7 『郷愁』

『……とと、これで繋がったみたいだね。それじゃ──久々、アリス。いや、今は様付けをした方がハッピー?』

「いえ、この場においては不要ですよ。久方ぶりですねジャラ。何時もながらおハッピーそうで何よりです」

「…………(僕の様付けは一体)」


 一瞬、心眼を起動させて見通したサヴァンの心中の呟きは華麗に無視した。

 様付けの所以は、強いて言えば上下関係を確かにし、有栖の自尊心を膨張させる働きがある──ということだろうか。

 全くもって下らない。

 あれほど信用云々垂れていた有栖が、心眼を行使している現状にも同様に言える。

 手の平返しはお手の物らしい。


 さて大鏡に映る、笑顔がいっそ気味が悪い、燻んだ金髪の青年──ジャラ・デンボルトンと有栖は和かに社交辞令を交わす。

 一週間程度しか会ってないにも関わらず、何故だか懐かしさが喚起される。

 もっとも、この変質者とは二度と邂逅したくはなかったが。


『おい、代われジャラぁ! アリス様に寵愛されンのは譲れねぇぞぁ!?』

『ロリコン冒険者さんが吹っ飛ばされた──!? ってか、何でうち解説役になってるんだろ』

『やれやれ、オレが見込んだ女に群がるな。あと、ヤナガワもそこから離れろ。そいつの鼻血がぶっかかるぞ……って、もう遅いか』

『アリス様は儂が育てた』

『育てたってか、そんな暇が何処にあったのよ……サラの食堂に来てたのだってそう多くないじゃないの』

『おーどうしたよ、皆で集まってよぉ。何か珍しいモンでもあったか』

『おう、俺たちの聖人様が連絡寄越してな──』


 ピースサインをするジャラの背景は、見覚えのある酒場の喧騒を窺わせる。

 ニコニコとひたすらに笑みを浮かべるジャラも、押し合いへしあいされていた。

 それでも表情を曇らせない彼は流石と言ったところだろう。

 ちなみに有栖は、皆にちやほやされて改めて舞い上がっていた。

 阿呆の極みである。


『こらこら皆、順番回すから少し待っててくれよ。ハッピー』

「取って付けたようなハッピーはともかく、そちらの方々も壮健そうですね」

『勿論。生誕祭で怪我した仲間も、余程の重傷者以外は仕事が出来るくらいに治癒してる。それに、アルダリアのハッピーな政策と改革、あと後処理が始まったからこれからが頑張り時だ。休む暇も惜しいって感じさ』


 ──はー、まあ革命後が一番大変だしな。アルダリアも隈が酷かったし、冒険者も仕事沢山なんだろうな。まあ今となったら他人ごとなんだけど。働け働け、うぃひひひひ。

 いちいち鼻に付く物言いだった。

 無論、有栖の表情は慈愛に満ちているため質が悪い。


 なお、アルダリアの現状を有栖が把握しているのには勿論理由がある。

 そのサトウの魔鏡はジャラが所持していた訳ではなく、アルダリア・フォン・ダーティビルが管理していたモノを借用しただけだ。

 ジャラの魔鏡は生誕祭騒動で何処ぞの誰かに騙しとられていたからなのだが、まあそれは良いとしよう。

 有栖が魔鏡を弄り始めて数十分、疲弊した様子のアルダリアを通し、有栖の要望でジャラの手に渡ったのだ。

 その際にアルダリアの実態を知ったのであるが──酷い有り様であった。

 革命前と比較して、明らかにやつれ、顔色の具合も病人と相違なく、目元の隈も濃さを増していた。

 有栖がいない一週間でデスマーチを経験したらしい。

 それでも有栖には感謝の意を表し、何処か憂いを払った顔付きだったのは……あの結末に納得したからだろうか。


 話を現在に戻そう。

 特段変わったところは見当たらないジャラのみすぼらしい姿に、有栖は薄い胸を撫で下ろしていた。

 それは別にジャラの無事に対してのモノではない。

 ……ふっ、汚ぇ服だな。俺だったら耐えられないね。

 薄汚い見下しの嘲笑である。

 まさに成り金にありがちな反応だった。


『……と、アリス。そっちの端にいるハッピーそうな給仕さんって誰かな。知り合いみたいな顔してるんだけど』

「ああ……サヴァン? 呼ばれてますよ」

「あ、ああ(その笑みに邪悪さを感じる僕はおかしいんだろうか……と、待て待て! アリス様の瞳の色が黄金に──)」


 微笑に紛れて、実際は愉悦に顔を歪ませている有栖は、真っ青な顔色のサヴァンに振り向いた。

 心眼に気付くのが鈍いとサヴァンを罵倒すべきなのか、とりあえず有栖を罵倒すべきなのか迷うところである。


 彼女は視線を彷徨わせながら、


「……格好については突っ込むなと、先に言って置く」

『判ってるよ、そっちのハッピーな団長の病気だって事は前からだったし。まあ実用された所は初めて見たけどね』

「実際に初めてだ。理解しているとは思うが、僕のこの醜態を矢鱈に吹聴するなよ? ──特にあの蚊には」


 サヴァンは殺気を放ちながらにドスの利いた声色で念を押す。

 某ラスボス並みのステータスを誇る吸血鬼を指しているのは明白だった。

 ダーティビルでのサヴァンと彼の吸血鬼との確執を鑑みると、ジャラも含め以前からの知人なのかもしれない。


 まあ、そんなことはどうでも良いがな。

 自分以外無関心の有栖は傍観に徹する。

 このままサヴァンとジャラの雑談が続くようなら、無駄話を断ち切り、さっさと裕也について問い掛ける腹積もりであった。


「──それとジャラ貴様、面倒な事・・・・をしてくれたようだな」

『面倒事? (……アリスの所にいるとなると、サヴァンの此度の飼い主はミリスだろう?)ええと、あ──ハッピーハッピー。判ったよ。東門での戦闘・・・・・・のことだな』

「何を他人事の様に……(僕は貴様のせいでミリスから仕事を受注したと言うのに)」

『そりゃ他人事さ。元々、サヴァンのハッピーな命令だったんだからさ』

「そんな馬鹿な。僕がそんな命令なぞ下すはずがない!」

『でもアリスがそう言って──と、あれ』

「アリス様が……? もしや」


「すみません、あれ嘘です」


 てへぺろ(打算満点)と、お茶目にウインクして適当に誤魔化す。

 見た目の麗しさと可愛さのゴリ押し、それが通じてしまうのは何処の世界でも同じであった。

 ──ってか、ジャラの言う東門。まさかダーティビルのか? 確か俺がジャラにホラ吹いて行かせたのが東門だったし……関係あるのか? 

 サヴァンの呆気にとられた目付きを他所に、内心首を捻る有栖だった。

 一方ジャラは「成る程、成る程、なかなかハッピーな計画だ」と、からから朗らかに笑っているだけ。

 本当に気味の悪い男だ。


 悪ふざけ半分悪意半分の所業が、己が知らぬ間に地雷と化すこともある──現在、驕慢の化身と言っても過言ではない有栖がそんな心配をするはずがない。

 瑣末事と断じて、思考を止めた。


 そうしているとサトウの魔鏡から、甘い声音が飛び込んできた。

 ……しかし冷静に考えれば鏡から音声が出るのも奇っ怪な話だ、と脈絡もなく思った。

 間抜けた感想が浮かべながら有栖は、適当に視線を鏡面へと向けると、



『──あらぁ? アリスちゃんお久しぶりねぇ。益々可愛くなってるじゃない。サヴァンちゃん、その格好本当に笑えるわねぇ。あたしを笑死させるつもりぃ?』



 声を震わせ、慎ましくも片手で口元を抑えた、紫紺の髪色と赫目が特徴的な恐ろしく端麗な女性が映っていた。

 サヴァンを見つめながら吹き出す寸前の彼女は──名を、フィンダルト・エマ・ディクローズと言う。

 サラの食堂のエプロン姿で、威圧感を与えるほど胸部が張り裂けそうに盛り上がっている。

 それが目に入ると、否応にも有栖は股間のブツを喪失した虚無感に襲われた。

 ──糞神め。俺がミリスで十分優雅にちやほやされながら暮らして満足したあと、何とかしてぶん殴ってやる。

 金と裕福な営みの誘惑にあっさり敗北するクソったれ有栖だった。


 平常運転の有栖は置いておこう。

 はてさて、サヴァンが目の敵にするフィンダルトの登場に動揺を見せなかった。

 それどころか、彼女の煽りに対して片方の口角を上げて、


「笑死? はっ、僕の格好で貴様を葬れるのなら裸にでも何にでもなってやるさ。視覚情報だけで死亡する弱小さ、まさに蚊、蚊以外の何者でもない(拙い、よりにもよってフィンダルトに、この格好を…………とと、あの、アリス様? まさか僕の心を見通していないよな?)」


 堂々と煽り返しているサヴァンであったが、内心はどうも羞恥と怒りで真っ赤になっているらしい。

 所作が微妙にぎこちなく、声色が些か高くなってはいたが、有栖以外には動揺は悟られていない。

 有栖ほどではないにしても、大した内外の切り替えだった。

 観察していて飽きない女性だ。

 だからこそ有栖は心眼を行使している訳だが……とことん性根が悪い。


 また心眼発動に思考が及んだ彼女は、目配せで有栖に問い掛けてきた。

 横目で心境を覗き見する覗き魔有栖は、素知らぬ顔で困惑したように眉尻を下げる。

 目配せの意味が分からない──そう意識して身体を自然に動かし、白を切ったのだ。

 すぐさま瞳の色を黒に戻していたのも相まって、この卑劣な嘘を見破ることは難しいだろう。

 やはり、伊達だけで神の子の地位に鎮座する奴は違う。


「(気の所為か、良かった。流石に意識過剰すぎたか)」


 サヴァンが瞑目して胸を撫で下ろす際に、有栖は心眼を行使して視線を飛ばす。

 嘘でしかない答えにサヴァンが心中で安堵している様子を、有栖は指差して爆笑したかったが──そろそろ本題に入らねば時計が昼を回ってしまう。

 昼飯を先延ばししたくない有栖は、サヴァンとフィンダルトの喧嘩を仲裁しながらに、


「そう言えば、あの異世界人──蒼崎裕也、でしたか。彼は今何処に……?」

『んー、あたしは知らないわねぇ。ヤナガワちゃんはどう?』

『は、はいっ、裕也なら王国内の残党を追い回していると思いますですっ、はいっ』

『そうだったわねぇ、アルダリア様に仕えてる身だしぃ元政府側の狗になるのも納得ねぇ。ヤナガワちゃんが結構自由なのは気になるけどぉ』

『狗……って言い方はどうかと思いますけど、うちも──わたしもそんな自由じゃないですってホントに!』

『……思ったのだけどぉ、あたしとお喋りするときだけ肩肘張って答える必要はないのよぅ?』


 そりゃフィンダルトが怖ぇからだよ──とは口が裂けても言いたくない。

 チキンなこの意見は有栖だけでなく、魔鏡の向こうにいる全員の総意のようで一瞬喧騒が静まり返った。

 誰しも命は惜しいのだろう。

 それに片眉を上げて不審感を露わにするフィンダルトだったが、突如思いついたように切り出した。


『あ、そう言えばアリスちゃんとユーヤは知り合いだったわねぇ。確かぁ…………友達、なんでしょう?』

「はい、大事な。でも生誕祭で出来た友達なんですけどね」


 ──よしよし、マゾとアルダリアは俺のこと喋ってねぇみたいだな。アルダリアに関しちゃ、俺の立場判ってるみたいだし明かすこのはねぇたろうけど。

 フィンダルトへ、ギリギリ裕也も察せるであろう嘘を吐いておく。

 有栖の頭では妙案なんぞ浮かぶはずがないため、不在の友人のアドリブに全てを賭けるしかないのだ。

 

 ……ふん、残党狩りとかまた七面倒な仕事任されてんのな。うぃひひ、俺の平穏な生活を見せびらかしてやりたい。

 異世界における唯一の友人と見えることが出来ない寂寥感と不満を、傲慢な調子で霧散させた。


 ただサトウの魔鏡を扱う機会は、何も今だけではない。

 今日の日暮れでも明日でも明後日でも構わないのである。

 だからわざわざ落胆や失望を感覚するのは勿体無いと、自らに言い聞かせた。

 スタミナ消費はスマホゲーム並に大事にしていく。


「……と、そろそろ良い時間ですし、私たちはお暇するとしましょう」


 こうして本願だった問いも解決し、有栖もそろそろ通信を終えようかとする。

 未だ会話を交わしていない野太いロリコン冒険者の叫喚、それを抑えつける複数の男達と深青色のローブを被る柳川明美たちの、喧々とした店内が見えたが──その一切を無視した。

 薄情な有栖は興味のない事柄に非常に淡白なのだ。


 よって手を振って真面に別れを告げたのは、案の定ジャラとフィンダルトの二人のみであった。


『それじゃ、ハッピーでねアリス。ユーヤが帰って来たらこっちから連絡いれるよ』

『サヴァンが意地悪してきたらぁ、遠慮なく叩き潰しても良いからねぇ? してこなくても叩き潰して良いけれどぉ』

「ええ、その意見は機会がありましたら是非参考にさせて頂きます。それでは」


 言い終えると同時に通信を切断する。

 サラの食堂の陽気な騒々しさから一転、二人だけの静寂が部屋を満たした。


 ふぅっ、と誰にでもなく溜息を漏らす。


 ──クソったれ、マジ疲れるわ。ジャラはいつもと変わらねぇ頭ハッピー野郎だし、フィンダルトは鏡越しでもステータス怖ぇし、BGMと化してた冒険者の奴らも、ロリコンとか既に空気になった明美とかうるせぇし……はぁ。

 それでも崇められることに鼻高々だったのだから、欠片も同情の余地はないが。

 何を被害者面しているのか。


 有栖はサトウの魔鏡から目を離し、深く椅子に腰掛けたときだ。



「………………かは、ぁ」

「……アリス様?」



 脈絡は皆無であった。

 所以など有栖が知る由もない。



 不意に有栖へ、不快感が込み上げる。



 端的に有栖を襲ったことを記するとしたら──強烈な胸の圧迫感、だ。

 痛みではない。

 緊張状態で心臓が早鐘を打つように、身体の自然的な反応のようだと有栖は思った。

 それは自らの記憶の何処にもない郷愁・・を感覚する違和感と形容すべきか。

 敵意も悪意も感じない。

 この感覚に人為的な何かを感じ得ない。

 

 

 ──何、だぁ……っ? この感覚……まさか心臓病じゃねぇよなぁ……っ?



 そして唐突に想起するが如く、脳内に二つの文字が乱舞する。

 まるでそのスキル・・・・・が、この発作の原因であると自己主張するかの如く。

 『虚飾』『虚飾』『虚飾』『虚飾』──。

 



「──くけきき。邪魔するぞ、アリス・エヴァンズ」


「……っ!? 何者だッ!」


 

 部屋に響いたのは、第三者の声。

 聞き覚えのない男のしわがれた声。


 謎の圧迫感で思考停止に陥った有栖は応答しなかったが、サヴァンは帯剣した柄を素早く抜き放ち──部屋の中央に突然出現した、その奇っ怪な男の首筋でピタリと止める。

 常人では剣筋の速さどころか、剣がいつ抜かれたかすら判然としない速度だった。


 鳶色の眼光を光らせ、サヴァンは剣に力を込めた様子のまま口を開いた。


「何奴だ。僕は来客の報告は受けていないぞ」


 ──その男は小柄で、燃えるような紅髪をオールバックにした、人相がお世辞にも良いとは言えない悪人面だった。

 風貌から年齢は二十代前半の青年のように思われる。

 顔とミスマッチな白衣姿は、何処となく有栖に医師を連想させた。


 サヴァンの殺気と首筋の鋭利な刃物に対して、彼は怖じ気付いた気配もなく、


「く、け。そうだサヴァン某、尤もだ。オレはジルコニア某から許可を貰っていない。だが二日後以降の邂逅など、オレは待ち切れないのだ。ああオレの根源が、オレの『大罪』が、オレの欲求が────アリス・エヴァンズを知りたいと、欲してる」


 また変質者が出たぞ、誰か通報してくれ。

 有栖が正論を吐くのを他所に、男は熱に浮かされたように捲し立てている。


 だから有栖はそれを遮る目的で、胸部の圧迫感を我慢しながら、泰然とした雰囲気を崩すことなく静かに問うた。


「サヴァンの代わりにもう一度尋ねます。貴方は、何者なのでしょうか?」

「……名乗るとすれば、そうだ」


 呼気を整えながら彼は、



「メフィレス・マタルデカイト。我が大罪こそは『強欲・・』、理知を心を力を求める探求者にして、神聖ミリス王国に仕える一人。初めましてだなアリス・エヴァンズ…………いや、最大の大罪たる『傲慢・・』よ」



 男──メフィレスは口端を歪めてそう有栖へと指差した。

 その事実が如何なる意味を孕んでいるのか解らないが、見るからにサヴァンは狼狽え「何……だと」とか漂白剤漫画の台詞を呟きそうである。

 無知の有栖には何が何やらさっぱりだが。


 ただ七つの大罪の一つ、『強欲』だと語るメフィレスへ有栖が最も言いたいことは、一つだけだった。



 ──お前が誰か知らねぇし、何の目的かも分かんねぇし、つーかそのドヤ顔ウザいんだけどさ…………俺、『傲慢』じゃなくて多分『虚飾』なんだけど。



 明らかに勘違いされていた。

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