第27話
セロシアが復帰して数日。ヘイムダルは無表情の裏で空気の違いを感じていた。
彼女の様子がおかしい。
以前から機嫌の悪い時はあったが、今は重いと言える。現に二人して門の見張りをしているのに会話がない。
前から少ないが、セロシアが一方的に話すことさえない。変だ。
ちらりと横目で彼女を見れば、セロシアは自分と同じ無表情でビフレストを見ている。
最初は尾行していたことに怒っているのかと思ったが違うようだ。責任感はあるようだから、倒れたことに憤りを感じているのかと聞いたが、それも違うらしい。
そうやって削除していくと、残るのは一つ。
(まだ、怒りと憎しみを感じているんだな)
自分達を殺した者へ。そして自分自身へ。
倒れた時、セロシアは魘されながら何度もセルリアに謝っていた。『守れなくてごめん』と。何かしらのトラウマなのだろう。
それがミッドガルドヘ行き、己の死をもう一度体験させられたことで、濃くなってしまったらしい。
(どうしたものか……)
復讐などによる晴らし方は推奨できない。特に、あの時ロキが言った『まさか』が真実であるならば余計にだ。
知らず、最近多くなってきている溜息をついた時、いきなり肩を叩かれた。
「暗いですね、ここ」
まったく注意していなかったこと。そして目に痛い赤マントいきなり飛び込んできたことに、ヘイムダルは顔をしかめた。なぜ彼がこのような所に来るのか。
「どうしたんですか? ヘイムダル様……って、バルドル様……」
「お久しぶりです、セロシア嬢。元気になられて良かった!」
バッと腕を広げて抱きつこうとした彼を、セロシアは真っ青な顔で避けた。そのまま素早く門の内側に入り――
「お、お茶菓子取ってきます!」
逃げた。
「あはは、逃げられてしまいましたね」
朗らかに笑うバルドル。愛情表現過剰の彼だが、実は時々計算しているのでは、と思う。
「何をしにここへ?」
バルドルは行事や会議など、必要がない限りほとんど住まいから外へ出ない。出たとしても、ビフレストの所に来るなど珍しすぎる。
「いえ。光の神ゆえに、闇が気になりまして」
笑って言うが、その台詞にヘイムダルは目を見開いた。
「特にセロシア嬢は、それが大きく表に出てますからね。どうにも気がかりで」
光の神と謳われる彼。その逆の闇や負の感情には敏感に反応してしまうらしい。
「セロシアに、何か言いに来たのか?」
「まさか。僕には彼女に言えることはありません。その資格がない」
ヘイムダルは眉を寄せる。彼とて神。しかも主神の直系に当たる者であり調停者だ。頭も良く、人の説得もうまかったはずなのだが。
「僕は、戦争、争い。そういったものが得意ではないし、嫌いです。だから昔、戦場に行っても逃げ回ってばかりいました。覚えているでしょう? 戦いに関して、これでもかというほど才能がない」
苦笑する彼の顔は、どこか愁いを含んでいる。これが彼のコンプレックスなのかもしれない。戦神と謳われる父を持つ息子の。
「僕は貴方のように、誰かを傷つけたことに対する空虚さを知らない。傷つけたことがないから、知らないんです。セロシア嬢に言えることがない。誰かを傷つけることを『いけない』と否定はできても、彼女の行動によって、何がおかしくなるのかを言ってあげられない。それは貴方の役目だ」
「俺とあいつでは違うだろう」
「事の大きさ、内容は違っても、根底は同じではありませんか?」
バルドルの声を聞きながら、ヘイムダルはビフレストを見つめ続けた。
セロシアに言えることがあるのか? 彼女のためになるようなことが、果てして自分に言えるだろうか?
「誰かを傷つけた時、傷つけられた方だけでなく、傷つけた方にも苦しみがあること。貴方はそれを伝えられるはずです。曙光の神と言われながら、黒き髪と服を着る貴方なら」
「髪はロキのせいだ。あいつが悪戯で黒くしただけで……」
「でも元に戻そうとはしていない。それに黒い服を選んでいるのは貴方自身でしょう?」
確かに、気の遠くなるほど昔。ヘイムダルの髪はバルドルのような銀だったし、服も白系統を着ていた。二つ名にあやかってというわけではない。ただそれが当たり前だった。
しかし、ある時を境にヘイムダルは黒服だけを着るようになった。髪もロキの悪戯で黒くなったが、戻す素振りさえ見せていない。
「喪服、ですよね。自分が殺した者達に対する……」
例えばそれは人間だったり、敵である巨人だったり、同じ神でもある。
長い時間の中で幾度か起こった戦争。その戦場で出会い、戦わざるを得なくて殺した者達への追悼の服。
戦って殺すことを、最初は当たり前の行動だと思っていた。逆らい、反抗し、刃を向ける者を返り討ちにして何が悪いのかと。
いつからだっただろうか。誰かを殺せば、その仲間や家族に新たな憎しみを向けられると気づいたのは。傷つければ傷つけるほど、争いの火種を蒔いていると知ったのは。
そして今も。戦場の空虚さを知った今も。ラグナロクという争いが起これば、自分は開始を告げる役目を担っている。
皮肉なものだ、と思った。
「気づかせてあげてください。セロシア嬢は暗い顔よりも笑っている方がいい。それこそ、光のように」
最後にそう言ったバルドルの顔は、とても優しく、光の神にふさわしい温かさだった。
彼が去っても、ヘイムダルはしばらくビフレストを眺め続けた。
セロシアが簡単に言うことを聞くとは思わない。それに、自分で気づかなければ意味もないと思う。だが、後悔してから気づくよりは、傷を受けてから気づくよりは、とも思う。
(きっかけぐらいは、必要だな)
上手くいくかどうかも定かではないが、今回は少しばかり動くとしよう。そのためにまず、彼女の憎しみや怒りの原因である真実が知りたかった。
ヘイムダルは鳥を呼び、セロシアに屋敷の仕事をしておくよう伝言を頼む。自身は槍を立てかけ、門の中へと入っていった。
向かうのはヴァラスキャルヴ。全てを見通す椅子に座る彼ならば知っているだろう。
双子の、死の事実を。
※ ※ ※ ※ ※
二人の神がいずれここに来ることは予想していた。問われる内容も予想通りだった。しかし、何も同じ日の同時刻に来なくてもいいじゃないか、とオーディンは思う。
笑顔で『さっさと吐け』と脅すロキ。無表情で『早くしてください』と威圧するヘイムダル。この二人は気が合うのか合わないのかさっぱりだ。
「あのさオーディン。何も彼女達の過去を洗いざらい言え、なんて言ってないよ。そんな本人の許可もとらずに失礼なことはしないって。ただ、一つのことを教えて欲しいだけだ」
「問題の種になるようなことは、言いたくないんだがのぉ」
「問題を回避するためでもあります」
オーディンとて、この二人相手に嘘はつけないと思っている。
何せ思考の回転が速いロキに、普段の様子からは分からないが、頭の切れるヘイムダルだ。ちょっとした振る舞いからでも嘘を見抜くだろう。
しかし真実を言って、アースガルドやミッドガルドで問題を起こされるのも嫌だ。この場合起こすのはあの双子の姉妹だろうが。他の神界と折り合いが悪くなっても困る。
オーディンが考え込む間も、笑顔と無表情はどんどん濃くなる。
しばしの間があり、仕方ないと息をついた。
このままにらめっこなど到底耐えられない。問題が起こる可能性もあるが、いい方向に進む可能性もある。
(賭けてみるか)
ロキが彼女を受け入れていく分、ラグナロクの可能性が減る。ヘイムダルが誰かを受け入れる分、もしもの時にロキに対抗する力が強くなる。
もちろん、誰かを大切にするということ自体、この二人にとっていい傾向だ。ふらふらしていたロキと、頑なに他者を拒んでいたヘイムダルだから。
「よかろう。話してやる。あの双子の死の真相を」
オーディンは、主神である意識と、どこか息子の行く末を見守る父親のような意識を持って話し始めた。
どれほど残酷でも、逃れようなく、変えようのない、真実を。
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