第12話
一つの扉を開ける。
「ロキ様?」
いない。肩を落として隣の扉。
「ロキ様!」
ここにもいない。さらに隣の扉。
「ロキ様!?」
どんなに大きな声で言おうが返事はない。
「ロキ様ぁ!」
空しく声が木霊するだけだった。
セルリアはもう一度大きく肩を落とし、それでもめげずに次々と扉を開いていった。扉を開いたままにしておくのは無作法だが仕方がない。そうしないとこの屋敷では迷うのだ。
広すぎる、と言うわけではない。いや、もちろん貴族の屋敷のように大きい。それでも迷うような造りではないのだが――
「はぁ、ロキ様の屋敷じゃなかったら普通だっただろうな」
セルリアの主ロキは、眉目秀麗、頭脳明晰という言葉がよく似合う神だ。本当に美しい顔立ちでとても博識である。だが逆に、清廉潔白という言葉に縁がなかった。
「第一印象は良かったのに……」
そう思わずにはいられない。優しく気遣いもしてくれた。この屋敷に訪れた時も、申しわけないほど立派な部屋を用意してくれていて、その恩に報いようと決心した。
次の日、あっさり期待が裏切られるとは思わずに。
セルリアは階段を上って次の階に来たはずだった。屋敷は三階建て。だから階段を上れば必然的に次の階にいるはずだ。それなのに、目の前には先程開けっ放した扉。中を覗いてみればやっぱり先程覗いた部屋だった。
「何で元の階に戻るの?」
もう泣きたかった。
ロキは魔法の才能に秀でている。変身が得意だと言っていたが、他の部類もかなりできるようだ。
そしてこの屋敷には、彼の魔法がかかっている。何かしらの法則はあるようだが、わけの分からない所に出るのだ。この間は、ノックして入ると白熊のいる北極だった。
「『面白そうだから』で、こんなことしないで欲しいです……ロキ様、どこですかぁ?」
セルリアが脇に抱えているのは、ロキに渡すべき書類と回覧板。回覧板は今日回ってきたが、書類の日付は一週間前の物。セルリアがミスをしたのではない。ロキが逃げたのだ。
従者になった次の日、早速サインが必要な書類が来た。朝食のあとに執務室に行けば、もぬけの殻になった部屋と開け放たれた窓と下に伸びるロープ。慌てて探し回ったが見つからず、彼は昼に戻ってきた。
サインを貰おうと思えば『昼食が先』と言われ、終わったらまた逃げられ。夕食に戻ってきて同じことの繰り返し。それが一週間だ。
「絶対楽しんでる……」
食事の時の会話で、彼はセルリアがこけたとか、どこを念入りに探していたと話す。つまり今もどこかで見ているのだ。そしてセルリアが困ったり、悩んだりしているのを楽しんでいるに違いない。
この一週間で彼の印象は、『極悪非道』ではないが『悪戯小僧』に変わった。
やることなすこと全てどこか子供っぽい。しかも悪意があるというわけではなく、どうやら彼自身が楽しむのを第一に考えての行動。善悪の意識も普通より乏しいかもしれない。
「何か、小さい子相手にかくれんぼしてる感じがする」
とりあえず回覧板は執務室に置いておこう。戻ってきた時に見てもらえるはずだ。セルリアは溜息をついて執務室の扉を開けた。
「やあ、おかえりセルリア。僕はそんなに子供っぽいかい?」
「…………」
目の前に、にっこり笑顔でロデオマシーンに乗って遊ぶロキがいた。
「あれ? どうしたのさ、セルリア」
そんな声を遠くに聞きながら、セルリアはその場に崩れ落ちた。
「ロキ様……いつからこちらに?」
「朝食後すぐに」
「何で今日に限って?」
「いやぁ、君が仕事を持ってくるかと思って待ってたんだけど」
いけしゃあしゃあと言う彼に、セルリアはギッと睨みを利かせて顔を上げた。
「いつもここにはいなかったじゃないですか! だから今日は最初から隠れていそうな所を探し回ってたんですよ。二時間も!」
「やだなぁセルリア。僕だって意思はあるんだ。いつも同じ行動するわけないじゃないか」
(わざとだ。絶対にわざとだ!)
この一週間で一つの行動にセルリアを慣らさせておいて、その上でこんな風にからかおうとしていたに違いない。
「そんな風に長期の悪戯考えるなら、仕事してくださいよ……」
「え~、やだよ。楽しくないもん」
恐怖症のせいで近づけないため、回覧板は軽く放り投げる。ロキはロデオマシーンに乗ったまま見事に受け取った。
人間界にある、少々激しい動きのフィットネスマシーン。ちなみに、彼は今ちゃんとした牛の形をした物が欲しいらしい。
(最初は何でこんな物が、と思ったんだけど……慣れって怖い)
改めて周りを見渡せば、神界にあってはいけない物がいくつもこの部屋にある。
例えば、大手鳥料理チェーン店の名物おじさんの人形。日本のとある地域で太鼓を叩いている笑顔の人形。動く巨大な蟹と海老の人形。通販で売られているダイエットマシーンにマッサージチェア。最新のゲーム機とソフト。薄型テレビ。最後の二つは使えるわけではなく置いてあるだけだ。
(それに世界各地の名所の形をした置物。あれってお土産屋で売ってるやつだよね)
東京タワーとか、姫路城とか、ピラミッドとか。その中に一際大きく、セルリアも見たことがない幻想的な島の形をした物がある。先日ロキに聞いてみたところ。
『ああそれね。アトランティスの全体模型だよ。昔見たのを僕が再現したんだ』
などと伝説の名前をあっさり言ってくれた。
それからだ、ここに何が増えても驚かないようにしようと思ったのは。
「セルリア」
「は、はい!」
ぼうっと周りのガラクタ、いやロキのコレクションを見ていると、突然名を呼ばれ過剰反応してしまった。そんな素直な反応が楽しいのか、ロキはクスクスと笑っている。
いつもこうだ。何かあるとすぐ顔に出すから彼にからかわれる。
セルリアは服の裾を握って恥ずかしさに耐えた。
「明日は朝から一緒にヴァラスキャルヴに行くから。君の騎獣も準備しておいてね」
「ヴァラスキャルヴにですか? 私も?」
「行かなきゃいけないのは君の方だよ」
「でも、ロキ様も行かないといけないと思います。結局この指示をまだこなしてませんし」
そう言ってセルリアは、持っていた一週間前の書類もロキに向かって投げた。
「げっ」
目を通して、ロキの顔が引きつる。それもそのはず。書類の内容は『一週間前にロキとトールが壊したヴァラスキャルヴの修繕命令』だ。
ちなみに、『修繕費を払え』ではなく『自分で修繕しろ』というもの。
「ちょ、何で僕にまでくるのさ。壊したのはトールで、僕は彼を燃やしただけだよ」
「それもそれで酷いですけど……とにかく連帯責任だとか。トール様は火傷が治り次第、とりかかるそうです」
「神の治癒力ならもう治ってるだろうね。あ~、やっぱ僕も行かないとダメかな。あいつギャンギャンうるさいし」
トールというのは雷神トールという神のこと。オーディンの息子に当たり、ロキとは親友だという。本人は『ただつき合いが長いだけだよ』と言っていたが。
なぜこの二人に命令がくるのかというと、あの従者を迎えに来る日に大喧嘩をして壊したらしい。
「トール様をからかったりするからですよ」
「あいつが根に持ちすぎなんだよ。時間ピッタリに行けると思ったのにいきなり飛びかかってきて。しかもミョルニルなんて出すから防御に集中して、雨避けの魔法解けちゃうし。ヘイムダルはあっさり見捨てていったし」
ミョルニルという物がどういった武器かは分からない。しかしロキが防御のみに集中しなければならないというなら、その威力とトールの力はすごいのだろう。
まったく懲りていないロキもすごいが。
「しょうがない。これから行って直してくるよ。セルリア、お弁当作ってくれる?」
「はい、ご希望はありますか?」
「甘い卵焼きっていうの一回食べてみたいからそれ。あとタコウィンナーとデザートも」
ロキは食事を非常に楽しむ。セルリアが色々作れるというのもあるが、目の前に出てくる物が珍しいようだ。どこからか出した料理本を見ては作って欲しい、と注文してくる。
(そういうところは可愛いんだけどなぁ)
ちょっと待ててくださいね、と告げて台所へ向かう。廊下の窓から、庭で日向ぼっこをする騎獣が見えた。ブラックパンサーで、名を『黒曜』という。セルリアがつけた。
「あとで餌をあげなきゃ」
明日は働いてもらうから奮発しようと思い、そのまま空を見上げる。澄み切った青い空がとても眩しい。
「セロシア、どうしてるかな?」
忙しさと、破天荒なロキに振り回されて毎日目を回しているが、ふとした瞬間、彼女に会いたくなる。
以前は毎日一緒にいた自分の半身。今も自室に戻った時、朝起きた時、セロシアの声が聞こえないことに違和感を覚える。
「頑張ってるよね、きっと」
人一倍頑張りやな彼女のこと。きっと何だかんだ言いながら、きっちり仕事をしているのだと思う。もしかしたら、同じように目を回していたりするのかもしれない。
そうだといい。それでいい。慣れない仕事に目を回し、初めてのことに目を輝かせ、忙しいけれど、充実した日々を過ごしていればいい。そして、その繰り返しの中で――
「忘れてしまえばいい……」
もう人間ではないということを。死んだのだという事実を。殺されたという現実を。
そうすればいつかは消えていくだろう。彼女の中にある暗い感情も。自分のこの胸の奥深くに渦巻く感情も。いつかは。
セルリアはギュっと胸元を握り、一度大きく深呼吸した。息を吐き出すと同時に、今まで考えていたことも全て片隅に追いやる。
考えてはいけない。今は新しい生活のことだけを。それだけを思っていればいい。
セルリアはまた歩き出す。頭ではお弁当のことを無理やり考えながら。心のどこかにある、小さなしこりを無視して。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます