第15話

 双子の姉セルリアは、男性恐怖症のせいもあるのか、どこか人見知りするタイプだった。

 友達が少ないとか、上手く喋れないわけではない。ただ、人に自分から話しかけることは少なく、心を許す人間もあまり作らない。


 セロシアはそんなセルリアが人と対するための窓口であり、防波堤だった。セルリアとは逆に社交的だった自分がそうなるのは自然の流れでもあったし、望んだことでもあった。

 セルリアを守るために、セルリアが傷つかないために、彼女に近づく者を見極める。

 自分を温かく包み込んでくれるのがセルリアの役目なら、彼女を何者からも守るのが自分の役目だと心から思っていた。


 そうするのだと、あの日決めた。だが――


「どうして、あいつを受け入れるの……」

「え? 今何て……」


 ロキは危険な人物かもしれないと教えてもらった。傍にいれば、いつかセルリアが傷つくかもしれない。そう思ったから、『主を変えてもらえば』と言ったのだ。

 それなのに、セルリアはロキを庇った。十年以上ずっと傍らにいたセロシアではなく、たった一週間しか一緒にいないロキを庇い、信じている。受け入れ始めている。


 悔しかった。セルリアの苦手な男なのに。会って間もないくせに。セルリアをずっと守ってきたのも、セルリアの隣にいるのも、自分の特権だったはずなのに。


(どうして、あんな奴がっ)


 唇を噛み締めると同時に、胸中に渦巻く怒りと悔しさも噛み締め、飲み込んだ。

 覗き込んでくるセルリアに悟られてはいけない。今の顔を見られたら、嫌われるかもしれない。


 セロシアは自分の感情を抑えることに必死だった。だからだろう。いつもなら気づくセルリアに忍び寄る者の気配に、その時はまったく反応できなかった。


「貴女方が、新しく神人になられたお嬢さん達ですね」


 セロシアがその人物に気づいたのは、声をかけられた瞬間だった。そして、どういう人物か見る前に、セルリアの肩に置かれた手と、彼女の強張った顔にまずいと悟る。

 柔らかな声と対照的に、多少角ばった手は男のものだ。セルリアの苦手な男。それが彼女に触れている。


「セル……ッ」

「その娘から離れろ、バルドル!」


 セロシアが慌ててセルリアの手を握り引き寄せようとしたその瞬間、後方から緊迫した声が届いた。同時に、パチンという軽い音が鳴り、肩に置かれていた手に炎が灯る。


「熱っ!」


 男が慌てて手をどけた隙をつき、セロシアは姉の手を引っ張った。抵抗なくもたれかかってきたセルリアは、苦しそうに眉根を顰め、ヒュッ、ヒュッ、と不規則な呼吸をする。

 膝は力が入らないのか、くず折れた。


「セルリア? セルリア落ち着いて、あたしの呼吸に合わせて!」


 頭を抱え込み、セルリアの耳の近くで深呼吸をする。最初こそ無理やりに空気を吸っているようだったセルリアは、セロシアの胸の上下と呼吸を合わせ次第に落ち着いていった。


「だい、じょうぶ。もう大丈夫よ、セロシア」


 セロシアの服を握っていた指に力が入り、セルリアはそっと顔を上げて微笑みを作る。それを見て、セロシアもようやく安堵の息をつくことができた。

 そして、セルリアを苦しめた原因を視界に収める。


「驚かせないでくださいよ、ロキ」

「それはこっちの台詞だよ、バルドル」


 ピリピリした空気が伝わってくる。いつのまにか、ロキがこちらを背後に庇う形で立ちはだかっていた。きっと彼の前にいるのが肩に手を置いた男だ。

 とにかく、一睨みしてやれ、と思ったセロシアは、セルリアを抱えたまま身を乗り出し、固まった。セルリアもまた、ポカンと口をまん丸に開けている。


「あ、大丈夫ですか? セルリア嬢」


 言いながら近づいてくる赤人間。いや赤神。

 そう、現れた神様は真っ赤だった。

 血濡れだとか、ペンキを頭から被っているわけではない。顔立ちはロキに負けず劣らずで、ロキとは真逆の白に近い銀髪。ヘイムダルより青がかった銀の瞳。そして透けるような白い肌。

 柔和な微笑を浮かべる彼は貴公子のようだけれど、どうにも赤い服に目がいく。


「コラ。近づかないの」

「どうしてですか? せっかく仲良くなろうと思ったのに」

「さっきの見て分からない? 彼女は男性恐怖症なの。男は近づけないの。君はまるで女の子みたいだけど間違いなく男だからセルリアにショック症状が起こるの。理解した?」


 笑っているのに、どこかギリギリの表情をしたロキが彼を止める。その止め方が襟首を掴んだものだから、一見苦しそうなのだが、赤神は笑顔のまま続けた。


「そうですね。初めて会った時に、貴方が勘違いでナンパしてきたぐらい僕は女顔ですね」

「そんないつのことかも分からないような話を掘り返すな! っていうか僕の言葉をちゃんと聞いてたのかい!?」

「確か春を告げる鳥が二度鳴いた頃でした」

「バ~ル~ド~ル~」


 バルドルという名の神様は、ロキの怒りも何のその。軽やかな笑顔で切り替えしつつ、こちらに手まで振っていた。

 ロキの登場と、奇抜な全身真っ赤な服装。それらで怒るタイミングを逸したセロシアは、バルドルを近づけさせまいとしているロキの背を睨んだ。


(アンタがいなくたって、あたしがセルリアを守るわよっ)


 セルリアの背を抱きしめ、唇を噛む。

 セルリアの盾になるのも、剣になるのも、この男であってはならない。

 役目をとられてしまったら、自分は何のためにセルリアの隣にいるのか。

 抱きしめる力と目線が更に鋭くなった時、フッとセロシアの後ろから大きな影が現れた。


「そんな睨まねぇでやってくれ。バルドルも悪気はねぇんだ」


 聞こえた声に後ろを見る。こちらにも赤い神様がいた。だがさっきのように全身赤神ではない。

 夕日色に近い赤い髪と髭。そして優しい目をした筋肉質な神様。見た目年齢は三十代後半ぐらいだろうか。とてもワイルドな顔つきの男性だった。


「えっと……」


 ロキを睨んでいるのを、バルドルに怒っていると勘違いされたらしい。言葉に詰まるセロシアに、彼は苦笑しながら片手に持った麦酒を呷った。


「ああ、悪い。俺はトールってんだ。ロキのダチをやってる。んで、あっちの赤いのがバルドル。同じオーディンの息子だがあっちが本筋だ。俺は雷神。バルドルは調停神だ」

「貴方が、ロキ様の言っていたトール様」


 セルリアは、セロシアと一緒にいるせいか、比較的落ち着いて言葉を交わしていた。トールの持つ穏やかな雰囲気も一役かっているのかもしれない。

 ニカッと人好きのする笑顔の彼に、セロシアも毒気を抜かれる。

 このワイルドな男と、あちらにいる美形の見本のようなバルドルが兄弟だという。しかもオーディンの息子。


(似てない!)


 セロシアはすぐにそう思ったし、セルリアも表情を見れば同じことを考えているようだ。

 そんなことを思われていると知らないトールは、セルリアの方を見るとすまなさそうに顔をしかめた。


「許してやってくれな。あいつもわざとじゃないんだ。なんてーか、バルドルはメチャクチャいい奴で、誰にでも愛情を向けちまうんだ。だから初対面でも何気なく触れちまう」


 そう言われて伺ってみれば、バルドルはあれだけの殺気を向けられているにも関わらず、朗らかな笑みでロキとやり取りしている。


「度が過ぎる天然、って感じですね」

「否定はしねぇ」


 セロシアの的確な表現を、トールは苦笑しながらも肯定した。

 ロキは未だ怒りも顕に怒鳴っている。胸倉まで掴んでいるのに誰も止めないのは、きっとこれが日常風景だからだろう。

 唯一、従者のセルリアがロキに駆け寄った。触れないものの、止めようと必死だ。

 あまりにもあっさり離れていったセルリアに、セロシアの胸に言いようのない気持ちがのしかかる。


「ロキ様、私はもう大丈夫ですから。ちょっと驚いちゃっただけですし!」

「分かってるんだけどね、こいつは毎回毎回鼻につくんだよ。だいたい何、その真っ赤!」

「失礼な、これは妻が『似合うわよ』ってお手製で作ってくれたんですよ!」

「夫婦そろっておかしいんじゃない!?」

「ロキ様、失礼ですよ!」


 三人で騒いでいる姿は、まるで当たり前の光景のように見えた。

 ロキが怒鳴り、誰かがそれに言い返し、セルリアがロキを宥める。まだ出会って一週間のはずなのに、ロキとセルリアが並ぶ姿はあまりにもしっくりとくる。

 知らず、セロシアの目は厳しい色になった。


「どうした?」

「っ! いえ……別に」


 いつの間にか傍らに来ていたヘイムダル。静かな声が、どこか探るような銀の目と共に降ってきた。なぜかその目を真っ直ぐに見返すがことができず、セロシアは俯く。


「ああもう、ここじゃ落ち着けやしない。セルリア行くよ!」

「はい?」


 セルリアがロキを見上げたその瞬間、パチンという軽い音が聞こえた。その余韻が消えるか否かの合間に、二人の姿が掻き消える


「っ、セ、セルリア!? ど、どこに」

「落ち着けって、ロキが転移魔法使っただけだ」


 トールが笑いながら言う。しかし、セロシアは笑い返せるような心境ではない。


「どこ行ったんですか!?」

「さ、さあな。それはロキに聞かねぇと……」

「そんな、久しぶりに会えたのに……」


 肩を揺さぶらんばかりの剣幕に、雷神たるトールがたじろぐ。だがセロシアは彼の様子に気づきもせず、今にも泣き出しそうな顔で二人がいた場所を見ていた。

 たった一週間。けれどセロシアにとっては長かった。それを乗り越えてようやく会えたのに、一時間も一緒にいられなかった。

 今日は歓迎会というだけではなく、セルリアに会えるからこそ楽しみにしていたのに。


「……ロキは、人気のない所へ行った」


 溜息と共に落とされた言葉に振り仰げば、ヘイムダルが遥か遠くを見ながら言う。


「人気のない所……何でそんな所に。まさか、そこでセルリアに何かする気じゃ!」

「あり得るから怖いよな」


 トールのダメ押しにセロシアは青ざめる。

 ロキは見た目は綺麗だが、どこか心の内を読ませない不可思議な部分があった。いいのか悪いのか、曖昧すぎて判断がつかない印象を受けたのだ。

 顔をこわばらせるセロシアを前にして、ヘイムダルはトールを一睨みしていた。余計なことを言うなと言いたいらしい。そしてセロシアに視線を移し、ポツリと呟く。


「まだセルリアの指が震えていた」

「え……?」

「瞳にも恐れが残っていた。だから、人気のない所で落ち着かせる気だろう。言っていただろ。『ここじゃ落ち着けやしない』と」

「え? じゃあ私のせいでセルリア嬢を連れて行かせてしまったんですね。すみません」


 バルドルが心底申し訳なさそうな顔をしてセロシアに謝る。仮にも主神の息子たる人に頭を下げられてしまっては、これ以上文句を言うことはできなかった。

 とにかく、あの得体の知れない神様はセルリアを気遣って移動したらしい。だが、安心するのと同時に、どこか釈然としない思いも浮上する。


「どうして、ヘイムダル様は、まだセルリアが震えてるって分かったんですか?」


 自分も傍にいた。胸に渦巻く悔しさに気をとられていたのも確かだが、一番彼女に近かったはずだ。それなのに、セルリアが震えていることには気づけなかった。


「ああ、こいつ目と耳はメチャクチャいいぜ。百リーグ先のもんが見えたり、草の生える音が聞こえたりするしな」


 トールが麦酒を飲みながら説明してくれる。セロシアはなけなしの知識を搾り出した。

 確か一リーグが三マイルで、一マイルが約一.六キロ。ならば百リーグというのは――


「……四八〇キロ?」


 バッとヘイムダルを見上げれば、彼は涼しい顔でこちらを見下ろしている。


「……も、もしかして、普段から無表情の裏で覗きとか盗聴なんてしてません?」

「するわけないだろう。馬鹿か」


 半眼で睨みつつ言えば即答された。セロシアは、本当に馬鹿にするような目で見るヘイムダルに詰まりながらも、彼が先程まで見ていた方向に目を凝らす。

 自分には分からないが、この直線上にセルリアがいるのだろう。


「ロキ様にもそういう能力ありますか?」

「ロキですか? 持っていませんよ。たぶんセルリア嬢をよく見てたから気づいたんでしょう。珍しくお気に入りのようですし」


 どこか嬉しそうなバルドルとは逆に、セロシアは不快感を覚えた。


(嫌だ。セルリアが、とられちゃう……)


 自分の傍から彼女がいなくなる。そんなことは耐えられない。

 ぐっと唇を噛み締めたセロシアを見て、トールはなぜか頭に手を置いてきた。


「セロシア。ヘイムダルが気晴らしにどっか連れてってくれるって」

「……トール」

「おいおい、そんな怖い声出すなって。これも主の務めだろう?」


 ホレホレッというようにトールに突かれて、ヘイムダルは踵を返す。そのまま何も言わずに歩き出してしまった。初めて会った時と同じだ。


「あ……」


 セルリアがいなくなった寂しさからか、無意識に彼に手を伸ばしてしまう。気づいたヘイムダルは、立ち止まってちらりとこちらを見やった。


「行くのなら早くしろ」

「は、はい!」


 トールに言われたからの気遣いで乗り気ではなさそうだが、それでも動いてくれることに、なぜかセロシアは嬉しく思った。


 主役の二人が消えた歓迎会。それでも宴会好きの神々は大いに盛り上がり、二組を見送ったトールとバルドルは、彼らの不器用さに苦笑しながらも小さく乾杯した。

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