呪っていいカナ!

山田なんとか

一話「ポジティブ呪い系魔法少女」

 きらめく波、白い砂浜。

 穏やかに打ち寄せる潮騒、少女達の歓声。

 それだけを見ればまさに海そのもの――だが、ここはれっきとした屋内だった。

 波の向こうに見えるのは白い壁とガラス張りの広大な天窓。

 さんさんと差し込む陽光は天窓の影を砂浜に落とし、見上げると抜けるような青空と白い入道雲。初夏の陽気は気持ちよく、換気窓から吹き込む風がほどよく肌をくすぐる。

 風の強さに応じて自動で窓の開閉は調節される。どんな天気であろうと空調、光量、温度、湿度、それぞれ完璧に維持してくれる巨大施設だ。

 そして少女達の声は海辺で戯れる海水浴客のものではなく、部活動にいそしむもの。


「声出してこーっ!」

「サーブ、おねがーいっ!」


 天窓から透けて見える青空を背景に、鮮やかなオレンジ色のボールが舞う。

 ボールは緩やかな放物線を描き、重力に引かれて砂浜へと落ちていく。落下点に待ち受けるのは、肩から指先まで覆うものの無いむき出しの細い腕。組み合わせた二本の腕によりボールが再び打ち上げられる。


「ブロックいくよーっ!」


 砂浜に設営されたネットの向こうから、少女達の腕がにゅっと伸びた。

 ネットの上に手を伸ばすようにして飛び上がる少女。育ちきっていない瑞々しい肢体を水着に包んだ少女は、しなやかな腕を鞭のようにふるってボールに叩き付けた。

 腕の壁の隙間をぬうようにして、急加速したボールが砂浜へと吸い込まれていく――

 ボールの行く手には遮るものも無く、普通なら、このまま砂浜の上に落ちて得点となるところだ。

 だがそうはならなかった。

 地面につく直前、突然巻き起こった突風が砂ごとボールを巻き上げた。

 見えざる手に跳ね上げられたボールを追うようにして、螺旋状に渦巻く砂が竜巻のようにそそり立つ。

 砂浜に影を落とし、太陽を背に滞空するボールのシルエットを少女達が見上げる。


「いっくよー!」


 砂を蹴りたて飛び上がる少女。

 体を弓なりに反らせ、腕を曲げて後方に引く。さんさんと照りつける陽光を全身に浴びながら、十分に力をため、タイミングを合わせてボールに叩きつける。

 心地よい打撃音とともに撃ちだされたボールは、相手のコート目掛けて一直線の軌跡を描き――それだけに留まらず、燃え盛る炎に包まれながら砂地に突き刺さった。

 高らかに鳴らされるホイッスル。

 一方のコートでは少女達が歓声を上げながら両手でハイタッチ。そしてもう一方のコートでは少女達ががっくりとうなだれる。

 まばゆい太陽の下で流される爽やかな汗、一喜一憂する少女達、そして――飛び交う魔法。




 全国の中学校に魔法科が常設されてから久しい。

 多くの学校が魔法教育の一環として、魔法の使用を前提としたスポーツを開発して部活に取り入れてきた。サッカー、野球、バスケットボール、バレーボール……それらのメジャー球技はもちろんのこと、中にはビーチバレーといった、中学校では珍しいスポーツにもいちはやく魔法の導入を決定した学校があった。


 そのうちの一つが、ここ、サンタルチア学園である。

 生徒は女子のみ……いわゆる女子校で、理事長の強力なプッシュにより他のスポーツに先駆けてビーチバレーに力が注ぎ込まれてきた。その入れ込みようはかなりのもので、大金をはたいて屋内ビーチバレー施設を学園の敷地内に建造してしまうほど。

 敷地面積は体育館を上回り、壁と天井の大部分はガラス張りの近代的な外見。人工の砂浜と、海を模したプールや人口波濤発生装置まで備えた、大型レジャー施設もかくやといわんばかりの建造物。もちろん魔法の使用に備えて耐久性も抜群。

 コート数は十面。プール部分は水泳部もたまに利用するが、それ以外の時はビーチバレー部員の娯楽用という、なんとも贅沢な仕様だ。


 そうまでして女子中学生の水着姿を見たいのかと陰口を叩く者もいるが、表立って理事長に逆らえるものなどいない。そんな噂を知ってか知らずか、理事長は湯水のごとく金を使ってビーチバレー部を宣伝し、部費もあからさまなひいきと言えるほど潤沢にあるものだから、当然ビーチバレー部に入部する子も多い。

 理事長の思惑はともかくとして、ビーチバレー部員達は今日も練習に打ち込み爽やかな汗を流す――



 はずなのだが。



「ねえ! なんであたし達と試合してくれないの?」


 砂浜の一面で、ビーチバレー部員らしき少女が他の部員に向けて怒鳴っている。

 小柄な体に着けているのは面積の少ない金色のビキニ。

 髪をアップにしているのだが、後頭部で結んだその形状はどう見ても――わら人形。

 わらに似た髪の色も、わら人形っぽさに拍車をかけている。

 怒鳴られている方は、友達と顔を見合わせながら困惑気味だ。愛想笑いを浮かべながら、困ったように答える。


「だって……呪術科の子は、ちょっと……。そうだ、呪術科同士で試合したら?」

「そんな事言ったって、呪術科の部員は二人しかいないじゃない! 二対二じゃないと練習試合にならないでしょ!」

「ミタマちゃん、しょうがないよ。諦めようよ……」


 わら人形ヘアの少女――阿木原アギハラミタマをそっとたしなめたのは、白いワンピース型の水着を身に着けた黒髪の少女。相手コートに立つ二人の少女に、申し訳なさそうな視線を送る。


「だって、かばねちゃん! いつまでも二人だけで練習してるわけにはいかないでしょ。大会に出るためには二対二で練習試合しておかないと!」

「そ、それは……そう……だね」


 ミタマに押し切られ、かばねと呼ばれた少女は気弱げに頷いた。横一文字に切りそろえられた前髪に、伏しがちな目が隠れる。快活なミタマと対照的に、今にも消え入りそうなほど儚い雰囲気。ちょうど日本人形をそのまま大きくしたような外見だ。

 ミタマは相手コートに向き直ると、なおも食い下がった。


「こんなのおかしい! 呪術科の何がいけないの?」


 相手の少女は再び友達と顔を見合わせ、怯えたように恐る恐る答える。


「だって、本当に呪われたら怖いし……」

「何人も精神的ダメージを負っているって噂だし……」


 身をよせあって不安そうに言う少女達を見て、ミタマはなぜ練習試合を断られたのか得心したようだった。


「なーんだ。そんな事か」


 相手を安心させようと笑顔を作る。顔だけを見ると、つられて笑顔になりそうなほど朗らかで、ぱあっと周囲が華やぐよう。

 しかし、その手にはわら人形と五寸釘をしっかりと握り締めている。


「呪いを、暗くて不気味なものだと思っているんだね。でも大丈夫! あたしは小さい頃からママに『明るくて前向きな子になってね』って言われて育ってきたの! だから、影でこそこそ呪うような陰湿な事はしないよ! 明るく前向きに、本人の前で堂々と呪う事にしてるの!」


 そう言うなり、わら人形を砂地に叩きつける。釘を人形の胸に当て、金づちをぐわっと振りかぶる。


「こんな風に!」


 力任せに振り下ろされた金づちが釘の尻を激しく打つ! 鋭く尖った釘の先端は容赦なくわら人形の胸に食い込んで貫く。金属音が砂浜に轟く。

 ガツーン! ガツーン! ガツーン!


「死ねッ! くたばれ! ビチグソがぁぁぁ! グチャグチャになれッッッ!」


 すさまじい形相で一心不乱に釘を打ち続ける。

 めりこむ釘、断続して鳴り響く金属音と呪詛の声。


「試合してよ! してくれないなら無残に死ね! 内臓ブチ撒けてくたばれッ!」


 あまりの事態に相手の少女達は泣き出してしまった。


「いやあああ! せんせー! せんせー、ミタマちゃんがぁぁ!」


 少女達は手をとりあい、泣きながら走り去っていく。その後姿へと、ミタマは声を張り上げた。


「待って! まだ終わってないよ! 最後まで呪わせてよ! これからワラをズタズタに引き裂いてフィニッシュなのに……」


 砂を蹴って遠ざかる少女達。

 コートの上にはぽつんと取り残されたミタマとかばねの姿。打ち寄せる人工波。隣のコートでは他の部員達が遠巻きに様子を見守っている。

 ミタマはわら人形を拾うと、膝についた砂を払いながら立ち上がった。


「あーあ。また逃げられた」

 立ちつくすミタマの背後から、両手を体の前で組んだかばねが恐る恐る声をかける。


「仕方ないよ、ミタマちゃん。あきらめて二人で練習しよ……」

「駄目! こんなんじゃ世界は狙えない! あたしの夢は魔法ビーチバレーで世界を獲り、世界中が注目するオリンピックの表彰台から全世界に向けて呪いを発信する事なんだから! こんな一地方の中学校でトップに立てないようじゃ始まらないの!」

「まだろくに試合もしたことないのに夢だけは大きいね……」

「そう! もちろんその時はかばねちゃんも一緒だよ!」


 がしっと手をつかまれ、キラキラした目で見つめられてかばねは少し頬を染めた。もじもじしながら弱々しく頷く。


「う、うん……」

「よし! そうと決まれば次の対戦相手を探さないとね!」


 ミタマの目は早くも他の部員を物色している。

 隣のコートから恐々と様子を見ている部員に視線が止まった。


「ねえ! 試合しようよ!」


 ミタマが声をかけると、部員達は愛想笑いを浮かべながら蜘蛛の子を散らすようにそそくさと立ち去っていく。遠くにいる部員達もサッと視線をそらして練習を再開する。


「ぐぬぬ……でも諦めない! 全員に声をかければ一人くらいは試合してくれるはずだよ!」


 不屈の闘志を燃やし、ミタマはずんずんと砂を踏んで歩き出した。その手にはしっかりとわら人形。そして後頭部ではわら人形型の髪が歩調に合わせてゆさゆさと揺れる。






 日がとっぷりと落ちた中庭。

 部活帰りの生徒達が笑いさざめきながら遠ざかっていく。

 隅っこの木陰に座り込み、ミタマとかばねは大きく溜息をついた。


「はあ~、今日も試合できなかった」

 あの後、片っ端から声をかけてまわったのだが結局誰も相手してくれなかったのだ。

 惜しいところまでは行くのだが、ミタマがわら人形に釘を刺しはじめると、ドン引きして間もなく中断してしまう。しまいには顧問の先生に呼び出され、他の生徒達の邪魔になるからと追い出されてしまった。


 二人は制服に着替えている。ミタマは制服が汚れるのも気にせず、芝生に寝転がった。

 上下一体となったワンピース型の白い制服。スカートの裾を短くしすぎないよう、ワンピース型が採用されたらしい。

 だが実際は裾をつめて短くしている生徒がほとんどだった。今の理事長になってからは特に校則がゆるい。ミタマも例外ではなく、短くつめた裾から惜しげもなくしなやかな足を投げ出している。ニーソックスに包まれた足を無造作に組み、革靴のつま先を所在なげにぷらぷらと揺する。制服のリボンの色ピンク色で、一年生を表している。

 ぼんやりと帰宅中の生徒を眺めながら、誰にとも無く言った。


「おかしい、こんなはずでは……」

 ミタマの隣には足をそろえてお行儀よく座ったかばね。かろうじて聞き取れる細い声でぽつりとつぶやいた。

「そもそも、呪術科とビーチバレーって相性がわるいのかも……」

「なんで?」

「やっぱりみんな怖がってるよ……呪術科はもっと薄暗い部屋でこっそりやれる部活の方が向いてるよ、きっと……」


 うつむきがちにぽつぽつと呟くかばね。顔の造形は整っているのだが、伏し目がちな上に長い前髪が顔に影を落として非常に暗い印象だ。

 それに対して正反対の快活な動作でミタマはがばりと起き上がった。


「そんな事ないって! 今や呪いも明るく楽しくの時代だよ! みんな、今は呪いに先入観を持っているかもしれないけど、根気よく呪いの楽しさをアピールしていけばそのうちわかってくれるはず! そう思ってね、ちょっと準備したのがあったんだ」


 ミタマはすぐに明るい表情を取り戻し、かばんの中をごそごそとあさる。無造作に詰め込まれた教科書をかきわけ、中から何かを取り出した。


「これ! 予備のマイ五寸釘と金づち。素だとちょっとゴツくてかわいくないからデコレーションしてみた。どうこれ、かわいくない?」


 金づちの至るところに色とりどりのラインストーンやハート型、花型のチャーム等が接着されている。おまけに携帯ストラップやキーホルダーがじゃらじゃらとぶらさがり、その賑やかさはまるでお正月に飾る熊手のようだ。

 もちろん釘にもびっしりとラインストーンがちりばめられ、こちらは全体的にピンク色で統一されている。釘の頭には小さい天使の羽。


「これだとパッと見、魔法少女のアイテムっぽいよね。これなら誰も怖がらないと思うんだ」

「って言うか、呪う行為そのものが怖いと思うよ、ミタマちゃん……」

「えー! いいと思ったんだけどなぁ」


 あまり乗り気ではないかばねの反応に、ミタマは口を尖らせて不満顔。

 しかし一秒ほどですぐに気を取り直した。


「では、呪いを怖がられないようにするにはどうしたらいいか会議を開催します!」

「……ぱちぱち」


 デコ金づちを掲げてミタマはやる気まんまんだ。かばねはしょうがないなぁ、といった顔で小さく拍手。


「議長のかばねさん! 何かいいアイデアを出してください」

「え、議長わたしなんだ……えっと、んー……と、そもそも、わら人形を釘で突き刺すという行為が怖がられると思いますので……」

「じゃあ美少女フィギュアをアイスピックでぶっ刺す?」

「いや、その……何かを何かで刺したり壊したりというのが怖がられるんだと思う……呪術といっても色々あるよね……? 中には、怖くない、人のためになる呪術もあると思うの。だからここは原点に返って、そういう怖くない呪術を探してみるとか……どうかな。原点回帰というか、温故知新というか」

「温故知新ってなに?」


 ちなみにミタマの国語の成績は一だ。かばねはちょっと考えて答えた。


「えと……古きを知り、新しきを知る……って事だよ」

「古きお尻、新しきお汁? エッチな言葉かな」

「違うよ、ミタマちゃん……! 古いものを見直す事で新しい事に役立つ発見があるというか、そんな感じの言葉だよ」

「ふーん。じゃあ古い呪術を見直して役に立つものを発表してください。どうぞ、かばねちゃん!」


 丸投げされたかばねは律儀に悩んで答えた。


「う……えっと……あ、そうだ。昔は、病人の病気や怪我を治すのも呪術師の仕事だったはず。呪術というか祈祷なのかな? たぶん似たようなものだと思う……病気治したら喜ばれるよ」

「それだ! でもあたし、病気治す呪術なんて知らないよ。かばねちゃん何か知ってる?」

「うーん……ネギを首に巻いて寝たら風邪が治る、とか……そういうのなら知ってるけど、これじゃ呪術じゃなくて民間療法だね」

「そういうのなら知ってる! えっとね、お尻にタンポポをはさんで踊ると頭が悪いのが治るらしいよ!」

「それどう考えても悪化してるよね……?」

「そんな事ないよ。あたしそれで治ったもん」

「治っ……た? まあ、いいけど……」

「じゃあ病気を治す呪術は課題にしておこう! んじゃあ次は……ん、あれ?」


 むくりと身を起こしたミタマが下駄箱の方へと目を向ける。ミタマの興味がすぐ移り変わるのは慣れっこになっているかばねは、ゆっくりとその視線の先を振り返った。


「おお、ビーチバレー部のエース、学園のカリスマのお帰りだ」

 視線の先にいたのは、一人の少女を中心とした一団だ。


 中心にいる少女は周囲に輝きを放つかのような存在感に満ちている。

 腰まであるストレートの銀髪、耳の後ろでちょうちょ結びにした黒いリボン。黒いニーソックスには白いクロスのワンポイント。学校規定の白いワンピース制服の胸元には銀色のロザリオが提げられている。

 ビーチバレー部の良心、水際の聖女と呼ばれる、部内一年生ランキングトップのエース。

 夕張ユウバリ・クリスティーナだ。


 周りには三人の取り巻きの少女たち。

 帰宅中の生徒達に笑顔で挨拶をしながら、優雅に歩いてくる。


「あたしたちの当面のライバル……今はエースの座は預けておく。いつか返してもらうけどね!」

「エースどころかわたし達は練習試合さえした事無いんだけどね……」


 ミタマ達の視線に気づいたのか、クリスティーナがちらりとこちらを見た。

 ビーチバレー部員なら誰でも問題児である呪術科コンビを知っているはずだが、クリスティーナは嫌な顔ひとつせず、にこりと微笑んだ。まさに聖女と呼ばれるに相応しい、見る者の心を溶かすような可憐で優しい笑顔。

 しかし勝手にライバルを自認しているミタマはその余裕が気に食わない。

 同じく笑顔を返しながらビシッと中指を立てる。


「ちょっと! 呪いコンビのくせにクリス様になんて事するの!」

 とりまきの一人が顔色を変えて足音荒く近寄ってきた。


「あなた達の噂は聞いてるわ。野蛮で不気味な呪術科コンビ。クリス様は本来あなた達なんて目にするのもおこがましいほどのお方なの。同じ空気を吸うだけでも恐れ多いのよ。自重して自分から視界に入らないように気をつけなさい。よくって?」


 そう言ってハンカチで口元を押さえるのは護宝院梓ゴホウイン アズサ

 ウエーブがかったライトブラウンの髪。髪の房をカールで何重にも巻いた紛う事なきお嬢様の証、ドリルヘアー。

 魔法少女クラスとは一線を画す魔法お嬢様クラスに属する彼女はビーチバレー部の一年生ランキング第二位。

 魔法お嬢様クラスは文字通り金持ちの子女のみが通えるクラスで、一般魔法少女クラスに通う子達は畏怖をこめて彼女達の噂を口にする。


 ――小学校の遠足のおやつは五百万円までだったらしい。

 ――一メートルあたり一万円の高級トイレットペーパーでおしりを拭くらしい。

 ――一万円札に自分の肖像画を載せるよう、財務省に打診したらしい。

 などなど。


 彼女は本来グループの中心に居てもおかしくはない。

 しかしそんな彼女がとりまきに甘んじるほどクリスティーナのカリスマ性は群を抜いていた。

「梓さん、気を使っていただいてありがとう。でもいいのです」

「クリス様……」


 クリスティーナが近づくと梓は気圧されたように道を空ける。

 学校指定の制服ですらクリスティーナが身にまとうと優雅なパーティードレスのようで、その美しさに梓は思わずうっとりとした表情になる。


「その子達とはまだあまりお話をした事がありませんから、私達を警戒して当然ですわ。ごめんなさい、阿木原アギハラミタマさんと黒土クロツチかばねさん……でしたね。このような大人数でぞろぞろと歩いては驚かせてしまったでしょうか。ここでお話できたのも何かの縁です。同じビーチバレー部員同士、仲良くしてくださいね」


 にこっ、と眩いほどの笑顔。それは後光が射しているように錯覚するほど。

 彼女の気高さ、優しさ、思いやり――そういった諸々の内面がオーラとなって周囲を輝かせるかのようだ。それは決して外見の美しさや演技では出せないものだ。言葉や理屈では言い表せない、人智を超えた善性といおうか。


 彼女のとりまきは、お嬢様クラスの梓を始め、スポーツ特待生やアイドル候補生など、並々ならぬメンバーが揃っている。

 それでも、クリスティーナの笑顔にはみんな一斉にうっとりとした表情になる。見ているだけで、この世の一切の苦難や悩みや争いから開放されたかのような気分になるのだ。

 彼女を前にしては凶悪犯ですら思わず自らの行いを反省し自首せずにはいられない。

 彼女が親善大使として派遣された国では、クリスティーナの聖性に打たれて戦争が終わったという噂もあるほどだ。


 そのクリスティーナのキラキラと輝く笑顔を、ミタマは普段どおりの顔で見上げる。

「あたしと試合してくれるなら仲良くしてあげてもいいよ!」

「み、ミタマちゃん……!」


 そのあまりの遠慮のなさにかばねは慌ててミタマの袖を小さくひっぱる。

「な、なんてあつかましいの! 部内ランキング一位のクリス様と、ランキング外どころかマントルの最下層にいるあなたが? ありえない! あなたとクリス様の間には宇宙の端から端までくらいの差があるのよ!」


 梓は二人の差を示したいのか両手を限界まで広げて見せる。

 座ったまま見上げるミタマは不思議そうな顔。

「なんで? あたしとその娘、何が違うの?」

 その言葉には梓もぽかんとあっ気に取られる。何を言っているのか理解不能というように眉間を指でもみ頭を振ってみせる。


「何って……何もかもよ! あなた達のおぞましい呪術と違ってクリス様が行使なさるのは清らかな神聖魔術! それも最高位の! 成績だって学年トップ! あなたはランキング外でしょ! そして教会で生まれて幼い頃から偉大な神性に触れてお育ちになり、神の祝福を一身に浴びて清らかなお心で人望も厚く先生方からも一目置かれているの! なにより、誰よりもお美しいでしょう! あなたとの違いなんて一目瞭然!」

「そう? でもね、あたしのママだって誰よりも美しいってパパが言ってたよ。あまりの美しさに見たら発狂して死ぬレベルなんだって。その美しさに見入ると呼吸をするのも忘れていつの間にか心臓が止まっているらしいよ。あたしはママ似だから、いつか同じくらい美人になるはずなんだ」

「それが本当なら授業参観が大惨事になるね……ミタマちゃん……」

「はあ? 何言ってるのかしら……そんなみすぼらしいわら人形ヘアのあなたがクリス様と比べ物になるわけないでしょ! まったく、勘違いもはなはだしいわ」


 憤慨する梓を他所に、クリスは口元を掌で隠して上品にくすくすと笑っていた。

 楽しそうなクリスティーナの様子に、とりまき達は困惑した表情を見せる。普段のクリスティーナは物静かな方で、微笑む事はあっても今のように笑う事は珍しい。

 クリスティーナはミタマに向かって言った。


「面白い方。試合できるかは私の一存では決められませんが、お互いに切磋琢磨していればいずれ相対する事もあるでしょう。いつか試合できる日を楽しみにしております。その時はお手柔らかにお願いしますね」

「うん、いいよ。特別に手加減してあげるね」


 ミタマもクリスに負けずにこっと微笑むと、立ち上がって手を差し伸べた。

 クリスも右手を出して握手に応じようとする。

 だがその手が触れる前に、梓がミタマの手首をつかまえる。


「駄目です、クリス様! このような汚らわしい下賎の娘に触れるなど! 手入れされた芝生の上といえども何も敷かず直に座るような小娘ですよ。まったく野犬の如き汚らしさで……」


 罵倒していた梓がギクッとしてクリスを振り向いた。

 先ほどまで朗らかな笑みを見せていたクリスの表情が見る間に曇っていく。

 がっくりとうな垂れて銀の前髪が目を隠し、脱力したように両手をだらりと下げる。

 聖女のような眩いオーラが一転して憂鬱な負のオーラに塗り替えられていく。


「私は阿木原さんと握手しようとしただけなのに……これだけの事でも争いの種を撒いてしまうとは私はなんと罪深い穢れた人間なのでしょう……」

 鬱々とした弱い声。両目を虚ろに見開き地面に視線を落とす。


 梓は慌ててフォローしようとする。

「ち、違います。すみませんクリス様……クリス様が気になさる事では……」

「ああ、梓さんは悪くないのです。それなのにこのように謝らせてしまうなんて、私こそお許しください……梓さんは善意で私を気遣ってくださっただけなのです。それを争いに発展させてしまうのはきっと私の心が醜く、人心を乱す邪悪なものだからです…………存在するだけで災いを呼ぶ私は生きていない方がマシ…………家畜にも劣る有害な存在……いえ、家畜と比較しては彼等に失礼でした。彼等は立派に人間の役に立ってますから…………私は役に立つどころか人を悪の道に引き込んでしまう最低最悪の鬼畜……聖女などとおだれられ調子に乗ってその裏で醜い心を肥え太らす悪魔のような穢れた人間、いや牝豚……いえ、そんな事を言っては豚に申し訳が………………」


 さきほどまでとうって変わって負のオーラ全開のクリスティーナに、周囲の人間もひきこまれてどんよりとしてしまう。

「私を早くゴルゴダの丘に引き出して! 槍で突き刺して処刑してください! せめて死んでお詫びさせてくださいッ!」


 髪を振り乱しひざまずいて祈りはじめるクリスティーナ。

 とりまき達はしまった――と思っていた。クリスティーナは人一倍優しく人一倍なんでも出来るのだが、うまくいかなかった時、よくない事が起きた時は人一倍ネガティブになってしまうのだ。

「クリス様、元気をおだしになってください……」

「クリス様は悪くないです……」

「ああ、皆さんも一見私を気づかっていますがどこかを縦読みすれば『クリスしね!』になるに決まってるんです! それともアナグラムで並び替えれば……」


 取り巻き達がなだめても、クリスティーナの暴走はますます加速していく。

 ただ一人、影響を受けていないミタマは空気を読まずにクリスティーナに歩み寄った。

「ん、どしたの? ちゃんと手は洗ってるから大丈夫だよ!」

 そのままクリスティーナの右手を取ってぶんぶんと縦に振る。

「はい! これであたし達もう友達だね!」

 クリスティーナが顔を上げ、ミタマと目が合う。

 その表情に再び笑顔が戻ってきた。


「はい! よろしくお願いします、阿木原さん!」

 満面の笑顔。

 曇天から太陽が顔を出すように周囲を暖かく照らすその笑顔で、ようやく周囲の取り巻き達はほっと安心した表情になる。梓だけは少し複雑そうだが。

 手を握りながら、ミタマは元気よく言った

「もう友達なんだから、ミタマでいいよ!」

 クリスティーナは少し照れながら、おずおずとそれに応えた。


「で、では……ミタマ……さん」

 握った手の温もりと近づいた気持ちを確かに感じて、クリスティーナは嬉しさを噛み締めるようなむずがゆいような笑顔で続けた。

「ミタマさんも私の事は――――」

 

「うん。牝豚って呼ぶね!」


 笑顔で断言。

「牝豚。メロンパン買ってこい」

「おいいイイイイぃぃぃぃィィィィィ!!」


 お嬢様らしからぬ梓の絶叫に帰宅中の生徒が一斉に振り向いた。

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