第7話
「うわぁ、すっごい雨」
時を追うに連れて、雨は小降りから豪雨へと姿を変えていた。
セロシアは窓を叩きつける雨を見ながら、自分の姿を見下ろす。身に着けているのは、フッラと共に衣装部屋で選んだ従者服だ。
セロシアはパンツスタイルを、セルリアはスカートを好みで選んでおり、色の使い方や模様は、人間であった時の服とは異なっている。民族衣装的、というのが一番近いだろう。
主神との謁見後、二人は小広間という所に通された。五時頃ここに主となる者が来るらしい。壁に掛けられた時計は五分前を指していた。
(神様も時計って使うんだ……いや、従者用かな?)
くだらないことを考えながら、セロシアは隣にいる双子の姉を覗き込む。
「セルリア、大丈夫?」
「う、うん……」
小さく笑いながらも、青い顔で頷くセルリア。
配属先が伝えられてから彼女は顔色が悪い。姉は雨の日もあまり好きではないからだろうが、一番はきっと自分の主となる者の性別だろう。
「あたしもセルリアも、主は男神だったわね」
「そうだね……」
先程別れたフッラに、互いの主のことを聞いてみた。その内、セロシアの主ヘイムダルは男。そして、セルリアの主『ロキ神』は『一応男神だ』という解答を得た。
俯いてたセルリアに、フッラは、
『ごめんなさいね。もう少し早く貴女の事情を知っていたら何とかしてあげられた……かもしれないわね。でも色々悪いところはあるけど、決して極悪神というわけじゃないわよ』
と慰めになるような、ならないような言葉を置いて去ってしまった。
(極悪じゃなくても、非道だったりして)
言葉は難しいものだ、とセロシアは思う。
ハァッとセルリアが重い溜息をつく。どれほど嫌でも苦手でも、これから傍にあるのは仕えるべき主。尊敬と親愛を抱かなければ解雇されてしまう。そんな葛藤がセルリアにはあるのだろう。
「セロシア、私……」
「もう、そんな暗い顔しないの! あたし会いに行くわ。もしそのロキって奴が嫌な奴だったら、あたしがぶっ飛ばしてあげる。セルリアに酷いことさせないんだから!」
「セロシアったら……」
力強く手を握って言えば、いつもと変わらないセルリアの笑顔が出てくる。
セロシアは昔からこの顔が好きだった。沈んだ時も、不安にさいなまれた時も、セルリアが笑って抱きしめてくれるとそれだけで安心できる。
その時、広間の時計が鳴った。針が指すのは約束の時刻の五時。二人していつの間に、と顔を見合わせると、時報の余韻の中カチャリと扉が開く。
「あ……」
すっ、と最小限の動作で廊下と部屋の境界を越えた男性。二十代半ばほどの外見をした彼は一瞬だけ広間を見渡し、二人を見つけるとそのまま真っ直ぐこちらへと向かって来た。
足元まで覆うマント、見え隠れする服、さらりと肩口で揺れる髪、全てが闇色で統一されていた。
その中で唯一、長い前髪の隙間から見える両目だけが銀色だ。
セロシアはその目に魅かれた。無表情な顔とは裏腹に銀の目は温かい。鉱物の色ではなく、まるで陽光が海に反射したかのような美しい色。
「あの人、確か……門の所にいた……」
セロシアは思い出す。アースガルド到着時に、雨の中微かに視界に入った人物だ。彼は双子の内、真っ直ぐセロシアだけを見ている。
「ヘイムダルだ」
低いバリトンボイスで端的に言われた自己紹介。そのまま黙った彼に、セロシアは呆然と見上げることしかできなかった。
その間もヘイムダルはセロシアの方を見ている。
妙な沈黙のまま三十秒が過ぎて――
「へ、あ、えっと、あの、はい! あ、えっと、新しい従者になりますセロシアです!」
ようやくセロシアは立ち上がりお辞儀をした。その際、椅子が後ろに吹っ飛ぶが気にしている余裕はない。
「そうか」
下げた頭の上でそう呟き、ヘイムダルは身を翻した。『何だ?』と思いきや、そのまま出口の方に向かって歩き始める。
「あ、え、ちょっと?」
お辞儀をしっぱなしだったセロシアは戸惑った。しかし、彼はその呼びかけも無視してひたすら足を動かしている。
ヘイムダルの足は間違いなく出口に向いていた。決して何かを取りにいくような素振りではない。迷いもなく、問答無用でここから去っていこう、という速さだ。
「え? え? あ、あの、えっと」
戸惑いながら出したセロシアの片手が中空で固まる。ヘイムダルの背を見、セルリアの顔を見、パクパクと指を向けて絶句するしかない。
困っているのを尻目に悠然と遠ざかっていく背中。セロシアはなぜか怒りを覚えた。
(か、神様だからって舐めんじゃないわよ!)
ガッと足を踏ん張り、セロシアは大きく息を吸う。
「ちょっと、あたしは一体どうしたらいいんですか!?」
広間に響き渡るような声で言われたヘイムダルは、振り返って軽く目を見開いた。どうやらセロシアが立ち止まったままであることに気づいたらしい。
「従者だろう? ならついてくればいい」
「それならそうと言ってくださいよ!」
「言われなくても分かるだろう」
瞬間、口元が引きつるのを自覚した。笑顔になろうと努めるが、痙攣した口元とこめかみに浮かぶ青筋が直せない。
「す、すみませんねぇ~」
頬の引きつりが大きくなる。隣にいるセルリアが気づいて、一人慌て始めていた。
セロシアが放っているのは殺気に近い怒りだ。だがヘイムダルに顔を向ければ、怪訝な表情でこちらを見ている。彼は、なぜセロシアが自分に殺気を向けているのか分からないのだろう。
「あ、あの、セロシア……と、とにかくついていった方が……」
「そうねぇ。ご主人様だもんねぇ~」
あはははは、と目は笑わないまま笑顔を作る。怒りにまかせて一発殴りたかったが、何とか自制してヘイムダルに近づいた。進むごとに殺気が増すのは仕方ないことだ。
「どうぞヨロシク」
セロシアは主の目の前で止まってそう言うが、彼は目を向けてくるだけだった。
二人の間に流れる不穏な空気に、セルリアが不安げに見守っている。セロシアはそんな姉の様子を見つけて笑顔を向けた。
「セルリア!」
「ふぇ?」
呼ばれて顔を上げるセルリアに、ビシッとVサインを突きつける。
「絶対会いに行くからね。だから、何かあったら言いなさい。あんたを守るのはあたしの役目なんだから。いいわね!」
同じ顔で、本当は自分などよりとてもしっかりしているセルリア。でも、セロシアは昔から決めていた。セルリアを守るのは、あの子の笑顔を守るのは自分だと。
セロシアがきっぱりと言い切れば、セルリアはふわりと笑って大きく頷いた。
「ロキは……」
不意に聞こえた声に、セロシアはヘイムダルを見る。彼は肩越しにセルリアに目を向け、先程と同じ無表情のまま言葉を紡いだ。
「ロキはおそらく遅れる。だがここに来ることは確かだ。待っていればいい」
「あ、はい」
セルリアの返事を確認すると、彼は再び歩き出した。慌ててセロシアもあとを追う。
広間を一歩出た時、セロシアはもう一度姉を振り返った。そして、一番大事なことを告げる。
「見つけようね。あたし達の仇」
ヘイムダルに気づかれないようとても小さな声にしたけれど、セルリアの耳には届いたようだった。目を見開く彼女に手を振り返し、セロシアは前を歩く大きな背中を見据える。
彼の従者になった。でも、仕えることは二の次だ。目的は別にある。
(セルリアを傷つける奴は、許さない)
遠くで雷鳴が鳴り出す。薄暗い廊下を歩くセロシアの目は先程の笑顔とは程遠い、仄暗い色を宿していた。
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