第14話

 セルリア達の前に鎮座しているのは、三段もあるウェディングケーキのような物だった。一段目が苺のショートケーキ。二段目がチョコーレート。三段目はフルーツケーキだ。


「どう? 女神陣の力作よ!」

「凄いです! 食べていいですか?」


 胸を張ったフッラに、セロシアは溢れんばかりの喜びを表した。

 三種類それぞれを切り分けてもらい、口に運んだケーキは程良い甘さで美味しい。フルーツも初めて食べる物がたくさんあって、目にも口にも楽しかった。


「んふふ。こういうのって、孤児院での誕生日パーティ以来よね。美味しい~」

「本当、こんなにたくさんの飾り付けまで。嬉しいね……」


 周りにいる神々やその従者は、まるで最初から友達だったかのように気さくに話しかけてくれる。男神達には尻込みしてしまうが、それでもセルリアは嬉しかった。

 頬が緩んだまま苺を口に含んだその時、ひらりと何かが横切る。何だと思って顔を上げると、目の前に可愛らしい笑顔が咲いた。


「貴女達が新しく入った神人さん?」

「は、はい。あ、貴女は?」


 セルリアは目を丸くした。自分の顔の前にいるのは小さな女の子。ふわふわと透明な羽を使って宙に浮く妖精だ。


「元灯りの妖精のエルシーナよ。今は医療の女神、エイル様の第五従者をしてるわ」


 女神の名前を言われても、すぐに顔を思い浮かべることはできない。養成学校も、神々のことを習う前に出てきてしまったのだ。

 困惑している双子を楽しそうに見ながら、エルシーナはひらひらと周りを飛びまわる。


「ふふっ、良かった。あのロキ様とヘイムダル様の従者になった子、なんてどんなに変な子なんだろうって思ってたんだけど、すっごくいい子達みたい。仲良くしてね!」


 妖精が何年生きるのかは知らないが、彼女の口調から年上なのだと思う。セルリアは触るだけで折れてしまいそうな手に自分の指をちょん、と合わせ、『よろしくお願いします』と返した。


「あの~、ロキ様とヘイムダル様って、そんなに変わり者なんですか?」

「ちょっと、セロシア!」


 挨拶もそこそこに、いきなり聞き出したセロシア。周りの神々に聞こえないかと、セルリアは冷や冷やしながら脇を突く。

 だが、エルシーナは気を悪くした様子もなく、小さな首を傾げた。


「そっか。貴女達、一年でここに来ちゃったのよね。もしかして人間だった時に神話とか読まなかった?」


 双子は顔を見合わせて首を振った。

 時々ファッション雑誌や料理本、趣味の本を見たり、孤児院の子に絵本を読んであげたりすることはあった。だが、それ以外は主に教科書や勉強に関係する本だった。

 奨学金を取るために、二人そろって人一倍勉強をしていたからだ。

 それをエルシーナに伝えると、彼女は『なるほど』と深く頷いた。


「まあ、神話が全部真実じゃないわ。変に捻れて伝わってる話なんかもいっぱいあるし。でもそれで納得いったわ。貴女達が仲のいい双子なのに、ロキ様とヘイムダル様の従者になることを承諾したわけ」

「神話を知ってたら、承諾しなかったって言うんですか?」


 セロシアと一緒に、セルリアもまたエルシーナを訝しげな顔で見た。

 確かに、ロキの性格は問題があると思う。彼はおそらく従者である自分で遊んでいるのだ。もしかしたら、神話にもそういった面が書かれていたのかもしれない。

 しかし、それを事前に知ったからといって、彼の従者になることを拒否しただろうか。


 困ったところが多いロキ。子供っぽくて手が焼ける。だが、会ってもみないで忌避するほど嫌な感じは受けない。

 セルリアが考えていると、エルシーナはさらに双子へと顔を近づけてきた。そして、周りにいる神々には気づかれないように、小さな声で、けれどしっかりと一言一言噛み締めるように口を開く。


「神話の中でロキ様は『ラグナロク』って呼ばれる、神々の滅び……終焉を起こす方なの」

「え……?」


 一瞬、何を言われているのか理解できなかった。


「で、ヘイムダル様はそのロキ様と戦って相打ちになる」

「あい、うち……?」


 セロシアも、ただ反復するように言葉をこぼす。

 双方の主が人間界の神話で見せる一面。セルリアは目を丸くしたまま、ヘイムダルと話しているロキに顔を向けた。

 出会ってまだ一週間。知っていることなどないに等しい関係だ。それでも、あの悪戯小僧のようなロキが、お弁当をねだってくるようなロキが、この神界を滅ぼすような者には見えない。


「それ……ほんとなの?」


 考え込んでいたセルリアは、隣で聞こえた低い声にハッと意識を戻した。震える唇を噛み締めながら、妹へと目を向ける。

 コクリと、自分の唾液を飲む音が大きく聞こえた。

 夏の陽射しのような、明るく強い意志を秘めたセロシアの目。その目が、今は面影もない。エルシーナを見る彼女の目は暗く、まるで何も映していないようにさえ見える。


「セルリアの主が、ここを滅ぼすって、ほんとのことなの?」

「え、いや……あ、あくまで神話よ! さっきも言ったとおり違う部分もあるわ。ロキ様とヘイムダル様は神話の中じゃ目を合わせるのも嫌、みたいな仲だけど、実際はそうじゃないでしょっ」


 セロシアの気迫に押されたのか、エルシーナはひらりと舞い上がって口早に言った。


「と、とにかく。私が話したのは神話の中のこと! 現実と混ぜちゃダメよ!」


 そのまま人混みにまぎれていく小さな姿を、セロシアはきつく睨んでいた。鋭い視線とその暗さに、セルリアは気づかれぬようにそっと目を逸らす。

 こんなセロシアは、見たくなかった。


「セルリア、主を変えてもらった方がいいんじゃない?」


 不意に告げられた提案に、セルリアは勢いよく顔を上げる。とんでもないことを言い出した妹は、エルシーナからロキへと睨む対象を変えていた。


「な、何言い出すの。急に」


 他の神々に悟られぬよう、ぴったりと体をつけ小声で問う。

 セロシアの目をロキから自分に無理やり向けさせれば、少しだけあの暗さが薄れた気がした。入れ違いに灯ったのは、心配げな色。


「だって、神界を滅ぼすかも、なんて言われてる神様よ。それに、セルリアは元々男の人がダメじゃない。どうせならあたしと一緒にヘイムダル様の従者になろうよ。それなら一緒にいられるし、あたしが守ってあげられるもん! あ、いい考えよねこれ!」

「ちょ、ちょっと待って」

「そうと決まれば早速フッラ様に……」

「お願い、ちょっと待ってセロシア!」


 頬を挟み、セロシアの顔を固定する。予想外に強い力を出してしまったのか、彼女は少し眉をしかめたあと、きょとんと大きな目を見開いた。


「セロシア、滅ぼすとかどうとか、それは神話の中のことよ」

「でも!」


 なお言い募ろうとするセロシアの唇に指を当てて、言葉を遮る。


「ロキ様に問題がない、なんて言わないわ。会って一週間しか経ってないもの。まだ知らないことばかりだし。でも……」


 眩い金の髪に、どこかなつかしさを感じさせる青の目。均整のとれた体とその美貌は、これだけの人数がいてもすぐに目に止まる。

 セルリアは一瞬で見つけたロキを視界に収め、自然と微笑んだ。


「ロキ様は、悪い方じゃないと思う」


 彼の行動は傍迷惑で怒りを抱いた。からかわれていると知れば憤慨もした。けれど、ロキの行動に悪意らしい悪意はなぜか感じない。

 感じるのはまるで子供が遊んでいるような、楽しいことを探しているような雰囲気だ。時には、強い必死ささえ覚えさせるほどに。


 目線の先でロキが笑う。綺麗な顔が作る笑み。それを見た瞬間、セルリアは数度瞬いた。


(あ、れ?)


 変なものを、見た。

 ロキが変だ。いや、これでは語弊がある。ロキの笑い方が変だ。

 まるで自分を責めているような、置き去りにされた子供のような、そんな笑い方。

 ごしごしと目を擦ってもう一度見る。今度はいつもと変わりがなかった。


(見間違い、かな?)


 今までセルリアが見てきたロキはいつでも楽しそうで、いつも人を喰ったような言動をして、決して浮かない顔をするような性格ではなかった。むしろ彼に関った人物の方が浮かない顔をするのではないかと思う。

 きっと見間違いだろう。そう結論付けていると、ロキとヘイムダルもこちらへ向かってきていた。それを認めて、セルリアは笑顔でセロシアに向き直る。


「ねえ、セロシア。ロキ様とお話してみて。そうすればきっと、ロキ様が悪い方じゃないって分かると思うの」


 他者から話を聞いただけで、その人の全てを知ることはできない。もちろん、話をしてみてすぐに何もかも分かるというわけではないし、いいところばかりが見えるわけでもない。

 それでも、想像しているだけと実際に会って本人と話すことは違う。

 会うだけではダメだ。言葉を交わして初めてその人を垣間見ることができる、とセルリアは思っている。


 だから、セロシアにはロキと話して欲しかった。どこまでが本当で、どこからが作られたものなのか分からない神話の中でのロキではなく、今ここにいるロキを知って欲しい。


 初めて会った時、ロキは『歓迎するよ』と言ってくれた。『ここにいてもいいよ』と、そう言われた気がした。あんな風に柔らかい笑顔と声で迎えてくれた人が、エルシーナの言うような恐ろしい人物であるはずがない。


(セロシアだって、きっと分かってくれる)


 自分がこれから生きていく居場所がいいものであることを、妹にも分かって欲しい。だからセルリアは笑顔を浮かべて提案した。

 そんな姉を見て、セロシアは軽く目を見開いた。次いで、小さく唇を噛み締めたかと思うと、俯いて何事かを呟く。


「え? 今何て……」

 髪に隠された口元はよく見えなかった。ちゃんと聞こうと、セロシアを覗き込んだその時、不意に肩に誰かの手が置かれる。


「貴女方が、新しく神人になられたお嬢さん達ですね」


 それは、とても優しい声だった。例えて言うなら、春風のような暖かさ。

 けれど、肩に触れたその指はどこか角ばったもの。そして春風のようなその声も、その性別独特の低さを持ったもの。

 セルリアは一瞬にして自分の体が強張り、ヒュッと息が詰まったのを感じた。

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