4.

 日曜日――、

 待ち合わせの場所は繁華街に近い駅前の、前衛的なオブジェの前。約束した時間は午前十時。


 でも――、


「那智くん、こないんですけど……」


 わたしは、自分でも怒っているのか悲しんでいるのかわからない複雑な気持ちを込めてつぶやいた。


 午前十一時。


 未だ那智くんは現れない。くるのは中身が薄くて軽そうな男の子ばかり。それも十分おきに。すぐ近くに交番があるからしつこくされなくていいけど。


 メール、返事なし。

 電話、応答なし。


 いったい那智くんは何をやっているのだろう?


 このところ那智くんは宇佐美さんとよく会っている。近々彼女の父親とも会う約束があるらしい。わたしの知らないところでいろんな話が進んでいるようで不安だ。


 だから、今日の誕生日デートはそんな不安を払拭するいい機会だと思っていた。


 の、だけど――、


 未だ那智くんは現れない。


(那智くん、今、誰と一緒にいるの……)


 そんな現状にまた不安だけがつのっていく。


 と、そのとき、いきなり後ろから声をかけられた。


「よぉ、片瀬センパイじゃん」


 振り返るとそこに後宮さんが立っていた。





「こんなとこで何やってんの?」


 いつもの人を小馬鹿にしたような浮かべて後宮さんが聞いてきた。


「もしかしてナンパ待ち? 意外とやるねぇ、片瀬センパイも」

「あなたと一緒にしないでもらえます? それとわたしのことを先輩と言うのもやめて」


 わたしがそうぴしゃりと言うと、後宮さんは「へいへい」と悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「言っておきますが、わたしはこれからデートです」

「てことは、相手は那智のやつか?」

「当たり前でしょ? ほかに誰がいるっていうのよ」


 そんなにわたしは気の多い女の子に見えるのだろうか? だんだん腹が立ってきて、わたしは知らず腕を組んで、そっぽを向いていた。


「で、その那智はどこよ?」

「う……」


 痛いところをついてくる。


「その様子じゃまだきてないみたいだな。しかも、約束の時間はとっくに過ぎてる。……違う?」

「ええ、そうよ。おっしゃる通り。那智くんはまだきてないわよ。それが何か? 悪いですかっ?」

「キレるの早っ」

「最近よく言われるわ。そんなだから那智くんも愛想尽かしたんじゃないかしら? どうせ今ごろはほかのかわいい女の子と一緒なんだわ」


 それは先程からずっと考えないようにしてきた想像だった。それを口にしたら何だか悲しくなってきた。


 しかし、そんなわたしとは対照的に後宮さんは、途端、真顔になった。


「お前さぁ、うちの那智のこと、そんなふうに見てたの?」

「……」

「あいつをそのへん歩いてるカルいヤツらと一緒にして。自分は被害者で。あいつがくる途中で事故に遭って連絡もできないとか思わないわけ? 少しは心配になったりしないの?」


 後宮さんは腹立たしげな様子で一気に捲し立てた。


「だって……仕方ないじゃない……っ」


 最近の那智くんはあの子と仲が良くて。

 わたしに内緒でいろんな約束をしてて。


 現に那智くんは今ここにいなくて……。


「わ、わたしだってそんなこと、思いたくないわよ……っ」


 ああ、もうっ。ホントに涙が出てきたじゃない。


 次第に自分の意志では涙を止められなくなりはじめているわたし。その前で後宮さんは面倒そうに頭を掻いた


「あー、ウザ。……なぁ、ちょっとつき合えよ」

「……」

「俺、男と待ち合わせしてんだけど、早くきすぎたんだよな。暇つぶしにつき合えよ」

「で、でも、那智くんがくるかもしれないし……」


 ここを離れるわけにはいかない。


「気にすんなよ。連絡もよこさずに女を待たせるやつなんかほっとけ。今度はこっちが倍返しで待たしゃいいんだよ」


 さっきと言ってることが百七十度くらい違うのは気のせいだろうか。今度はかなり扱いがひどい。前々から思っていたのだけど、後宮さんにとって那智くんはどんな位置を占めているのだろう。那智くんは彼女のことを姉と慕っているようだけど、あちいもあっちで扱いがけっこうひどい。


 そんなことをぼうっと考えていたら、少し離れたところで声がした。


「ほら、行くよ」


 どうやらつき合わされることに決まったらしい。





 わたしたちは近くの喫茶店に移動した。


「いらっしゃいませ。お席は喫煙席と禁煙席がございますが、どちらに致しましょう?」


 それがマニュアルなのだろう、相手が高校生のふたり組でもオートマチックに対応するらしい。あぁ、そういえば後宮さんは煙草を持ち歩いているのだった。


「禁煙席でいいや」


 横であっさりと言う。


 そのままわたしたちは席に案内され、腰を下ろした。時間つぶしが目的なのでそれぞれコーヒーだけを注文する。


「てっきり喫煙席に行くものだと思ったわ」

「別に、俺、ヘビィスモーカってわけじゃないしな。吸わないやつの前でむりやり吸うつもりないよ」


 ふん、と心外そうな顔で鼻を鳴らした。


「ふうん。そのわりには那智くんの前ではすぐに吸おうとするのね」

「あいつ、すぐ怒るんだぜ。あったまくるからさ、わざとやってんの」


 それが本当なら意地の悪い話だ。けれど、わたしが見る限り後宮さんにそういう意図は感じられない。わたしはもっと別の仮説を持っている。


「お待たせしました」


 しかし、その仮説を提示する前に邪魔が入ってしまった。


 注文したコーヒーが置かれる間、何となく無言になってしまい、そうしているうちに真偽を問う気も失せてしまっていた。


「何で那智なんだ?」


 店員が去った後、先に口を開いたのは後宮さんだった。


「どういう意味?」


 コーヒーに口をつけていたわたしは、カップをソーサに戻して質問の意図を問い返した。


「お前ってさ、見た目もいいしそこそこ背も高い。男なんかいくらでも寄ってくるだろ? それが何でよりによってガキでチビの那智なんだ?」


 那智くんもひどい言われようだ。そして、その那智くんはわたしの彼氏である。……最近、少し自信がなくなってきてますけど。


「さぁ、何でかしらね?」

「なんだよ、自分でもわかんないのかよ」

「もちろん、わかってるわ。ただあなたに言いたくないだけ」

「性格悪いやつ」


 けっ、と悪態をつく後宮さん。


「それはお互い様」


 そして、つんと澄まして軽く流すわたし。

 互いに無言でコーヒーを飲む。もともと仲のよい関係ではないのだから会話など弾むはずもない。


 しかし、沈黙を破ったのはまたも後宮さんの方だった。


「まぁ、那智のやつもお前のことで頭がいっぱいみたいだしな」


 彼女はカップを見つめながら、ぼそっと言った。


「そうかしら……」


 わたしは力なく反論する。


 最近の那智くんを見ているとそうとは思えない。


「あいつさぁ、俺ンとこに電話かけてきやがんの。先パイへのプレゼントどうしようって」

「……」

「今月、俺の誕生日もあるのにさ。今まで毎年、一度も忘れたことないのに、今年はすっかり忘れてんのな。先パイ先パイって、バッカじゃないのか?」


 吐き捨てるようにそう言ってから、後宮さんは残ったコーヒーを一気に飲み干した。


「……」


 わたしは何だか彼女に申し訳ないような気持ちになった。


 両親を亡くした彼女から弟も同然の那智くんを取り上げておきながら、その那智くんの気持ちを信じ切れないで自分勝手なことばかり考えている。腹立たしく思うのも当たり前だろう。


 彼女に対して何と言っていいのか迷っていると、携帯の着信メロディが鳴った。ただし、残念ながらわたしのものではない。


 後宮さんが電話に出る。


「あいよー。つーか、そのキザな言い方やめてくれる? ……ああ、もうそんな時間か。……近くにいるよー? ……わかった。すぐ行く」


 と、そこで思い出したようにわたしの顔を見た。


「……い、いや、ダメだっ。変更っ、待ち合わせ場所変更っ。アンタと一緒のところ見られたくない女がいるのっ」

「……」


 ……それはわたしのことだろうか?


 妙に慌てながらも後宮さんは通話を終えた。それからすぐに伝票を持って立ち上がる。


「じゃ、俺、先に出るわ」

「あ、待って。わたしの分……」


 わたしは財布を出そうとバッグに手をかける。


「あぁ? いいよ、そんなモン。お前、誕生日なんだろ? 俺が出しとくよ」

「それはあなただって……」

「だったら、今度どっかでばったり会ったら、そんとき何か奢ってくれよ。そんでチャラ」


 そう言って後宮さんはウィンクした。意外に愛嬌のある仕草だった。


「那智くんに何か伝えることある?」

「あー……じゃあ、お前なんて嫌いだっつっといて。ついでに腹二、三発殴ってくれたらモアベター」


 ……それは無理です。


「んじゃな。あいつのこと頼むわ」


 そう言い残して後宮さんは早足で去っていった。





 十分ほどしてからわたしもお店を出た。


「あーあ、わたしも嫌いになりそう……」


 待ち合わせ場所に戻ったが、やはりまだ那智くんはきていなかった――。

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