャバシャと叩きながらマモルは愚痴を溢す。


「ボクの事なんか無視して、男同士で楽しくやっちゃってさぁ!」

「あの冴刃って人、物凄く馴染んじゃってるわね。ハイジの穴を埋める補充要員って話だけど……この間の戦闘で、あの博士が凄い剣幕で怒ってたけど何かあるのかしら?」

「ユングフラウは仮面の人の事をコソコソ見てるよね? パートナー訓練でも、やたら組みたがってたし。それでアルクもルリ姉と組めてデレデレしちゃって!」

「……あの人を見ると心がざわつく。何だかは分からないが、前から知ってるような知らないような」

「戦場で戦ったとかなの?」

「……どうだろう、変な気持ちになる」

「恋する乙女なのかも知れないわね」

「ふーん! 乙女なら乙女らしい部分も見せないとね! AからBになったもんね!」

 マモルは微かに膨らんだ胸を張る。しかし、二人には違いがわからなかった。


「トレーニングウェアからもチラッと見えてたけど、フラウの体も凄いわね。別の意味でだけど」

 瑠璃はユングフラウの体をまじまじと見る。

 ほとんど肉がついていない痩せた体に、とても十代前半とは思えない痛々しい傷が刻まれている。昔出会った事がある、海軍大佐が見せつけてきた傷だらけのマッチョなボディよりも多い気がした。


「白兵戦って奴? ルリ姉は比べて肌ツルツルだよねぇ」

「私はパイロット専門だから。あんまりはっきりとは筋肉ついてないけど鍛えてはいるのよ?」

「自分は捨て子で……戦場の中で拾われ育てられた。生き残る為に必死になって……戦う術を養父から学んだ。この傷はナイフや銃以外にもで、狩りで野生の動物に付けられたモノもある」

「その割りに顔は綺麗だよね、やっぱ女なんだ」

 嫌味ったらしく聞くマモルを瑠璃がコツン、と頭を小突いた。


「顔は…………何だったか、守らなければいけないんだ。養父……か、誰かにそう言われた気がする……」

 ユングフラウがか細く呟く。

 何だが空気が重かった。自分のせいだと思い罪悪感を感じたマモルは、とっさに瑠璃に話題を振る。


「ルリ姉は? 浮いた話の二つや三つ無いの?」

「私? 私はそうね……無いかな」

「この前、四日連続でルリ姉尋ねてイケメン風っぽいスーツの人来てたけど。月影殿ー! って叫んでた、あの人がトヨトミインダストリーの専務?」

 織田龍馬である。その彼の来訪を瑠璃は全くの初耳で鳥肌が立った。


「ちょっと複雑なのよねぇ。命の恩人レベルの事をしてくれてるのは感謝してるけど、それと恋心を一緒にしていいのかと思うわけよ? ぶっちゃけ言えば、自衛隊時代からずっとストーカーしてたのよ? 恩人補正があってもプラマイゼロだわ」

「……では、ハイジ・アーデルハイドは……どうなのだ?」

 以外にも恋愛話にユングフラウが話に入ってきた。


「彼はだって恋人が居る者。居なくてもちょっとパスかな? 何て言うか雰囲気がチャラい」

「ヤマダ」

「絶対にノー」

「あ、アルクはダメだかんね!?」

「大丈夫よ。私にとって歩駆くんは弟みたいな物だから」

 この事を歩駆が聞いたらショックを受けるだろう。


「IDEALの中には居ないかな。そもそも今は彼氏が欲しいとは思わないし」

 その後も少女達の恋愛トークは長々と続いた。

 理想の男性はどういう人物だとか、デートに連れていって貰うなら何処だとか、何十分も湯に浸かって喋り倒す二人を尻目に、長時間も風呂に浸かる習慣のないユングフラウにとって、ここらが我慢の限界だった。


「………………ぷぅ」

「あら大変! フラウちゃんが茹でダコになっちゃう!」

「……だ、だいじょあぶだ。これくらい……サバクに一週間もほーりだされたときとっくくらべれはぁ……ふひ」

 呂律の回らない口調で不気味な笑みをユングフラウは浮かべる。


「我慢のない奴だ、その傷は飾りか!?」

「マモルくん! ……もうほら、一度出なさい? 入り口の扇風機の所へ」

「じぶ、じぶんでいけれるよ……たてるたてる、いけるいける」

 フラフラとした危険な足取りで歩き出すユングフラウだったが、


「フラウ、足ー!」

「はえ?」

 豪快に滑ったユングフラウは弧を描きながら中を舞う。その傍らで一緒に白い固まりも飛んでいった。


「ミルキー石鹸、いい石鹸……」

「大丈夫、フラウ!?」

 瑠璃は大の字になって倒れるユングフラウに駆け寄る。目をカッと見開き、真っ直ぐ天井を見つめていた。


「フラウ? ねぇ、生きてる?」

 その問いに答えたのか視線だけをこちらに向けるユングフラウに、一瞬だけ瑠璃は恐怖した。


「……あぁ……大丈夫だ」

 さっきまでの“のぼせ”でフワフワしていた時と別人の様な顔をしている。

 ユングフラウは手を貸そうとする瑠璃を無視して立ち上がり、何事も無かった様な表情で出口へと向かっていった。


「本当に、大丈夫かしら」

「ダイジョブっしょ? あんだけ傷まみれなのに、風呂で滑って転んで死んだとかアホらしい……それより」

 瑠璃の背後からゆっくり近付いたマモルは、両手で胸を思いっきり鷲掴んだ。


「ひゃん!」

 むにむにと容赦なく何度も揉まれながら瑠璃は場所を強制的に移動させられていく。


「まだまだ他に沢山あるんだし、色んな風呂に入ろうよぉ! ほら、あれ入ってみて? 電気風呂に。さぁさぁレディファースト、年上順!」

「えっ? ちょ、まっ? 待って、ね? 心の準備が……あっいや! 止めて、駄目……だめぇぇぇーっ!」


 ざっはぁぁーん!

 びりり。

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