挿話 君が失くした恋のこと(後編)

 夏休みがあけ、二学期早々の実力テストが終わって一段落したころ、私はクラスメイトに聞かれた。その手の話や噂が好きな女の子。


「ねぇ、やっぱり千秋とつき合ってるんでしょ?」


 この質問も六月ごろにはよくされていたけど、最近では珍しい。少し驚いたけど、答えは以前と変わっていない。


 私は首を横に振った。


「嘘。だって、夏休みにあんたと千秋が手を握りあってたって、噂になってるよぉ」

「あ……」


 心当たりがあった。


 あのときだ。夏休みにたまたま彼と会った、あのときのことを誰かが見ていたに違いない。


「ふうん。やっぱりそうなんだ」


 このときの私の顔が、まるで隠していたことが見つかって驚いているように見えたのだろう。クラスメイトは何やら誤解をしたまま去っていった。





 十月の上旬――、

 実力テストの結果が全て出そろった日の放課後、私と千秋くんは担任の先生に職員室にくるよう言われた。


 あまりよい理由で呼ばれているとは思えなかった。


 彼も同じことを感じているのか、ふたりで職員室の向かっているときも彼は終始黙っていた。


 職員室に入り、先生の机の横に並んで立つ。先生は椅子を回転させてこちらに向き直ると、さっそく切り出した。


「お前たちふたりが交際しているという話を聞いたんだが、本当か?」


 やはりこの話。

 何となく予想はしていた。


「いえ、そんなことはありません」


 千秋くんがきっぱりと否定する。

 その横で私は彼に同意するように頷いた。


「だが、そういう話を先生は耳にしている」

「噂でしょう? 僕たちはそういうつもりはありません」


 それを聞いて先生はひとつ頷いた。だけど、これはきっと納得して頷いたわけではないのだろう。


「じゃあ、今回の実力テストはどういうことだ? いちいちデータは出さないが、成績が落ちていることはお前たち自身がよくわかっているだろう?」


 私は彼を見た。彼も私を見ていた。


 そして、そのことで先生の言っていることが本当であることがわかった。私同様、彼もまた成績を落としていたらしい。


「それはたまたま調子が悪かったからです。関係ありません」


 私も同じ主張だった。むしろ私は調子が悪かったとも思っていない。確かに数字の上では落ちているけれど、この程度の振幅なら誤差の範囲のはずだ。


「だから、その調子を悪くした原因が夏休みに遊び呆けていたからなんだろう?」

「先生の言ってることは前提から間違っています。僕たちはつき合ってるとか、遊び回ってるとか、そういう関係じゃありません」

「だが、周りはそうは思っていないようだが?」

「みんなが勝手にそう言ってるだけです! 周りにどう思われようと僕らにそのつもりはありません!」


 また先生が、ふん、と頷いた。


「言わなくてもわかっていると思うが、もうすぐ中間テストがあるし、月末には第一回目の全国模試だ」


 先生は話題を変えた。

 なるほど。どうやら先生は話を自分の都合のいい方向に変える際に、頷いて相手の言い分を一蹴するらしい。


「ふたりとも聖嶺を受けるんだろう? だったら異性とのつき合いにかまけてる場合じゃないと思うが?」

「先生に僕たちの交友関係にまで口を出す権利があるんですか?」

「権利はない。が、先生はお前たちのことを思って言っているんだ」


 先生が心配しているのは私たちの成績だけ。ただ私たちを聖嶺に合格させたいだけだ。


 聖嶺学園は偏差値もそこそこ高いが、それに加えて家庭が経済的に恵まれていないと入学することができない。そこにクラスからふたりも入れたとなると、先生もさぞ鼻が高いことだろう。


「特に千秋。お前だって親に恩返しくらいしたいだろう? 本来、お前のようなやつが入れる学校じゃないんだからな」

「……」


 千秋くんは、今度は反論もなく黙り込んだ。

 俯いた私の目に、拳を握る彼の手が見えた。かなり強く握っているのか、微かに震えている。


 私は先生に見えないように、そっと彼の袖を引いた。


 少したってから力なく拳が開かれた。何かを確かめるように握って開いてを、二度、繰り返す。


「わかったなら行ってよろしい。次は今回のようなことがないようにな。先生、期待してるからな」

「……はい」


 私たちはそろって一礼すると、職員室を後にした。





「まさかね、つき合ってるつき合ってないを周りが決めることだと思わなかったよ」


 帰り道、千秋くんが皮肉たっぷりに言った。

「……どう、するの?」

「べつに。今だって特別なことをしてるわけじゃないしね。明日から何かを変えようとは思わないよ」


 私は頷く。


 少し、ほっとした。


 だけど、そう言いながらもいつもより格段に言葉少なく、私たちはいつもの下校道を進んだ。そして、やがていつもの分かれ道に辿り着く。


「じゃあ、また――」

「……あ、あの」


 言いかけた彼の言葉を遮って、私は言った。


「ん、なに?」

「……うん。あのね……」


 能動的に話を切り出した私をきっと珍しく思っただろう。彼は私の次の言葉を待っていた。


 どういう言葉にしようか私は考える。


 だけど――、


「……ううん。やっぱり、いい」


 その発音をやめた。

 いま私が思っていることを伝えるには言葉が多くなりすぎるから。


「うわ。それちょっと気になるんだけど」


 勝手なことを言う彼。


 以前、私に何か言いかけて途中でやめたのは何処の誰だっただろう。少し腹が立ったので、絶対に言ってやらない。


「……たいしたことじゃないから」

「そっか」


 彼はさらりと言った。


「じゃあ、また明日」


 そして、口にするいつもの挨拶。


 私もいつも通り頷いて応えた。





 しかし、状況は考えていたほど甘くはなかった。


 私たちが揃って呼び出されたことはすでに知れ渡っていて、以前からの噂に加えてさらに無責任な噂まで流れるようになった。ただ話をしているだけでも目立つようになり、たびたび先生から受験に向けての心構えを説かれるようになった。


 そういったことが煩わしかったのか、それともただ単に忙しかったからなのか、私たちが一緒にいる時間は限りなくゼロに近くなっていた。


 中間テストや全国模試、そして、運動部の彼は総合体育大会。そういった諸々のイベントに流され、ついに高校受験が終わって一段落ついたときには、あの当時のことは思い出のひとつになっていた。


 だから、私はあのとき言おうとした言葉は忘れたことにした。




                  §§§




 そして、今。

 久しぶりに彼がふらりと私の席にきた。


 通路を挟んで隣の席なのに、わざわざ前の席の椅子に横向きに座る。少し懐かしいスタイルだった。


「この前ね、先輩につき合ってた子はいるかって聞かれたんだ」

「……」

「で、何となく、ひとりいたって答えちゃったよ」


 そう言って彼は照れたように笑った。


「……そう。じゃあ、私も誰かに聞かれたら、そう答えようかな」

「そっか」


 彼はただそれだけ言った。


 私が見つめると、彼はわずかに顔を赤くして俯いた。


 瞬間、私は彼の思っていることがわかったような気がした。もし私の考えている通りなら嬉しいと思う。思い出になってしまった当時のことも、少しは救われる気がする。


 けれど、彼はまだそれを言葉にしていない。私があのとき言おうとした言葉と同様、まだ発音されていない。


 だから、ただの錯覚の可能性もある。


「よっし」


 彼が跳びはねるように椅子から立ち上がる。


「じゃあ、また」


 そして、微笑みながら言った


 私はいつものように頷いて応えた。

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