26 『友達』

 呼吸を調整して、脳に酸素を回す。

 有栖の眼前には騎士の返り血を零す、甲冑を装備した裕也の姿がある。

 抜剣した彼は、次の瞬間には有栖を斬る姿勢が整っており──その黒い眼光は何の狂いもなく、こちらを見据えていた。

 一方有栖は初級魔術師のローブに杖、肩にはバッグを提げた装備だ。

 老木じみた杖では奇跡的に剣の一撃を防いでも、そのまま叩き斬られるのは明白。

 バッグには申し訳程度にナイフなる刃物が二本入っているが、本当に申し訳程度で謝罪を要求したい。

 そもそも元から、裕也と戦う気はないのだ。

 『傲慢』の少年のときとは違う。

 対抗策があり、まだ絶望的な状況ではないのだし、何より自分と見知った相手なのだ。

 

 ……いや、違うか。知ってる奴から剣向けられてっから、こんな、怖ぇのか。

 本音を吐き出すのならば、全身を震わせて尻餅を付きたいくらいにショックを受けていた。

 有栖が内心を表面に出さないことに長けているため抑えられているだけで。


 裕也と相見えるのは予想通りのはずだった。

 けれども意外なほどに、屈辱で唇を噛むほどに、恨めしくも大きく動揺していた。

 鮮烈な赤い血液で頭がくらくらする。

 女性の体になったせいで虚弱になったのか。

 ……クソったれ、んなこと言ってる場合か。

 毒づく有栖は心を落ち着かせようと、自身の呼吸を意識した。

 

 震えそうな声は、喉元に力を込めて安定させる。

 結局、有栖の武器は口先と態度だけなのだ。

 それを疎かにすれば友達に斬られる羽目になるのだから、慎重に行かねばならない。

 

 しかし気にかかる事があった。

 先刻からの裕也の姿には、今まで理解していた裕也の性格と齟齬があるのだ。

 それが頭に引っ掛かりながらも、有栖は無表情に声を出す。

 

「意外ですね、貴方がそんなことを──私のように小さな子どもに剣を向けるなんて」

「……肝が据わってるな、随分と。それと質問に答えてくれないかな? そんな俺を知った口振りの君は、一体何者だって聞いてるんだけど(青紫のローブは確か、初級魔術師の証だったっけ。それに背も小さいし。でも一般人がここまで迷い込んでくるなんてこと、あり得るのかな?)」


 有栖が平然と返したのに、驚愕して息が詰まったらしい裕也は会話に乗ってきた。

 そうだ、裕也の心の動きは以前の物と変わらない。

 警戒を露わにしながらも、甘さと柔和さが消えない彼ならば問答無用に斬らないはずと踏んでいた。

 その性格と合致しない違和感は、騎士らを臆面もなく斬り捨てたことだ。

 敵方相手には容赦しない、という苛烈な性格でもないだろうに。

 『魂塊』の命令が絡んでいるとすれば、非常に厄介なことになるが……さて。


 早々に切り札を使ってしまいたいが、今言っても効果が薄い。

 そして見極め・・・ないとならないのだ。

 裕也は有栖の話を無下にしないだろう。

 余裕は、まだある。

 ふてぶてしく表情を笑みに変え、僅かばかり声音を上げ調子にして、

 

「貴方は私を知っていますから、私が話すのもどうかと思いますが」 

「俺も時間がないんだ。だからそんな煙に巻く言い方──いや、待てよ(この身長と顔、俺達と一緒に召喚された女の子……? いや確かアルダリアさんは、その子は別の場所に保護されたとか言う話だったはずだよな。でも、俺の思い当たるのはそれくらいだし)」 

「ご名答ですよ、私はそのときいた女の子で違いありません」

 

 心中の呟きに反応した答えに、裕也は目を見開いている。

 アルダリアが『隠していた』という情報は、成る程使えそうな材料だ。

 ……そうだな一つ、指針が定まった。

 有栖は内心で「うぃひひ」と下衆っぽく笑うと、

 

「しかしアルダリアさんが私のことを伏せ、隠していた理由は何でしょうね? 疚しいことがなければ隠したりなんかしませんよね」

「……何が、言いたいんだ?」

「アルダリアさんには貴方も知らない裏がある──と、そう言っています」


 何の根拠もなく断言した有栖は、まさにその裏を知っているかのようだった。

 まぁ実情、さっぱり知らないのだが。

 しかし有栖の真に迫る演技により、ころっと裕也も騙されてしまったらしい。

 そのうち怪しい壺でも買わされないか有栖は裕也のことが心配になった。

 

「まるで知ってるような口振りだね(俺らの知らない理由? ……アルダリアさんを疑う訳じゃないけど)」

「気になりますか?」 

「まぁ、それなりに。それと君の立ち位置を教えて欲しいかな。君が通りがかった人なのか、そうなのか。それも合わせて答えて」

 

 前傾姿勢を正して戦闘態勢を崩す裕也だが、剣をぶらつかせているのは脅迫だろう。

 答えなければ斬ると、言外にそう示しているようだ。

 脅すなんて卑怯な真似を……などと有栖は口が裂けても言えないが。

 

 だが有栖は、裕也が無抵抗の女子どもに暴力を振るう奴ではないと知っている。

 そして裕也がこうまで慕う相手ならばアルダリアも悪い奴ではないのだと知っている。

 『心眼』を使うまでもなく、経験で。

 また心境的に『魂塊』で無理矢理忠誠を誓わされた訳でもないだろう。

 彼がマゾなことは見抜けなかったが、それはそれだ。

 

 ……ああやっぱ俺駄目だ。良い奴と、裕也と敵対すんのマジ馬鹿みてぇだ。

 先ほどから発動している『心眼』は裕也を直視しているだけで、彼の感情と心情が書き出される。

 

 殺す気など更々なくて、有栖を柄尻で叩いて気絶させるつもりだとか。

 死なないよう手加減をして斬撃した騎士達は軽傷であるとか。

 騎士を一人一人気絶させるつもりが、ふと戦場と化す敷地内に有栖を発見して「この場にいるのは危険だ」と知らせるために近付いて来ただとか。

 

 甘々で、ある種人を侮辱しているけれども、舌打ちしたいほどに優しい性格。

 こう列挙してしまうと、裕也がアルダリアと同類なのが分かってしまう。

 自分とは真逆で、善良さと信念を掲げている奴らだと認識してしまう。


 有栖は一つ溜息をした。

 頭を切り替えて、様々なことを断つ決意を新たにするために。

 訝しげにこちらを向いていた裕也へ、今までよりも平静を保ちながらに、

 


「まぁ、私知らないんですけどね。アルダリアさんの裏なんて」

「は?」 



 呆気にとられた裕也の表情に、有栖は吹き出してしまいそうだった。

 思わせぶりな言葉を吐いた後にこの回答が返ってくれば、誰だってそうなるだろう。

 有栖も相手にそんなことされれば迷わず顔面を殴りたくなる。

 しかし──何故だか、愉快な気分になってきた。

 カナリアや王から革命阻止計画を頼み込まれたときに感覚した、言語化できない蟠(わだかま)り。

 それが解けて行く感覚が爽快だった。

 

 混乱する裕也の脳内の台詞が、赤文字となって有栖の視界を埋めていく。

 それとは逆に気持ちが、恐怖が、完全に収まっていた。

 もっとも今に至るまで、臆病な有栖が血を浴びた友人に動揺していただけだが。

 言葉の端々や『心眼』で以前の裕也の性格も変わっていないのは身に染みて理解した。

 であれば、進むべき道は一つだけ。

 

 思い返せば最初からそういうつもりだったのだ。

 有栖は神に抗い、信じる物を自由に信じる。

 他人の妬みに端を発す気に食わない計画に乗る理由がどこにあるだろう。 

 敵方に友達がいてそれで殺し合う道理などあるのだろうか。

 神話の悲劇のように、好き勝手に神から運命を捻じ変えられるのだと言語道断だ。

 神の道楽はぶっ壊してこそ。

 ……糞神、手前ぇの思い通りにはさせねぇ──俺は俺の道を行く。

 そう。

 意地でも無茶でも、自分の思う通りに、運命などには逆らって、あの弄ぶ神を見返してやると。

 そんな無謀な無計画で、なおかつ無軌道な怨念で始まった異世界召喚だった。

 ようやく、これがその第一歩となるのだ。

 

 そして有栖は生き生きと告げる。

 ストレスの胃の痛みも、疑心も何もを置き去りにして。

 


「先ほど私の正体当てゲームではご名答と言いましたが、正直五十点でした」

「……次は、何を(この子は、一体?)」

「まぁ、改めて自分の名前を言うのもどうかと思いま──思うけど、さっきの話だとあんま時間がねぇんだろうし、恥を忍んで明かしとく」


 

 久々に人前で使う男言葉は気恥ずかしかったが、一思いに声を上げる。

 狼狽える裕也の顔がおかしくて笑いながら。

 


「久しぶりって言うのも何か変だが、一応言っとく。久しぶり、私の──いや、俺の・・名前は遠藤有栖。窓際だったお前の隣の席で、初対面に『お前の顔って月みたいだよな』ってケンカ売ってきたのを、まだ根に持ってる男だよ。覚えてっかバーカ」


 

 言っている最中にやはり羞恥に耐え切れず、無意味に暴言を吐いた。

 なんと理不尽な男だろう。

 混迷を極める裕也は、剣を動かすことも止めて目を丸くしている。

 

「…………え、え? 今なんて言っ(有栖? 有栖ってあの有栖? 何で)」 

「四の五のうっせーんだよ、時間ねぇんだろ。だからとりあえず、ほら」  

 

 言葉とは裏腹に口角が上がる有栖は、臆せずに裕也へ近付いて右手を差し出す。

 身長差があるため見上げる姿勢になるのが癪だったが、真っ直ぐに裕也を見据えた。

 だがもはや超展開の連続で事態に付いて行けてないのだろう、彼はぼさっと突っ立っているだけだ。

 それも無理からぬ話だが。


 迷い込んだ子どもを脅していたら、アルダリアの裏話を話す素振りを見せては話さず、そしていきなり口調が変化したと思えば、裕也の知る遠藤有栖とは似ても似つかぬ少女が「遠藤有栖」だと名乗り、近付いてきて謎に手をこちらに伸ばしてきたのだ。

 これで混乱しない人間がいるとすれば、間違いなく頭がどうかしているだろう。

 有栖は飲み込みの悪い彼に溜息して──横暴にも程がある──宣言する。

 

「俺がお前らに協力するって言ってんだよ。分かったら握手、ほら握手」

「えっ、あ、ああ」


 目に見えて狼狽し、有栖を凝視する裕也からは視線を背けて急かす。

 わざわざ自分の意図を口に出すのは恥ずかしかった。

 裕也は徐々に情報を噛み砕いたのだろう、煮え切らない曖昧な喋り方で口を動かし始める。


「え、えっと……俺のこと知ってるみたいだし、有栖の名前が分かってるってことは確かに……本人じゃないと分からないし、君は有栖、なんだよな」

「だからそう言ってんじゃんか。今までは名前明かす必然性なくて明かさなかったけど」 

「ああ、そこはすごく有栖らしいけど」

「言ってろ。で、だ。俺と協力するかしないか、さっさと決めろよ」


 不機嫌そうな有栖の声に「……君が有栖なのなら、俺の答えはこれしかないよ」と。

 似合わない気障な返しと共に、鉄特有の冷たい感触が華奢な右手を包む。

 見るまでもない、裕也はこの握手に応じたのだ。

 

「────へへ」

「有栖、何か変な笑い声に出してるけど大丈夫?」

「頭大丈夫って酷くねぇ? こちとら女の子なんだし、デリケートな扱いしろよ」

「頭とは誰も言ってないんだけど……でも女扱いしたらどうせ殴りかかるんだろ?」

「当然だろ。キノコ派の奴に手加減する気はねぇな」

「本当……執念深い奴だな(この分だと、前に俺がキレてマヨネーズを有栖の弁当にかけた話まで覚えてそうだ)」

「覚えてるぞ。よくもまぁマイマヨネーズなんて学校に持って来てんのか意味不明だったことも」

「何で俺の思ったことに自然に返答してるんだ……?」

 

 Aくんこと蒼崎裕也くんとの会話は、いつもながらに締まらない。

 欠片も締まらないが、改めて遠藤有栖は笑みを零した。


 ──ホント、全然変わってねぇな。

 体も声も何もかも改変させられた異世界では、『自分』にすら元の世界の名残など皆無だった。


 慣れ親しんだ物もなく孤独で。


 神に奪われた、元の世界で享受していた日常は風化していく記憶ばかりで。


 思えば異世界召喚を通して変わらない物と言えば、裕也達だけだったのだ。


 ──なんつーか、すげぇ懐かしくて、何か……ああクソったれ、目が霞んできやがった。

 これも絶対少女の姿になったせいだ。

 元の世界で人前で涙など見せたことなんてないのだから、絶対にそうだ。

 肝心なところで嘘が下手な有栖は、何故か金色の瞳から垂れでる水を左腕で乱暴に拭き取った。

 

 対等に話ができる相手に秘密を開示したから。

 背中を預けられる相手の手を握っているから。

 ずっと心中に押し込めていた孤独と心細さが消失したから。

 カナリアに革命阻止の話を聞かされたときの、釈然としない感情が晴れたから──。


 

 さぁここから始めよう。

 

 遠藤有栖、ちっぽけな彼の大立ち回りを。

 

 

 

 

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