挿話 君が失くした恋のこと(中編)
「千秋くんとよく一緒にいるみたいだけど、つき合ってるの?」
最近たびたびそういうことを聞かれるようになった。
それに対して私はいつも首を横に振って否定している。
確かに彼は、休み時間など、たまにふらっと私のところにきては、ふた言三言、言葉を交わして去っていく。周りから見れば『よく一緒にいる』状態なのかもしれない。事実、私にとって彼は、一緒にいる時間の最も多い男の子ではある。
聞けば彼のほうも同じような環境にあるらしい。
「そんなことないのにね」
そして、否定するところも一致している。
そんな周りからの興味本位の詮索も、今は互いに笑って否定できた。だけど次第に、私たちの意思とは無関係に今の状態を保てなくなる環境が整いつつあった――。
ある日の昼休み――、
ふらりと私の席にやってきた千秋くんの手首を私は掴んだ。
「ん?」
何がはじまるかわからない彼は首を傾げる。
彼の手を引っ張り、べったりと机に掌をつかせ、次に親指から順番に各指の間隔を広げていく。その作業が終わると、私はシャープペンシルを握りしめた。
「あ、わかった。あれだ。指の間を猛スピードで刺していくやつ」
その通り、と私は頷く。
「そんな技、もってたんだ。意外」
それに対して私は、今度は首を横に振った。
「……今日が初めて」
「たちの悪い冗談はよせ」
彼は私の手を振りほどいて手を引くと、掴まれていた手を大事そうに胸の中に抱え込んだ。
「……千秋くんは私が話さなくてもかまわないのね」
「かまわない、って言ってしまうと、何だか僕が好き勝手に喋ってるみたいだけどね」
私の質問に彼は苦笑しながら答えた。
「ただ僕は言葉での返事に拘らないだけ。僕のほうを向いて話を聞いてくれて、レスポンスが返ってくる限り、そこに言葉はなくても双方向のコミュニケーションが成立していると思ってるから」
私は頷いて相づちを打つ。
「ただ、ちょっと話をするのにコツがいるかな。でも、そういうのも引っくるめて面白いと思ってるよ、僕は」
確かに彼といると楽だった。
ただ頷くなり首を振るなりして応えればいいのだから、これは極力言葉を少なくしたい私にとって理想的な環境と言える。
けれど、それでよしとする彼は珍しいタイプだと思う。
「そう言う意味では話さなくてもかまわないと言えばかまわないんだろうね。……あー、でも、あれだ――」
彼が何か言おうと口を開いた。私は次の言葉を待つ。
しかし、彼は最後の「だ」の口のまま動きを止め、何事かを考えている風だった。そして――、
「やっぱやめ。また今度にするよ」
と言った。
気を持たせておいてそれはない。私はちょっとむっとして、睨むような目つきになってしまった。
左手で彼の腕を掴み、右手でシャープペンシルを取る。
「……だからやめて」
彼は慌てて逃げた。
やがて一学期が終わり、夏休みに入った。
終業式以降、千秋くんの顔は見ていない。もともと休み時間に少し話をして、たまに一緒に帰る程度の仲なので、学校とは関係ないところで彼と会ったこともなければ、彼の私服姿を見たこともない。
だから、こうなることは当然と言えば当然。このまま二学期まで会うことはないだろうと思っていた。
けれど、それはお盆過ぎのこと――。
夏休みのある日、私は駅前でひかえめに肩を叩かれた。
振り返る。が、そこには誰もいない。気のせいだったのだろうかと思っているところにようやく声が聞こえた。
「こっちだよ~ん」
それは千秋くんだった。
どうやら彼は私の右肩を叩いてすぐに左に跳んで逃げたらしい。皆一度はやったことのある悪戯だ。時に幼稚に見られがちな子供っぽさは、この当時から今も変わっていない。
約一ヶ月ぶりに見る彼の顔が少し懐かしく感じる。
「久しぶりだね。学校がないとぜんぜん会わないもんね」
私は頷いて同意する。
「今、時間ある? もしよかったらどこか入って、話でもしない?」
もう一度頷く。
今の私はちょうど出かけた先から帰るところで、この後の予定はなく、急いで帰る理由もなかった。
「よし、じゃあ、決まりだ」
彼は嬉しそうに微笑んだ。
それから私たちはすぐ近くのファーストフードショップに入った。
「一昨日、ついに試合に負けちゃってさ。夏の大会終了。昨日からようやくクラブも夏休みなんだ」
彼が近況を語る。
「……千秋くんも試合に?」
「残念ながら出してもらえなかった。僕ならこうするって場面がいっぱいあったんだけどなぁ。尤も、実際にイメージ通りできるとは限らないけど」
「……」
そこでふと私は彼に関する噂を思い出した。
――曰く、千秋那智は捨て子である。
故に児童養護施設で育った彼は、一部の先生と生徒から不当な偏見と差別を受けているという話だ。今回の試合に出られなかったことがその一環であるのかはわからないけれど、それとは別に私もいくつか心当たりがある。
例えば、彼が部活の中で新入部員の指導にあたっていること。あれは普通、試合に向けて練習しなければならない三年生がやるものではないと聞いている。
「何か聞きたそうな顔」
指摘されて私ははっとした。どうやら考えていて、いつの間にかそんな顔になっていたらしい。
私は首を横に振って否定した。
「じゃあ、僕からひとつ聞いていい?」
彼がわざわざ断ってから質問に入るのは珍しい。
「一度聞いてみたかったんだけど、なんでそんなに無口なの? ……うん、ごめん。前に話さなくてもかまわないって言ったけど、やっぱり理由が気になってさ」
少し考える。
よくこの質問をされるが、私はそれに答えたことはない。だけど、何も話さなくていいと言ってくれる彼になら、答えてもいいのかもしれない。
「……言葉じゃ思ってることが上手く伝わらないから」
私は常々思う。言葉はコミュニケーションのツールとしては不完全だと。
思考を言葉に変換して発音するだけでも効率が悪いのに、言葉の解釈は受信側に委ねられる。しかも、そこにその時々の感情という不安定な要素が加わるとなれば、頭で思ったことはきっと一割程度しか伝わらないだろう。
だから、私は解釈を巡って揉めごとの種になったり、人間関係に亀裂を生むもとになる言葉というツールを極力使わないと決めた。
「ああ、あるね、そういうの。僕も相手に思ってることがぜんぜん伝わらなかったり、曲解されたりしたことが何度かあるよ。でも、結局、人に考えを伝える方法って言葉しかないんだよね」
私は彼の言葉に頷いた。
「……手を握るだけで考えてることが伝わればいいのにと思う」
「こんな感じ?」
突然、彼は私の手を両手で握った。
「ッ!」
そして、そのまま何かを感じ取ろうとするかのように目を瞑る。
「……」
「……」
やがて――、
「やっぱりむりだね」
私の手を離し、無邪気に笑った。
当たり前だ。
人間はまだ接触、非接触に関係なくテレパシィをコミュニケーションの方法として確立していない。
そして、何よりもこのときの私の頭は真っ白だった。
だから何も伝わるはずがない。
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